2023年9月3日日曜日

“物語からの救出”~『ろくろ首』考(終)~


 テレビドラマ『ろくろ首』の終幕で頭部のみの異体に変化(へんげ)した夏川結衣が、僧服の柳葉敏郎の胸元に転がり込む奇妙な現象は原作中の描写、つまり、ろくろ首集団のリーダーの首が袖(そで)に咬みついたまま絶命し、いつまでもぶら下がる様子を踏襲している。石井が原作を無視するのではなく、むしろ強く意識していた証しである。

 ただ、「食らいついてやる!かじり殺してやる!」という憎悪一辺倒であった原作の主(あるじ)とは真逆な印象で、夏川の頬が恋慕で明々と輝いているのが玄妙である。「化け物」は人間とは違う、根絶すべき魔物という小説の基調がひっくり返っており、圧倒的な視座の転換が認められる。

 原作をどう料理するか腕を競うのが脚本家の務めであるから、もちろん逸脱は絶えず起きる。生き残るはずの者が死に、死が定番化した者が生き長らえる。破滅するはずの世界が主人公の献身や犠牲でこれを回避してしまう等々、思い返せばいくらでも例示出来る。そのような転換は作劇には付きものだし、読者や観客にとっては愉しみのひとつになっている。

 それにしても、と首を傾げる訳である。原作を未読の人は気付かぬが、ずいぶんと極端な改変が為されている。さながら琵琶の名手が耳を奪われず、逆に目を授かって悠々と怨霊の館から帰還したような、それとも正体明かして永劫の別れを告げた雪女の背中を追った木樵(きこり)が多毛の雪男にわさわさと変身し、仲良く手と手をつないで視界から消えていくかのような、思考を鈍くする淀んだ衝撃がある。

 石井は明らかにろくろ首の側に寝返ったのだ。「傷つき血の流れている首が胴にもどって、そこにかたまり、うずくまり」、僧の姿に怯えて「森のほうへ逃げて行き」そのまま退場する原作の彼らであった。「坊主だ、坊主が来た」と泣き叫んで暗い樹海へと駈け去ろうとするのを押し止め、膝を交えて再度事情を聞こうと石井は試みる。視界の外に追い出すことは終ぞなかったのだ。何という粘り強さ、執心であろうか。

 加えて原作ではほんの添え物でしかなかったおんなの身の上を、石井なりに膨らませて見える。月乃の源泉となったのは、実は石井ではなく別の画家の描いた「ろくろ首」の挿絵と自分は考えるのだが、この推測が正しければ石井の作劇法を論ずる上で貴重な逸話と思われる。最後に書き留めておきたい。

 十返舎が描いた挿絵のなかに、ろくろ首(抜け首)が二体空中を浮遊する姿があることは先に紹介した。右の首にはごわごわした髭がはえているから男と分かるが、左の首は性別不明である。この絵を元にして後年、別の画家が描いたものが子供向けの「妖怪図鑑」に収められている。

 木俣清史(きまたきよし)によるこちらの絵にはさらに一体が加わって、全部で三つの生首が宙を泳ぎながら何事か相談している様子なのだが、彼らの表情には一様に不安が滲んでいる。十返舎もしくは小泉原作の文章を酌んだ事は明らかだ。僧の反乱にひどく慌てる抜け首には人間味があり、読者は邪悪なる化け物と看做して恐怖することが難しい。恐怖は我々にではなく、彼らの方にこそ渦巻いている。

 さらに画家は一体を色白の目鼻立ちの整ったおんなとして描いている。ここまで美貌とは言及されていないが、おんなが混じっていた点は確かに原作通りである。長い髪がさっと吹き流れる様がなんとも艶かしい。

 何故こんな気の毒な姿になってしまったのか、と、軟らかな筆致が囁いてくるようだ。絵を描く者の洞察と想像力の根底にあるのは、世界の外貌を正確に写し出す能力ではない。人間への興味と共振、辺縁の者を愛する力である。前世では何を夢見て育ち、どんな喜びと悲しみを味わったのだろうか。画家のまなざしは虐げられた者たちを手厚く包んでいく。

 小泉八雲「怪談」の脚本を依頼された石井は「ろくろ首」とは何かを調べるため、早い段階でこの子供向けの本を見返した事だろう。なぜならば、手元に大事に置かれてあったからだ。木俣、柳柊二(やなぎしゅうじ)、南村喬之(みなみむらたかし)、水木しげると共に、石井は本名でこの「とてもこわい幽霊妖怪図鑑」に何点か一枚絵を寄せているのだった。

 宙に舞う三つ首の挿絵を凝視し、懸命に読み解こうとする石井の様子がありありと目に浮んでくる。そうして、きっと木俣と同じように、この名もなき娘の境涯に想いを馳せた事であろう。原作のなかで捨て置かれた者に向けて、ゆっくり、けれど確実に手が差し出されていく。どうやったら救えるだろうと思案が湧いていく。

 もしもこの推測通りであったなら、物語という水面(みなも)に臨む姿勢が独特であると感心せずにはいられない。ピペットで別の溶液を運んできて滴下し異種交配的な結晶化をうながすのではなく、墓石の水鉢に目を凝らして元々そこで懸命に暮らしていた小さな生き物を認め、陰ながらその育成に力を貸すが如き優しいまなざしがあって、なるほど石井隆だな、と思ってしまう。

 詰まる所、石井隆の『ろくろ首』とは、原作世界で二重三重に嬲(なぶられ)る彼らを、それも端役でしかない者を、どうにかして救出しようと手を尽くすひとりの脚本家の物語でもあったのだ。(*1)

 運に見放されて花も実もない者に対して、すり寄って耳を傾け、何か力になれないかと煩悶する村木的な思考が『ろくろ首』の大胆な翻案を成し遂げている。この脚本化に至るまでの道程と構造自体が、もはや石井の目指した伽藍にがっちりと組み込まれている。この気付きに至らない視聴者と丹念に読み解く者との間には、作品の解釈で巨きなクレバスが生じることは否めない。

 小説の隅で生き惑っている対象を、唾棄され罵られるばかりのその宿命から脱出させるべく知恵を尽くすとは何という繊細にして豪胆な企みであろうか。ほとんどの視聴者は翻案の箇所や度合いにつき分からないから、反響は一切ない、誰も誉めてくれないだろう、そう当人も覚悟の上であった。それでも救わずにはいられなかった、素知らぬ顔でそうっとやり遂げたのだ、いつものあの静かな微笑みを湛(たた)えながら。

 石井隆の作品を追いかけていると時折、途轍もない深慮を垣間見て総毛立つが、『ろくろ首』もそうであった。軽妙に見せて実は深甚、視界良好に見せて迷霧のただ中にある。やはり、本質的に「とてもこわい」、見透しの効かない深淵を抱えた作家なのである。

(*1): この視座転換と辺縁への接近、加えて頭部帯同(たいどう)のヴィジュアルの部分で、『ろくろ首』が『GONIN サーガ』(2015)と極めて近しい生い立ちだと確認出来る。

(参考文献):

「怪物輿論 付田舎草紙・滑稽膝栗毛 十返舎一九集6」 中山尚夫 古典文庫497 1988

「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975  六十四刷 2013 

「とてもこわい幽霊妖怪図鑑」 草川隆 朝日ソノラマ 1974

2023年8月26日土曜日

“聞く男”~『ろくろ首』考(11)~


 十返舎一九の「怪物輿論(かいぶつよろん)巻之四 轆轤首悕念却報福話(ろくろくびのきねん かえってさいわいをむくふはなし)」と、これを再話した小泉八雲の「ろくろ首 Rokuro-kubi」の間には大して段差はない。両者をここでは一体と捉えても構うまい。

 それではこれら原作群と石井の脚本との「分岐点」は何処にあるのか。一見すると始まって直ぐの柳葉敏郎が夏川結衣を救出する場面に見える。なぜなら、原作には夏川演ずる月乃(月姫)が見当たらないからだ。

 ろくろ首の集団におんなが混じるという記述はある。十返舎戯作では「男女四五人」、小泉Hearn の英文においては「four persons—men and women」「the head of a young woman」という綴りである。しかし、それ以上の特徴なく無個性のまま配置されているから、月乃(月姫)という若い娘の造形は明らかに石井の創意に由っている。(*1) (*2)

 先述の通りこの救出場面はおんなの亡霊が実体化して男たちの前に現われ、自身が被(こうむった)暴姦現場を再現して見せているという、ひどく複雑な組み立て方がされている。視聴者がそれに気付くまでには相当の時間を要する点で石井隆ならではの典型的な「不在、見えざる物」の描写となっていて、原作からの乖離が劇の早い段階に始まることは一目瞭然である。

 しかし私の言う「分岐点」とはあらすじの上の変転ではなく、石井隆なりに原作を咀嚼し、自分の方へと捻(ね)じ曲げたくなった、看過し得なかったポイントは何処であったか、創作のスイッチが入ったのは何という言葉や台詞であったか、いわば「発火点」を指す。

 私見に過ぎないが、頁をめくる石井の手が止まり、行間を読もうと目を細めた瞬間は木樵小屋で身の上話を聞く場面に至った際ではなかったか。

 野宿などせずにおいでください、露をふせぐ軒はあるから、と諭されて案内された小屋のなかで、数名の同居者がいろりを囲んで暖を取る姿が見て取れる。手をそろえて丁寧に挨拶する様子から由緒ある家柄のひとではないか、どういう経緯でこんな人里離れた場処に住んでいるのか、と疑問に感じて水を向ける僧に対して、主は切々と昔語りをするのだった。

