2014年12月21日日曜日

“脱衣する人物”~石井隆の雨について(3)~


 石井隆の劇空間では、精神が破綻しつつあるか、それとも、激烈な戦闘に臨んで傷つき、幽明の境にたたずむ際に“全一の景観”とでも呼ぶべき境域が訪れる。それは人物の足元に滴下し、視界をみるみる覆っていくのだった。

 『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のドォーモと呼ばれる巨大洞窟、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)でおんなを呑み込む記憶の混濁、『甘い鞭』(2013)の終幕に降臨する異形者のいったものが最初にあげた精神崩壊に端を発するものであり、『GONIN』(1995)の暴力団事務所の前に降りしきる幻怪なる青き雨のホリゾントなどは、その次の闘技場での景色となる。ゆらめく光と影が、私たちをひどく圧倒する。「タナトス四部作」(*1)で睡眠薬を大量に服用してみたり、水たまりに首根っこを押さえつけられ朦朧とする名美を手招きした冥府回廊も、石井隆ならではの“全一の景観”と捉えて良いだろう。こちらも網膜につよく刻まれ、生涯忘れ得ぬものになっている。

 面白いことに石井の劇で“全一の景観”に取り込まれた大概の者は、衣服を剥ぎ去ることに執着する。蝉の殻(から)から抜け出る風にするすると脱衣して自身の背中を鞭打つドォーモ内での佐藤寛子や、世界はすべて我が骨と内臓とでも断ずる勢いで、電車の椅子や廃墟病院の屋上でもろ肌を晒す『人が人を─』の喜多嶋舞の姿態、放り出された雨の路上にて気がふれ、シャツや防弾着を脱ぎ捨てて裸となる『GONIN』の永島敏行という具合に列挙することはたやすい。作者の生理に基づくのか創作上の理念に因るのかは不明なれど、多発する所作として石井世界を貫いている。

 彼らは衣服を剥ぎ取ることで、より一層景色に埋没なるのを念じて見える。端的にはべったりと死に撞着していて、その軌道からどうにも逃れ得ない。現実に生命を断っていく人のなかには上着のみならず肌着さえ脱ぎ捨てて素裸になり、それからおもむろに一歩踏み出す者が多くいるが、どうやら立ち位置はあれに近い。(*2)。一見エロティックに見える女優たちの脱衣も、だからデスウィッシュにまみれ、タナトスに手引きされている場合とで内実は半々だ。面差しのよく似た表土の裏には逆流する地下水系も抱えていて、思いのほか複雑な土壌となっている訳である。

 読者や観客の期待に応え、ヒロインの素肌なり性愛行為を石井は多く描くのだけど、その定型にちゃんと達していながらも真逆のまなざしが注がれていることを忘れてはなるまい。(*3) その時、石井の描く人物の背景もまた妖しく変貌しており、登場人物のみならず、最終的に私たちの身体やこの想いまでも細粒化して、生と死を隔てる川向こうの闇、そして、雨へと溶け込ませんとねっとりと歩み寄って来る。石井の劇で本当にそら恐ろしいのは、肌を露わにして私たちを睨め回すおんなたちより、こっちの背景を覆うしじまではないか。


(*1):1980年に相次いで発表された小編【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣】、【真夜中へのドア】を指す。

(*2): 先逝く彼らの異常と言われるそれを、わたしは狂気の沙汰とは捉えない。淋しいけれども不自然ではない、という思いを抱いている。そのような切迫した局面においては、鳥が目をつつきに来るだろうか、魚や虫にじわじわ食われてしまうだろうかと憂慮するのと並行して、自身の肉体と魂が分解なり風景に溶け込んでいけるのではないかという誘惑が繰り返し人に働き、いざなっていくに違いないからだ。
 
石井とはまるで無関係なのだけれど、最近読んだ本も少しばかり思考に影響を及ぼしている。「被ばく列島 放射線医療と原子炉」(小出裕章、西尾正道共著 角川oneテーマ21 KADOKAWA)という薄い本で、わたしたちの肉体を一定の方向へと動かして生命を維持する分子レベルの結合に対し、このところの環境の激変がどう左右するか、憂慮する識者ふたりの意見が収まっている。広範囲におよぶ宿命的事態だから、悩んだところで身動き取れないし、こんな本を今さら手に取って悩みの種を蒔く意味はないと分かっているのだけれど、読めば読んだなりの驚きがあって止められない。

