2015年8月13日木曜日
“自由落下(フリーフォール)”
かれこれ五年程も前にスカイダイビングの入門体験をしている。私の見るもの聞くものは偏っていて実戦の役に立たない気がするし、興味ある人は調べたりクラブの門を実際に叩けば済む話だ。この場に記したいのは次の二点だけ。飛翔する直前と自由落下(フリーフォール)中の五感についてだ。もちろん素人が独力で飛べるはずもないから、タンデムと呼ばれる二人一組でジャンプする形だった。
背後に付いてくれたベテランのジャンパーは、黒豹のように引き締まった体つきの寡黙な若い男で、ぎらつく白刃を連想させる怖い印象だった。陸上競技場のフィールドに観客席から降り立って、出走間際のアスリートを至近距離で見ると多分こんな感じかと思った。
三千メートルの上空に小型機が到達し、胴体に開け放たれたスライド式ドアから彼に抱きかかえられるようにして飛び降りたわけなのだが、その直前のほんの少しの間、つまり、扉のへりに腰をおろして両足を虚空に突き出した際に湧いた奇妙な感覚は、おそらく死ぬまで忘れ得ない。
恐怖というのではなく、何だろう、頭の奥で疑問符がもわもわと噴きあがる感覚。本能レベルの領域で、俺はまだ了解していないぞ、変だぞ、おかしいぞ、とオートチェックが働いた。危険信号を発するのとも違って、のっぺりした正体不明の当惑が感じられた。
やさしく秒読みをしてくれるでもなく黒豹は、背後からわたしをぐいぐいと押しやり、あっという間に空中に放り出されてしまった。ぜい肉だらけの我が身と、鋼(はがね)の筋肉で仕上がった黒豹のしなやかな身体、それに落下傘等の器具一式を合わせて百五十キログラム以上はあっただろうか、団子状の塊りが重力に引かれて一直線に落ちていく。
むき出しの頬が風に叩かれて痺れ、雲を突き抜けて進む間は霧雨に包まれて全身が濡れそぼるようだった。灰色の霞みの向こうに何か見えはしないかと目を凝らすうち、そのせいで背中が丸まってしまったのだろう、黒豹がもっと両手を広げて、体を反らせて、と大声で叫んだ。安穏としてはおれない危険な状況なのだと再認識して、慌ててえび反りしようとしたけれど、そんな姿勢は普段したこともない。たぶん大して反らなかったに違いないが、ふん、ふん、と鼻孔をひろげて胸を張ることを繰り返すうち、急にパラシュートがばさばさと音を立て、やがて眼下に雄大な景色が広がった。ゆったりした遊覧飛行に移っていった。
あの瞬間、飛行機の胴体から宙ぶらりんとなった足裏の、実にもの淋しい感覚を通じて思うことは、高所から飛び降りる行為というのは実に厄介で不自然なことであり、きわめて居心地の悪い時間になるということだった。飛行場に日夜集結して、自由奔放に天翔けていくジャンパーたちが示すように、鍛錬を重ねればいずれは負の感覚をきれいに克服して創造的な営みに変貌することは理解するのだけれど、そうなるまでは誰にとっても疑問符だらけの厭な行ないであって、どのような事態に陥っても安易に選んでよい道とは思えない。
壁に突き当たり、自分の無能を責めたて、何もかも放擲して解放されたいと切望することが今後の人生で仮にあったとしても、わたしは高所から身を投じる事は決してないように思う。投身という行為はぎりぎりまで現実感をひきずり、まったくもって不快きわまる作業だった。
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