 ある大名に仕えて重い役職を担っていたが、酒色に耽って悪行に手を染めてしまったこと。それが原因で一家は破滅したこと。多くの人、おそらく一族郎党がそのせいで死んだこと。今は罪ほろぼしに出来る範囲で不幸な人々を助けていること。祖先の家名を再興する事のできるように祈る日々であること。

 僧はその告白を受けて、自身が授かった仏法にまつわる知識の中から因果応報の故事を何例か説き、若い時分に愚かな行為に染まった人が後年には善行に励んでいく姿を見てきた、どうかそのまま正しき道を進みなさいと返している。

「おことが善い心をお持ちのことは疑わない。それでますますよい運が向くようにと願いますのじゃ。今夜、わしはおことのために経をあげて、これまでの罪業に打ち勝つ力が得られるように念じ申そう」(*3)

“I donot doubt that you have a good heart; and I hope that better fortune will come to you. To-night I shall recite the sûtras for your sake, and pray that you may obtain the force to overcome the karma of any past errors.” (*2)

 小泉Hearnの文章では省かれたが、十返舎一九の「怪物輿論(かいぶつよろん)」においては「對話(たいわ)数刻(すこく)を費(ついや)し」と続いているから、慙愧懺悔(ざんぎさんげ)と鼓舞激励との湿度あるやりとりが三、四時間も続いたと分かる。

 「愚かなことに溺れがちだった人間」(小泉)、「積悪(せきあく)に余(よわう)あって」苦しむ者(十返舎)(*4)を遠ざけるのではなく、にじり寄ろう、手を握っていこうとする視線が認められる。この「聞く男」の熱意に石井は立ち止まったのではなかったか。

 原作の後半では一気に凶暴化していく僧である。まるで二重人格のごとき豹変ぶりであった。騙され、喰われかけた事に憤慨したにせよ、それにしても情け知らずである。相手を殴りまくって絶命させ、「その化け物を殺したのはわしであっても、血を流してそうしたのではなく、身の安全をはかるため」であったと役人に自慢げに語り大声で笑う男は、もはや僧ではなく何者かに変貌を遂げた、いや、仏道を投げ捨てて「武士」に舞い戻ったかのようだ。

 ところがどうであろうか、石井隆の男は最後の最後まで彼らの身の上話を信じて、火中の栗を拾おうと奮闘し続けるのである。首を締められても、咬みつかれそうになっても、男は信じようとした、救おうとした。原作から脱線していく改変であるけれど、石井の内実が窺える分岐点」であり劇の展開となっている。

 『天使のはらわた 赤い教室』(1979監督 曾根中生)、『天使のはらわた 名美』(1979 監督 田中登)の村木哲郎、そうして『ヌードの夜』(1993)と『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(2010)の紅次郎の系譜として回竜という男がこの時起動し、肉付けが始まったと考えられる。


(*1):「怪物輿論 付田舎草紙・滑稽膝栗毛 十返舎一九集6」 中山尚夫 古典文庫497 1988

(*2):プロジェクト・グーテンベルクProject Gutenberg

https://www.gutenberg.org/cache/epub/1210/pg1210.txt

(*3):「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975  六十四刷 2013 209頁

(*4):余殃 よおう 先祖の行った悪事の報いが災いとなって現れること。殃の文字にはわざわいの意がある


2023年8月24日木曜日

“三人(みたり)の天才”~『ろくろ首』考(10)~


 ドラマ『ろくろ首』の冒頭で小泉八雲Patrick Lafcadio Hearnの執筆する様子が再現される。彼の「怪談 Kwaidan」(1904年出版)を原作としているのだから当たり前だ。その原作の方の「ろくろ首 Rokuro-kubi」が世間にあまり知られていないのは「耳無芳一の話 The Story of Mimi-Nashi-Hoichi」と「雪女 Yuki-Onna」の二作品の陰にひっそり埋もれてしまっているからだ。小林正樹(こばやしまさき)監督作の『怪談』(1965)の印象が鮮烈過ぎたのか、それともふたつに最初から人びとを捕縛する要素をそなえているせいか。

 「ろくろ首 Rokuro-kubi」は日陰の身でやや気の毒な短篇であるのだけれど、現在も文庫に収まり書店に並んでいるから読もうと思えば誰でもそれは可能である。(*1) 実は私がこれを読んだのはつい最近である。いまさら枝葉末節に目を凝らしても発見はなく、出がらしの茶みたいな空しい感慨しか浮ばない、そんな予感があって正直気が乗らなかったのだ。

 上述の通りテレビジョンドラマ『ろくろ首』は石井の諸作品と重層的な結合を為している。決然と自身のビジュアルを小泉の世界に盛り込んでいる点に圧倒され、ここまで換骨奪胎で変幻を遂げてしまった以上、原作をあえて見るまでもない気がした。ところが読み進めるうちに、そして、小泉原作の成り立ちを詳しく調べるうちに、思いがけず石井隆という作家の大切な一面に触れた気が今はしている。

 原作で驚かされたのはろくろ首の扱いだ。僧の回竜は森の奥に歩み入り、木樵(きこり)に招かれて一夜の宿を借るのだし、主(あるじ)ほか同居する四、五名の正体はやはりろくろ首である点は同じである。しかし、あろうことか彼らは回竜を食べようと舌なめずりするのだった。言葉を解する身なれど、深夜になると抜け首となって林を浮遊し、這いずる虫をぱくりぱくりと口にしていく。旅人はもう寝入った頃であろう、そろそろ襲って食べようよ、さぞかし腹も満たされようと策略をめぐらすおぞましき化け物たちなのである。

 ろくろ首は子ども漫画や少年少女向けのアニメーションに登用される機会が多いので、誰もが直ぐにその全身像を連想できる。どちらかといえば愛嬌のあるお化けである。伝承的にも目立ったエピソードを残しておらず、就寝中に首が伸びる芸妓(げいぎ)であるとか、夢遊病のごとくおんなの首が夜道を徘徊し、それを見止めた男に追いかけられた末に胴体の眠る自宅に逃げ込んだ、といった他愛のない内容が多い。極めて地味で大人しい、どこか惚(とぼ)けた存在でしかない。(*2)

 たとえば河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が明治14年(1881)の『暁斎漫画』 に発表したろくろ首の絵など、まことに愛らしい姿である。彼女は首をにょろにょろと伸ばし、だいだい色に熟した柿の実をひとつ啄(ついば)んでいる。そこには嫌悪や蔑視はなく、小鳥や夕顔、童(わらべ)を見つめるにも似た寛容と愛着が感じられる。 

 そのような悪意に欠ける、どちらかと言えば脱力系の妖怪のはずが、小泉原作では人喰い鬼になって襲い掛かるのが実に不思議である。

 その上、この異形の集団に対して回竜は、すなわち小泉原作は、仮借なく腕を振り上げている。襲いかかる首から首を剛力で払い落とし、挙げ句、衣の左袖に喰らいついた主(あるじ)の生首を引き剥がそうとぐいと髪をつかんでは血がぶつぶつと噴いていくまで続けざまに叩いていく凄惨きわまる鉄拳制裁である。終に主(あるじ)の首は絶命する。ひゅーどろどろ、ぎゃあ、では済まない死闘が描かれる。

 血と泡と泥にまみれて、かじり付いて離れない生首をそのままぶら下げて、この僧服の豪傑は忌まわしき森を陽気に出立し、次に訪れた宿場町の人たちを恐怖のどん底に追いやるのである。醜い首をたずさえた異装を見咎めた役人からおまえは人殺しか、その首は何かと説明を求められると、「なんの罪も犯してはおりませぬ。これは化け物の首だ」と哄笑している。妖怪に対して微塵の同情を彼は持たない。成敗されて当然と考えるのである。

 あまりにも薄情で冷酷、いや、表層的、単調に過ぎるではないか。驚いて声を失った。これが芳一や雪女を世に知らしめた八雲の作品であろうか。容赦ない暴力と躊躇いのなさに、僧こそが本物の怪物ではないかと思わずにいられない。

 既にご存知の方もあるだろうが、調べてみるとこの小泉原作には「怪物輿論(かいぶつよろん)」という元本があるのだった。1803年(享和三年)に出された元本の作者は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)であり、承知のとおり代表作は「東海道中膝栗毛」(1802-1814)である。文才あり絵も達者な江戸の著名な創作者だ。

 つまり、もともとは妖怪退治の滑稽本なのである。弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(きたはち)の旅行記と重なる時期に書かれた作品であるならば、軽妙、奇天烈な描写も納得できるじゃないか。ドラマを演出した久世光彦(くぜてるひこ)はこのような原作の起源を承知した上で、あえてコント的な演出に徹した可能性が高い。

 推論をめぐらして愉しみつつ、同時に目がくらむような想いをここで抱かざるを得ない。1803年の十返舎一九の戯作(げさく)が民俗学の視線を抱く小泉八雲に1904年に再話され、今度は石井隆が1993年に翻案(ほんあん)してテレビジョン向けに再生している。江戸の下町で大衆が苦役の合間に読み耽ったように、米国で東洋文化に関心を抱く知識層を刺激したように、今度は私たちがテレビジョンという奇妙な機械の前で摩訶不思議な物語を味わっていく。我々受け手のことはさておき、およそ百年ずつの間隔で天才たちがリレーをしている様子が実にまばゆい。

 こうして三人(みたり)の天才の名を連ねてみれば、実に違和感なく融けこんで見えてくるのが嬉しくもあり、哀しくもある。私たちは確かに歴史を目撃しているのだろう。石井隆は私たちと同時代を一緒に走ってくれたが、今ゆっくりと歴史のマントルのなかに熔け込もうとしている。言葉をどれだけ尽くしても過去形になってしまうことが無性に寂しいし、心底遣り切れない。石井自身の口からもっと色々と語ってもらいたかった。

