廃棄物の埋め立て処分場に足を踏み入れたことがある。集落から離れた、細く曲がりくねった坂道のどん詰まりに掘られていた。屏風のように山を背後に従え、下界からの視線を遮っている。金網や門がめぐり、構内の撮影を一切許さない旨の看板が実にいかめしいのだった。すり鉢状の穴が穿たれており、最も深い層は私が立つところからは随分と離れて見える。まるで石組みの闘技場か野外劇場のようだ。
落ち着かない場処だった。得体の知れない利権が渦巻いて感じられ、自分たちとは違う世界、あまり知るべきでない区域に思えて逃げるようにして帰って来た。他にも規模や様相は違っているが、焼却場や民間処分場に立ち寄ったことがあるけれど、どこも妙に寒々しく感ぜられ、興味なり夢想のつけ入る隙は見当たらなかったように思う。大量のゴミやこれに付随する景色には人の思考を萎えさせ、情動の隆起を押さえ込み、想像する力を全停止させてしまうところがありそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
犯罪白書をひも解くまでもなく、暴力や脅迫をともなう性行為の強要や薬物等を使って朦朧とさせた上での交合は主に屋内で為されることが多く、野外というのは割合的に少ない。一戸建て住宅、マンションやアパートの一室やホテルの小部屋といったある意味快適な日常空間にこそ、実は地獄の口はぐわっと開いて紅蓮(ぐれん)の焔をちらつかすものだろう。(*4) 当然ながら石井はこの事を承知しているのであるが、扉の外へと当事者を追い立て、より寒々しい場処へと視座を架け替えるのだった。
相手の意思を捻じ曲げて一方的に情交を迫る濁流のごとき時間にあっては、逃げ惑った末に意図しない場処(たとえば屋上)へとたどり着いてしまったり、後先もなく勢いだけで相手を(たとえば操車場に)引きずっていく事が起こるものだ、それが欲情なり性暴力の実態じゃないか、と一笑に付されればここで話はお終いになるのだが、石井の劇にあっては、登場人物が状況を十分に制御し、快適な場処へと上手く誘導できるだろう局面にあっても、“ありえない場処”へ相手を追いやり行為を目論むところがあって、それはやはり物語の勢いに押し切られてのことじゃなくって、たえず作為的なまなざしが注がれての結果なのだ、と解釈するのがどうやら正しい。
暴力の荒波に溺れて暮らす男たちは、嗅覚が鈍磨し、清潔であることを嫌い、汚物や汚水にまみれるのをむしろ至上の歓びと感ずるものだろうか。魚や野菜の(果ては人間の)腐敗する臭いに恋情や欲望が高ぶり、靴裏の奇妙な弾力や粘りつく感触に浮き立つ気分をさらに煽られ、そうした中で性の交歓を夢見る奇矯な者たちであろうか──まさか、そのような事はあるまい。
【天使のはらわた】(*5)の哲郎が吐露していたように、そのような場処は誰にとっても“まるで賽(さい)の河原”のような光景に当たるはずだ。砕石や割れたコンクリートが膝を刺して痛みに身悶えする場処であり、悪臭に顔をしかめ、あらゆる意欲を減退させる最果ての地である。性交にともなう甘い夢想を裁ち切り、暖色の陶酔を叩きつぶして覚醒へと導く、そんな水垢離(みずごり)にも似た機能が托されているように私には見える。
黒い泥水や正体のわからぬものたちに覆われたそんな物語世界にあって、一輪の蓮(はす)の花を見出せるかどうかが、物語にとっても、そして私たちにとっても岐路となっていくのであるが、撥ねる泥水は目に入り、指先に触れるのが根茎なのか、はたまた死人の頭髪なのかももはや分からぬ。容易に白き者は目に入らないし、手に取ることは叶わない。終いまで目に入らなければ、手に触れなければ、そこは殺戮と獣欲と悪臭に限った原野となって救いがなくなるのだ。石井隆の作品はそういう危うい綱渡りを続けているのであって、予定調和に充ちた、透明度のある娯楽作品の境域を遙かに越えてしまっている。
(*1):どの原作が使われているかは、mickmacさんの書く以下のブログに詳しい。
http://teaforone.blog4.fc2.com/blog-entry-524.html
(*2):「キネマ旬報」 1979年7月下旬号 キネマ旬報社
(*3):「漫画タッチ」 1979年8月号 白夜書房
(*4):屋内での暴力的な姦淫については石井の劇にも一部当てはまり、『フリーズ・ミー』(2000)や近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)などが直ぐに目に浮かんでくる。いたいけな存在、無辜(むこ)なる魂が扉の奥で大きな手のひらに押し倒され、自由を奪われ、深々と傷ついていく様子が描かれていくが、そのような屋内空間の描写は石井の劇空間において(あくまで私見であるが)より酷さが加わり、傷口は縫合し得ないほど深く、広く破壊されていくように見える。屋外にあって縦横に飛翔を開始する外連(けれん)が自ずと封殺されるためか、それとも現実に繰り返される事件が木霊するためか、段差をつくって凄絶さが一気に増す傾向が視止められる。
(*5):【天使のはらわた】第1部 少年画報社 226-227頁「あそこ石ころだらけでよ……… まるで賽の河原でやってるみたいだったぜ……」
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