なんでも「私たちの生命を支えている分子結合」、たとえば「水素や酸素や炭素が結びついているエネルギー」というのは「エレクトロンボルトという単位で測れるほどの微小な力」であるのに対し、今回私たちの身近に風に乗って飛ばされてきた物質は低いものでも「人体の分子結合の1000倍以上のエネルギー」である「5.7キロエレクトロンボルト」とか、さらにはその百倍もの「662キロエレクトロンボルトという猛烈なエネルギー」を持っており、「そんなものが体に飛び込んでくれば、生命体を形作っている分子結合がぼろぼろにやられていくことは、分かっている」(138頁)という話だ。 

読んだ瞬間にはぞっとするのみであったのだけど、しばらくしてどこか穏やかになるところも持った。私たちのこの心身は偶然にも集合したさまざまな粒子が微小な力で結束し、かろうじて構成されていて、生命活動を停止すればそれがゆるゆると崩れて細粒化し、再度世界に散っていく運命なのだと分かる。既に取り決められた定めであって、それを思うと気持ちは軽くもなるのだった。いずれ私もばらばらになり、目に見えない微細なものとなって宙を舞い、街を行き来する誰かの肩に舞い降りたり、それとも気流に乗って海を越える大冒険に出掛けるかもしれない。もしかしたらおせっかいな蝿に転生し、愛するひとの周りを飛んで危険を知らせるかもしれない。いや、既に私の手元に降りてくる雨や雪は、ひとの想いを含んだ粒子かもしれず、そうやって見渡せば世界は険しくもまた麗しいように想う。ほんの僅かではあるが、そんな空想には“救い”の味がする。

(*3):表裏(おもてうら)ある描写を常に意識して行なっている節が、石井隆という作家には至るところで視止められる。この世の事象を立場や見方を替えて凝視することを自らに課しているようで、世間でありがちな形容や理解は受容しつつも、独自の解釈で風景を組み直している。

2014年12月2日火曜日

“もどかしい物”~石井隆の雨について(2)~


 煙雨なり廃屋のもろもろに心を丸ごと託した、いわば“正気ならざる背景”が噴きあがり画面の隅々を充たしていく。それが石井作品の醍醐味のひとつであるのだけれど、ここで補足を加えないと誤解を招きそうだ。石井が描くところの雨や風のすべてが、独特の不自然さをもって立ち現れる訳ではない。照明のスイッチが入るように、はたまた夕闇にまぎれて幽明の境を越えてしまうがごとく世界は豹変するのであって、それ以前の段階では単純な雨らしい雨のざわめきを私たちは視とめることになる。
 
 たとえば【白い汚点(しみ)】(1976)で食堂を手伝い、岡持を下げて配達にいそしむ名美にむけて斜め前方から降りしきる雨というのは、これは“正気ならざる背景”とは到底呼べない。冷たさに耐え、片手を頭部に添えて髪の乱れを気にしつつ駆けていくこの時の名美にとって、雨は厄介なもの、気持ちの通じぬ単なる自然現象に過ぎないのだし、これを明確に意識し身構えている。

 また、劇中に雨の景色が幾度か挿入される【象牙の悪魔 赤い微光線】(1984)にあっては、いずれも雨粒は人物をひどく慌てさせ、傘を差し、走らせており、日常的な性格を宿していた。映画でも同じであって、たとえば『天使のはらわた 赤い閃光』(1994)や近作『甘い鞭』(2013)の導入部において私たちは帰宅途上の少女を足留めする激しい雨を目撃するのだが、そこでは濡れることを徹底して嫌い、恨めしげに天を睨む少女の様子が描かれていた。これ等もごく一般的な寸景に過ぎない。(*1)

 この時の雨は彼女らを極限へと押しやるわけだから、日常描写とはもちろん呼びにくい。しずくをたらした困り顔やよろける後ろ姿、肌に貼りつく濡れた衣服があり、それを物陰からそっと見つめる男たちがいる。ほの暗い性欲に徐々に支配され、抱きしめたい、重なりたいと願っていく男たちの一方的な夢の翳(かげ)りがここでは刷り込まれてある訳だから、“一般的”と形容するにはいささか手が込んだ景色になっている。石井の劇に頻出する、扇情、衝動、破壊欲といったものと直結した雨であって、観念的で突飛な場面と読み手の多くは呼び表わすだろう。

 けれど、思い巡らしてみれば、こういった雨の描写は小説や映画の常套手段であって石井独自のものではない。屋根を叩く雨音や濡れた草むらの甘く煮焦がしたような匂い、照度センサーが働き不意に灯る街路灯の眠そうな佇まい、泥土のように黒く沈んでいく屋内、湿気を吸って気配を急に強める畳のおもて、遠くから次第に歩み寄る太鼓みたいな雷の音。そういった雨にまつろう諸相は、身体の奥深くに巣食う荒ぶるものに火をつけてしまい、誰でも彼でも調子をいくらか狂わせるものだし、人によってはおかしな方向へと踏み込んでしまうきっかけとなる。そんな手に負えない本能の噴泉は私たちの日常で延々と繰り返されてきたものであって、作劇の世界においても特段目新しいものではないだろう。(*2) 

