2021年9月13日月曜日

“バーズ”  ~石井隆の鳥たち(終)~


  『GONIN』(1995)で準備稿においては「グロッタ」と呼ばれていた店が、「バーズ(鳥たち)」に変わった理由を私は知らない。『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督 池田敏春)で石井隆が指定した喫茶店が同じく「グロッタ」であったから、相当の執着がある単語なのは確かだが、大概の人の耳に馴染まず連想を阻み、波紋を生む効果が足らないと感じたのではなかったか。その点「バーズ(バード)」なら誰でもスイッチが入る。響きの良さ、鋭利で洗練されたイメージが求められての転進なのだろう。(*1)

 「バーズ」は英語の“Birds”となり、ネオン管がその音を形づくって入り口に掲げられた。闇に浮かび上がる虹色の文字は色香をにじませ、その下を潜る男女を妖しく染めて、それだけで血を酩酊させるに十分だったが、こうして石井の「鳥」に関する思索の道のりを辿ってみれば、自ずとネオン管の色合いも違って見える。

 四半世紀が過ぎ、最近作『GONIN サーガ』(2015)でダンスホールは無数の銃弾を受け、スプリンクラーからの散水で足元はことごとく濡れしょぼたれた。今あの建物はすっかり壊され、更地になり、新たな建物がそびえているのだろうか。それとも、廃墟となりながら、音もなく誰かを待ち続けるものだろうか。

 言い知れない想いがさざなみとなって寄せてくる。足を踏み入れてみたい。怖いもの見たさというのではなく、多分そこに至れば少しだけ救われる気持ちになるのではなかろうか。未来の不安に押し潰され、今日の苦悩に胃を痛め、なにくそ、と唇を動かすも吐息まじりの声はマスクに行く手を遮られ、虚しくどこかに揮発していく。そんな私の弱い魂をあの廃墟が待ち続ける。

 雨霧の漂う闇の奥に、羽ばたく白いものが見える。導かれるまま無心に歩めば、いつしか鳥はかたちを変え、懐かしい声、あの瞳でこちらを振り返る。私たちはその場処を探し続ける。かならず其処に立つ、立たざるをえないのである。

(*1):“グロッタの集中的表現”~【魔奴】と【魔楽】への途(みち)~(12) http://grotta-birds.blogspot.com/2017/10/12.html

2021年9月12日日曜日

“分かり合えぬもの”  ~石井隆の鳥たち(7)~

 【赤い眩暈】(1980)から『フィギュアなあなた』(2013)までをいわば「鳥物語」が刺し貫いている事が分かった。それとはやや足場を違えるが、最後に池田敏春(いけだとしはる)に石井が提供した映画脚本『ちぎれた愛の殺人』(1993)に触れ、この節を閉じようと思う。

 『ちぎれた愛の殺人』は、石井隆と池田が公言するように、紆余曲折を経て産み落とされたいわく付きの作品である。最初に原作としてとあるミステリー小説に白羽の矢が立てられ、これに添って脚本が練られ、ロケハンとキャスティングも済み、撮入寸前に至った段階で原作者から映画化は一切ならない、自分の名前も出すなと完全拒絶されてしまった。入念なスケジュールはもう既に組まれており、いまさら俳優の日程変更など到底出来ない土壇場である。それまで部外者で居た石井は池田に頼まれ、ロケ先とキャスト等をそのまま引き継いだオリジナルストーリーを急遽組み立てるよう求められる。(*1)

 普通なら匙を投げる仕事であるけれど、『天使のはらわた 赤い淫画』 (1981)、『魔性の香り』(1985)、『死霊の罠』(1988)の脚本も提供して盟友と呼べる間柄の池田であったから、石井はその危機をなんとか救おうと考えた。

 本来石井隆の物語の舞台は新宿、川崎、上野、中野近辺といった都心部が主であり、実在する街並みや店舗、住居を取り込んでハイパーリアルな劇画を多作した。その手法は実際に足を運んでの思案と厖大な作画用写真の撮影が不可欠であった。それが石井劇画の凄味にもなり足枷にもなった事は否めない。上のような諸般の事情であれば、石井世界には珍しい地方都市の登場も了解出来るところだ。出雲の地名と景勝地が劇中に並び、私たちの視線は寂びれた町並を歩き、近接する断崖を目撃し、灯台を駆け上がる。

 池田から最初に示されたロケ資料はいかなるものであったか分からない。石井はそれ等を睨(ね)め回しながら、決められた役者、決められた日程でどんな物語が組めるかを夢想していったのだが、それぞれのロケ地に足を運ぶことなく破綻のない話を編むことの苦労は一体どれほどだったろう。

 結果はご承知の通り、異様な肉体損壊のつるべ撃ちと池田が得意とする硬質の映像美が重なる怪作となり、海外では『死霊の罠』の第三弾と位置付けられて今も時折ウェブを賑わしている。よく乗り切れたものと感心する。

 喩えとして適切かどうか分からないが、この度の新型コロナウイルスの騒動に対して即座に製造配布されたm(メッセンジャー)RNAワクチンと雰囲気が似ているように思う。ドイツのビオンテック社をはじめとする研究所で開発が佳境を迎えていた正にその時期にパンデミックが起こり、直ぐに工業生産に移せたことでワクチンが行き渡ったことは僥倖であったが、同じようなことが一本の映画にも起こったのだ。

 石井は既に『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)、『月下の蘭』(1991)を発表して監督業に手を染めており、劇画を脱して本格的に映画をやりたいという気合が漲(みなぎ)っていた。銀幕を飾るまだ見ぬ己の作品につき沸々と脳裏に浮上しては膨らみ、肺腑は極彩色の光景に染まっていた。息をすれば美しく哀しいシーンがいくらでも吐き出された。つまり、準備万端なったところに救命信号が出されたのだ。友人と思う者に対して懸命に手を差し出し、どうにか撮入の道筋を作ったものはまさしく石井の映画愛であったと感じられる。

 実際、映画は石井世界に大きく舵を切った。物語は一組の夫婦、村木哲郎と名美の怨恋(うらみこい)の惨劇となって蘇生を果たしてすこぶる玄妙であり、さらに劇中の狂女の造形はヴィジュアル面で【20世紀伝説】(1995 たなか亜希夫画)と二重写しとなり、延(ひ)いては石井自身の手になる傑作『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)へとやがて結実していく訳であるから、石井世界を俯瞰する上で一定の評価を得てしかるべき居住まいとなっている。

 さて、そろそろ『ちぎれた愛の殺人』の「鳥」について触れよう。劇の冒頭は地方都市の海辺に遺棄された人間の胴体部分の発見で始まる。鋭利な刃物で頭部と手足を切り離された女性の遺体が消波ブロックの上に打ち上げられていて、地元の警察が来て大騒ぎになる。現場の目と鼻の先には小島が浮び、其処を無数のウミネコがうじゃうじゃと飛び交っている。

 これは石井の脚本に従ったカットであるのだけど、鳥の扱いについてはやや異なっている。シナリオ誌に掲載された脚本を書き写すとこんな具合である。


2 出雲・経島(ふみしま)(早朝)

空を飛ぶウミネコ、ミャアミャアと波打ち際の岩場に

大量のウミネコが群がっていて白い肉を啄んでいる。

白い肉、女性の腐乱した胴体。(*2)


 完成画面ではウミネコは作り物のおんなの胴体を警戒してさっぱり寄りつかず、残念ながら石井のたくらみ通りにはならなかった。「ウミネコがエサを漁る早朝に(撮影を)敢行。経島に群れる鳥たちに演技指導はできない」と撮影日記にあるけれど、これは思惑通りに行かなかった事を打ち明けているように思われる。(*3)

 そもそも経島(ふみしま)にウミネコが大群を成して集結するのは営巣と産卵、育雛(いくすう)のためであり、これは周辺の海に餌となる魚が豊富だからだ。(*4) ウミネコは腐肉食を行なう習性はあるが、何もリスクを負ってまでしてどう見ても不自然極まりない、彼らからしたら巨大過ぎる胴体を格好の餌と捉えるはずもなく、いくらスタッフがカメラの死角に美味しそうな餌を置こうが飛んで来なかったのは道理であった。

 これを書いている理由は『ちぎれた愛の殺人』の撮り損ねたところを面白おかしく論(あげつら)っている訳ではなくて、石井隆の鳥に対する生理的距離感がここで透けて見えるように思うからだ。実現ならなかった脚本のト書きを再度ゆっくりと読み直し、目を閉じてどんな絵柄が浮んで来るか想像をめぐらしてみると、極めて陰惨な風景が瞼の裏に展開される。ああ、石井隆だな、と思う。

 人によっては人喰い鮫を題材にしたアメリカ映画(*5)の冒頭、砂浜に散乱するおんなの手首とその周りに群がる蟹のカットを思い出すかもしれないが、私の想像と近似するものをあえて選べば、つげ義春(よしはる)の【海辺の叙景】(1967)の中盤に描かれる海鳥のカットである。そぼふる雨の砂浜にぽつねんと佇む男の目前に、白い海鳥の群れが見える。彼らは汀(みぎわ)に出来た中洲のような狭い場所に集まり、雨の止むのを待っているだけの気配なのだが、屈託を抱えた男には自分を笑っているように見えるのか、不吉を感じるのか、その群れに傘差して近寄るとやにわに小石をつかみ投げるのだった。鳥たちは一斉に飛び立っていく。(*6)

 石井が【海辺の叙景】にいくら心酔した時期を持っていたとしても、『ちぎれた愛の殺人』で当該カットを再現させようとした訳ではなく、両者は直接に結びつくものではない。「大量のウミネコが群がっている」光景とはこんな景色ではないか、という個人的な連想である。だが、石井はこの出雲の実在するウミネコの繁殖地を写真で見て、これだけ無数の鳥がいるところに細かくバラバラにした人体を放り投げれば、たちまちにして彼らは群れ寄って来るだろう、そうして鋭い嘴でつつかれてあっという間に骨になり、それも細片となって海の藻屑となって消えるに違いないと考えたのはまず間違いない。

 だからこそ劇中の人物は足繁くバラバラにした死体を海辺へと持参し、崖下に投棄し続けたのである。あれは証拠隠滅の遺棄である以上にチベットの鳥葬にも似た死者に対する儀式であった。鳥をそのように使おうとした訳である。まさかウミネコたちが住むのが豊饒なる海原であり、自らの腹を充たすだけでなく、半消化のものを嘴に吐き出して雛にも与えても余りある程もイワシ、アジ、ブリが大量に回遊している場処とは思わなかったのだろう。

 石井隆が鳥を見る目というのはここまで厳しく、容赦がないという点が分かるように思う。鳥と人間はかけ離れていて、感情の交流というのはなかなか行なえないのだし、両者共にその境遇なり寿命に対してなすすべもないのである。

 鳥を宗教的イコンとして採用しながら、それについて懐疑的でいる。信じようとして信じ切れず、助けようとして助け切れないと思う。基本的に人間は救えないのだし、聖邪は入り乱れるのが常であるから、時には情無用に弱き者に群れなして襲いかかる。純粋な聖性などこの世にもあの世にも無いのではないか、という「見切り」が点滅する。

 それは鳥に限ったことでなく、石井隆という画家が描く対象すべてに言及される距離や次元ではあるまいか。信じようとして信じ切れず、助けようとして助け切れない存在がこの世には溢れかえっている。希望と諦観、誠意と無関心、救出と不幸への後押し、両極をめまぐるしく往還するのが石井隆のまなざしであり、絵画である。その厳しさゆえに、その淋しさゆえに、石井が紡ぎ出す世界は切実で「本当の顔をしている」と思わされ、見る者の心を捕らえて離さないところがある。

(*1):「キネマ旬報 1993年7月上旬号」 「特別対談 「ちぎれた愛の殺人」で俺たちが再びコンビを組んだ理由  池田敏春 石井隆」65-69頁

「シナリオ」 1993年7月号 「腐れ縁に賭けて 石井隆」 71-72頁

(*2):「シナリオ」 1993年7月号 「シナリオ ちぎれた愛の殺人」 74頁

(*3):「キネマ旬報 1993年7月上旬号」 「撮影日記抄」 66頁

(*4):「シマネスク 島根PR情報誌」 1999年春№31 「特集 島根の野生動物」 4-5頁

(*5):『ジョーズ JAWS』(1975)監督 スティーヴン・スピルバーグ

(*6):そこに至るまでの展開で男が劇中口にする内容は、今いる海辺で昔、親子の水死体が上がったが、子供の方は無数の蛸に肉を食われて半分白骨化していたという何とも禍々しい記憶である。夏の盛りで海水浴に賑わうこの浜辺を二十年ぶりに訪れた男は、実はそんな暗い記憶に苛まれているのであってまるで元気がない。中洲に群れる白い鳥の様子は直前のその会話、蛸の巣、白骨化と共振して、読者に忌まわしき想像を促すところがある。鳥たちは茫洋として雨に耐えているだけなのか、それとも、やつらの足元に「何か」が横たわって在るのではないのか、だから群れているのではないのか。そんな不安を誘うところがある。