 さて、気を取り直して続けよう。『ろくろ首』を通して見る石井隆という作家の大切な一面とは何であろうか。


(*1):「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975

(*2):「全国妖怪事典」千葉幹夫 編集 小学館ライブラリー 1995 「近世怪異小説における「ろくろ首」の登場−−『曾呂利物語』と『諸国百物語』の比較を通して−−」 三浦達尋 「ナラティヴ・メディア研究 第3号 2011年11月30日発行」所収





2023年8月13日日曜日

“浄土拒絶”~『ろくろ首』考(9)~


 年齢を重ねれば避けがたい話であるが、このところ電話を聞いて駆け付け、手を合わせ、薄布を外して面(おもて)を見る時間が多い。その際に感じるのは彼らが揃って重厚で立派であることだ。深い眠りに圧倒的される。不動である。揺るぎがない。それに引き替え、生きている我々は赤面してしまうぐらい落ち着きがない。不安におののき、痛みに耐えられない。死者は静かに我慢強く横臥するのに対し、負傷や疾患に苦しんで、呻き声を上げることは生者の特権のように思われる。

 『ろくろ首』というドラマを縮約すれば、死者が冥途に旅立つか、それとも生者となって蘇えろうかと逡巡する話である。勇猛果敢で知られた元侍で今は行脚(あんぎゃ)僧となった男が亡霊の群れと出逢い、懇願され、生前に失った首を取り戻す役目を負う。奪還に成功し、それにより幽霊たちは見事成仏した、めでたしめでたし、という内容だ。加えて石井はこのようにして従者三人を彼岸へと送り出しながら、肝心のヒロインをこの世に遺してしまう。生死にかかわる問答が最後にやって来る訳である。その端境に身体的な痛みの描写が盛り込まれているのが興味深い。 

 木立に囲まれて薄暗い山道を健脚を誇るように下っていく柳葉敏郎の背中を、夏川結衣が細い身体に足袋と草履姿でよろよろ、ひょこひょこと懸命に追っていく。腰が引けて実に頼りない。その様子を見て、彼女が生き返ったものと視聴者は理解する。足を引きずる姿なれば尚更である。

 小休止する川辺ではふくらはぎを撫でさする。視聴者は彼女の疲労や痛みに同情すると同時にそこに生者の証しを認め、故にめでたしめでたしと感じ、納涼大会の終わりがいよいよ訪れた事を了解する。おんなは見事黄泉から舞い戻り、生き生きと新たな人生へと船出したのだ。

 しかし石井はおんなを一瞬で変化(へんげ)させると、今度は首だけの頓狂な姿にして、男の着物の襟内へと潜り込ませるのだった。苦労して蘇ったにもかかわらず、およそ生者らしからぬ風体となり、何が何やら判然としないままに幕が降りてしまう。これでは視聴者が戸惑うのは当り前だ。

 解釈は様ざまに可能だろう。後述するが、原作への配慮があったかもしれない。また、暴姦で傷めた足もろとも、首から下、無遠慮な男たちの性的対象となる四肢、胴体をあっさりと捨て去り、純粋なる魂となって同行したいという一種の得度(とくど)の表明かもしれない。どのように想像してもらっても良い、僕としては気に掛けてくれればそれで十分嬉しい、と石井は何処かで微笑みながら見守るばかりだろう。

 私が「石井隆の」と冠された『ろくろ首』を語る上で、この奇妙な顛末が重要と感じるのは、うやむやな生死を審判したいからではない。明瞭さを欠いた状況にて幕を引くことを恐れない執筆態度が、商業作家の臆病さ、警戒心、阿諛(あゆ)を軽々と跳び越えていて感嘆させられるからだ。明晰な境界線をあえて引くことなく、曖昧の領域に飛び込んで行く者、行かざるを得ない者に対して、それで良いと肩叩くような素振りと勢いがある。

 どっち付かずの何処が駄目なんだい。人間は元来そういう者だろう。中途半端でもそうするしか無いなら、そっと見守ってやれよ。そんな強硬な「突き離し」が『ろくろ首』の終幕にはあって、実に石井隆らしい繊細さと豪胆が同居している。

 『ろくろ首』は先述の通り、さまざまな石井作品と面影を重ねる。ここまで次から次に並列を誘う作品も珍しいのだけど、この「突き離し」の観点から新たに浮上して連結するのが2000年以降の作品群だ。

 細君喪失の後、石井の作風は大きく変わったと言う人は多い。それは端的に『花と蛇』(2004)の強靭なる描写に当惑しての発言であった。いまさら物語なんて紡(つむ)げるかとばかりに、尋常ならざるアメイジングな画面づくりに終始した『花と蛇』であるから、過去作のメロウな物腰に耽溺した人には拒絶反応が出てもおかしくない。

 されど、どうやら発狂に至ったと思われるヒロイン杉本彩に対して、石井は「突き離し」をしつつも手を離すことなく境界へと導いている。残酷な状況に追い込まれた者にとって、日常から「突き離された」緩衝の場こそが救いの道になり得ると認識し、蛮勇をふるって誘導している。この『花と蛇』の救済手段と『ろくろ首』の奇妙な顛末は通底するところがある。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)しかり、『甘い鞭』(2013)しかり。

 振り返って2000年以前、「突き離し」で多くの人の脳裏に浮ぶのが『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の終局で交わされる名美と村木との台詞の応酬であろう。村木に視線を預けていた我々は、名美から冷徹な響きの「そちら」「ここ」という言葉を突き付けられ、魂が微塵に砕けて足裏のぬかるみに埋もれるような散々な気分を味わう。膝崩れることなくかろうじて立ちこらえて「ここ」に背中を向けた次第であるが、『赤い教室』の「ここ」の解釈も上の流れに従えば、いくらか色彩を変えてくるように思われる。石井は悪の巣窟ではなく、また、一方的に穢れた場処でもない「ここ」を創造して、土屋名美を守護している。(*1)

 つまり石井隆は家族の死を経てどうかした訳ではなく、当初から一貫した世界観を持って創作に打ち込んでいるのが分かる。その真一文字の光跡が『ろくろ首』で明らかになる。

 1993年の『ろくろ首』は石井の創作世界の縦軸のひとつに明らかに属しており、七十年代と近作を繋ぐ結び目の役割を果たしている。無視出来ない作品として、記憶に刻んでも構わないと捉えている。

(*1):「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 


2023年8月6日日曜日

“見えてくる犠牲者”~『ろくろ首』考(8)~


  『ろくろ首』の終幕近く、柳葉敏郎の目を借りて私たちは野武士のねぐらを急襲する。其処で拐(かどわ)かされた複数のおんなを目撃し、その只事ではない様子に戸惑う。荒くれ者にかしづき、性愛の玩具とされて泣き顔の者、格子戸の奥に監禁され、聖職者に対して下半身を晒して媚を売る狂った行為が次々とブラウン管に映された。

 石井の劇画や映画と無縁の生活を送っていた家庭人は、廃寺での女たちの白い肌に目を丸くさせるだけだったし、放送から三十年を経て初見の機会を得た者は、往事のテレビジョンの放送コードの緩さを愉快がるのが関の山だが、この場面の根底に流れるものは相当にどす黒く、笑いごとでは済まない事実だ。

 戦国の世では、乱妨取り(らんぼうどり)、もしくは乱取り(らんどり)と呼ばれる武士たちの略奪行為が蔓延していた。主(あるじ)を持った侍たちでさえ、時に野獣と化していたのだから、戦に敗れて潰走した者が憐憫や情愛を保てる余裕など無かった。欲望のおもむくまま強引に、娘たち、おんなたちの自由を奪った。連れ去られた彼女たちの境涯は、安穏といまを生きる我々の想像の域を越えている。

 石井は権藤晋(ごんどうすすむ)のインタビューの中で、自身を育てた映画作品に数多く触れているが、そこに黒澤明(くろさわあきら)の『七人の侍』(1954)が顔を覗かす。(*1)  国内外の厖大な映画人の魂をつかみ、将来の夢や指針となって燦然と輝くこの名作を石井が口にすることは自然であるが、『ろくろ首』の荒れ果てた山寺の糜爛(びらん)した光景を見ると、無理なく『七人の侍』の山塞(さんさい)急襲の場面と重なっていく。

 土屋嘉男のさらわれた女房、島崎雪子(しまざきゆきこ)が望みを捨てて放心し、やがてぬめりを帯びつつも烈しい瞳で虚空を睨んでいくあの演技と展開である。観客の心臓をぐさり射抜いて、野武士の残虐性、非道さを体感させる描写であった。あの拉致監禁の顛末が無ければ、『七人の侍』は野武士集団と傭兵部隊の腕比べの気軽さに終始したに違いない。

 果たして石井が台本執筆の依頼を受けて、黒澤作品を参照し、尊敬の念を込めて相似する場面を挿し込んだのかどうか、これは確認のしようが無い。しかし、男たちの果てしない諍いの陰で犠牲となる存在を置き忘れることなく、むしろ主軸として劇中全篇に盛り込んだところは瞠目に値する。

 脚本家石井隆の想いが切実で真摯なスタンスであったと想像されるさらなる理由は、この苦界描写に関わる劇構造が石井世界の伽藍とまたもや重なる点にある。『ろくろ首』は、冒頭の強姦場面と後段に訪れる再会の場から『天使のはらわた 赤い教室』(1979監督 曾根中生)と通底するものがあり、『夜がまた来る』(1994)とも根茎を繋ぐからだ。そこには一歩たりとも作風を変えまいとする硬い姿勢が垣間見えるが、さらに劇の詳細を凝視するならば、実は二歩目、三歩目からはより酷薄な方角へと足を踏み入れている事が分かる。

