2021年4月11日日曜日

“凶事の全貌《1》”~二百年後の死~

 


 英国の詩人ジョージ・ゴードン・バイロン George Gordon Byron は、1824年の4月19日にこの世を去った。舞踏にも似た烈しさが日常を貫いていた。流行と恋情を追い求め、創作と紛争支援に没頭した生涯は充足とまでは言い切れないまでも、ある種の熱と粘性をそなえた厚い羽織となって終始その身を包んだであろう。だからここで短絡的に憐憫の情を寄せるのは軽率かもしれないのだが、それにしてもあえない最期である。雨に打たれ、全身ずぶ濡れになったあげく、悪寒、発熱、頭痛が治まらず、10日後に亡くなっている。わずか36歳であった。(*1)  

 バイロンの死からおよそ二百年が経った現在、空咳や倦怠感に冒され病臥する者が後を絶たない。押しては返す波となって我々を揺さぶり続けるウイルスの群れ。忌まわしき疫病が新聞とテレビジョン報道の上席を占めるようになってから、実にまるまる一年が経過している。変異株と呼ばれる新手も見つかって、先が見通せず、不安が喉もとを締め付ける。実態経済は疲弊しており、業種を越えてさすがにどの店舗も喘いで見える。

 もちろん世は公平ではなく、ていねいに探せば、追い風どころか神風の吹いている店も見つかる。たとえば今朝教わった話では、スリッパ工場が注文に追いつけない活況だそうだ。海外から問い合わせが押し寄せ、それまで青息吐息だった状況が一転した。帰宅して土足で踏みこんでいっさい平気だったのに、疾病の持ち帰りに繋がっていると誰かが言ったに違いない。真実かどうかは知らないが、もしかしたら世界中の玄関口で靴の履き替えが標準化する可能性があり、業界人にとっては閉ざされていた水門が急に全開したかの如き感覚だろう。

 しかし、総じてどの業界も暗澹たるものだ。皆よく頑張っている、よく耐えている、ほんとうに偉いものだと感心する。各自の忍従はもちろんだけど、取り巻く医療技術の深度とあまねく行き渡った同体制が、我々をこの世にかろうじて繋ぎとめている。なんやかんや言ってもこの国は医療については恵まれていて、その現状につき繰り返し書き留めておいても罪はあるまい。煩悶の涯てにそれまで頑として拒みつづけていた瀉血(しゃけつ)を受け入れたバイロン卿(*1)の暗澹と比べたら、私たちはまだまだ幸福である。

 二百年前の先人にとって、一生とは薄氷の上をひたすら駆け抜ける恐怖と冒険の昼夜であり、彼らの肉体もまた氷の彫刻のように脆(もろ)く壊れやすかった。知人や家族を矢継ぎ早に喪い、三十過ぎになって今度は自身も死の淵にぐいぐいと引きずりこまれていく、それが往事の明日(あした)であった。闇は蠢きつつ己のすぐ脇に居座って、いつまでも立ち去ってくれない。彼らが想いを馳せる物語には、すべからく黒々とした筆致で生死(しょうじ)が同居し、悦楽と不安がどろどろと攪拌されて混じり合った。

(*1): 「対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 岩波文庫」 岩波書店 2009 348頁

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