2021年9月11日土曜日

“人のかたち”  ~石井隆の鳥たち(6)~

 2021年現在、石井の鳥はどのような変化を遂げているか。『フィギュアなあなた』(2013)の人形少女がそれである。

 道路を横断中に車のヘッドライトを間近で浴びて以来、何が何だか分からないけれど記憶が錯綜し、理路整然とした景色を保てなくなった男(柄本祐)が主人公である。廃墟ビルの奥の部屋で人形少女(佐々木心音)と彼は出逢う。人形は十万馬力の鉄腕を奮って悪鬼を次々に蹴倒し、超然とした様子で男を危機から救っていく。観客はなんだか狐につままれた気分を味わいながら、なんとか石井の意図を探ろうとするのだったが、やがて冒頭のタイトルバックに挿入されたポール・ギュスターヴ・ドレの版画から連想を広げ、ダンテ・アリギエーリの「神曲」におけるウェルギリウスに着想を得た黄泉の国の住人と彼女を位置付ける。少なくとも私はそのように解釈した。(*1)

 螺旋階段の脇を地上めがけて飛び降り、その後、重力に逆らって悠々と階上へと飛んで行く奇妙な動きに呆気に取られながらも、これはウェルギリウスであるから可能であるのだ、と何だか居心地の悪さを覚えつつ成り行きを見守った。人間にあらざる者だから何でもありなのだ、と考えて荒唐無稽の連続する展開を楽しんだ。

 しかし、程なくして石井はそんな私たちに向けて、例によってぼそぼそと声を潜めて、種明かしをするのだった。人形少女は唐突に純白のベル型チュチュを身に纏って現われ、主人公の目前で再度地面を蹴って舞い上がり、夜空をくるくると飛翔してみせる。黄泉の世界で先回りして待っている存在で、且つ、暗い天空を浮遊し、孤独な越境者を導いていく。つまり、人形少女は鳥の化身であったのだ。

 当初は誰もその事には気付かないし、過去の石井作品を読んだ者、観た者でなければ、おんなが白鳥を模した衣装で飛び回ることが何を物語っているか理解出来ないだろう。分かる読み手には分かってもらいたいが、分からないならそのままでも良い、おんなの白い裸身と光と影の織り成す夢幻のタペストリーに圧倒されればそれはそれで娯楽映画の愉しみ方としてまったく構わない。いつも通りのスタンスで石井はいるが、自作【赤い眩暈】の映像化をいよいよ図った結果だった、というのが『フィギュアなあなた』の真相である。

 「鳥」に関して石井隆の作品を幾つか取り上げてきたが、それぞれの発表年に再度目を凝らせば、そこに独特の歩幅が認められて興味深い。【赤い陰画】1977年、【赤い眩暈】1980年、『GONIN2』が1996年であった。ボンと飛んで『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』が2010年、『フィギュアなあなた』が2013年だ。七十年代、八十年代、九十年代、そして二千年を跨いで羽音をばたばたと響かせている。頭上を横切る特異な影を誌面と銀幕に定着させている。

 独立した物語がほとんどで、実際、上の五篇は傍目には直結しては見えない。少なくとも一般的な目線では完全に個別の話であるのだが、石井の「鳥」をめぐる描写が背骨のように貫かれているのだし、徐々にそんな鳥の外観が変化していく様子が視止められる。三十年を越える長い期間、石井は黙々と模索しながらちょこちょこと描き足していたのだ。理解者は皆無に等しく、文化人はそこまで掘り下げた密度ある評論を展開せず、だからひたすら孤高を保ちながら、絵筆をカメラに替えてまでして実は「鳥」を描いている。

 己が描いた事象につき、これを終わったものと捨て置くことなく反芻し、表現を変えながら再度描いて納得するまで止めようとしない。これは体質的に「絵描き」のもので、流行を追うばかりの作り手とは趣きを異にしている。石井の美学と作家性がそれを強く促がすのだろう。その特質に気付いた読み手の思考の中では、縦断的、間欠的な作品解析が往々にして起こっていく。

 「鳥」が「何か」に変わり、「少女」へと移ろいながらも、まだそこに温かい血は通わない。人間ではないこと、をまだ放棄していない。ひんやりと冷たい手足の物体となって、静かに誰かを待ち続ける。這いずるようにして辿り来し者を見定め、その彷徨を遠目に見守っていく様子がいつまでも連なっていく。石井隆の内部に宿る哲学、揺るがないものを感じる。凝視める先の日常の諸相に対する、一種恐るべき冷酷さと諦観の重く横たわるのを私はついつい想ってしまう。

(*1):“森を歩くもの” https://grotta-birds.blogspot.com/2013/06/blog-post_23.html

2021年9月7日火曜日

“そのとき何を見るのか”  ~石井隆の鳥たち(5)~

  さまざまな体験を通じて人は成熟するけれど、間近で臨終を見るぐらい鮮烈で考えさせられる出来事は無いように思われる。どれだけスペクタキュラーな舞台や映画を見ても、胸に刺さる深度は敵わない。人によっては赤ん坊が誕生する景色こそ別格と捉えるかもしれないが、凡庸な私などはどちらかと言えば死に重たい衝撃を受けるし、ついつい色んな事を想像する。

 いずれ越境は避けがたい訳だが、その時、いったい何に出逢うのだろう。救世主や阿弥陀が突如来迎して、がしっと手首を握ってくれ、その先の時空へと導いてくれるだろうか。まさかまさか、こんな信心薄い奴の枕元に誰が舞い降りてくれるものか。不意に真っ暗になって一切見えなくなるか、それとも瞳孔がめらっと開いて、猛烈な光の進入に目が眩んでほとんど何も見えないか、そのどちらかで幕切れとなるように思える。激痛と不安、哀しみに塗れて逝くのだけは勘弁して欲しい。唐突な闇か、隙間なき圧倒的な光に包まれ、吃驚させられて思案する暇(いとま)なく、ひょいと軽妙に飛び越えたいと願う。

 世の中には死の瞬間に執着し、徹底的にこれを掘り下げる者がいて、石井隆はまさにそういったタイプの作家である。よく知られるように石井は幼少時分から気管支が弱く、呼吸困難と薬の作用で朦朧となる自身の意識につき、早い時期から客観視する時間を持った。生理機能がどんな仕組みで幻視を誘うものか、多様な怪異をありありと目撃しながら過ごしている。それらの不思議を勘違いだ、錯覚だ、と切り捨てず、人間はそういう“何か”を実際に見てしまうし、刹那それらは確かに現実空間に侵入して目前に在ったと捉える。

 そんな石井が己の作品で臨死を繰り返し再現し、記憶の錯綜ともろもろの怪異を盛り込んでいくのは至極自然な行為と思われる。映画『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の終幕で魂の限界点を振り切った若いおんな、れん(佐藤寛子)が、天井方向に何物かの発する騒々しい音を感じ取って絶叫しているが、あれなどは石井の体質と直結した切実な場面であろう。傍らに立つ男女には一切感じ取れない何かが、ざわざわと群れを成して一個の魂に襲いかかっている。


112 樹海のドォオーモ

   コウモリなのか、何かがギャアギャアと鳴きながら飛んで行き、

   石切り場がざわめき始める。四階建てのビルほどの天井の高さから

   何かがれんとちひろと次郎の修羅場を見下ろしている。

れん「?」

   と、急に怯えた顔をして、洞窟の高い天井を見上げる。

れん「なんかいる! なんかいるう!」

   れんが絶叫して銃を持つ手を緩める。(*1)


 台本から書き写したものだが、石井の筆は「何かが」「なんか」の計三箇所に強調を表わす圏点(けんてん)を打っている。これは先に紹介した石井脚本の「独特の言い回し」のひとつである。コウモリではないと示したいのだし、「何か」が尋常ならざる存在であって、どうやら翼を持って「飛んで行く」のだと語っているのだが、もうお気付きの通りで、これは【赤い眩暈】(1980)と『GONIN2』(1996)に連結する「鳥」の顕現である。

 臨死の場面で出現する「鳥」が、まだ無傷に近しいおんなの五感を激しく責めているのは、おんなが狂い死にの瀬戸際に立ってしまったと石井は示したいからだ。狂死(きょうし)に追い詰められた人間の深淵なる苦悩を、冥境に飛翔する鳥らしきものの出現を通じて補強している。

 ここで我々が理解しなければならないのは、鳥が実像を失い、異形化している点だろう。「鳥がいる!鳥がいるう!」と叫んでも十分に悲しみが高波となって客席を濡らしたであろうに、石井は鳥の輪郭をあえて崩して見せる。石井の作歴を見て「同じものを描いている」と評する言葉が稀に発せられるが、それは正しくない。石井は読者や観客に知らせぬまま、見えない物を描いてみせる恐るべき作家であるけれど、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』では馴染みのカードをそ知らぬ顔で別の絵柄のものと取り替え、さらりとテーブルに差し出して明後日の方角を見ているのだ。

 「鳩」ではない「何か」はおんなを導くでも慰めるでもなく、ただただ頭上から圧迫し、崖っぷちへと追い詰めていく。次の段階では仏教儀式にて行なわれる散華(さんげ)にも似た「雨なのか露なのかキラキラと水滴が舞い降りて」(*2)、おんなは一時的に正気を取り戻すけれど、「何か」が「水滴」に変現したとは思えない。仮に両者の根っこが同じであれば、「鳩」は「何か」となり、さらに「何か」が「水滴」へと移ろった事になり、責める者と救う者が瞬時に裏返ったことを同時に示すから、まったく目まぐるしく壮絶な事象である。

 元々石井の劇には二極化した単純な割当はなく、聖邪は入り乱れ、時に男女の役割も交替していくのだけれど、その混迷を実に象徴的に顕現してみせた瞬間であった。


(*1):『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』 準備稿 147-148頁

(*2):『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』 準備稿 150頁

2021年9月5日日曜日

“何処から来たのか、何時から居たのか”  ~石井隆の鳥たち(4)~


  映画『GONIN2』(1996)は複数の登場人物がぐねぐねと絡み合う構造で、「あらすじ」という題目で縮約するのは難しい。夜空を彩る花火が様ざまな元素から成り立っているのと似ている。リチウム、ナトリウム、カルシウム、銅、リンといった物質が盛んに燃えながら放射状に広がっていく様子を見て、私たちは一輪の花を連想するのであるが、内実はばらばらで、悲鳴を上げながら散り散りとなって燃え朽ちる物質の群れなす姿である。明滅する発光体には石井隆のドラマが繊細な面持ちで宿っていて、狂おしいそれぞれの胸中が切々と描かれている。

 ここではあえて物語の詳細には触れず、劇中に描かれた「鳩」だけを見ていこう。一組の夫婦が登場する。外山正道(緒形拳)とその妻陽子(多岐川裕美)は川に面した鉄工所を営んでいたが、経営的に行き詰ってしまい街の金融業に救いを求める。しかし、それは暴力組織の運営による悪辣なもので、瞬く間に借金は山と膨らんでしまう。あげく夜間に急襲されて、夫婦が飼っていた鳩が何羽か撃ち殺され、肉体的な暴行と酷い脅迫を受けた末に妻は自死を選んでしまうのだった。台本には見当たらないのだが、完成された物には死に臨んでおんなが檻の扉を開き、彼らを夜空へと解放する様子が挿入されている。

 伴侶の仇討ちに逸(はや)るというより、事態を上手く受け入れられずに半ば朦朧の呈となった男は、急造の日本刀もどきを持って街を彷徨う。先日ふたりして立ち寄った宝石店で妻が食い入るように眺めていた大振りの指輪をふと思い出し、これを探し求めるのだった。結果的に夫婦を追い詰め愚弄した組織組員を次々に惨殺することになり、最後にたどり着いた場処が閉鎖されて久しいディスコテークである。死闘で深傷を負ってしまった男は、紫煙と埃で煤けた壁に寄り掛かって息も絶え絶えとなる。

 一羽の鳩がぱたぱたと其処に舞い降り、旧知の間柄のように男に近づいてくる。人の気配のしないディスコテークの天井あたりに、いつしか野鳩が侵入して居着いたらしい。男はにんまりと笑顔を返し、どうにか立ち上がると銃火と硝煙の只中に飛び込んでいく。男のそんな最期を目撃して圧倒されたほかの主人公のおんなたち(余貴美子、喜多嶋舞、夏川結衣)は、それぞれ短銃を握り締め、眦(まなじり)を決して組員の群れに突撃し、死中に活を求めるのだった。無数の銃声に怯えたのか、それともおんなたちに共振したものか、鳩たちがばたばたと飛び交って闇を切り裂いていく。