 『天使のはらわた 赤い教室』で水原ゆう紀が漂着した露地裏のバー「ブルー」のその二階で催される悪魔的光景を前にして、蟹江敬三は目を伏せ、タタミに額をこすり付けてうずくまるだけであった。救出は失敗したのだ。されどこの苦界におんなは根を下ろし、腐肉の沈んだ水を吸収し、不敵な無表情を連れ合いと為して、それでもまだ「生きている」。『夜がまた来る』での夏川結衣は、根津甚八に手を引かれて「生きて」脱出の機会を得た。

 『ろくろ首』の廃寺にはおんなの「生きた姿」はなく、腐敗寸前の首だけが空しく置かれてあるだけだ。「劇の当初から救出に失敗している」「おんなは死んでいる」という非道い話になっていて、石井世界の数多の劇の中でも群を抜いて暗澹たる内実を含んでいる。テレビジョンの演出は明快な台詞まわしと過度な表情づくりへと役者を誘導して、地を這うような脚本家想念を拭き払ってしまった次第だが、石井隆の世界を考えるとき、その剽軽(ひょうきん)な演出に誤魔化されてはいけない。

 この陰惨な廃寺の風景というものも恐らく冒頭の再現と同様に、柳葉に対して夏川演じる月乃というおんなが、もしくは脚本家石井隆が、意図して「見せている」ものだ。首を斬られる前にどれ程の辛酸を嘗め、痛みを味わったか、男よ、男たちよ、おまえには見えているか。境界に踏み込んで別次元の存在となったおんなが、そして、どこまでも犠牲者に寄り添おうとする独りの作家が切々と訴えている。

 英雄譚、冒険談の裏側で何があったか、石井は無視出来なかったのだ。時代劇とは本来どうあるべきか、彼なりの答えが『ろくろ首』であった。

(*1):「記録の映画③」聞き手 権藤晋 「石井隆コレクション3 曼殊沙華」まんだらけ 1998所載



2023年7月30日日曜日

“侵蝕する暴力”~『ろくろ首』考(7)~


  冒頭、野武士に拉致されかけた夏川結衣は既(すんで)のところで助かるが、足が痛む、到底歩けないと柳葉敏郎に視線を送り、その背中を借りるのだった。この足の負傷もお芝居であるのかどうか。確かに足袋は白く綺麗なままで現実味が乏しい。

 次の場面では、煩悩の渦にうろたえる男がコミカルに描かれる。胴体を密着させたおんなに対し、臀部に伸ばしたおのれの手のやり場に困る。会話するたびにおんなの息が首すじをくすぐる。さらに私たち視聴者は、おんなの首がにょろりと一瞬だけ伸びるのを目撃してしまう。色香に脆い男の本性を鼻で笑い、やれやれこの程度の芝居にだまされおって、痴れ者め、と考える。だから、おんなの足首の話もかなりの確率で嘘と疑うのは道理である。

 ところが野武士の巣窟での死闘を経て、生首がようやく取り戻され、元気に蘇生して見える夏川がなぜか足をずるずるとひきずっているのだった。山道をくだる柳葉の背中を必死に追う姿が痛々しい。もはや無理だな、遠慮せずに俺の背に負ぶされと柳葉が気遣うに至って、その繰り返される光景のくどさに私たちは石井らしい粘着した語り口を認める。「気付いたかい、分かるかい」とつぶやく石井の声と視線を感じ取る。

 此処から解釈されるのは、足の痛みは芝居ではなかったという真実だ。殺害に至った(首を斬られるに至った)過去現実の、さらにはもしかしたら冒頭で再現された二度目の現場でも、おんなは理不尽な性暴力に遭って怪我を被ったという設定である。

 この『ろくろ首』には石井の劇画【天使のはらわた】(1978)とイメージの相似があることを先に書いたが、【天使のはらわた】の第一部で土屋名美が川島哲郎たちに襲撃され、雨がそぼ降る鉄道操車場に追い詰められた際に、足を挫いて歩行が困難となる様子が添えられている。夏川結衣演じる月乃というおんなに対して、石井は名美の面影を託しているのは間違いない。

 【天使のはらわた】の名美という娘は幾度も幾度も性暴力の被害に遭うという凄惨な造形がされた特異なキャラクターであるのだが、その血を継いだ月乃という戦乱の世に生まれたおんなに対し、石井は「よく分からない形」で、繰り返される暴姦の憂き目を強いているのである。夏の夜の誰でも楽しめる幽霊奇譚にしては、どこまでも身体の痛みや苦しみを追求した脚本である。

 それにしても、ここまで反復を繰り広げ、わざわざ地獄を再体験させていく作劇はどうだろう。この執拗さは何だろうか。山道を柳葉が登って来る様子を木立の陰から遠目でうかがい、先回りして木の根元に腰を下ろし、ああ、痛い、足を挫いてしまった、とても歩けないわ、と顔を歪めれば、芝居は、台本はひとまず成立しただろうに。この過酷さは一体全体どうした訳だ。

 わざわざ現実の(再度の)暴姦場面の渦中に身を晒して、このような目に遭ったのだ、大勢に襲われたのだ、叫べども誰も助けには来ず、泣いて懇願しても耳を傾けてはくれず、襲われ続けて足を傷め、首を切られて私は殺されたのだ、と、「よく分からない形」で見せつけている。

 月乃、夏川結衣に尋常な域ではない芝居を指示していながら、苛烈な様相をそうっと死角に置いていく。「不在を描く」石井ならではのリアルティがある。『ろくろ首』はまぎれもなく石井世界という伽藍の一部となっている


2023年7月23日日曜日

“反復する地獄”~『ろくろ首』考(6)~

 


 石井隆は「境界」を無限と捉え、そこにたたずむ人間をかれら側に立って描く作家であった。善と悪、愛と欲、道徳と渇望、美しさと醜さ、生と死といった拮抗する勢力の緩衝地帯が広々と用意され、登場人物はそこを往還し、または彷徨い、大概は人間同士の関係に大きな裂傷なり熱傷を作ってしまういたましい展開に突き進む。

 おそらく石井の想いのなかには、絶対的に揺るがないものなど存在しなかった。人は本当に悲しいとき、悲しそうな表情などしないよ、という言及ひとつからも解かるように、人間観察を重ねて突き詰められた結論は「分からない」という一点に集束した。その曖昧さを大胆に、強いまなざしと共に甘受していこうという毅然とした姿勢があった。

 分かりやすくすることは鑑賞の最中や後の記憶を優しくマッサージし、口腔や鼻腔を甘くとろけさせるが、人間の本質なり社会の実相とは大きく反れていくと考えた。分からない人間に向き合っていくそんな石井のドラマというのは、観る者を不安にさせたり戸惑わせることが多かったけれど、『ろくろ首』の印象はそうではない。

 たとえば、劇の冒頭、夏川結衣演じるおんなが柳葉に向けて不幸な身の上を語る。隣国までの旅の途中で従者にはぐれてしまった、と言うときのたどたどしさ、直截的に言えば「棒読み」口調に対して、多くの視聴者は下手だなあ、いたたまれないなあと感じる。寸劇(コント)をたちまち連想して、なんだ怖い話じゃないんだ、漫画だなと解釈して緊張を解いてしまう。以降は真剣なまなざしを向けることはない。もはや「見切った(分かった)」からである。

 ところがこの「棒読み」は(二重の意味で)演出なのであって、演技の巧拙とは関係がない。つまり夏川は「演技している若いおんな」を演じねばならず、芝居じみた雰囲気をあえて押し出すことを強いられた訳である。真夜中の森の広場での談笑で、また、妖怪化して襲い来た従者が柳葉に撃退されてから白状したように、「自分たちの願いを叶えるための道具」とすべく接近し、あれこれ言い含めて「自分たちのさらわれた首を取り返す」役目を押しつけようとした。その為の大芝居という筋書きであった。

 つまり、『ろくろ首』は演出家の判断で「分かりやすく」されてしまったのだ。テレビジョンは不明瞭さを回避して「分かりやすさ」をとことん追求していき、石井世界からどんどん反れてしまったというのが本当のところだろう。

 石井が自ら演出していたら、ずいぶんと違った様相を呈したはずである。おんなの台詞は棒読み調ではなくて、謎めいて「分からない」ままに進行したろう。夏川と従者たちのお芝居はいかにも誇張されて作り物めいたものでなく、曖昧さをそのまま提示した底知れない人間ドラマとして提示されたに違いない。金曜日の午後9時(*1)という視聴好適時間に自作を投じる機会を得た劇作家の発奮を想像すれば、石井が軽佻な「分かりやすい」執筆で済ますはずなど絶対にない。石井の狙いとはいささか乖離した仕上がりになっていて、つまりは「ルージュ現象」がここでも起きていると自分は解釈している。

 さて、そろそろお解かりの通り『ろくろ首』は懸命に芝居を打つおんなを主軸に据えていることで、『ラブホテル』(1985 監督相米慎二)、『ヌードの夜』(1993)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)、『GONIN サーガ』(2015)とも血脈を通じている。

 個人的にはこれら以上に劇画の短篇【琥珀色の裸線】(1987)の切迫した気配と馴染むものを感じる。【琥珀色の裸線】はこんな話だ。暴姦現場に偶然居合わせた男が関わりを避けようとして、顔をそむけ、耳に飛び込む声を無視してその場を離れる。被害者のおんなはその後、加害者のヤクザから脅迫されて場末の酒場に幽閉され、買春目的で訪れる客に身体を開くことを強要される。

 ある夜偶然に先の男が泥酔しておんなの店に立ち寄ったことから、おんなは苦海からの脱出を夢想し始め、徐々にヤクザと男が鉢合わせする状況を作っていき、「過去の暴姦現場を再現する芝居」を両者の前で打つのである。男は保身のために逃避したあの一刻まで引き戻され、カウンターにあった包丁を握るや否やヤクザの背中に突進していく。

