2023年5月6日土曜日

“絵画における首線” ヴィナスの首飾りについて(2)



  小泉八雲が「日本瞥見記」の第十八章「女の髪」(1894)の中で記した、美術鑑定家が「ヴィナスの首飾り」と形容する横線について、では、具体的にどの絵画を指して賞嘆されたものか正直なところ分からない。不明ばかりで面目ない。もしもその辺につき詳しいひとがいたら、どうか教えていただきたい。是非紹介して共に見識を深めたいと思う。

 「ヴィナスの首飾り」からは距離が置かれてしまうが、とりあえず書棚にあった画集や評論書をめくっていると、なかなかこの「首の線」というか「皺(しわ)」に関する表現という奴は奥深いものと気付かされる。洋の東西を問わず首の線(以下すべて皺で統一させていただく)というのは美人を描く上で省かれる傾向がある。大概は白鳥のように白いすらりと伸びたものとして首は描かれる。そこに明確な皺を加えることは画家にとっては相当な決意なり揺るがない作為がともなう、まさに特別な筆致となっている。美人の首は誰でも描けるが、そこに描かれた皺が観る者にむけて語り掛ける瞬間があるのであって、皺の描写こそが巧みの技と言えるだろう。

 以下、幾つかの絵画を並べながら、その面白さに触れていこう。最初に取り上げるのは「黒衣のマドレーヌ・ド・ブルゴーニュ」と脚注が添えられていた絵画で、「美女の歴史 美容術と化粧術の5000年史」という本に所載なっていた。(*1)

 もう少し詳しく調べてみると、1490年頃に描かれた「聖マドレーヌによってとりなされるマドレーヌ・ド・ブルゴーニュの肖像」Madeleine of Bourgogne presented by St. Mary Magdalene と呼ばれる祭壇画の一部であり、作者はジャン・エイ Jean Hey である。聖マドレーヌとはマグダラのマリアのことであり、この絵で香油壷を持っているのが彼女なのだけれど、その首には明確に深い皺が描かれている。

 聖人の晩年に深く関わり、さらには死後の復活においても対面を果たしているこのおんなの首に、画家はどのような想いをこめて皺を刻んだものだろう。頭部からは金色の後光がささやかながらも明瞭なコントラストをそなえて照射されているし、そもそも祭壇画を飾る人物として聖性が約束されているはずのおんなである。神のしもべとして美しく、荘厳に描き切ることも出来たであろうに、ジェン・エイは暗い皺を加えて、マリア像に重苦しさを与えるべく尽力している。

 えっ、そんな事も知らなかったの、と、ここまで読んで鼻白む方もおられようが、そうなのだ、この年齢にして始めてマグダラのマリアの首の皺の存在を知った次第だ。どうやらよく知られる装飾のひとつらしい。笑い声までが聞こえて来そうだけれど、私は真宗の門徒であり、キリスト教の絵画にまるで詳しくないので勘弁をいただきたい。そうか、親鸞(しんらん)像の黒い熊皮の敷物みたいなものなのだ、いやはや、世界は未知の事柄で満杯だ。


 参考に並べ置いたのは1890年にロシアで描かれたイコンであるが、その首にも深い皺が入っている。どうしてこんな皺を一本だけ置くかといえば、「首飾りの消失」を語りたいからだ。キリストに出逢い、その教えに打たれたおんなが、自身の持ち崩して穢れた日常を振り返って改心する。虚飾と欺瞞の象徴たるけばけばしい首飾りをおのれの首から外し去ったり、自然と抜け落ちていく様子が別の宗教画には盛り込まれている。

 1545頃のパオロ・ヴェロネーゼ Paolo Veronese のそれでは、中央に屈み込んだおんなの首から落ちかける飾り物が描かれ、もはや落下して床を叩くのは時間の問題なのだし、ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ Giovanni Andrea de' Ferrari の1600年代の作品中のマグダラのマリアは、がっしと首飾りをつかんで憤然と引き剥がす寸前に見える。

 「消失を描く」ために皺が横たわるのだ。それが観る者の記憶と思考を後押ししていく。男たちを魅了して止まなかった美しいおんなは、皺をたくわえることで好色な視線を跳ね返し、一個の人間として、どこまでも真摯なまなざしを宗教的空間に注ぎ続けるのだった。

 老体となって生じる皺ではなく、意図的な、人工的な皺がおんなの首を横断していく。エロスの権化として世に君臨した面立ちのまま、エロスの真っ向否定の重責を細い単線が担っている図式である。これは皺ではもはやなく、鋭い鑿痕(のみあと)となっている。伽藍を際立たせ、透徹した世界観を健気に支えている。

(*1):「美女の歴史 美容術と化粧術の5000年史」 (「知の再発見」双書)  ドミニク・パケ著、石井美樹子 監修、木村恵一 訳 1999  32頁





0 件のコメント:

コメントを投稿