 私たち観客は夫婦の飼い慣らしていた鳩が集団してディスコテークに引っ越して来たのだ、と、当然ながら考える。劇の冒頭で解放された者たちが飼い主を心配し、先回りしてその最後のあがきを見届ける、そんな場面と認識して憐憫の情がどっと湧き上がってくるのだった。ペットが人間以上の深い愛情を主人に抱き、その闘病や臨終に前後してぴたりと寄り添って離れなくなるという場面を私たちは過去幾度も物語空間に見い出し、また、スマート端末で記録された同様映像にもらい泣きしているから、ごくごく自然な反応として『GONIN2』にもそれが起きたのだと解釈する。

 だが、台本を読むとどうも事はそんな単純ではないようで、石井隆という作家の思考が盛られたこの劇は別の一面を抱えることが窺い知れるのである。夫婦の飼っていた鳩の小屋を組員が襲い、夫婦を絶望の淵に追い込む冒頭の場面は次のように説明されている。

7 同・裏

工場の裏は枯れ草が生える河の土手の裾になっていて、事務所の裏側に当たる処に外山夫婦が飼っている鳩小屋が造ってあり、20羽程の鳩が棲んでいる。その小屋の中に向って組員の小島が滅茶苦茶に拳銃を撃ち込んでいる。(*1)

 これに対し、最終局面で死んだ男と特攻をかけるおんなたちの周辺を飛び狂う鳩の群れを石井は次のように描写するのだった。

112 同・バーコーナー

天井に巣食っていた数百羽の鳩が一斉にバサバサバサと飛び立ち、正道、そして蘭、早紀、ちひろの回りを激しく飛び交う。飛び交う鳩の群れ。それを縫って、蘭、早紀、ちひろが、銃を撃ちながら一歩もひるまず進む。(*2)

 石井の台本を幾篇か読み込んでいくと独特の言い回しが随所に見つかり、それは何種類かに分類されるのだが、その中のひとつに“不自然”で念入りなト書きがある。これはその一環である。20羽程と数百羽の段差はどうだろう。石井はこの数字の大差を示すことで、鳩小屋に飼われていた者たちとディスコテークに出現した者たちが明らかに「違う」と告げている訳である。

 そのようにして見れば、息も絶え絶えとなっている男は床をよちよちと近寄ってくる一羽に対して無言で微笑むだけで、ああ、自分たちの飼っていたチーコじゃないか、おまえは俺のことを天井から見守ってくれていたのか、どうもありがとうな、といった、ありがちな目線の交換や温い言葉を投げてはいない。現実世界での個体識別というしがらみが溶け落ちている点をそれとなく示しながら、石井は「別のこと」を物語ろうとしている。

 すなわち、劇画【赤い眩暈】(1980)の「鳥」と同じ性質のものが彼ら劇中人物の瞳にまざまざと映ってしまっている事を伝えたいのである。鳩小屋の扉を開放するという描写をいわば隠れ蓑にして、生と死の境界にて道案内をする存在を実際はあからさまに描いていて、つまりは、人間たちが揃って発狂の域、臨死の荒野に踏み入ったことを知らせたがっているのだ。娯楽映画の様相を維持しながら、その実、凄絶で無情な精神崩壊の顛末を裏打ちしている。

(*1):『GONIN2』台本(決定稿) 7-8頁 ちなみに準備稿での鳩の数は「十数羽」

(*2):『GONIN2』台本(決定稿) 139頁 ちなみに準備稿での鳩の数は「何百羽」


2021年8月30日月曜日

“台本は作品と呼び得るか” ~石井隆の鳥たち(3)~

 

 工業製品ならば均一感保てるが、初めてこの世に産み落とされる何がしかの物はそのほとんどに紆余曲折の側面がある。程度はさまざまであれ、当初の思惑とは異なる顔付きになって悲喜こもごもが寄り添ってくる。

 こと映画づくりの現場というのは混迷と突破の連続であり、初期の構想とはずいぶんと違った様相を呈していく。妥協ももちろん有るだろうが、瓢箪から駒の喩えそのままに知恵出しが盛んに維持され、結果、期待をはるかに超えた絵面に仕上がることも間々ある。最終的にもたらされるその驚嘆、その愉悦に映画人たちは虜になっていて、今日も苦労の絶えない現場に馳せ参じる。

 実現しなかった部分はだから常に付き物で、それをいちいち咎めたり、人目に晒すのは滑稽なことだ。私たち読み手は劇場なりモニターで提示される最終局面に没入し、大いに楽しめば十分なのであって、そこに至るまでの不可視の道程をほじくり返すことは邪道かもしれない。特に初期のプロットや準備稿の内容を大声で取り上げて、過去から完成作品を照射する行為はこれから鑑賞に臨む人に先入観を植え付け、評価や感銘の質と量を歪めかねない。完成された作品こそが真実であり、其処のみを玩読しないと創り手たちの苦労を台無しにする恐さがある。

 これから私は石井隆が執筆した数篇の映画台本に言及しようと考えていて、特に完成なった映画との違いに触れようとするのだが、上に綴ったように、それは作品を論ずる上では根本的に間違いではないかと躊躇する気持ちが半分ある。同時に、いや、これはフィルム全般ではなくフレーム内にもぞもぞと居着いた鳥たちの生態の不思議、面白さを中心に語る訳だから構うまいという気持ちが半分になっている。

 また、フィルムへの定着はならなかったものの、確実に石井の脳裏に在ったヴィジョンが台本の行間にきっちりと書き込まれているのであれば、それは他からの介入がそう多くない穢れなき段階とも言える。新雪の処女峰に等しく、石井隆の純粋思考がこまかい結晶と成って降り積もっている。きわめて透徹した創造空間であり、むしろ瑣末な部分までも積極的に取り上げて作家論を補填するのが順当ではなかろうかという妙に甘えたい気持ちもゆらめいて、なんだか思考が分裂してしまって覚悟が定まらない。

 取り上げるつもりの台本は『GONIN2』(1996)、『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)である。この三本を愛して止まない人で、ノイズめいた解釈の侵入は回避したいと考える方はご注意願いたい。

2021年8月28日土曜日

“舞い降りるもの” ~石井隆の鳥たち(2)~


  【赤い眩暈】(1980)はいくつもの宗教画を取り込み、さらに石井の郷里の風景をも背景に落とし込んでいて、石井世界の中でも作り手の精神性をまばゆく露呈させた物となっている。その独特の風景描写とリズムに強く惹かれる読者は多く、単行本に再掲される機会も数重なっていて、石井劇画の代表作と言っても差し支えないだろう。

 ここでの宗教画との関連については、私も過去幾度か身勝手な推論を展開させた。(*1) もちろん参照した絵画を言い当てたところで作品の評価は変わらないし、場合によっては先入観を読者に植え付け、純粋な鑑賞体験の邪魔をするかもしれない。石井隆はそんな読み解きを迷惑に思うかもしれないけれど、「鳥」といったテーマで石井作品を語るとき、この【赤い眩暈】に触れない訳にいかないし、また、どうしても絵画との関連について言及しなくてはならない。

 長年の読者には不要と思うが、ここで簡単に【赤い眩暈】のあらすじを紹介してみよう。路面電車の走る車道でおんなは事故に遭って転倒し、怪我をして横たわる。頭部から流れる血を確認したおんなはよろよろと立ち上がると、裏通りの酒場、トンネル、旧式の便所といった脈絡のない場処をさまよい歩く。いつしか廃屋のような建屋にたどり着き、其処の住人たる上半身裸の男から性戯めいた奉仕を受けるのだった。

 ふたりの頭上で突如バサバサバサと音が立ち、一羽の白い鳥が飛翔する。屋根に穴があるのかどうか分からないが、剥き出しになった天井の梁の闇の奥から鳥が舞い降りたのである。これから先の案内は鳥にさせると男に告げられたおんなは、瓦礫だらけの街路を歩き出す。音もなく降り出した雨がおんなを優しく包んでいるそのシーンに続いて、街路で横たわるおんなの姿が見開きで提示され、彼女を囲む男女のざわめきが被っていく。ふきだしを読む限りでは、おんなは車の轢き逃げにあったのであり、救急車が呼ばれているが出血の具合からいって助かりそうにない。この物語はおんなが命を失う瀬戸際の数分間に幻視した風景を描いたものであることを示唆し、静かに、切々と幕が落とされる。

 登場する鳥は宗教画の「告知」のエレメントを模写して見える。「輝く雲に乗る天使の来迎」「雲・煙・霞につつまれた茫漠たる空間」「光もしくは鳩による天帝の暗示」「ひざまずく敬虔なるマリア」といった物が組み合わさる絵が厖大に描かれた時代があった。あの中の鳥の姿である。(*2)  過去のインタビュウで石井にこの辺りを尋ねた者はなく、石井も自身の劇画中のエレメントにつき詳らかにすることはないから確証はないが、これはどう見ても宗教画の一部が写し込まれた物と考えられる。

 石井は鳥の全身を3コマで描いていて、それ以外は抜け落ちた羽毛や翼の一部になっているのだが、ここで注視すべきは2コマ目の描写である。俯瞰気味のコマである。手前に鳥影、奥におんなと男が小さく配置されている。ピントが奥に合わさっているから手前の鳥の姿はおぼろとなる理屈で、鳥は左右に翼を広げた様子こそ分かるが白くぼんやりした姿で描かれている。

 映画を愛し、一眼レフカメラを駆使して厖大な資料用写真を撮り貯め、写真集も上梓している石井らしい演出効果と言えるのだけど、私にはそれ以上の作為が込められて見える。この鳥のぼうっとした姿は「手前を向いていること」を器用に隠し、それと同時に暗に示そうとしているのではないか。

 このコマの直前の展開を丹念に見直せば、天井の闇から舞い降りた鳥はおんなに向かって一直線に飛んで来るのだから、次のこのコマでは鳥の背側、尾羽(おばね)側が見えていなければいけない。おんなのいる方とは逆のこちらに飛んで来ては駄目なのであるが、石井は背中を向けた鳥の姿を巧妙に「描かずに済ませた」のではなかったか。つまり告知絵図に見られる「正面向きの鳥」の印象を、ハイパーリアルを優先させる余り減じたくなかったのである。

 資料用写真を周到に準備して作品に取り組んでいく石井の作画姿勢からすれば、後ろ向きに羽ばたく鳥の写真を揃えていなかった、もう時間がないから誤魔化しちゃえ、という経緯であったはずはない。上野公園に行って、パン屑で鳩の群れをつくり、小石を放り投げる。慌てて散っていく彼らの様子を連写すれば素材写真は入手出来たのだから、私たちが目にする白いぼんやりした光体に代わって、尻を向け、脚をこちらに伸ばした鳥の後ろ姿が描かれた方が相当に自然である。

 その自然が失われていることで、回りまわってこの鳥が現実世界で目にするものでなく「絵画」から抜け出した存在なのだと示したかったのだし、素材たる「告知図」そのものを読者に想起させ、おんなの身に、いや、私たちひとりひとりの終着点で何が見えるかを教えたかったのだと思う。「不自然」を描く作家たる石井は、この前を向く鳥を白く塗りつぶすより仕方なかったのだ。その奇妙さに気付く真の読者の出現を望んだのじゃなかったか。

 冥府に足を踏み入れざるを得なかった、今この瞬間に早世せんとする一個の生命体を案内する道標(みちしるべ)として鳥は舞い降り、死という次元へといざなっている。いやいや、「告知」のエレメントが移植された鳥影は常識の足枷を外して、生死(しょうじ)の往還(おうげん)すらもたらす。もはやベンチ周辺でよちよち歩き、餌をねだる鳩ではなく、魂の生滅(しょうめつ)に直結した飛翔体として存在している。

(*1):ティントレット②回廊と鳩~【赤い眩暈】~

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157506539&owner_id=3993869

(*2):「マニエリスム芸術論」 若桑みどり 岩崎美術社1980 257頁

引用した絵画はフアン・デ・フランデス Juan de Flandes の「受胎告知 The Annunciation」(1508-19)および、同じくピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubensのそれ(1609-10)である。





2021年8月22日日曜日

“籠をすり抜ける鼓翼(こよく)” ~石井隆の鳥たち(1)~

 


 六十年代、七十年代の映画やテレビドラマ、漫画作品では鳥と鳥籠(かご)が重要な立ち位置を与えられることが多かった。炭鉱夫が小さな籠(かご)を持ち歩いて酸素濃度計の代用にしたり、都会暮らしのカップルのかたわらにはいつの間にかちょこんと準備され、見通しの利かず不安な日常に束の間の潤いを与えたり、場合によっては諍いの種に発展したものである。