 『ろくろ首』の男女の出逢いが暴姦場面である点と、おんなの懸命な芝居に男が翻弄される成り行きが共鳴を誘う。例によって両者はからみ合って石井世界という一個の生命体を彩っている。

 そうして【琥珀色の裸線】から逆照射された『ろくろ首』は、もはや寸劇みたい、バラエティ番組みたいには見えず、笑えない切実な現実へと容貌を変えるのである。つまり、【琥珀色の裸線】と同様の「過去の生々しい現場再現」が『ろくろ首』では冒頭から展開していることを私たちは理解しなければならない。

 (*1):https://www.allcinema.net/cinema/85520



2023年7月22日土曜日

“修羅場に芽吹く純愛”~『ろくろ首』考(5)~

 


 石井隆が世に放った怪奇譚『ろくろ首』の輪郭をざっと辿れば、以上のようにまとめられる。ずいぶんと込みいった話であること、了解いただけると思う。次にこのドラマを石井世界と照らし合わせてどう捉えるべきか、私たちに何が見えてくるかを考えたい。

 第二幕の月乃(月姫)救出を目撃して、私たちは複数の石井作品からの木霊(こだま)を聞く。悲鳴を聞いて駆けつけた柳葉敏郎が目にしたのは男に襲われて着物の裾をはだけた夏川結衣である。暴姦される寸前のおんなを救い出したことに端を発する物語は、石井が繰り返し用いた導入部のひとつだ。相似する場面を内蔵する作品をここに並べることはじつに容易い。すなわち、劇画【天使のはらわた】(1978)や『黒の天使vol.2』(1999)が浮上する。

 乱暴狼藉をはたらく荒くれから女性を救う。この手の英雄描写はありふれたもので石井の専売特許ではなく、誰もが見覚えのある人情劇の枝葉である。かつて量産された時代劇でも題名は忘れたが、まさにこんな発端を観ている。峠道で追い剥ぎに襲われた母娘ふたり連れが危機に追いやられる。少し遅れて同じ道を歩いていた孤高にして美形の剣士が異変に気付いて駆け寄れば、すでに母親は背中を真一文字に切られて絶命しており、娘の周りには砂糖にむらがる蟻のように複数の男たちが嘲笑いながら屈みこんでいる、そんな場面である。抜刀した剣士は目が醒めるほどの剣さばきを披露し、たちまち暴漢たちは泥土を舐め、蹴散らされるのも定番の流れだ。

 それであれば、何もここでわざわざ【天使のはらわた】と『黒の天使vol.2』を引き合いに出すまでもないじゃないか、そう人は思うだろう。ブラウン管に手垢のついた状況が映し出され、予定調和的に駆けつけた武芸者がこれを救う、それだけではないか。お喋りをしながら、家事をしながら、片手間に眺めても安心していられるバラエティ色つよい構成である。危なかったのね、ああ、助かったのね、良かったわね、それで十分ではないか。

 されどこのような話の展開は小泉八雲(こいずみやくも)Patrick Lafcadio Hearnの原作には影もかたちもなく、石井が積極的に注入したエピソードである点は無視出来ない。この辺については後述するが、石井隆の花押(かおう)として暴行救出の場面が組み入れられた点につき、私たちはつよく意識して良いのであるし、何よりいちばん意識したのは石井本人であるだろう。

 つまり石井隆は大胆にも『天使のはらわた ろくろ首』を披露してみせたのであって、それを意識して鑑賞することを暗に求められている訳なのである。この視線の獲得を為し得た瞬間に、私たちは石井独特のまなざしと呟きを体感することになるが、お化けの出る娯楽作品とのみ了解して終わってしまえば、石井隆とは思えない乾燥した面立ちに思えてならず、どうしてこんな軽い企画に乗ったものだろう、誰が書いても同じじゃないか、よくある道中ものでしかない、そう戸惑うばかりだろう。

 【天使のはらわた】と『黒の天使vol.2』は闇世界で糊口をしのぐ青春劇であり、魑魅魍魎の蠢く群像劇でもあるので視点がゆれて焦点が定まりにくいところがあるが、前者の川島哲郎と土屋名美、後者の魔世(天海祐希)と山部辰雄(大和武士)の立ち位置は「純愛」であるから、『ろくろ首』にも「純愛」の芳香が付き纏う。恋に落ちる男とおんなのなれそめを、どうしてこうも過酷な修羅場に持っていこうとするのか。石井隆という作家の特異性がここでも目立っているが、40分という短時間にもかかわらず、この出逢い以降の『ろくろ首』の顛末を丁寧に咀嚼していくと、思いがけずどこまでも石井世界の連結があることが分かってくる。



2023年7月9日日曜日

“激闘と終焉”~『ろくろ首』考(4)~



 [第六幕/妖怪との激闘]

 目を覚ました回竜は見知らぬ花を見つけ、さらに戸が開いていることに気づく。月乃と従者たちのいる部屋の方へ行って内部を見渡し、どこか奇妙な感じを受ける。木樵の布団を剥いでみると、なんと首のない胴体が横たわっているではないか。従者たち、月乃も同じく異体だった。驚いた回竜は慌てて小屋を飛び出す。

 小屋から離れた場処、樹々が途切れて小さな広場のようになっている野原にて、四体の妖かしの者は談笑していた。普通に身体をそなえ、顔も血色よい尋常の姿である。隠れて様子をうかがう回竜。木樵の正体は月乃一行の旅の主導者である筧(かけい)、あの刺し殺されたはずの老侍であった。月乃が恋をしていると冷やかすお供たち。「今晩限りで忘れるように」と釘を差す従者たちは、あの僧侶は「自分たちの願いを叶えるための道具にすぎない」「願いが叶えられれば、死んでもらわねばならぬ定め」と懸命に諭すのだった。首をにょろりと伸ばした老侍を見て、驚いた回竜は音を立ててしまう。

 自分たちの企みがばれたと知った従者三体は、凶悪な形相となって回竜を襲う。特に男ふたりの顔貌は腐乱した死人とそっくりである。大蛇のごとく伸びた首が身体にぐるぐると巻きつき、身動きが取れない。牙を剥いて迫る妖怪の顔。絶体絶命と思った瞬間、木立の向こうに朝日が昇り始める。化け物たち、そして成り行きを見守っていた月乃は途端に苦しがり、その様子から彼らの弱点を悟った回竜は水晶の数珠を取り出して高々と掲げ、陽光を反射させて周囲を照らすのだった。

[第七幕/野武士との激闘]

 戸をすべて閉め切って陽射しを遮った木樵小屋である。平常の姿に戻ったろくろ首の一団であったが、先程の格闘で消耗したのか、戸の隙間から射し込む陽光で苦しいのか、床に倒れて身悶えしている。彼らは回竜に向けて、涙ながらに説明するのだった。隣国への逃避行の途中で野武士に捕らえられ、ともども首を刎ねられてしまった。いま在るのはかりそめの首。本物の首がなければ成仏はできない。首の回帰ばかりを願ううちに首が伸びるようになってしまった。

 多額の懸賞金がかかっていることを知った野武士は、自分たちの首をねぐらに隠したままでいる。どうか自分たちのさらわれた首を取り返してほしい、もしも取り返してくれれば、自分たちの三つの命と引き換えに姫だけは生き返らせることが出来るかもしれない。早く首を持ってこなければ、首が腐ってしまう、腐ってしまってはどうにもならないと回竜を急かすのだった。

 賊のねぐらは朽ち果てた山寺である。見る影もない荒れ寺とはいえ、もはや魔性の身となってしまった四人は近寄れない。回竜は単身彼らの首を取り戻すために急襲する。よくよく見れば乱痴気騒ぎに酔い痴れる野武士の面々は、序幕直後に雪乃らを襲撃した連中である。そこには囚われの身となり野武士の慰み者にされている複数の若いおんなたちが幽閉されて居るのだが、絶望の淵に墜ちて正気を失っているのか、男どもの乱暴に抵抗する素振りもなく、僧服の回竜を認めるとあろうことか裸身を晒し、猫撫で声をあげて救出を請うのだった。野武士たちは回竜を見つけて倒しにかかるが、なんとか首を奪還する。

[終幕/同行二人]

 首を抱えて小屋へ戻ると四人は感謝して迎える。回竜が経をあげ元通りの姿へ戻るも、月乃以外の三人は「姫さま、お達者で」「お幸せに、月乃さま」の言葉を残し成仏した。「おまえも行け、皆と行かないと成仏できんぞ」と伝えるが、回竜について行くという月乃である。「道中はきびしい、日照りに嵐、尋常ではない、(戦死した)親もお待ちだ、あの世で暮らした方が愉しかろう」と諭すのだが、頑なに首を振るばかりである。

 山道をどんどん歩む背中におんなはついていこうとするが、足が痛むようでなかなか進めない。河原で休憩している時も、おんなは足をさすっている。そんな様子を見かねて、男は最初に出逢った時と同じように背中を差し出す。するとおんなは姿を変え、頭部だけの状態になり男の僧服の懐へとすべり込むのだった。男のおなかのあたりから、顔を見上げて微笑むおんな。そんな笑顔を見た男もまた笑顔を見せる。旅を行くその顔は明るかった。


(参照)「MOONLIGHT イチ夏川結衣ファンのひとりごと。」

http://moonlight-yui.jugem.jp/?eid=131


“浮遊する身体”~『ろくろ首』考(3)~

 


[第三幕/おんなの正体]

