2021年1月11日月曜日

“厖大な合成工程”~石井隆劇画の深間(ふかま)(9)~



 【天使のはらわた】第三部(1979)および【少女名美】(1979)から抜き出した3コマのうち、真ん中の2コマ目は僅かな時間差がもうけられている。前者ではすでに脱ぎ終えたスカートが、後者ではまだふくらはぎ辺りに纏わり着いている。おんなの動作が淀みなく完璧で、違和感が差し挟まる余地がまるでないものだから、「所作とその捉え方、切り取り方が一致している景色」として二篇は了解される。3コマ目で時間差は完全に吸収されているため、両者を見比べたときに同一感をもたらすのである。

 よくよく目を凝らせば2コマ同様、3コマ目にもわずかな時間差が生じているのが分かる。ストッキングが踵(かかと)を抜けるか抜けないか、数秒の差が描き分けられている。この微細な違いをどうしたら紙面に描画し得るかを考えれば、やはり連続する写真が基礎にあるのは間違いない。大量のコンタクトプリントを前にし、ひとつひとつを凝視し選択する気の遠くなるような工程が覗える。

 実際、当該描画の前後を見やれば、一連の脱衣するおんなの姿態が延延と展開され、石井劇画特有の迫真を持って目に飛び込んでくる。【天使のはらわた】の後続のコマでは、脱衣を続けるおんなを背景として、尻を向けて同じ調子で黙々と服を脱いでいく男の様子が加筆されているが、向こう脛のごつごつした感じ、腓(こむら)のO脚の具合、それにズボンを剥ごうと下に伸ばした手首にずれてへばり付く腕時計の様子などから、おんなだけでなく男側においても綿密な取材撮影が為されていたと想像して何ら不安を感じない。

 写真を素材にして絵を描くことは一般的なことであり、風景画家の製作工程を開示した展覧会場においても多くの写真が陳列されるから不思議もなければ感動もないが、こうして大量の連続写真が撮られ、その中から入念に選ばれ、縮尺を揃えて各コマに配置され、それを元に精密に人物が造形されていく石井の作業風景を想うとき、畏怖に近しい感動を覚えざるをえない。

 ここで石井隆の中期劇画とオスカー・ギュスタヴ・レイランダー Oscar Gustave Rejlander の「人生の二つの道 The Two Ways of Life」(1857)を並列した上で、さらなる思案に踏み込む事は決して大袈裟でも見当違いでもない。30個以上の素材を合成して仕上げられた「人生の二つの道」と似た工程を、石井は幾つも幾つも重ねて来たのである。その驚くべき根気と情熱はどうであろうか。

 レイランダーと違い、当時の石井は劇画家である。素材写真を徹底して吟選した末に、物語に沿って配置した元原稿を作り、さらにこれを複写機にかけて厚みを取り除き、トレス台を経て自分の絵へと修正しつつ整えている。時に大量の雨の飛跡をペン入れして自身の世界へと導いたと想像するのだが、そこに至る前段階の素材写真の撮影から現像、焼きつけまでも自ら行なっていたと考えられるから、写真家プラス画家の日々であった。レイランダーの行なった仕事の数倍の労力を費やしていた、と思われる。世界はこの点につき石井隆を再発見すべきである。(*1)

 フィルムを土台にしてこれを線画へと置き換えているから、風合いはロトスコープ rotoscope ともいくらか重なるけれど、ロトスコープのように映画フィルムから人体の「動き」を再現しようとするだけでなく、写真フィルムの特性を活用して皮膚や毛髪といった肉体の存在感、服や装身具の質感、手触りといったものを紙面に落とし込み、その高度を長く維持し続けている。世界にも稀有な領域を石井は守り抜いている。

(*1):私たちは石井劇画の創作の基礎となった素材写真を見ることは叶わないが、インタビュウ等を通じてどのような工程で劇画が作られていったかを複合的に捉え直し、脳内に再構築することは可能だ。劇画(紙面への転換)という段階へと歩を進めず、映画的な照明と衣小、俳優を用いて写真劇として仕上げた「名美を探して 石井隆写真集 / ダークフィルム」(白夜書房 1980)はそのヒントのひとつとなっている。

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