 小鳥を籠(かご)の中にて飼い慣らす行為はかつて一般的であり、決して珍しい光景ではなかったからだ。上の世代の霞みかけた記憶の中には、落巣したり、時には木の幹に登って略取したいたいけな雛鳥を育てることを愉しんだ時間なり空間が今なお鮮やかに焼き付いている。小説や詩の同人誌などを発行するとき、題名に鳥にかかわる単語、たとえば「笹(ささ)鳴き」といったものを選んだりする時代であった。

 ペットショップが登場してからは雀なんかじゃなく、文鳥やカナリヤがもてはやされ、親にせがんで飼いたがる子供が増えた。大概はすぐに糞の臭いと掃除に辟易してしまい、鳥の寿命が尽きたり、猫や何かに襲われて死んだり、窓の隙間から逃げ去ってしまった事を契機として急速に興味を失っていった。居住者の消えた空の籠(かご)は縁側の隅あたりに置かれつづけて、やがて埃にまみれ、徐々に輝きを失っていくのだったが、子供たちも大人も最初からそんな籠(かご)は存在しないかのように振る舞うのだった。数年後の大掃除のときに処分されて、ぽっかりした虚無がしばらく居ついて淋しかったが、いつの間にか誰もが忘れてしまい、思い出話が咲くこともなかった。ペットとして何万、何十万、いやいやそれ以上かもしれない無数の鳥が人間と同居させられ、寵愛を受けようと競ったあげくに次々と姿を消していった。

 だから、石井隆が彼の劇画作品で都会暮らしの孤独な女子学生を主軸となした物語を編んだとき、その娘が小鳥と同居していてもまったく不思議はなかった。【赤い陰画】(1977)はそんな東北から単身上京して美術学校に通っている少女が主人公であり、数羽の小鳥を籠に飼っているという設定だった。アルバイトに応募した小さな出版社で、勤務初日にグラビア撮影の現場に強引に連れて行かれ、そこで乱暴に遭った挙げ句に繊細な魂をひどく病んでしまうという掌編だ。

 自宅アパートにようよう送り届けられた娘だったが、食事の世話をしようと買い出しに出た若い出版社員が戻ってすぐ、包丁を手にして彼を襲撃し滅多刺しにしていく。欲望のために限度を越えていく男たちの安直な打算や独善が一個の人間を破壊せしめ、過酷な血の惨劇を招くという幕引きである。

 この掌編はチュンチュン、チュンチュンという鳴き声に始まり、バサバサ、バサバサという羽音のオノマトペで完結する。鳥の存在を強く意識させる構成となっている。人間の意に反して好き放題にさえずり続け、金属の網に接触してはカチャカチャと不連続性の物音を鳴らしていく鳥にピントを合わせることで、神経症を抱えた人間の内心を描く手法というのは、探せばおそらく先例が幾つも見つかるから、それ自体は特筆すべき事象ではない。ここで私たちが注視すべきなのは、最後の頁で激しい羽音を立てる鳥の陰影が怖しいほども巨大に、またどう見ても籠(かご)の外を飛翔しているところだ。

 劇画製作において石井は早い時期から「映画」を意識し、思い切った時間の跳躍を劇中に配していたから、その文体に慣れた読者は小さなアパートの一室でバサバサ、バサバサと飛び回る鳥の姿を目撃しても気にすら留めない。包丁で一撃を加えたとはいえ、若い社員は直ぐには事切れなかったのだ、男とおんなは狭い室内で正視に耐えぬ血みどろの時間を過ごしたのだ、石井は室内乱闘の様子を詳らかにしないが、読者の想像力にその部分は委ねられていると誰もが判断するからだ。

 何かの拍子に鳥籠(かご)は倒れて破損し、隙間から鳥は逃げ出したのだろう、そのように大概の読み手は読み流すであろうが、しかし、よくよく目を凝らせば、室内の壁も本棚の上板ものっぺりとして、血の描写にとことんこだわる石井なのに不自然に白いままである。鳥籠(かご)に至っては娘が出発前に置かれたままのように立ったままで、わずかに動いた様子も見受けられない。これはすこぶる奇妙である。

 石井隆という作家は直線的な説明描写を嫌う傾向があって、「不自然さ」を無言で提示しながら我々の気付きをひたすら待つ、そういった特質がある。鳥はなぜ外をバサバサ、バサバサと飛び回るのか。そもそも部屋での殺戮はあったのか。娘が見たり聞いた暴力的光景は劇中の「現実」として本当に在ったものだろうか。

 迷宮のごとき様相を示す【赤い陰画】の真相は石井にしか分からないのだが、我々は劇中に突如出現した籠(かご)の外の鳥影にここで明確な境界杭の役割を認めて良いように思うし、せめてそこまでの認識無くして【赤い陰画】の観賞は終わらないように思う。すなわち、ここでの鳥は、生と死、もしくは、正気と狂気の境界を跨いだ際に穿たれ設置された三角点標石として機能している。

 映画『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督池田敏春)とこの劇画【赤い陰画】とは幾つか血流を通じさせる箇所があり、それがタイトルに結実したと想像するけれど、あの映画の中でヒロインに蹴飛ばされ、裏表が引っくり返された赤外線ランプ式の電気炬燵(こたつ)に準じた立ち位置にここでの鳥籠(かご)は在る。

 『天使のはらわた 赤い淫画』のヒロインはグラビア冊子のモデルを強要されて以来、世間の視線を極端に怖れて暮らしていたが、そのがんじがらめの倫理観を転覆させて再生しよう、生き直そうと決めた矢先に電気炬燵(こたつ)は大きく裏返っている。深紅に染まる境界杭たる電気炬燵が分かつのは、劇画【赤い陰画】の彼岸此岸とは陰影をかなり違えているから、単純に両者を同一視は出来ないけれど、石井が「鳥」という小道具を用い、のっぴきならない事態に飛ばしていること、そして、それで何事かを訴えようとしていることは、石井隆の作家性を考察する上で記憶に値する事象ではないかと考える。



2021年8月13日金曜日

鳥瞰図


 書棚の整理にほとほと厭いてしまって椅子にへたり込み、放置していた本を手に取って休憩する。フュリスという少女の名前が冠されたホルスト・ヤンセン Horst Janssen の画集を膝に乗せ、ゆるゆるとその頁をめくる。(*1)

 ここしばらく鳥について気持ちが捕われてきたせいだろう、中の一枚に目が吸い寄せられた。ヤンセンが1978年、四十代の末に描いたものだ。種類の違う四羽の鳥たちが寝台に横たわる裸の少女を取り囲んでいる。白鳥のような姿の一羽は嘴(くちばし)を少女の唇に深く挿し入れ、別のもう一羽の丸い頭蓋をそなえたそれは両股の付け根のところを突こうとして見える。

 葛飾北斎の「喜能会之真通(きのえのこまつ)」やヘンリー・フュースリー Johann Heinrich Füssli の作品から着想を得たと思われる官能的な絵が多数収められており、日本の春画にならって人体の部位はやや誇張されて描かれているのだが、この一枚においてもそれは顕著である。へそ下の陰裂が、あばらの浮き出た痩せた少女の体躯と比してバランスを欠いた大ぶりの表現で描かれている。上下左右に粘膜を広げて、さながら南洋の真っ赤な華の重たい花弁が雨に打たれて身悶える様子で、腰の部分にぺたりと貼り付いている。

 下半身に覆い被さった鳥、というより人間の足をにょっきりと生やしているからここでは鳥人と呼ぶのが正しいのだが、その硬そうな嘴が置かれたのは花びらのやや下辺あたりであり、位置的に陰核を愛撫しては見えない。鳥人の頭は動きを一寸だけ止めて、しきりに粘膜の濡れた具合を観察し、また、放たれる香りに溺れているように見える。

 いや、嘴の尖端は既に何度か突き進んだ後ではないのか。紅々とした花弁と肉翼の左右への極端な広がり、臍下まで伸びてしまった亀裂は、鳥人が勢いづいて啄(つい)ばんだ結果ではないのか。チベットの鳥葬みたいに寄ってたかって少女を食している瞬間を捉えた怖い絵に見えてしまって仕方がなく、粘つく戦慄にいよいよ襲われ、白状すればしたたか興奮もした。

 おんなの身体を啄(つい)ばむ残虐な様相におののき、どう受け止めて良いのか思案に暮れるうち、絵の下の方にアルファベットで何か刻まれているのに気付いた。VIRIBUS UNITIS と書かれている。調べてみるとラテン語で「力を合わせて」の意味であると判る。

 なあんだ、画集のほかの絵と同じ姿勢で描かれているのだ、と了解されて、肩の力が一気に抜けていく。そうであるならば、絵の諸相はまるで違った趣きとなる。禍々しさが減じて穏やかな薫りに包まれた具合になる。突く側も受け止める側もよいしょ、よいしょと「力を合わせて」いる場面なのである。つまり思春期の少女が当初抱く性愛への純粋な好奇心と健気な実践、豊かな妄想をヤンセンは淡淡と描いているのであって、レイプを主題としたものではないのだ。少女たちの見開いた目や柔らかな口元を通じて、また、男たちの外観の異様さを通じてエロスとは何か、我々の奥まったところに何が巣食っているのかを、求道的に根気強く探り続けた連作なのである。

 鳥たちの襲撃と見誤ったのはいつもの迂闊さ、節穴同然の瞳によるもので恥ずかしいのだけど、それは鳥の嘴ってやつが前戯に不向きであり、到底上手くいかないのではないかと本能的に身構えたせいだ。また、どこかで鳥を恐怖する気持ちがあるのだろう。錐(きり)のように尖った嘴で口戯をさせようとする画家の想像と自信に私はついていけなかった。どれだけフィルターを通して物事を見てしまっているか、本質を見たつもりでいるけれど、まるで見当違いの連続なのだと分かって妙に可笑しく、そして愉しくなってしまった。

 ひとしきり身近な鳥について考える時間を持った訳だが、こうなると俄然気になってくるのは石井隆という作家が鳥をどう描いてきたか、ということである。たかが鳥、されど鳥だろう。根を詰めて思案し貫くタイプの作者が劇中で鳥をどう扱っていたかを再度読み直すことは、単に鳥だけでなく、石井が世界をどう鳥瞰してきたかを知る手掛かりになるように思われる。

(*1):「フュリス ホルスト・ヤンセン画集」 ホルスト・ヤンセン トレヴィル 1994

2021年8月9日月曜日

狩猟者

 混沌とした世相もあってだろう、高速道は思いのほか車が少なかった。日曜日の、陽射しと蒼空に恵まれた海水浴場を訪れたのだったが、着いてみればこれが淋しいぐらいに静かである。腹まわりに無駄な肉を蓄えてもはや人前に晒せる裸体ではないから、海水に浸かるつもりは毛頭なく、ただ水平線に広がる夕焼けを味わいに来ただけの海岸であったのだけど、拍子抜けするほど閑散とした砂浜を見るとなんだか世紀末めいた苦い味わいがある。

 夕暮れを待ちつつ所在なげに座り込んでお喋りをする人たちの邪魔をしないように気を遣いながら、近くに浮んで見える小島とを結ぶコンクリート製の桟橋を渡ってみる。目的など無かったが、まだ太陽は水平線から離れていて一刻ほどの余裕があった。遠浅の海の、コンクリート護岸から8メートル程も離れたところに小さな岩礁があり、そこに海猫が群れなしている様子が認められた。時折放たれる鳴き声に誘われ、いつしか鳥をめぐる夢想に引き戻された。

 周囲400mほどの小さな島にはお社があり、こんもりとした山の頂上には急な階段が伸びていたけれど、海風に吹かれていても真夏には違いなく、体力に自信のない自分は島を取り囲む周回道路を歩くのが精一杯である。こんなにも汗を噴かせる灼熱のなかでも、焼けて黒い顔をした太公望が沖に向かい棹を掲げていて感心させられる。

 ピーピーという声が連続して聞こえ、目をやれば、人間なら子供ひとりがようやく立っていられるような小さな岩が海面から顔を覗かせていて、そこに海猫の親子が向き合っていた。かなり育ってはいるが、茶色の羽で覆われた雛が親にしきりに餌をねだっているところだった。親の方は困った子だね、もう今日はお終いだよ、という顔付きで首を上げ下げしてみえる。情愛を感じさせて愉しい景色だった。

 浜辺に戻り、浸食防止で段状に組まれた石垣に腰を掛け、徐々に赤味を増していく空を眺めながら、彼ら鳥たちにも喜怒哀楽が宿り、私たちのような複雑な想いがその肺腑を満たしているのだろうかと改めて考え始める。当然そういうものは在るように思われる。ただ、それが我々人間に対してはどうであろうか。

 誰かパンくずでも投げはしないかと期待するのだろう、同じように日の入りをぼんやりと待つ人たちを縫うようにして、一羽の海猫の成鳥が先ほどからそぞろ歩いて視界をかすめる。いよいよ此方へと近づき、すぐ目の前をのそのそと横切って行く彼なのか彼女なのか分からない海猫の、白く細いその横顔を観察した。

