『GONIN』(1995)で準備稿においては「グロッタ」と呼ばれていた店が、「バーズ(鳥たち)」に変わった理由を私は知らない。『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督 池田敏春)で石井隆が指定した喫茶店が同じく「グロッタ」であったから、相当の執着がある単語なのは確かだが、大概の人の耳に馴染まず連想を阻み、波紋を生む効果が足らないと感じたのではなかったか。その点「バーズ(バード)」なら誰でもスイッチが入る。響きの良さ、鋭利で洗練されたイメージが求められての転進なのだろう。(*1)
「バーズ」は英語の“Birds”となり、ネオン管がその音を形づくって入り口に掲げられた。闇に浮かび上がる虹色の文字は色香をにじませ、その下を潜る男女を妖しく染めて、それだけで血を酩酊させるに十分だったが、こうして石井の「鳥」に関する思索の道のりを辿ってみれば、自ずとネオン管の色合いも違って見える。
四半世紀が過ぎ、最近作『GONIN サーガ』(2015)でダンスホールは無数の銃弾を受け、スプリンクラーからの散水で足元はことごとく濡れしょぼたれた。今あの建物はすっかり壊され、更地になり、新たな建物がそびえているのだろうか。それとも、廃墟となりながら、音もなく誰かを待ち続けるものだろうか。
言い知れない想いがさざなみとなって寄せてくる。足を踏み入れてみたい。怖いもの見たさというのではなく、多分そこに至れば少しだけ救われる気持ちになるのではなかろうか。未来の不安に押し潰され、今日の苦悩に胃を痛め、なにくそ、と唇を動かすも吐息まじりの声はマスクに行く手を遮られ、虚しくどこかに揮発していく。そんな私の弱い魂をあの廃墟が待ち続ける。
雨霧の漂う闇の奥に、羽ばたく白いものが見える。導かれるまま無心に歩めば、いつしか鳥はかたちを変え、懐かしい声、あの瞳でこちらを振り返る。私たちはその場処を探し続ける。かならず其処に立つ、立たざるをえないのである。
(*1):“グロッタの集中的表現”~【魔奴】と【魔楽】への途(みち)~(12) http://grotta-birds.blogspot.com/2017/10/12.html
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