 道中、月乃はこの山中に妖怪が出る噂を知っているかと問うのだった。その妖怪は「ろくろ首」であるという。回竜はこれに答えて、死者が夜な夜な己の体を残して首だけが飛んでいき、旅人を惑わせたり、殺して食べたりすると本で読んだことがあると話すのだった。「飛ぶんですか、首が。首がながーくなるのではないのですか」と不思議そうな顔をする月乃。「このようにニョロニョロと」とつぶやいた刹那、月乃の首はウネウネと伸びていく。前を向いたままの回竜はその異変に気付かないのだった。

 途中回竜が「ここらで野宿しよう」と言っても、月乃は先を促す。崖から足を踏み外しそうになったり、すっかり寝入ってしまった背中の月乃の顔が自分の顔のそばにあって思わずニヤけてしまう回竜だったが、気を奮い立たせて歩き続けて、ようやく闇の奥にぽつねんと浮ぶ木樵(きこり)小屋を見つける。

[第四幕/回想]

 扉を開いた木樵の老人(名古屋章・二役)に怪我人がいるので助けてほしいと請う回竜だったが、木樵はなぜか回竜が野武士からおんなを助けた事情などを知っているのだった。奇妙に思う回竜だったが、中に入ると月乃の従者である紫という名のばや(岩崎加根子)と猛々しい侍(六平直政)がいた。「月姫さま、よくご無事で」三人は再会を喜ぶのだった。

 従者たちの話によると、合戦により一族は滅ぼされたが、主人は姫だけはこのまま死なせるのは不憫だと考え、自分たちを供につけて隣国へ向かうところだという。腕が立つ回竜に対して、どうか一緒に行って欲しいと頼み込む従者たちである。ともかく夜も遅いので、回竜もそのまま小屋で休ませてもらうことになった。

[第五幕/異変]

 隣室を提供された回竜は亡き侍の供養のためと経をあげるのだったが、襖の向こうの木樵、従者たち、月乃は耳を塞いでお経が聞こえないようにして横になっている。必死の形相である。

 いつしか疲れた回竜は経をあげながら眠ってしまう。声が止んだ途端に安心して眠りに就く従者たちであるが、月乃だけは目をぱちっと開けるとやおら起き上がり、鏡台に向かって髪を整えるのだった。ふわりふわりと漂いながら回竜のいる部屋へと至る。おんなは入り口にたたずむと、首をどんどん伸ばしていき、妖艶なその顔を男に近づけていく。フッと目を覚ました男の袂から水晶で作られた数珠が落ち、それを見たおんなは慌てて首を引っ込める。髪にかざしていた一輪の花が床に落ちる。


(参照):「MOONLIGHT イチ夏川結衣ファンのひとりごと。」

http://moonlight-yui.jugem.jp/?eid=131


“木立の奥で動くもの”~『ろくろ首』考(2)~



  『怪談 KWAIDAN II ろくろ首』(1993 以下『ろくろ首』とする)はテレビの単発ドラマであり、コマーシャルを除く放映時間は正味40分強とたいへん短い。1993年8月20日の本放送の後、最近では衛星チャンネルで2012年8月9日の深夜に再放送されている。(*1) 

 茶の間に流れたのは、つまり「真夏」であった。かつての「真夏」といえば、骨の髄にもぺたぺたと汗かくと感じられるほど暑かった。誰もが流れる汗で服を濡らしながら学校に通い、働いていた。芳香剤のコマーシャルも大して流れなかったから、若い男たちは総じてつんと酸っぱく臭っていた。どこもかしこも熱風に巻かれて、夏だから当然とは思いつつ、顔をしかめ閉口する毎日だった。納涼の意味合いもあって、心霊特集、幽霊ドラマがテレビのブラウン管を占領したのも道理である。

 往事の団欒の風景を思い返せば、団扇(うちわ)をはたはたと振っては連れ合いに風を送るおんなたちが目に浮ぶ。扇風機が狭い茶の間で低くうなり、蚊取り線香がその風を受けてちりり、ちりりと紅く燃え、流水にしばしさらして冷えた西瓜に一斉に喰らいつき、ビール瓶のカチャカチャすれて鳴る音が涼しかった。下着姿でくつろぐ大人たちの見守るなかで、暗闇でマッチの擦る音が聞こえ、続いて明滅する子供用花火が披露された。

 バブル期以降は家庭ごとに空調機械が充実し、大人も子供も窓が開け放たれていることに舌打ちして、がらがら、ぴしりと閉める音ばかりが頭に響いた。その分、外界は意識から徐々に遠のいていき、じっとりと湿った熱帯夜の闇の奥から得体の知れない化け物が舌なめずりをして窺っている、そんな連想を庶民が捨て去るのに時間はかからなかった。自然と妖気漂うテレビ番組は目立たなくなった。

 今も肌を焦がすような陽射しはあり、その下を懸命に人は歩み、働き、暮らしている。しかし、店舗なり公共空間、職場や社用車、自宅といった風に点々と暑気を追い払う避難所的な場処が設けられている。凄絶で逃げられぬ「真夏」と闇夜のおどろおどろした存在感は消え去った。

 『ろくろ首』が作られたのは暮らし向きが変わっていくそんな端境(はざかい)をとうに過ぎた頃だ。不易流行を重んじるテレビジョン業界の製作陣からすれば、鳥肌が立つような「涼しい描写」など大衆にはもはや不要と考えたに違いない石井と演出の久世光彦(くぜてるひこ)もその点は割り切っていた事だろう。

 『ろくろ首』は、だから娯楽にひたすら徹すべく努めて見える。屋内のセット撮影を主軸とし、ビデオ合成や特殊造型といった当時の最新技術をにぎやかに配すると共に、剣劇を挟み、扇情的な描写を散りばめ、分かりやすい過剰な演技を役者に求めて、ひたすら飽きさせないように工夫している。バラエティ番組の狂騒が渦を巻いている。幽霊、化け物譚であるのだが闇の濃さと湿度は低く、作り物の面白さをどこまでも希求していて、私たちの住まう世界とは隔絶した舞台に見える。

 まず最初にこの『ろくろ首』のあらすじを書き起こし、その上で石井の作為を読み解こう。起承転結を文章にするにあたり、夏川結衣(なつかわゆい)を応援するブログを参照とさせていただいた。(*2) 主役の姫を演じた夏川は撮影当事、二十代なかばであり実に愛らしく、清楚な魅力に溢れていた。彼女を愛でる気持ちが伝わる素晴らしい文章であったし、何より分かりやすくまとめられてあって、そのまま書き写せば十分であるのだけど、石井の創作術に触れる必要から失礼と感じつつ加筆させていただいた。もしもご覧いただいたなら、何卒ご容赦いただきたい。

[序幕/行脚(あんぎゃ)] 

 時は室町時代、文明年間のこと。血で血を洗う戦国の世に嫌気が差して武士から僧となった男(柳葉敏郎)がいた。今は回竜(かいりゅう)という法名を受け、全国行脚の日々である。旅の途中、渓流で身体を清めていると木立の奥で何かが動く気配がある。半透明の影が陽炎のように揺らめいては、周囲の葉をがさがさ鳴らす。まるで男を見詰めているような気配である。今しも天頂では日食が始まるところで、あたりは薄い闇に包まれていく。

[第二幕/救出] 

 鬱蒼とした林の道で悲鳴が聞こえる。駆けつけた回竜は、複数の賊に襲われる若いおんな(夏川結衣)と年輩の侍(名古屋章)を目撃する。ふたりは身なりから高貴な者と分かる。どうすべきか様子を伺っていたが、老侍が無惨に刺し殺された姿に我慢ならずに飛び出してしまう。無法集団と化した野臥(のぶ)せりと対峙し、多勢に無勢ではあったかがこれを追い払う。

 危ういところで救われたおんななれど、足を挫いて上手く歩けない。おんなは月乃(つきの)と名乗る。とある理由で隣国まで急いでいたが、従者とはぐれてしまったと打ち明けるのだった。回竜は月乃を背負い、行方わからぬ従者を探しながら山中を進んでいく。解せないのは老侍の死体が跡形も無くなっていたことだ。土を赤く染めたおびただしく血しぶきも綺麗さっぱり消えている。


(*1): https://yakumokai.org/5508

(*2):「MOONLIGHT イチ夏川結衣ファンのひとりごと。」

http://moonlight-yui.jugem.jp/?eid=131




2023年7月8日土曜日

“素裸の魂”~『ろくろ首』考(1)~


 身近におこった不思議を回想するとき、大概のひとは謙虚さに満ちたしずかな顔つきになる。聞き手を怖がらせようとする子供じみた魂胆でもあれば、なかなかそうはならない。こめかみ辺りが力んでしまうし、鼻腔もふくらむ。本気で記憶をまさぐって奇怪な現象の解析を試みる時間に置かれたひとというのは、それとは逆に独特で厳かな空気に包まれる。

 頬の緊張が解け、眉をわずかに八の字にかたむけ、目を大きく開いて瞳は遥か彼方に焦点を結んだまま、ゆっくりと見たものを語り出す。自分を慕い信じてくれる縁戚や友に対してありのままを語っていく彼らのなんと立派で、美しいことか。周囲にもそれがやさしく伝播していき、なんともいえない柔らかで落ち着いた空間になる。

 夜もかなり深まった時分、近くにそびえる山の中腹を妖しい光が点々と移動する様子であるとか、家屋の外に置かれてあった厠(かわや)のそばに青白い火球が浮んだとか、葬式の祭壇に手を合わせる最中に回り灯篭が音もなく静止し、ゆるやかに逆回転をしたり、通夜の夜に誰もいない玄関のチャイムが鳴ったなどなど。他愛もない、よくよく考えれば容易に謎が解ける現象であるのだが、一方がそうっと打ち明け、他方がおだやかに受け入れて耳を傾ける人間対人間の語らいというのは、人生のなかでなかなか得難い宝石にも似た輝きがある。等身大の者同士が素裸の魂のまま集っているような雰囲気があって、実に味わい深い。