 ガラス玉をはめ込んだような目がこちらを向いているのだが、そこに我々への好奇心は露ほども宿って見えず、徹底して冷ややかな狩猟者の瞳があるだけだった。我々と意思疎通しようなんて最初から思わず、腹の足しになる物を機械的に探し続けている。

 あいにく空と海の境には雲が這っており、太陽は輪郭をおぼろにしてその周辺をまだら模様の虹色に染めるばかりであったが、その緑やら橙(だいだい)やらを妖しげに帯びた西の空を揃って石仏のごとく固まって動かなくなってしまった老若男女の人間の様子に愛想を尽かした海猫は、さっさっさっと羽ばたいて何処かに飛んで行ってしまった。

2021年7月24日土曜日

迷鳥

 六月に入って間もなく、普段聞かないさえずりで目が覚める。東の空がまだほのかに光るばかりの泥色に染まった時刻に、鳴いては黙り、また鳴いては黙りして、それが翌朝もさらにそれ以降も続いた。毎朝叩き起こされてさすがに眠かったけれど、こんな田舎のステージにわざわざゲスト出演してくれたことには感謝している。

 調べてみれば、どうやら雪加(セッカ)のようである。なんだ、セッカか、大して珍しくもない、と笑う人もいるだろうが、この辺りにはまったく生息しない事もだんだん分かってきて、多分渡りの最中にどこでどう間違えたものか迷い込んだらしい。

 ウェブ上の解説では、ヒッヒッヒッと擬音化されることがほとんどだが、まっさらな耳で聴いた声は無機的な機械音のように感じられた。ヒッヒッヒッではなく、ヒュイヒュイヒュイヒュイと聞こえる。ドーンコーラス  dawn chorusと呼ばれる磁気と太陽風が引き起こす悪戯があって、世界大戦中に無線兵を不思議がらせたのだったが、その音が冨田勲(とみたいさお)のアルバム冒頭に収められていた。あれを少しばかり連想させる鳴き声だった。

 彼らはそれから半月も経つと本来の根城へと移動を再開したらしく、歌を耳にする機会は突然に途絶えた。替わって今は、別の鳥による高鳴きに悩まされている。庭のどこかで百舌鳥(モズ)が営巣したようだ。

 もう二度と生の雪加の声は聞けないだろう。世界はどこまでも断片的である。地球上の音を100とすれば、生涯に耳にする音など1パーセントにも満たないのではないか。大概の人はその総体を味わい尽くすことはなく、ただただ黙って立ち去るしかない。

 ところで、世の中には鳥を極端に嫌う人がいる。周囲を見渡せば、直ぐにある年輩の男性が思い出される。彼の家は小規模ながら果樹を育てていたから、それで鳥を余計に憎悪するところがあった。沈鬱な顔で身体をやや硬直気味にして「大嫌いだ、ああ、厭だ」と呟く様子を遠巻きに見ながら、その徹底した言い振りにこちらの価値観を揺さぶられたことを懐かしく思い返す。

 だって、総じて鳥という存在は人に愛されがちではなかろうか。飛翔能力は我われの憧憬を誘い、私たちの瞳はごくごく自然に手前をさえぎる影に追いすがっては行方を確かめる。一瞬で彼らに自己投影しては指先にぱたぱたとした風圧を感じ、頬を冷たくかすめる大気を思い、俯瞰して見ているだろうこの一帯のささやかな町並みやら若芽の萌える浅葱色(あさぎいろ)の山々を想像する。さぞや気持ち良かろう、と、彼らの抱く優越感を思い描いては羨(うらや)んでいく。

 漫画や映画における鳥の描写が次々に脳裏をかすめるのだが、彼らに対して(一部の作品を除いて)親近の情が託されるのが一般的で、中には登場人物にすっかりなついて人間以上の意思疎通を可能とする。

 先日もある日本映画を観直していると印象深いカットがあった。物語の舞台はさまざまなロケ地が縦横に編まれていて、自然豊かな顔付きとなっていた。しかし、その豊かさが人間の行動を阻むという設定である。海に面していながら、其の町から出るにも入るにも小さな連絡船しか行き来していない。外界との接点はきわめて小さい。海はひたすら茫洋と広がって、砂浜と手を組んで脱出しようとする気持ちを挫く。片やまとまった雪に閉ざされた廃屋や路線バスがかろうじて行き来するだけの辺鄙な高原が意味ありげに点描され、狭隘でひどく無味(むみ)な印象を観る側に強いる演出が施されていた。

 その映画のなかで、大型の白い水鳥が登場人物の乗る小型の船と並んで滑空しており、これを見上げる人物の胸中をそれとなく知らせる役回りを担っていた。羽広げる鳥に自由への渇望が凝縮されたカットとなっている。清々しさ、生に対しての全肯定、不安などまるでない無頓着さ、無垢といった、透明感と明度の高い存在として水鳥がコントラスト良く配置され、不幸続きの登場人物の屈託を浮き彫りにしていた。

 鳥の生活の実際のところは違うだろう。飢餓と疾病に苦しみ、巣を作ってもほとんどの雛は育たない。高いところからぽたぽたと落ち、そのまま戻れずに無惨な死を迎えていく。寂寞と絶望の重ね塗りで、鳥たちの肺腑は真っ黒に違いない。

 それでも私たちは鳥の飛翔に希望を見てしまう。歓喜と充足を想い描いてしまう。此処ではない遠い場処で、あの雪加(セッカ)は元気に暮らしているに違いない、そう信じて夜をまたぎ、朝の目覚めを待ち焦がれる。

2021年4月11日日曜日

“凶事の全貌《5》”~画角を操る力、見えないもの、見せないもの~

 さて、石井は「サルダナパールの死」を自作『黒の天使 vol.1』(1998)に組み込むにあたって、この絵を思いきりトリミングしているのだが、その意図は一体何であろうか。

 「画面の奥の方の場面よりさらにいっそうすさまじくドラマティックなのは、前景の修羅場である。(中略)豊満な裸の女が胸に致命的な刄(やいば)を受けて大きく後の方にのけぞっている。(中略)女たちが生命の盛りの美しさを誇示していればいるほど、それらすべての上に襲いかかった殺戮と破壊の残酷さはいっそう強調される。」(*1)

 先に引いた「ドラクロワ「サルダナパールの死」」の中で高階(たかしな)は絵の要所ごと具(つぶさ)に解題しており、石井が額装した部位につきその文章を借りればこうなる。「いっそうすさまじくドラマティック」な前景がきっちりと切り抜かれてある。

 解釈は我々に托される。物語の展開にしたがえば、劇中舞台となった麻雀店の経営者の嗜好に由来するのだろうか。男尊女卑の思考回路で染まった麻雀店の関係者にとって、「豊満な裸の女」が背後から屈強な男に羽交い絞めされて「大きく後の方にのけぞっている」のが淫靡な好色の思いをそそって愉しいから切り抜いたのかもしれない。さらに悪趣味な想像をすれば、この店の実質的なオーナーのヤクザにとっては「女たちが生命の盛りの美しさ」を誇っているところで「胸に致命的な刄を受けて」温かい血をざぶざぶと噴き上げて白い肌を濡らし、まもなく冷たい物体と化していくそんな刹那にぞくぞくして配下の者に飾らせたのかもしれない。

 様々な角度から想像が湧き出てしまい、いくら思い悩んでもおそらく正解には至るまい。 そもそも私たちは勘違いの連続だ。過去の石井演出の劇中に現われた絵をめぐって、それがあたかも『ヌードの夜』(1993)のデルボーと同じ立ち位置にあると誤って思い込み、自ら迷路に進み入って朦朧とすることしきりだった。たとえば『花と蛇2 パリ/静子』(2005)の画廊主の邸宅で、亡き親友の写真の収まった額の背後に滝とも森とも分からぬ暗い色調の風景画を見い出して色めき立ったものの、それはロケで使用された建物に最初からそなわっていた調度品のひとつに過ぎなかった。

 後日テレビジョンのドラマか何かで確認しているのだけど、何だそうかあ、誰の絵だろう、どんな意味だろうなんて悩みまくって阿保みたいだ、と、えらく落胆したものである。けだし恋は盲目であり、あばたも笑窪だ。見誤って滑稽なことになっていく。石井がインタビュウで質問され、快くこれに答えぬ限りにおいて、実際のところは何も分からない話なのだ。

 では、答えが出ないからといってあの絵、『黒の天使 vol.1』中のドラクロワが漫然と捨て置かれた、つまり、セット組みに当たって倉庫に眠っていたストックを美術スタッフが漁り、このぐらいが大きさ的に調度じゃないかと考えてのそのそと運び込まれた偶然の産物と解釈する訳にもいくまい。やはり性格が根本から異なると感じられる。「サルダナパールの死」を前にしたカメラの“不自然な”動きを考えると、あの執拗な映しこみには演出の意志が色濃くにじみ出ているのは間違いない。

 私見にとどまる事を強調した上であの絵が存在する真意につき述べて、この項について締めようと思う。この絵は上述の通り『黒の天使 vol.1』の世界観、つまり“愛する者をことこどく手に掛けて灰燼と化す物語”を冒頭先んじて刻印すると共に、我々世間一般の“画角の狭さ、一辺倒なものの見方”に対する石井隆からの警告であるように感じる。劇画作品であれ映画作品であれ、あれ程まで構図と照明にこだわる職人である。先人の絵画の引用に際して、意図なく曖昧な気分で切り刻むはずはないのだ。

 扇情的な絵が掲げてあるな、助平どもの溜まり場だな、それにしても妙に気になるおんなのヌードだな、ああ、男が後ろから自由を奪っているんだ、やらしいなあ、と緩んだ口元で遠目に身守る我々に対して、お前の目は節穴か、一体何を見ているつもりなんだ、と冷徹そのものの瞳で銀幕からこちらを睨んでいる。石井隆がそんな真摯さを帯びつつ貼ったのがあの絵だ。

 恋情と性愛をめぐって、また、親愛と承認欲求に渇えて、私たちはときに理性を失い、激昂なり悲観に押しまくられて取り返しのつかない亀裂なり惨劇を手招いてしまう。「寝台(ベッド)」(王宮ではあるにしても恋情と性愛を確認する場処である点では違わないだろう)を囲んで一気呵成に出現した地獄の点描を一旦“見えざるもの”にしてみせた石井は、その実、血みどろの画布を我々に提示してみせている訳である。目玉を油断させながら、ここでも“不在”を遠慮なく表現手段に用いて我々に挑んでいる。

 見えないものを見せようとする作家、可視され得る物の背後にそっと隠れて在る見えないものを遠回りしていつしか悟らせ、覚醒に導こうとする作り手なのだ。改めて畏怖を覚え、手指の先からじわじわと凍っていくような、荒涼として淋しい心持ちになる。唯一無二の作家とはこういう異能の「風景画家」のことを指すのだろう。

 (*1): 「ドラクロワ「サルダナパールの死」」 「想像力と幻想―西欧十九世紀の文学・芸術」高階秀爾 青土社 1986 196頁

“凶事の全貌《4》”~石井隆『黒の天使 vol.1』~

 


 一光(いっこう)という名のおんな(葉月里緒菜)が相棒ジル(山口祥行)を従えて空港に降り立つ。暴力団の内部抗争で両親を惨殺された過去を忘れず、おんなは復讐に舞い戻ったのだ。古い写真と記憶を頼りに聞き込みを続け、顛末を知っていそうなヤクザの根城たる麻雀店を急襲する。その壁にドラクロワの「サルダナパールの死」がぽつねんと飾られている。

 見過ごす観客は多いに違いないが、カメラは石井作品独特の“不自然さ”で浮遊して、画角の隅にこの額ぶちを置くべく絶妙な動きを見せるのである。『ヌードの夜』(1993)での見えざる者が座る椅子やヒロインの小部屋に飾られたポール・デルヴォー Paul Delvaux 「こだま(あるいは街路の神秘) L'echo (ou le mystère de la route)」を捉えるのと同質の描写、すなわち、無言ながらも饒舌なるもの、無関係に見えて大切なものが秘めやかに、けれど確かに顕現して空間を彩っている。

 ドラクロワの絵画に精通したフランス文学者 寺田透(てらだとおる)が、彼(か)の画家が五十代前半に綴った日記を読み込んでその真情を手探った本に次の記述がある。ドラクロワの表現の特性を解析したものだ。

 「この刺される肉、溢れんとする血、命ある軟いものと硬く鋭い無機物質との闘い、そこに湧きおこるパトス、叫喚、陶酔、上野の西洋美術館でその部分エスキースの見られる「サルダナパールの死」。また、「キオス島の虐殺」「ミソロンギの廃墟に立つギリシャ」「民衆の先頭に立つ自由の女神」など、かれの壮年期までの大作のすべてに見られるものと言って差し支えなかろう。(中略)こういう嗜欲がたやすく変るわけはもともとないのだが、しかし五十代のはじめまで一貫してこういうなまぐさい力への好みが示されるとはやはり注目すべきこととしていいだろう。」(*1)

