テレビドラマ『ろくろ首』の終幕で頭部のみの異体に変化(へんげ)した夏川結衣が、僧服の柳葉敏郎の胸元に転がり込む奇妙な現象は原作中の描写、つまり、ろくろ首集団のリーダーの首が袖(そで)に咬みついたまま絶命し、いつまでもぶら下がる様子を踏襲している。石井が原作を無視するのではなく、むしろ強く意識していた証しである。
ただ、「食らいついてやる!かじり殺してやる!」という憎悪一辺倒であった原作の主(あるじ)とは真逆な印象で、夏川の頬が恋慕で明々と輝いているのが玄妙である。「化け物」は人間とは違う、根絶すべき魔物という小説の基調がひっくり返っており、圧倒的な視座の転換が認められる。
原作をどう料理するか腕を競うのが脚本家の務めであるから、もちろん逸脱は絶えず起きる。生き残るはずの者が死に、死が定番化した者が生き長らえる。破滅するはずの世界が主人公の献身や犠牲でこれを回避してしまう等々、思い返せばいくらでも例示出来る。そのような転換は作劇には付きものだし、読者や観客にとっては愉しみのひとつになっている。
それにしても、と首を傾げる訳である。原作を未読の人は気付かぬが、ずいぶんと極端な改変が為されている。さながら琵琶の名手が耳を奪われず、逆に目を授かって悠々と怨霊の館から帰還したような、それとも正体明かして永劫の別れを告げた雪女の背中を追った木樵(きこり)が多毛の雪男にわさわさと変身し、仲良く手と手をつないで視界から消えていくかのような、思考を鈍くする淀んだ衝撃がある。
石井は明らかにろくろ首の側に寝返ったのだ。「傷つき血の流れている首が胴にもどって、そこにかたまり、うずくまり」、僧の姿に怯えて「森のほうへ逃げて行き」そのまま退場する原作の彼らであった。「坊主だ、坊主が来た」と泣き叫んで暗い樹海へと駈け去ろうとするのを押し止め、膝を交えて再度事情を聞こうと石井は試みる。視界の外に追い出すことは終ぞなかったのだ。何という粘り強さ、執心であろうか。
加えて原作ではほんの添え物でしかなかったおんなの身の上を、石井なりに膨らませて見える。月乃の源泉となったのは、実は石井ではなく別の画家の描いた「ろくろ首」の挿絵と自分は考えるのだが、この推測が正しければ石井の作劇法を論ずる上で貴重な逸話と思われる。最後に書き留めておきたい。
十返舎が描いた挿絵のなかに、ろくろ首(抜け首)が二体空中を浮遊する姿があることは先に紹介した。右の首にはごわごわした髭がはえているから男と分かるが、左の首は性別不明である。この絵を元にして後年、別の画家が描いたものが子供向けの「妖怪図鑑」に収められている。
木俣清史(きまたきよし)によるこちらの絵にはさらに一体が加わって、全部で三つの生首が宙を泳ぎながら何事か相談している様子なのだが、彼らの表情には一様に不安が滲んでいる。十返舎もしくは小泉原作の文章を酌んだ事は明らかだ。僧の反乱にひどく慌てる抜け首には人間味があり、読者は邪悪なる化け物と看做して恐怖することが難しい。恐怖は我々にではなく、彼らの方にこそ渦巻いている。
さらに画家は一体を色白の目鼻立ちの整ったおんなとして描いている。ここまで美貌とは言及されていないが、おんなが混じっていた点は確かに原作通りである。長い髪がさっと吹き流れる様がなんとも艶かしい。
何故こんな気の毒な姿になってしまったのか、と、軟らかな筆致が囁いてくるようだ。絵を描く者の洞察と想像力の根底にあるのは、世界の外貌を正確に写し出す能力ではない。人間への興味と共振、辺縁の者を愛する力である。前世では何を夢見て育ち、どんな喜びと悲しみを味わったのだろうか。画家のまなざしは虐げられた者たちを手厚く包んでいく。
小泉八雲「怪談」の脚本を依頼された石井は「ろくろ首」とは何かを調べるため、早い段階でこの子供向けの本を見返した事だろう。なぜならば、手元に大事に置かれてあったからだ。木俣、柳柊二(やなぎしゅうじ)、南村喬之(みなみむらたかし)、水木しげると共に、石井は本名でこの「とてもこわい幽霊妖怪図鑑」に何点か一枚絵を寄せているのだった。
宙に舞う三つ首の挿絵を凝視し、懸命に読み解こうとする石井の様子がありありと目に浮んでくる。そうして、きっと木俣と同じように、この名もなき娘の境涯に想いを馳せた事であろう。原作のなかで捨て置かれた者に向けて、ゆっくり、けれど確実に手が差し出されていく。どうやったら救えるだろうと思案が湧いていく。
もしもこの推測通りであったなら、物語という水面(みなも)に臨む姿勢が独特であると感心せずにはいられない。ピペットで別の溶液を運んできて滴下し異種交配的な結晶化をうながすのではなく、墓石の水鉢に目を凝らして元々そこで懸命に暮らしていた小さな生き物を認め、陰ながらその育成に力を貸すが如き優しいまなざしがあって、なるほど石井隆だな、と思ってしまう。
詰まる所、石井隆の『ろくろ首』とは、原作世界で二重三重に嬲(なぶられ)る彼らを、それも端役でしかない者を、どうにかして救出しようと手を尽くすひとりの脚本家の物語でもあったのだ。(*1)
運に見放されて花も実もない者に対して、すり寄って耳を傾け、何か力になれないかと煩悶する村木的な思考が『ろくろ首』の大胆な翻案を成し遂げている。この脚本化に至るまでの道程と構造自体が、もはや石井の目指した伽藍にがっちりと組み込まれている。この気付きに至らない視聴者と丹念に読み解く者との間には、作品の解釈で巨きなクレバスが生じることは否めない。
小説の隅で生き惑っている対象を、唾棄され罵られるばかりのその宿命から脱出させるべく知恵を尽くすとは何という繊細にして豪胆な企みであろうか。ほとんどの視聴者は翻案の箇所や度合いにつき分からないから、反響は一切ない、誰も誉めてくれないだろう、そう当人も覚悟の上であった。それでも救わずにはいられなかった、素知らぬ顔でそうっとやり遂げたのだ、いつものあの静かな微笑みを湛(たた)えながら。
石井隆の作品を追いかけていると時折、途轍もない深慮を垣間見て総毛立つが、『ろくろ首』もそうであった。軽妙に見せて実は深甚、視界良好に見せて迷霧のただ中にある。やはり、本質的に「とてもこわい」、見透しの効かない深淵を抱えた作家なのである。
(*1): この視座転換と辺縁への接近、加えて頭部帯同(たいどう)のヴィジュアルの部分で、『ろくろ首』が『GONIN サーガ』(2015)と極めて近しい生い立ちだと確認出来る。
(参考文献):
「怪物輿論 付田舎草紙・滑稽膝栗毛 十返舎一九集6」 中山尚夫 古典文庫497 1988
「小泉八雲集」 上田和夫 翻訳 新潮文庫 1975 六十四刷 2013
「とてもこわい幽霊妖怪図鑑」 草川隆 朝日ソノラマ 1974
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