 創作を生業(なりわい)とする者が霊的現象や妖怪変化を誇張して盛り込み、そこで読み手の恐怖や驚愕の次々に起きるよう仕込んでいくのは常套の手段であるから、そこだけをことさら抜き書きし、創り手の宗教観や人生観、コアにある精神構造と結びつけて述べることは拙速であるだけではなく、創作者の実像を歪める危険この上ない行為だ。

 しかし、石井隆の劇内に顕現する怪奇現象というのは、承知の通り驚くほど純粋な面立ちがあって、上に書いた回想者にも似た生真面目な態度が貫かれて見える。石井という絵描きの気質や生死への解釈が透けて見える箇所であることは間違いない。石井の創作世界の総体を論ずる上で、それら作品中の不可思議な景色を繰り返し玩読し、詳細を通じて指先をのばしていくことは、決して的外れでも乱暴でもないと考える。

 もっとも、石井が怪奇現象を主題とした劇はわずかである。子供向けの妖怪図鑑の挿絵(*1)、いくつかのイラストや絵画、シナリオを提供した『死霊の罠』(1988 監督 池田敏春)と『怪談 KWAIDAN II ろくろ首』(1993 監督 久世光彦)に限られる。ここからはあまり知られていない『怪談 KWAIDAN II ろくろ首』について、しばし空中停止飛行を行なうようにして観察して石井隆の素裸の魂に寄り添ってみたい。

 (*1):「とてもこわい幽霊妖怪図鑑」 草川隆 朝日ソノラマ1974 



2023年5月7日日曜日

“石井隆が加えた首線<2>” ヴィナスの首飾りについて(5)

 


 「ヴィナスの首飾り」という言葉を足掛かりに石井の劇画を振り返り、首に生じる不自然で強い皺を幾例か紹介した訳であるけれど、中でも真骨頂と呼ぶべき作品がある。それは1979年に発表された【果てるまで】の最終頁(ページ)だ。

 日常社会から滑落し、隠花植物のようにひっそり暮らす男女を描いた小編で、石井劇画のなかでは佳作のひとつに数えられる。ここに登場する男とおんなはお互いを頼りとしながら、ひたすら性愛にのめり込んでいく。絶壁を登攀するクライマーさながらの充実と寂寥があふれる作品だけど、ここで命綱たる登山ロープの役目を果たしているのは裸身をきつく縛る麻縄である。遊戯と呼ぶには遥かに真剣な面持ちでふたりは互いをいたぶり、慰めながら、自分たちが此処にいることをかろうじて確認していく。

 最後のコマは一枚絵の裁ち切りとなっており、おんなは中空に浮いた状態で吊るされている。ゴールラインにいつまでも達することがない性愛に戸惑った男が、ぶら下がったおんなを見やりながら嘆息している図柄である。対するおんなは無言であるのだが、そんなおんなの露わになった首を仔細に観察すれば、「ヴィナスの首飾り」が出現する箇所に、あえかな、極めて短い線が視止められる。

 先述の「ブラックストリッパー」の加筆が「美人画」からの離脱を表わすという方程式に従えば、こちらの【果てるまで】にわずかに加えられた短線も、一種の「精神線」として引かれたように感じられる。石井の絵には細い首を大気に明瞭に晒して世間に示すものが少なくないが、「ヴィナスの首飾り」を意識させる線は本当に見当たらない。余程の想いがなければペン先は紙面を穿たない。

 「美人画」、端的には「おんな」たることに対する限界、逡巡といったものが急速に発現して線を結んだ、という事である。石井の劇は「おんな」の皮をかぶったおんなと「男」の皮をかぶった男が性愛を通じて理解しようとし、結局のところはすれ違うという「人間」の孤独を描く側面があるけれど、この【果てるまで】での終幕においては、おんなもまた「おんな」であることに倦(う)んでしまい、遂に言葉を失ったという解釈が成り立つ。

 見えるか見えないかのノイズのような短線であるから、おんなの美貌を曇らせるほどの傷痕ではない。しかし、その擦痕には悲鳴や溜め息が貼り付いている。誇大妄想と笑わば笑え、石井隆という作家はこの手の微細な描き分けを好んで行なうところが確実にあった。描線を隠密みたいに自在に使い、性愛の軍場(いくさば)を駆け抜けさせながら、人間(ひと)を描き、消耗し尽くした果てに再び立ち上がって走り続けた。

 ひとの世はおおよそ負けつづけ、諦めつづけ、壁に突き当たって煩悶することの繰り返しであるが、それは君だけではないよ、ひと皮むけば誰もが同じだよ、と語り聞かされている気がする。

 石井の劇とこれを愛する者の間には、この【果てるまで】が示すような、台詞ならざる台詞に引き寄せられる静謐な時間が訪れる。無言に対しては無言のままで頷き、その都度、言葉では表現出来ない共振が生じて打ち震える。

 とんでもない作り手であった。私たちはそんな人に逢えた、まったき幸せな結縁ではあるまいか。石井の居らない世界はたまらなく味気ないが、モニターには、紙面には、まだまだ数限りない「仕掛け」があり、それに気づくたびに私たちを驚かせ、奈落の底に突き落とし、ときには肩抱きしめて励ましてくれるに違いない。






“石井隆が加えた首線<1>” ヴィナスの首飾りについて(4)


 現代の女性たちは老化と醜悪の象徴と誤解する首の横皺(しわ)、「ヴィナスの首飾り the necklace of Venus 」と呼ばれるものがかつては人を引き付ける魅力と捉えていて、絵画的にも大切な装飾となっていたことが分かった。その表現に絵師たちが知恵を絞り、成功した事例においては観る者の感情に鮮烈な印象を刻むことも知った。

 石井隆(いしいたかし)が「ヴィナスの首飾り」もしくはそれに準ずる皺をどう表現していたか、遺した厖大な劇画について振り返ってみれば、先達と比して劣らない、あえかでありながら相当に奥深い技巧をそれとなく凝らした箇所が見つかって驚かされると共に、いかに石井が自分の絵に魂を込めていたか、どれほど腕の立つ匠だったか思い知らされる。

 原則的に石井は自作において、登場するおんなたちを絶えず美しく描こうと尽力した。初期の習作や端役は別にして、メインで描かれるおんなたちを美しく捉えるべく努めた。雨や水、わずかで逆光ともなりがちな照明、時に血に染まり、時に過酷な性的搾取の状況に置かれていても、石井はそんなおんなたちを美しく描かねばならないと考えた。

 おんなという存在を崇(あが)め、哀しみ、指先を伸ばし続けた。神の如き俯瞰を用い、また、拝跪(はいき)するような低位置から凝視め、硬貨一枚ほどの穴から見守りながら、おんなという存在の美しさと強さを紙面とフィルムと電子データに定着させようと自らに課した作家だった。

 そうであれば描かれるおんなの首すじは白く滑らかになり、「美人画」が主体となっていくのは道理である。ハイパーリアリズムで人体や家屋を描き、取材した写真を多用もした石井の劇画や絵画を私たちは現実の写し絵と捉えがちで、おんなたちも肉感あふれる現実の存在と見てしまいけれど、いくらページをめくっても首に横皺は走らない。石井の使命感は紙面の隅々にまで及んでいて、余分な皺は排除されている。

 次に例示するのは、そのような美人画の大海に突如現われた加筆線である。稀に生じている分、石井の作為が感じられるし、そこに託された想いを考えるのは石井世界を思案する上で邪魔にはならないように思う。

 【黒の天使】のエピソード「黒のⅣ ブラックストリッパー」(1981)において、石井はクライマックスの激闘の場面でおんなの首に太い線を描き足している。椅子に縛りつけられた男装のおんなに対し、その性別を探るため衣服を剥ぐという乱暴が為された瞬間、おんなの首すじに線が亀裂か雷光のように走ったのである。読者がそのコマに瞳を凝らして停止飛行する秒数は幾つか分からない。ほんの1秒か2秒だろう。その特殊な線が引かれたことに違和感を認めた者がどれだけいるかと考えると、ほぼゼロではなかったか。

 同じく「ブラックストリッパー」ではもう一箇所、暗殺業務に失敗した主人公の魔世(まよ)が凄惨な私刑に遭い、起死回生を図って逆襲する場面にて首に線が加えられた。両足を使って敵を羽交い絞めにして自由を奪っただけでなく、頚椎を折って相手を無力化するという過激なコマで石井はおんなの首に荒々しい線を描き加えている。

 大きな動作にともなう効果線みたいにも見える。たとえば【過去からの声】(1983)では街路を歩行中にかつての恋人と再会した男が強く振り向き、その際に不自然な太い線が顎付近に走っていて、これは男の激しい身振りを読者に実感させるための効果線として機能していた。

 しかし「ブラックストリッパー」の当該コマをよくよく見直せば、おんなたちの首付近は静止状態か、今まさに静止するところであって、動きのベクトルは希薄なのである。だから、ここで石井が線を描き加えている意図を探れば、これは多分に内面的な、おんなたちの精神面を露呈させた象徴的なもの、もしくは憤激や緊張といった感情の起伏なり湧出を補うための「精神線」として加えられたと捉えるべきだろう。

 すなわち、「美人」であらねばならないという使命が喪失した一瞬なのである。「おんな」であることを拒絶し、純粋な一個の生命体として生き返った場面なのだ。外観は変わらない。変わらないから見せようがない。でも、ここでこの白い首のままではいられないな、と石井はペン先を押し付けた。

 我々読者がいちいちこの線を認識している訳ではない。コマを追うので精一杯なのだし、それ以上の解読を石井も望んではいない。いつも通り、分かる人に分かってもらえれば良いという淡淡とした姿勢のままで原稿を仕上げ、担当編集者に託したに違いない。