 また、1850年5月1日の小論文風の日記の内容を受けて寺田は、「もっとも根底的とは言えないにしても、また漠たるものであるにせよ、人間の歴史が不幸な終局に向かっているという意識」がドラクロワに付きまとっている、とも述べている。(*2) 破壊や終末に関する興味や語弊をおそれずに書けば願望なり希求といったものは、なにもドラクロワに限った気質ではなくて私たちにも付きまとう。絵画や映画を目撃したわれわれが「共振すること」がそれの証しである。

 ただ、絵画や映画を手段として、可視的に、持続的に表現しては世間に示していく作家性を持つ者は限られていて、ドラクロワはその一人だという事だ。石井隆はドラクロワに続いて我が名を重ねるべく、自作に先人の絵画を刻み付けて見せた訳である。極めて象徴的な行為といえるだろう。自分もそうだよ、血の作家なのだ、と強靭な宣誓がかくも明瞭に為されている事実は、石井世界を考察してなにがしかの作家論を語る上で外すことが許されない。

 もちろん、「サルダナパールの死」と石井の映画『黒の天使 vol.1』(1998)のディテールには大きな段差がある。片やぎらつく刃(やいば)と毒杯、片や拳銃と拳(こぶし)であるのだし、古代王宮の終焉と薄汚れた麻雀店での乱闘ではそもそもスケールに隔たりがある。大概の観客は『黒の天使 vol.1』に臨むとき、現代日本が舞台としたヤクザものとしか捉えない。

 石井隆の何たるかを知らぬままに爽快な活劇を期待して観始めた者たちは、後になって違和感を抱く羽目に陥るのである。血縁や味方までが続々と弾丸に倒れてむくろとなっていき、血や雨に濡れて累々と横たわる徹底した殺戮に唖然とし、石井が単なるアクション映画を作る気など最初から無かった事にようやく気付く。つまり、石井は「サルダナパールの死」を掲げて見せた上で、明朗な活劇の衣をまとわせながら、争いの終局に普遍的に発生する惨劇それ自体を蘇らせるべく尽力しているのだ。

 人は追い詰められると、愛するがゆえにこそ容赦なくこれを破壊する愚かさを内包し、その愚行の奔出こそが悲劇の神髄なのだ、と、敬愛する先人の絵をそれとなく最初から壁に打ち付けて観客に諭しているのである。

 サルダナパールの王国崩壊につき歴史学上の詳細は分かっていないようだが、紀元前600年より以前であるのは確かだろう。ドラクロワが絵に仕上げたのが1827年、石井隆が絵筆をカメラに替えて仕上げたのが1998年である。二千四百年余りをはるばる飛翔し、さらに百七十年を駆けぬける時間の大跳躍を重ねながら、鮮血と叫喚の記憶を血の作家たちが形を変えて語り継いでいる。

(*1):「ドラクロワ 1847-1852」寺田 透 東京大学出版会 1968 33頁

(*2):同209頁


“凶事の全貌《3》”~ドラクロワ「サルダナパールの死 La Mort de Sardanapale」~

 


 一方、ドラクロワが「サルダナパールの死」(1827)を描いたとき、実際のところどの程度の影響をバイロンの劇詩が与えられたのか、むしろ大して左右されなかったのではないかと懐疑的に捉える意見がある。長らく細部が「(劇詩)から取られたと信じられてきた」ことに異議をとなえ、バイロンの作品は単なる「ヒント」に過ぎなかったと突き放す文章にも容易に突き当たってしまう。(*1) 

 「バイロンの劇詩だけが彼の霊感源のすべてであったとは思われない。ドラクロワの画面は多くの点でバイロンの詩と喰い違っている」と強い調子で述べて、画家独自の突出した想像力の逞しさに想いを馳せる美術史学者もいるのだ。(*2) そう主張する彼らは共に当時のサロンのカタログ内にバイロン自らが準備して世間に掲げてみせた補遺(ほい)に着目し、この絵画の異端たる所以を浮き彫りにする。

 いつものように長い枕をずるずると綴ってしまったが、実はここからがいよいよ本題である。バイロンの劇詩要約を読まずして、次に書き写す補遺に示された場景はすんなり消化し得ないだろう。それで、ついつい回り道をした次第である。画家は起承転結の末尾、断末魔の叫びをあげる王国のまさに瀬戸際の景色を題材に選んだ。

 「反乱者たちはすでに彼の王宮を取り囲んでいる。巨大な薪の山の上に据えられた豪奢なベッドの上に横になったサルダナパールは、宦官や宮廷の隊長たちに命じて、彼の女たち、小姓たち──さらには馬や寵愛した犬たちまでも、殺させる。それまで彼の楽しみに奉仕したものは何ものも彼より後まで生きながらえてはならないからである……。バクトリアの女アイシェは、奴隷の手にかかることを望まず、穹窿(きゅうりゅう)天井を支える柱に自ら首をくくった……。サルダナパール小姓バレアは、最後に薪の山に火をつけ、その上に自分の身を投げかけた。」(*3)

 絵画中に配された事象のすべてではないにしても、ドラクロワはかなり細かく自ら描いた王宮の最期を解題している。どうだ、バイロンの夢見た光景の数倍怖いだろう、凄絶だろう、血なま臭いだろう、これこそが争いの終局に訪れる悪夢のごとき実相だ、人は愛した物を容赦なく破壊していくのだ。淡淡と落城のさまを述べつつ、我々の呑気さ、災厄を楽観しがちな甘い性格に挑んでくる。

 この補遺と照らし合わせ、あらためて絵を眺めていくと震えが来るような衝撃がある。特に首吊りを遂げようとして身をよじる半裸の女の上半身が今度こそは明瞭に瞳に飛び込んできて、はなはだ哀れであり、自分の顎の辺りと両手の平にごつごつした太縄の擦れる刺激を幻覚し、遣る瀬ないどん底の気分に転がり落ちていく。

 この騒然として妖しい殺戮の絵を、石井隆が自作『黒の天使 vol.1』(1998)に象嵌(ぞうがん)細工のようにしてはめ込んでいるのを知って、私は心底からおののき総毛脱立ってしまった。

(*1):「リッツォーリ版世界美術全集 12 ドラクロワ」 集英社 1975  98頁

(*2): 「ドラクロワ「サルダナパールの死」」 「想像力と幻想―西欧十九世紀の文学・芸術」高階秀爾(たかしなしゅうじ)青土社 1986 202頁

(*3): 同193頁


“凶事の全貌《2》”~バイロン「サルダナパロス王 SARDANAPALUS」~


  バイロンは1821年に劇詩「サルダナパロス王 SARDANAPALUS」を上梓している。数えるとまだ三十三ほどの歳だ。浅学な私はこの「サルダナパロス王」の全文に目を通すことは出来ずにいるが、笠原順路(かさはらよりみち)が訳して編んだ詩集にその細片をいくつか視とめることが出来る。また、頁の下に小さく添えられた要約をもって、この劇詩の輪郭をおぼろながらも窺うことが許される。

 ここではあえて要約だけを書き写してみる。文面に練りこまれた肝心の表現の巧みさを褒め称えるのではなくて、補足部分のみに焦点を絞るのは脱線も甚だしいのだけれど、今は詩人にも訳者にも失礼を詫びつつ先へ進みたい。

 「サルダナパロス王は、今夜予定されている宴(うたげ)を中止するよう、側近サレメネスや愛妾ミュッラから進言されるが、頑として聞き入れない。反乱の画策をしている臣下を発見しても、捕らえることもせず釈放する。宴のさなかに敵が攻め込んできたという知らせを受け、やっとのことで武具を身に着け、鏡で身だしなみをととのえて出陣する。王の一族が敗北を覚悟したところで、反乱の首謀者ベレセスが大広間に乱入。王はこれまでとは打って変わって勇敢にベレセスと渡り合い、王自身、負傷する。」(*1)

 「翌日に反乱が攻め込んでくる公算が大きくなった夜、側近サレメネスは、王妃と王子たちを、宮殿から避難させる手はずをととのえる。王は、サレメネスの進言で、冷え切った関係にある王妃ザリーナと、最後の言葉を交わす。」(*2)

 「王妃ザリーナは、この王の言葉に心打たれ、このまま宮殿に残って王と一緒に死ぬと言う。王の血筋を絶やさないために、王子と王妃は脱出せねばならないと主張する側近のサレメネスと口論となり、気絶して運び出される。王も衷心から王妃に与えた心の苦しみを悔いる。朝になり反乱軍の攻撃が再開する。これまで脆弱だった王は、最後の場面で、敵も臣下も驚くほど勇猛果敢な働きを示す。しかし時すでに遅かった。サレメネスほか王身辺の者が次々に死んでゆく。やがて新王アルバケスからの伝令が来て、助命と亡命の許可を伝える。サルダナパロスは、王妃への伝言を託して忠臣パーニャを脱出させると、最愛の女奴隷ミュッラと抱き合って宮殿に火を放ったところで幕になる。」(*3)

 これがバイロンの劇詩「サルダナパロス王」の骨格と思われる。この劇詩は出版から十三年を経て劇場で上演されたというから、当時の欧州でそれなりの人気を得たものと想像される。馬鹿馬鹿しい連想ではあるけれど、読んでいて「軍記物の講談」にも似たやや古風な装いだったと知れる。想像よりもはるかに平面的な舞台調の顛末だった事に、やや裏をかかれたみたいな気持ちが起きぬでもない。染色した赤い布か何かでしつらえた、めらめらゆらゆらと揺れる炎のなかに沈んでいく王と愛妾の寄り添う影に、劇場のあちらこちらから嗚咽が漏れ、紅涙を絞る皺だらけの顔と顔が舞台を見上げているのがありありと目に浮ぶ。

 上記の通りでバイロンは自作の上演を観ることが叶わず、執筆して三年後にはあっという間に頓死してしまう訳だが、その臨終から三年の後、これも若い三十前のフェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix という野心的な画家が、この劇詩に着想を得たと世に言われる大作を出展し、パリのサロンを騒然とされている。詩人の言葉が画家に宿り、そこで根を張り草葉を茂らせたのである。

 詩人がもし生きていたら、自身の言葉が火種となって連鎖式に絵画作品や演劇が織られていき、それが大衆の肺腑をつぎつぎに悲哀で焼いていく様子をどのように眺めただろうか。古代アッシリア王にとって人生を狂わせたのは反乱軍であったが、平和な時においても他者は人の魂と運命を変えていくのである。他人の為した想像と創作行為が皮膚を破ってじわじわと体内に浸透していき、時に未来の顔立ちをまるで違ったものにする。

 確かにその通りだ。私たちは他者の介入によって歓びを得て、されど傷付き、また成長していく。バイロンとドラクロワというふたりの天才の邂逅と作用を我が身に照らして思いやれば、妙に胸を打って響くものがある。


(*1): 「対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 岩波文庫」 編者 笠原順路 岩波書店 2009 222-223頁

(*2):同224頁

(*3):同228-229頁

“凶事の全貌《1》”~二百年後の死~

 


 英国の詩人ジョージ・ゴードン・バイロン George Gordon Byron は、1824年の4月19日にこの世を去った。舞踏にも似た烈しさが日常を貫いていた。流行と恋情を追い求め、創作と紛争支援に没頭した生涯は充足とまでは言い切れないまでも、ある種の熱と粘性をそなえた厚い羽織となって終始その身を包んだであろう。だからここで短絡的に憐憫の情を寄せるのは軽率かもしれないのだが、それにしてもあえない最期である。雨に打たれ、全身ずぶ濡れになったあげく、悪寒、発熱、頭痛が治まらず、10日後に亡くなっている。わずか36歳であった。(*1)  

 バイロンの死からおよそ二百年が経った現在、空咳や倦怠感に冒され病臥する者が後を絶たない。押しては返す波となって我々を揺さぶり続けるウイルスの群れ。忌まわしき疫病が新聞とテレビジョン報道の上席を占めるようになってから、実にまるまる一年が経過している。変異株と呼ばれる新手も見つかって、先が見通せず、不安が喉もとを締め付ける。実態経済は疲弊しており、業種を越えてさすがにどの店舗も喘いで見える。

 もちろん世は公平ではなく、ていねいに探せば、追い風どころか神風の吹いている店も見つかる。たとえば今朝教わった話では、スリッパ工場が注文に追いつけない活況だそうだ。海外から問い合わせが押し寄せ、それまで青息吐息だった状況が一転した。帰宅して土足で踏みこんでいっさい平気だったのに、疾病の持ち帰りに繋がっていると誰かが言ったに違いない。真実かどうかは知らないが、もしかしたら世界中の玄関口で靴の履き替えが標準化する可能性があり、業界人にとっては閉ざされていた水門が急に全開したかの如き感覚だろう。

