2016年2月11日木曜日

“ほうらない”


 先述の横穴墓(よこあなぼ)は、傾斜のきつい石段を辿ってようやっと行き着く山の頂きにあった。今でこそ遊歩道となっているその坂は、かつては未整備で草が生い茂り、足元もぬるぬるに滑ったはずである。遺骸を運んだ一行はさぞや苦労した事だろう。どんな思いを抱いて岩を削り、ここまで這い上がって来たのか。いかなる常世(とこよ)を彼らは脳裏に描いたものか。

 帰宅後、古墳墓関連の幾冊かを借りてきて夜毎めくってみたが、埋葬品(舟型の木棺や壁の装飾)の詳細なり羨道(えんどう)や玄室(げんしつ)の土木工学的な計測が多くて、さすがに往時のひとの心まで筆は及ばない。千五百年も前ともなると研究者の手が届かぬ領域がぐんと増し、当然ながら学術色が増せば増すほど文章は寡黙となる。その中で斎藤忠という人の本だけは、やや踏み込んだ内容であって面白かった。二箇所ほど書き写してみよう。(*1)

「「遺骸を葬る」「埋葬」「葬式」「葬礼」のように「葬」の文字が用いられ「ほうむる」という言葉でいわれている。「葬」は、本来サと一と死との合字で、死者は台にのせて草の下におくことにもとづくといわれている。では「ほうむる」という言葉はどんな意味によったものだろうか。(中略)いくつかの解釈を紹介しよう。1 ほうる、すなわち放棄という考え。(中略)2 祝(はふ)るとする考え。(中略)3 「火埋る」または「火蒙る」とする考え。(中略)これらの中で、3にいうように火葬との関係を求めることは無理である。2も、必ずしも首肯できない。そうすると、1がもっとも穏当のようであるが、しかし、この言葉は、古くから遺骸をみな放棄したとする証明にはならない。」(*2)

「古代人の死または死者に対する思考には、複雑なものが重層していた。まず、考えられることは、霊魂というものの存在は、案外早くからみとめていたのではないかということである。霊魂は「たましい」であり「たま」である。そして、これは肉体の中に常住し、死後になっても、肉体が腐朽しても、その肉体から離れて消滅するということはないという考え方があった。原始・古代社会の葬礼、ことに「もがり」の儀礼などは、このような「たま」に対する知って了解されるものであり、喪屋における日を重ねての行事も供膳も歌舞も哀悼傷身も、死というものを確認し、そこにはじめて「たま」の肉体から遊離を信じ、その鎮まることを念じたことにもとづくものと考えられる。(中略)この「たま」の落ちつくところについても錯雑した観念があった。その一つは「よもつ国」であり、暗黒な幽冥な世界であった。その一つは「底つ国」であり、「根の国」であった。その一つは、天上であり、あるいは遠く海の彼岸であった。このような思想の混融性に、古代日本人の精神生活の特色も指摘されなければならない。一方、死者に対する考え方にも、これを汚穢なものと考え、恐怖し畏怖し、死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯した二面が、つねに彼らの精神生活の中に錯綜していた。」(*3)

 前文で斎藤は、古代人が手のかかる横穴墓や墳墓を作って死者を丁重に埋葬する行為が、到底「ほうる、すなわち放棄」には当たらず、どうして「ほうる」という響きが我が国に定着してしまったのかを訝しんでいる。確かに言われてみれば奇妙だ。“野辺送り”という言い方もある訳だから、風葬に近しい形で故人を弔った時代は少しはあったことだろう。けれど、「ほうる」という乱暴な物言いが儀式全般を指差すのは変な気分だ。後の文では「思想の混融」に触れていて、それは古代人に限らず私たちの心にも根を張って感じるくだりだ。「死の生活との隔絶を求めようとするとともに、追慕し愛着の念をいだき、生への復帰を願うという交錯」があるという斎藤の解析は、実際その通りと思われる。「ほうらない」、いや、「ほうれない」私たちの心の輪郭が露わとなって、目のふちに涼しい風が吹いて当たったような快感があった。

 天頂への安置を先祖は切望し、それを成し遂げた人たちの生まじめで「ほうらない」その想い。忘却すること、追い払うこと、遠ざけること、焼き払うこと、埋めること。別離に際して私たちは得てしてそんなイメージや義務感を抱きがちだけど、本来は逆の目的があったのであって、それは積極的な追慕の次元ではなかったか。とことん想い、まなざしを注ぐ長い長い時間ではなかったか。もともと汚れた気配は無かったが、墓所の印象がわずかに修正なった気がする。穏やかさが増して清澄な場処と思えてくる。
  
 石井隆のこのところの作品を観て感じる固い手触りと連結し、ゆるゆると伝導を果たすものがある。先にわたしは「葬らない生き方」と題した『GONINサーガ』(2015)の感想(*4)を書いてしまったが、どこか言葉足らずに思われて腹の座りが悪かった。考え方が逆さまだったかもしれない。そうなのだ、石井隆ほど人の死を「ほうらない、ほうれない」作家もいないし、その作品は常に心魂をささげる「葬送」の道程にあって、「供膳、歌舞、哀悼傷身」にさえ近しい。『月下の蘭』(1991)然り、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)然り、『甘い鞭』(2013)もまた然り。

 死を十把一絡げにして追い払うのではなく、最後まで個別の終焉として見つめつづける。そんな決着を軸芯に選んで、石井の劇は在りはしないか。近代に根付いてしまった弔いの自動化をそっと手のひらで押し返して、石井は本来ひとにそなわっているはずの生と死の間合いを劇中に手探って見える。真摯に「葬る生き方」をつづけている。


(*1): 「墳墓の考古学  斎藤忠著作選集4」 斎藤忠 雄山閣出版 1996
(*2) :同 14-15頁
(*3): 同 205頁
(*4):「キネマ旬報 2015年10月上旬号 №1699」 34-35頁

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