 もはや石井にこの声は届かないのだが、恐るべき絵師であったことを再認識させられている。ここまで抑制したのだ。どこまでも筆先をコントロールして、劇を演出し続けたのだ。勢いに任せるのではなく、徹底して世界を組み立てている。とても忍耐強い人だったと思う。





“あえかで気付かない線” ヴィナスの首飾りについて(3)


 今度は目を日本に転じ、おんなの首に描かれた皺(しわ)について、特に浮世絵の美人画に絞って見てみよう。浮世絵は肉筆と版画の二種に大別されるが、いずれも絵師自身の手によって為された描画であることに違いはない。これから例示するのは、だから幾人かの絵師の筆先から生まれてきたおんなの首であり、そこに走る皺である。正しくは顎(あご)の皺も混じるのだが、いずれも普段ならあまりにもあえかな線であるから見過ごしてきた人がほとんどだろう。

 版画の浮世絵はまとまって複製され、庶民や好事家に広く販売された。版元を潤し、そこに集う絵師を育んでいった。多くの才人が発見され、往事の鎖国政策も後押しして独特の美術空間が成熟なった訳であるが、木製の板版(いたはん)を用いる工程が、結果的に描線の取捨選択を押し進めた点は無視出来ない。

 もちろん神技的にいかなる細く複雑な線も再現する彫師(ほりし)や摺師(すりし)といった職人が版元に雇われ、絵師の飽くなき挑戦を受け止め続けたことは事実であるにしても、工房全体を包む基調として不要な線はなるべく削ろうという意図が働いていったことは容易に想像出来る。髪や着物の柄は徹底的に趣向を凝らして、その逆におんなの肌は曇りなくどこまでも白く保とうとする技巧注力のコントラストを進化させていったように思われる。

 鎖国が解けて西洋絵画の技巧が押し寄せる中にあっても、それら美人画の様式は次世代の絵師に引き継がれていき、徐々に面相は違えていっても徹底して「線を選ぶ」ことはやめなかった。だから私たちが浮世絵の美人画を頭に思い浮べると、江戸期であっても明治の作品であっても似たものが湧いて出る。

 おんなの顔の部位は明瞭な黒線の輪郭のなかで空中遊泳するように置かれていくのであって、皺という皺が排除された図柄に自然と落ち着くのである。浮世絵で描かれる首の皺というのは、だからやはり僅少な事例となると共に、絵師たちからすれば作為に満ちた加筆となっていて、ある意味で隠れた見せ場となっている。

 喜多川歌麿「咲分け言葉の花 かかあ」は享和3年(1803)の制作で、乳児がまさぐる胸の描線と連動するようにして顎線が2本描き加えられている。乳房とともに皮下における脂肪のたくわえが増して、おんなの喉もとの肉付きも豊かとなって生まれた皺なのだが、その線がかえっておんなの盛り、健康的なおんなの官能美を目に訴えてくる。

 渓斎英泉(けいさいえいせん)「今様美人拾二景 気がかるそう 両国橋」は文政5年から6年(1822~23)あたりの作品だが、こちらで追加された顎線は長く首すじを横断しており存在感を示す。おんなに内在する瞬発力を感じさせ、強い個性を付与している。

 月岡芳年(つきおかよしとし)「新柳二十四時」は明治13年(1880)の刊行だが、この作者らしい物狂おしい面相を携えていて、独特の凄みがある。芳年は顎皺を3本まで描き加え、腹部を縛る下締めのその両端を握っている手指にみなぎる力を補っているのだが、吊り上がった目と歪んだ唇も加わって実に猛々しく、おんなという生きものの奥底にある烈しさを表現している。

 豊原国周(とよはらくにちか)「見立昼夜廿四時之内 午前一時」は明治23(1890)年の作品で、思うように眠れないのか、真夜中に手持ち行灯(あんどん)を掲げて壁掛け時計を見やるおんなの半身が描かれている。首には横皺が長く走るのだが、行灯の光が射す方向を考えると必要ない線が加えられたように思われる。上の三例とは違い、顎をぐいと斜めに持ち上げた形であるから、むしろ首の横線は本来目立たないはずであるが、まどろみと覚醒を行き来するおんなの茫洋とした風情をこの一本が引き立たせている。

 試しにこれらの画面のそれぞれの皺の上に指先を置き、線の不在がどのように作用するかを想像してみると良いのだが、美人画という範疇であれば一切の支障は感じられないだろう。ただただ美しいと世間が賛辞するおんなの図柄であれば、これらの追加線は不要でさえある。歌麿、英泉、芳年、国周らに代表される稀代(きたい)の絵描きたちは、線一本をそれとなく増やして、読み手に対してほのかに笑って挑んで見える。どうだい、おまえさん方には見えるかい、おんなたちの内奥を膨らませることが出来るかい、俺たちの想像力に追い付けるかい、と試されている。

 皺一本を描くか描かないか、描くとすればどのような太さと長さで加えるか。画家とはひと筆に全神経を傾けつづける、常人には計り知れない驚くべき職人である。







2023年5月6日土曜日

“絵画における首線” ヴィナスの首飾りについて(2)



  小泉八雲が「日本瞥見記」の第十八章「女の髪」(1894)の中で記した、美術鑑定家が「ヴィナスの首飾り」と形容する横線について、では、具体的にどの絵画を指して賞嘆されたものか正直なところ分からない。不明ばかりで面目ない。もしもその辺につき詳しいひとがいたら、どうか教えていただきたい。是非紹介して共に見識を深めたいと思う。

 「ヴィナスの首飾り」からは距離が置かれてしまうが、とりあえず書棚にあった画集や評論書をめくっていると、なかなかこの「首の線」というか「皺(しわ)」に関する表現という奴は奥深いものと気付かされる。洋の東西を問わず首の線(以下すべて皺で統一させていただく)というのは美人を描く上で省かれる傾向がある。大概は白鳥のように白いすらりと伸びたものとして首は描かれる。そこに明確な皺を加えることは画家にとっては相当な決意なり揺るがない作為がともなう、まさに特別な筆致となっている。美人の首は誰でも描けるが、そこに描かれた皺が観る者にむけて語り掛ける瞬間があるのであって、皺の描写こそが巧みの技と言えるだろう。

 以下、幾つかの絵画を並べながら、その面白さに触れていこう。最初に取り上げるのは「黒衣のマドレーヌ・ド・ブルゴーニュ」と脚注が添えられていた絵画で、「美女の歴史 美容術と化粧術の5000年史」という本に所載なっていた。(*1)

 もう少し詳しく調べてみると、1490年頃に描かれた「聖マドレーヌによってとりなされるマドレーヌ・ド・ブルゴーニュの肖像」Madeleine of Bourgogne presented by St. Mary Magdalene と呼ばれる祭壇画の一部であり、作者はジャン・エイ Jean Hey である。聖マドレーヌとはマグダラのマリアのことであり、この絵で香油壷を持っているのが彼女なのだけれど、その首には明確に深い皺が描かれている。

 聖人の晩年に深く関わり、さらには死後の復活においても対面を果たしているこのおんなの首に、画家はどのような想いをこめて皺を刻んだものだろう。頭部からは金色の後光がささやかながらも明瞭なコントラストをそなえて照射されているし、そもそも祭壇画を飾る人物として聖性が約束されているはずのおんなである。神のしもべとして美しく、荘厳に描き切ることも出来たであろうに、ジェン・エイは暗い皺を加えて、マリア像に重苦しさを与えるべく尽力している。

 えっ、そんな事も知らなかったの、と、ここまで読んで鼻白む方もおられようが、そうなのだ、この年齢にして始めてマグダラのマリアの首の皺の存在を知った次第だ。どうやらよく知られる装飾のひとつらしい。笑い声までが聞こえて来そうだけれど、私は真宗の門徒であり、キリスト教の絵画にまるで詳しくないので勘弁をいただきたい。そうか、親鸞(しんらん)像の黒い熊皮の敷物みたいなものなのだ、いやはや、世界は未知の事柄で満杯だ。


 参考に並べ置いたのは1890年にロシアで描かれたイコンであるが、その首にも深い皺が入っている。どうしてこんな皺を一本だけ置くかといえば、「首飾りの消失」を語りたいからだ。キリストに出逢い、その教えに打たれたおんなが、自身の持ち崩して穢れた日常を振り返って改心する。虚飾と欺瞞の象徴たるけばけばしい首飾りをおのれの首から外し去ったり、自然と抜け落ちていく様子が別の宗教画には盛り込まれている。

 1545頃のパオロ・ヴェロネーゼ Paolo Veronese のそれでは、中央に屈み込んだおんなの首から落ちかける飾り物が描かれ、もはや落下して床を叩くのは時間の問題なのだし、ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ Giovanni Andrea de' Ferrari の1600年代の作品中のマグダラのマリアは、がっしと首飾りをつかんで憤然と引き剥がす寸前に見える。

 「消失を描く」ために皺が横たわるのだ。それが観る者の記憶と思考を後押ししていく。男たちを魅了して止まなかった美しいおんなは、皺をたくわえることで好色な視線を跳ね返し、一個の人間として、どこまでも真摯なまなざしを宗教的空間に注ぎ続けるのだった。

 老体となって生じる皺ではなく、意図的な、人工的な皺がおんなの首を横断していく。エロスの権化として世に君臨した面立ちのまま、エロスの真っ向否定の重責を細い単線が担っている図式である。これは皺ではもはやなく、鋭い鑿痕(のみあと)となっている。伽藍を際立たせ、透徹した世界観を健気に支えている。

(*1):「美女の歴史 美容術と化粧術の5000年史」 (「知の再発見」双書)  ドミニク・パケ著、石井美樹子 監修、木村恵一 訳 1999  32頁