 しかし、総じてどの業界も暗澹たるものだ。皆よく頑張っている、よく耐えている、ほんとうに偉いものだと感心する。各自の忍従はもちろんだけど、取り巻く医療技術の深度とあまねく行き渡った同体制が、我々をこの世にかろうじて繋ぎとめている。なんやかんや言ってもこの国は医療については恵まれていて、その現状につき繰り返し書き留めておいても罪はあるまい。煩悶の涯てにそれまで頑として拒みつづけていた瀉血(しゃけつ)を受け入れたバイロン卿(*1)の暗澹と比べたら、私たちはまだまだ幸福である。

 二百年前の先人にとって、一生とは薄氷の上をひたすら駆け抜ける恐怖と冒険の昼夜であり、彼らの肉体もまた氷の彫刻のように脆(もろ)く壊れやすかった。知人や家族を矢継ぎ早に喪い、三十過ぎになって今度は自身も死の淵にぐいぐいと引きずりこまれていく、それが往事の明日(あした)であった。闇は蠢きつつ己のすぐ脇に居座って、いつまでも立ち去ってくれない。彼らが想いを馳せる物語には、すべからく黒々とした筆致で生死(しょうじ)が同居し、悦楽と不安がどろどろと攪拌されて混じり合った。

(*1): 「対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 岩波文庫」 岩波書店 2009 348頁

2021年2月11日木曜日

“試論でなく私論”~石井隆劇画の深間(ふかま)(11)~

  ここで再度強調したいのは、此の場で展開している言説はあくまでも「私論」に過ぎない点だ。業界人ではなく、もちろん石井隆の製作会社に所属するスタッフでもなく、在野の一読者に過ぎない。実相寺昭雄「闇への憧れ 所詮、死ぬまでのヒマツブシ」(創世記 1977)の挿絵と著者の賛辞に陶然とし、同時代的な併走こそ叶わなかったけれど、なんとか周回遅れで【黒の天使】(1981)の新連載を目撃し、書店の棚にまだその頃は悠然と並んでいた複数の単行本を毎月一冊また一冊と買い求め、玩読し、以降の劇画作品と映画を追い求めた愛好者でしかない。

 その程度の者が手すさびに綴ったこの「石井隆試論」は一応「論」と冠してはあるが、相当に不確かで妄想がまぎれ込んでいる。せいぜい「感想」止まりである事実は繰り返し伝えておく義務がある。どうか鵜呑みにしないでいただきたい。

 わたしは石井の劇画制作の現場に立ち会ったことがない。インタビュウを通じてその工程を薄っすらと想い描くしかない。先に綴ったこと、つまり石井が劇画作品の素材として熱心に写真撮影を行なっていた点は本人が過去の雑誌で答えている内容であるけれど、では、その後の写真素材がどの程度の分量割合で、どのようにして劇画に活用されていったのか。この目で見ていない以上、本来は何も語る資格がないのだ。

 資格も権利も何もないのだが、一方で事実だけを羅列したところで、つまりウィキペディア風に作品データを並べ、あらすじを付け足したところで石井世界の凄みや愉悦は伝わらないように感じるし、「なぜここまで石井作品に惹かれてしまうのか」という自身の内部で常に逆巻いて止まない疑問に対し決着がつかない。だから考えてきた、だから繰り返し視線を注いできたのだ。点と点を結んだり、欠けた部分を無理に補っているうちに、石井の複雑な制作プロセスそれ自体に魅力の源泉があるように今は思える。

 石井が取材にあたって一眼レフのカメラを携え、写真を重用する意味はなにか。実際のところは多分、ずっとずっとシンプルな理由かと思う。石井本人が繰り返しインタビュウで応じて来たように劇画作りの総てが「映画」へと向かっていた、そこに答えは尽きる。

 発明と実践を日々重ねて競い合う漫画業界の生き馬の目を抜く戦場にあって、アニメーション顔のキャラクターがどんどん幅を利かせ、超人的な跳躍を平気でこなす演技が隆盛を極めた。そんな中においても石井はひたすら「映画」を目標とし、映画的な構図と技法を模索していった。だから、男たちもおんなたちも重力と肉躰にじんわりと縛られ、多くが足を引きずり、最期は地に伏せていくしかないのだった。どこまでも「映画」なのだ。

 そんな切実な映画との融合願望をどうにか満足させる鎹(かすがい)となったのが写真機であり、撮影行為であり、ネガフィルムであり、暗室であったのだろう。劇画を製作するための近道として写真を利用したのでは決してなく、むしろ遠回りしてまでも石井は男女の恋情劇を「映画」へと導こうと奮戦した訳である。

 「なぜここまで『映画」に惹かれてしまうのか」という自問自答を抱えながら石井は紙面と格闘し、徹底して「映画を表現した」ということであり、それ以上でもそれ以下でもない。この事実をしっかりと抱えた上で受け手は彼の劇画とそれ以降の映画に向き合えば良い。そうして、情欲の焔に焼け崩れ、無惨にも破滅していく恋人たちの最期を見届け、鎮かに黙考する、大事なのはそれだけだ。

 いささか空転気味になってきた。誤解も生み落として多方面に迷惑を及ぼしそうだ。ちょっと思考を停めてみよう。そもそも石井作品を考察すること、作家論を編むことが正しい姿勢なのか、御託を並べることなく無我夢中でダイヴすべき場処ではないか、頭でなく身体でのめりこむ作品群ではないのか。その辺もぐらついて、少し自信がなくなっている。この項については一旦筆を休める。

2021年1月17日日曜日

“編集する者”~石井隆劇画の深間(ふかま)(10)~



 石井は【少女名美】(1979)における当該3コマ目に続けておんなのバストショットを挿入し、「わりと冷静じゃん!」「そんなもんよ」という台詞を唐突に呟かせている。恋人との初夜を迎えた少女が湯浴みする目的で脱衣していく滑らかな動きを断ち切り、背後から正面に回り込んで真意を探ろうとするのだ。おんなの揺れ動く内面を、コマ送りのリズムを攪乱(かくらん)することで補強している。

 【天使のはらわた】第三部(1979)と同一の写真素材を使用しながら、ここで両作品は袂(たもと)を分かつ流れとなるのだが、この一連の作業を通じて見えてくるのは石井隆という創作者のやはり特殊性である。劇画を精製する前段階で連続写真を明らかに「編集」しており、映画用語で言うところのカットバック技法を自在に駆使している。(フラッシュバック、スローモーション等も別の部分、他の作品で散見で出来る。)

 幼少時分から映画館に通い、学生時代に撮影所でのアルバイトに挑んだ石井の経歴、および、劇画作家を経て映画監督へと進出して今なお創作に勤しんでいる事実を知る身には実に自然な流れと瞳に映るが、冷静に往時の劇画製作へと想いを馳せるとき、これは大変なことではないかと改めて愕然とする訳である。

 もちろん手塚など先達が試行錯誤して敷いた漫画空間への映画技法の導入軌跡があり、上に掲げた映画用語については今では日常茶飯に漫画の紙面に認めることが出来る。漫画家はひとりひとりが映画監督となって、役者に演技をつけ、背景美術を差配し、カメラレンズを付け替え、編集さえもこなしながら締め切りと闘っている。そういった点では石井と他の漫画家とに段差はない。

 されど写真素材を用いて入念に下準備を行なうことの、作業総体の量の厚みと技巧の精緻さはどうであろう。「現実の光景」を撮影し、その厖大なストックを用いて「複数の作品」を組み立てている。脳内で仕上げたものを筆先で何もない白い空間に産み落とすのではなく、「先に映画フィルムに準じた連続写真」があって、これに一方で縛られ、一方で支えられつつハイパーリアリズムの物語を幾篇も編んでいったことの特異さについて、我々はよく理解しなければならない。

 そして、この手法の奇抜さを意識しつつ、石井世界を総覧しなければならない。人体の動きや肢体描写の正確さのみならず、その手の込んだ手法が石井の創作をひとつの方角へと押しやった側面があると感じるからだ。

2021年1月11日月曜日

“厖大な合成工程”~石井隆劇画の深間(ふかま)(9)~



 【天使のはらわた】第三部(1979)および【少女名美】(1979)から抜き出した3コマのうち、真ん中の2コマ目は僅かな時間差がもうけられている。前者ではすでに脱ぎ終えたスカートが、後者ではまだふくらはぎ辺りに纏わり着いている。おんなの動作が淀みなく完璧で、違和感が差し挟まる余地がまるでないものだから、「所作とその捉え方、切り取り方が一致している景色」として二篇は了解される。3コマ目で時間差は完全に吸収されているため、両者を見比べたときに同一感をもたらすのである。

 よくよく目を凝らせば2コマ同様、3コマ目にもわずかな時間差が生じているのが分かる。ストッキングが踵(かかと)を抜けるか抜けないか、数秒の差が描き分けられている。この微細な違いをどうしたら紙面に描画し得るかを考えれば、やはり連続する写真が基礎にあるのは間違いない。大量のコンタクトプリントを前にし、ひとつひとつを凝視し選択する気の遠くなるような工程が覗える。

 実際、当該描画の前後を見やれば、一連の脱衣するおんなの姿態が延延と展開され、石井劇画特有の迫真を持って目に飛び込んでくる。【天使のはらわた】の後続のコマでは、脱衣を続けるおんなを背景として、尻を向けて同じ調子で黙々と服を脱いでいく男の様子が加筆されているが、向こう脛のごつごつした感じ、腓(こむら)のO脚の具合、それにズボンを剥ごうと下に伸ばした手首にずれてへばり付く腕時計の様子などから、おんなだけでなく男側においても綿密な取材撮影が為されていたと想像して何ら不安を感じない。

 写真を素材にして絵を描くことは一般的なことであり、風景画家の製作工程を開示した展覧会場においても多くの写真が陳列されるから不思議もなければ感動もないが、こうして大量の連続写真が撮られ、その中から入念に選ばれ、縮尺を揃えて各コマに配置され、それを元に精密に人物が造形されていく石井の作業風景を想うとき、畏怖に近しい感動を覚えざるをえない。

 ここで石井隆の中期劇画とオスカー・ギュスタヴ・レイランダー Oscar Gustave Rejlander の「人生の二つの道 The Two Ways of Life」(1857)を並列した上で、さらなる思案に踏み込む事は決して大袈裟でも見当違いでもない。30個以上の素材を合成して仕上げられた「人生の二つの道」と似た工程を、石井は幾つも幾つも重ねて来たのである。その驚くべき根気と情熱はどうであろうか。

 レイランダーと違い、当時の石井は劇画家である。素材写真を徹底して吟選した末に、物語に沿って配置した元原稿を作り、さらにこれを複写機にかけて厚みを取り除き、トレス台を経て自分の絵へと修正しつつ整えている。時に大量の雨の飛跡をペン入れして自身の世界へと導いたと想像するのだが、そこに至る前段階の素材写真の撮影から現像、焼きつけまでも自ら行なっていたと考えられるから、写真家プラス画家の日々であった。レイランダーの行なった仕事の数倍の労力を費やしていた、と思われる。世界はこの点につき石井隆を再発見すべきである。(*1)

 フィルムを土台にしてこれを線画へと置き換えているから、風合いはロトスコープ rotoscope ともいくらか重なるけれど、ロトスコープのように映画フィルムから人体の「動き」を再現しようとするだけでなく、写真フィルムの特性を活用して皮膚や毛髪といった肉体の存在感、服や装身具の質感、手触りといったものを紙面に落とし込み、その高度を長く維持し続けている。世界にも稀有な領域を石井は守り抜いている。

(*1):私たちは石井劇画の創作の基礎となった素材写真を見ることは叶わないが、インタビュウ等を通じてどのような工程で劇画が作られていったかを複合的に捉え直し、脳内に再構築することは可能だ。劇画(紙面への転換)という段階へと歩を進めず、映画的な照明と衣小、俳優を用いて写真劇として仕上げた「名美を探して 石井隆写真集 / ダークフィルム」(白夜書房 1980)はそのヒントのひとつとなっている。

2021年1月4日月曜日

“奇異なプロセス”~石井隆劇画の深間(ふかま)(8)~


 漫画の描写で劇中人物の所作の極めて似るものとして、「伝統」を重んじた場面がある。「作法」にがんじがらめになる、いや、むしろ果敢に礼式に則って忘我の境地を目指そうとする、その上で先達や師との共振や邂逅を果たそうとする。つまり「道(みち)」の探求者を奇を衒(てら)わずに描くと、どうしたって所作や空気感は酷似してくる。茶道がその典型であるが、剣道や柔道といった武道においても所作はかなり制約される。神経を指先にまで配って打ち込む様子を目の当たりにして絵や写真に収めようとすれば、似通った肢体をどうしても切り取るなり描くこととなる。

