2023年7月23日日曜日

“反復する地獄”~『ろくろ首』考(6)~

 


 石井隆は「境界」を無限と捉え、そこにたたずむ人間をかれら側に立って描く作家であった。善と悪、愛と欲、道徳と渇望、美しさと醜さ、生と死といった拮抗する勢力の緩衝地帯が広々と用意され、登場人物はそこを往還し、または彷徨い、大概は人間同士の関係に大きな裂傷なり熱傷を作ってしまういたましい展開に突き進む。

 おそらく石井の想いのなかには、絶対的に揺るがないものなど存在しなかった。人は本当に悲しいとき、悲しそうな表情などしないよ、という言及ひとつからも解かるように、人間観察を重ねて突き詰められた結論は「分からない」という一点に集束した。その曖昧さを大胆に、強いまなざしと共に甘受していこうという毅然とした姿勢があった。

 分かりやすくすることは鑑賞の最中や後の記憶を優しくマッサージし、口腔や鼻腔を甘くとろけさせるが、人間の本質なり社会の実相とは大きく反れていくと考えた。分からない人間に向き合っていくそんな石井のドラマというのは、観る者を不安にさせたり戸惑わせることが多かったけれど、『ろくろ首』の印象はそうではない。

 たとえば、劇の冒頭、夏川結衣演じるおんなが柳葉に向けて不幸な身の上を語る。隣国までの旅の途中で従者にはぐれてしまった、と言うときのたどたどしさ、直截的に言えば「棒読み」口調に対して、多くの視聴者は下手だなあ、いたたまれないなあと感じる。寸劇(コント)をたちまち連想して、なんだ怖い話じゃないんだ、漫画だなと解釈して緊張を解いてしまう。以降は真剣なまなざしを向けることはない。もはや「見切った(分かった)」からである。

 ところがこの「棒読み」は(二重の意味で)演出なのであって、演技の巧拙とは関係がない。つまり夏川は「演技している若いおんな」を演じねばならず、芝居じみた雰囲気をあえて押し出すことを強いられた訳である。真夜中の森の広場での談笑で、また、妖怪化して襲い来た従者が柳葉に撃退されてから白状したように、「自分たちの願いを叶えるための道具」とすべく接近し、あれこれ言い含めて「自分たちのさらわれた首を取り返す」役目を押しつけようとした。その為の大芝居という筋書きであった。

 つまり、『ろくろ首』は演出家の判断で「分かりやすく」されてしまったのだ。テレビジョンは不明瞭さを回避して「分かりやすさ」をとことん追求していき、石井世界からどんどん反れてしまったというのが本当のところだろう。

 石井が自ら演出していたら、ずいぶんと違った様相を呈したはずである。おんなの台詞は棒読み調ではなくて、謎めいて「分からない」ままに進行したろう。夏川と従者たちのお芝居はいかにも誇張されて作り物めいたものでなく、曖昧さをそのまま提示した底知れない人間ドラマとして提示されたに違いない。金曜日の午後9時(*1)という視聴好適時間に自作を投じる機会を得た劇作家の発奮を想像すれば、石井が軽佻な「分かりやすい」執筆で済ますはずなど絶対にない。石井の狙いとはいささか乖離した仕上がりになっていて、つまりは「ルージュ現象」がここでも起きていると自分は解釈している。

 さて、そろそろお解かりの通り『ろくろ首』は懸命に芝居を打つおんなを主軸に据えていることで、『ラブホテル』(1985 監督相米慎二)、『ヌードの夜』(1993)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)、『GONIN サーガ』(2015)とも血脈を通じている。

 個人的にはこれら以上に劇画の短篇【琥珀色の裸線】(1987)の切迫した気配と馴染むものを感じる。【琥珀色の裸線】はこんな話だ。暴姦現場に偶然居合わせた男が関わりを避けようとして、顔をそむけ、耳に飛び込む声を無視してその場を離れる。被害者のおんなはその後、加害者のヤクザから脅迫されて場末の酒場に幽閉され、買春目的で訪れる客に身体を開くことを強要される。

 ある夜偶然に先の男が泥酔しておんなの店に立ち寄ったことから、おんなは苦海からの脱出を夢想し始め、徐々にヤクザと男が鉢合わせする状況を作っていき、「過去の暴姦現場を再現する芝居」を両者の前で打つのである。男は保身のために逃避したあの一刻まで引き戻され、カウンターにあった包丁を握るや否やヤクザの背中に突進していく。

 『ろくろ首』の男女の出逢いが暴姦場面である点と、おんなの懸命な芝居に男が翻弄される成り行きが共鳴を誘う。例によって両者はからみ合って石井世界という一個の生命体を彩っている。

 そうして【琥珀色の裸線】から逆照射された『ろくろ首』は、もはや寸劇みたい、バラエティ番組みたいには見えず、笑えない切実な現実へと容貌を変えるのである。つまり、【琥珀色の裸線】と同様の「過去の生々しい現場再現」が『ろくろ首』では冒頭から展開していることを私たちは理解しなければならない。

 (*1):https://www.allcinema.net/cinema/85520



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