 【天使のはらわた】第三部(1979)、【少女名美】(1979)とは風合いに段差はあるけれど、昔から時代劇、剣豪漫画というジャンルがある。武芸に秀でた孤高の侍が全国を流浪して、行く先々で絶体絶命の場面に出くわしながらも知恵と剣術でどうにかこうにか突破していくあれだ。探していくと極めて似た構図と所作のコマに出くわす。切っ先、刃先といった殺傷能力を具えた部分を敵に向けていく物語展開上、自然と方向が生じるからだ。

 実際の戦闘場面ではどうだったかは知らない。厚い甲冑を纏っての西洋での闘いにおいては斬るという行為以上に頭部を殴って脳震盪(しんとう)を起こさせることが重要視されたと聞くから、日本刀を使っての戦闘においても峰(みね)や鎬(しのぎ)と呼ばれる切れる方とは反対側の部分もがんがんと相手にぶつけ、体勢を崩した瞬間に斬りつける事もあったと思われる。実際、日本刀を手に取ってみれば、重さが手首にずんと来て、これは体感的には鬼の振り回す金棒ではないかと思う。

 だか、青少年が好んで読む剣豪漫画においては、主人公は一撃必殺の達人であり、敵方の傷の痛みも我が身のそれとして感じる感受性をそなえているから、戦闘における身のこなしもあざやかであり、殴るという行為よりも切り伏せ、それも即死に至らしめる殺陣(たて)を徹底していく。剣道や居合いといった武道の作法が重んじられる流れとなるから、自ずとアクションに一定の法則が生まれる訳である。

 ここで引いたのはさいとう・たかをの【無用ノ介】であるが、複数の相手が卑怯にも一斉に主人公に襲い掛かった際にさっと斬りこみ、きらめく白刃にてたちまち地に沈めてしまう場面である。左右の敵方のリアクションは異なるが、主人公の所作はほぼ同一である。これなども「所作とその捉え方、切り取り方が一致している景色」の一例である。(*1)(*2)

 なにも【天使のはらわた】と【少女名美】の脱衣が「作法」に則ったやり方であるとか、一撃必殺の威力とか、男を殺すとか言いたいのではなく、漫画という媒体で考えられ得る限りの事例を並べていけばこんな物もあると言いたいのだ。そして、そのいずれとも違っている石井の特殊な技法を浮き彫りにしたいのだ。

 石井作品から取り出したコマに再び注視すれば、向かって右のスカートへと伸ばされた両手首の形状、特に左手の指先の相似が目を引く。(2コマ目については後述する。)3コマ目も同様、ストッキングを足首から抜こうとしてやや力の入った右手指が表情豊かに描かれており瞳を射抜く。ここまで所作を同じくした場合、両者を「同一の存在」とコード化する読者が現われるのは避けられないし、石井もそれを承知で描いているとしか思えない。時空や境遇につき隔たりを持ちながら、【天使のはらわた】と【少女名美】のふたりのおんなは同一人物であり、決まった素振りで下穿きを脱ぎ捨てて特別な夜に臨むのである。

 「土屋名美(つちやなみ)」と命名された一個のキャラクターがさまざまな物語でさまざまにおんなを演じ分けることにつき、石井の読者は百も承知であるから、今更なにを大袈裟に書き立てているのかと鼻白む人もいそうだ。確かにそうだ、どちらも土屋名美であり、どちらも似たような年齢で、同じような体型で、そっくりの服を着ていただけである。私たち石井隆の読者にとっては不思議でも何でもない。

 どちらも土屋名美であるならば、服の脱ぎ方だって同じだろう。大概の場合、私たちはことさら意識せずに脱衣を繰り返しており、昨日シャワーを使った際と今日風呂を浴びた時の脱衣の様子を仮に第三者が撮影したとして、その所作に大した違いは認められないだろう。そうだなあ、上着を最初に脱ぐなあ、そしてズボンを下ろすよな、次は靴下、右が先で左が後、今のような時期にはタイツかな、そして下着のシャツ、最後にパンツだな、もう寒くていられないから、ひゃ-ひゃ-言いながら風呂に飛び込むなあ、と誰もが尋(き)かれれば自身の脱衣における手癖を直ぐに答えるだろう。土屋名美だってそうなのだ、同じ人間として服を脱ぐ順序が決まっていて、最初にスカートを下ろし、ストッキングを膝下までぐっと下げ、右足からよいしょ、と脱いでいく様子が描かれただけなんだ、そう考える読者が大勢だろう。

 だが、冷静に考えてみれば、奇妙この上ない劇の展開が起きている。石井隆という創り手をいちど真剣に考えてみるに当たっては、もはや了解済みのこの「総てが名美に見える」現象について一旦そういうものと安易に納得せず、第三者目線で見直していく必要がある。

 手塚治虫のスターシステム、たとえば間久部緑郎(まくべろくろう)、別名ロックのような定番キャラクターと同等の表現として土屋名美を理解して良いものだろうか。漫画の技術としてスターシステムは確立されており、次々に出現する分身を我々は苦もなく受け止め、その言動を愉しんでいく。土屋名美もそういったものだろうか。

 宇宙(そら)翔る未来船のパイロットである彼と、何かの拍子に獣となってしまう特異体質者を手練手管で操って犯罪行為に突き進む1960年代の悪党である彼を、私たちはロックAとロックBと切り分けて考える。ロックAとロックBは同じ容姿ながらも別人と思う。土屋名美を私たちは互いの頭のなかでそのように明瞭に区別し得ているだろうか。どうもそうではないように思う。考えれば考えるほど特異な立ち位置にいるのが石井隆のヒロインだ。

 再び【天使のはらわた】と【少女名美】の3コマに視線を戻せば、ここに描かれているのは土屋名美A、土屋名美Bではなく、もっと強力な連結が見られる。撮影する第三者の立ち位置、床面からのレンズの高低といった諸条件をも連結された場面となっている。【天使のはらわた】と【少女名美】は同一のモデルを起用した同一の写真素材を基礎として描かれた、もしくは一方が描かれた後にトレースされたと捉えるのがここでは至極自然な読解で、これを否定する人はいないだろう。

 石井劇画の成り立ちが如実に現われている訳である。つまり連続して撮られた写真が先にあり、これが二つの作品(終幕間際の一場面とはいえ)を模(かたど)っている。我々が目にすることが永久に叶わないその取材写真が、【天使のはらわた】と【少女名美】のどちらか一方の劇画作品のために取材されたとするならば、同時にその事は、どちらかの作品とは当初無縁だったとも言える。先行する作品が描き込まれた後に他方でも流用されたと考えた場合、私たちはここで作品誕生のとても奇異なプロセスを間近に見ることになる。

 素材写真が作品の萌芽をうながしていくことは絵画制作においては日常的であるが、それが人物を写し取った過去の写真であり、その姿態が物語の展開と作品全般の明暗を紐帯(ちゅうたい)する登場人物の真情までも雄弁に語ることは特異である。また、「連続写真」が「連続したコマ」として再生されていくことが頻繁に起こり、さらに、一組の連続写真が複数の劇画作品へと転換している点は興味深い。

 漫画家は読者の視線を絶えず気にして、同じ構図、同じ姿態の描写を避ける。「手抜き」とか「安易な流用」といった負の流言を嫌って、基本は安易な反復を避けようと努めるように思われる。ここまでそっくりのコマ展開をして、揶揄されるのではなく、熱狂を産み出していった往事の石井劇画とこれを送り出した石井隆という創造者は、今更ながら稀有でとんでもない存在だったとしみじみ思う。

(*1): 「無用ノ介」① さいとう・たかを SPコミックス ワイド版 リイド社 1999 其の弐「闇の中の無用ノ介」 189頁

(*2): 同 其の参「夕日と弓と無用ノ介」320頁 「無用ノ介」の発表期間は1967年 - 1970年

2021年1月2日土曜日

“似て非なる表現”~石井隆劇画の深間(ふかま)(7)~


 睡眠時の夢には脈絡なく昔日の風景なり忘れていた人物が立ち現われる。目覚めてからどうして出て来たものか訳が解らず、首を傾げることが多い。今朝のそれは以前世話になった人の面影であり、幾らか老けて見えるものの元気そうであった。往時には古いスポーツカーを大事に乗っていたのだけど、夢の中でもそれと似た車を軽快に走らせていた。

 いや、おかしいぞ、と寝台で枕に顔を埋めながら暗算してみれば、現在生きていれば彼の実年齢はもっともっと上のはずである。既に鬼籍に入られていても全くおかしくない計算なのだった。夢のなかのような若々しい人相を保てるはずがなく、中途半端に歳月を重ねて珍妙な映像と思う。

 いちいち夢に対して真剣に応じても詮無いことで、どうしてそんなつまらぬ話をここで持ち出すかといえば、いかに私たちの記憶はあやふやかを言いたい訳である。どんなに気合を入れて臨んだとしても正確無比に瞳に刻み、また、脳裏に完全再生することは出来ないのであって、「所作とその捉え方、切り取り方が完全に一致している」景色の復活というのは映画や漫画の特権だということ、その再確認のためだ。

 さながら同一に見える風景が再度面前に展開することは、即興を徹底して禁じた芝居でもなければ見当たらない。フィルムを焼き増しして繋ぐか、丁寧に描き写すなり機械で複写してコマを再現しなければ為し得ないのだ。一種の奇蹟を映画や漫画が目の前に展開させている、この点を私たちは生理的に承知している。だからこそ作品中で繰り返し現象を目撃すると胸が瞬時にざわつき、過去の観賞時の記憶をまさぐって両者を強く結び付けようとする。

 【天使のはらわた】第三部(1979)と【少女名美】(1979)の反復を意識して考え始めたとき、やにわに連想を誘ったのは粟津潔(あわづきよし)ではなくて、実は手塚治虫(てづかおさむ)の【火の鳥】であった。最初にこちらを例示した方が理解の助けになったかもしれない。

 承知の通り手塚の【火の鳥】は人類史を縦断して描かれる壮大な長編連作であり、作者の死で残念ながら未完に終わっている。永遠の生命を持った火の鳥を軸に人間の欲望や愛憎を赤裸々に描いていくのだが、本当の主役は輪廻転生と時間軸のループしていく神々しい様子であろう。大過去の【同 黎明編(COM版)】(1967)より始め、次に【同 未来編】(1967-68)で超未来とその先に待ち構える人類創生を一気に描き、将来起こると運命付けられている事象として前作の一場面を組み入れている。ユニークで大胆な円環状の構成であった。天才は全く恐ろしい発想をするものである。フィルムの最後のコマを最初のコマに接合することで無限ループ的に映画が終わらなくなる、そんなイメージを最初から読者に植え付けた上で劇の詳細に斬り込んでいくのだった。

 ここで引用したコマの展開がその【火の鳥 黎明編(COM版)】と【火の鳥 未来編】で別々に描かれた同一の場面である。有名な作品の有名な場面なので、ああこれか、と分かる人も多かろう。血を飲めばどんな重病人も快復するという言い伝えを信じた男が勇気を奮って火の鳥を狩ろうと試みるが、まったく歯が立たずに返り討ちに遭う場面が描かれている。(*1)(*2)

 あえて近似したコマの形状と配列を行い、その中に置かれた狩人の所作を丁寧に描き直して、同じ時空であること、歴史の繰り返す様を読者に教えている。先述の「コード化」という単語を再度持ち出せば、ここではコマの配列と各描画の組み合わせから「時空間のコード化」とでも呼ぶべき事が手塚と読者の両方の認識に起きている。「所作とその捉え方、切り取り方が完全に一致している景色の復活」を私たちは見ている。

 石井隆の【天使のはらわた】第三部(1979)と【少女名美】(1979)の各3コマはこれに準じた構成となっているのだけれど、繰り返しになるが【天使のはらわた】と【少女名美】の時空間は一致しないのである。

 漫画の神様と誰からも尊称される手塚治虫が「時空間の同一化」はこうする、と模範的に示したものとは似て非なる表現を石井劇画は密かに為している。【鉄碗アトム】(1952-68)を愛読して育った石井が手塚に反旗を翻している訳では当然なくって、一般的な漫画の組み立て方とは全く異なる次元の創意工夫が石井劇画には注入されている、ということだろう。

 それは一体何かを探っていくことが、結果的に石井作品の魅力をより際立たせることに繋がると考える。

(*1):「火の鳥 黎明編(COM版)」 初出「COM」1967年1月号 - 11月号 画像引用は角川文庫 2018 11頁

(*2):「火の鳥 未来編」 初出「COM」1967年12月号 - 1968年9月号 画像引用は 手塚治虫文庫全集 講談社 2011 280頁