 強姦という淫虐な眺めが近接してはいるが、上にあげた石井作品の幾つかの場面でもその点は全く等しい。恋愛映画などを観ていると、美術館の回廊あたりで男とおんなが出会い、妙に惹かれ合い、外に出たところ生憎の雨模様、傘を持参しなかったひとりに片方がさっと差し出してそこから二人は抜き差しならぬ仲になっていく、そんな手垢にまみれた描写に付き合わされる時が今もあるけれど、あれなんかと漂う気配はそう変わらない。

 ちょっと分かりにくいかもしれないが、“もどかしい環境描写”にまだ留まっているのであって、もの怖ろしい“正気ならざる背景”には至っておらない。石井の雨、そして背景の真骨頂とは、人物の内部から照射、放散させて人物と隙間無く連なり、“もどかしさ”からもはや脱したところのものだ。追いつめられ、突き抜けてしまった者だけが手に入れる全一の景観であって、同じ石井世界の枠内ながら両者は一線を画する。


(*1):『甘い鞭』は原作となった大石圭の小説に沿って多くの場面が撮影されていて、事件の発端となる激しい雨にしても最初から盛り込まれている。この点だけをとっても雨と扇情、魂の傾斜というのは普遍的な組み合わせであって、石井の専売特許ではないことが分かる。
(*2):ウィリアム・サマセット・モーム William Somerset Maugham の短篇「雨」の中には、雨季に入った島で旅行の足を止められた男が、窓の外を独り眺めて物思いにふける箇所がある。「マクファイル博士はじっと雨を眺めている。漸く神経がじりじりしかけていた。あのしとしとと降る英国のような雨ではないのだ。無慈悲な、なにか恐ろしいものさえ感じられる。人はその中に原始的自然力のもつ敵意といったものを感得するのだ。(中略)何か大声にわめきたてでもしなければいられないような気持になる。かと思うと今度は骨まで軟かくなってしまったように、急にぐったりとなるのだった。」(中野好夫訳 新潮文庫 五十刷 41頁)これなども雨に降られた人間の深層が乱される様子、じたばたした具合をよく捉えているのだが、この程度の焦燥なり混迷は私たちにも常日頃起こるのであって奇異を覚えない。人には間違いもあれば、気違いだってあるものだ。




2014年11月15日土曜日

“正気を超えたもの”~石井隆の雨について(1)~



 人の眼球は、紙面や銀幕に写し込まれた肉体なり表情を注視するべく作られている。思い出の井戸で釣瓶をたぐれば、かつて目撃したおんなたち、男たちの見目かたちが引き寄せられるのであって、大概のところ背景は二の次だ。石井作品の鑑賞時も例外ではなく、目は役者たちの風貌や体躯に釘付けとなる。

 『黒の天使vol.1』(1998)での整髪されて甘く煙るような根津甚八の頭部や、鍛えられておらないがゆえにもったりとして行き惑って見える『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の竹中直人の腕やら腹、『甘い鞭』(2013)における伊藤洋三郎の眼窩まわりの異様に力んだ感じや、屋敷紘子の皮膚にせり出した骨のおうとつ、それに『ヌードの夜』(1993)の余貴美子のぬめって光る白目なんかが脳裏を駆けめぐる。『花と蛇』(2004)で驚いてきょとんとする杉本彩の八の字眉や、獣のように咆哮する『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の喜多嶋舞の犬歯なんかも輪郭あざやかに蘇える。劇画も同様であって、うつむく名美の横顔や村木の硬い背中を、そして、彼らの深く重なっていく様子を誰もがおそらくは思い返す。

 彼ら美丈夫、伊達女に舌鼓を打ち、ああ十分に堪能した、ごちそうさまと告げて席を立っても良いのだけれど、出来るならひと呼吸を置き、審美眼をはたらかせて周辺を見渡したいところだ。石井の差し出す料理は実に精緻だ。余韻を湛えて、客のまなざしに長く応える。改めて皿の文様、色調に目を凝らそう。そうして調理人の秘めた作意や術を玩読し、そこに到った時間すべてを愛でる心の還流を愉しみたい。

 先にあげた【おんなの街】シリーズの一篇【赤い蜉蝣(かげろう)】(1980)の背景のひとつ、断崖や海原の描写にからめて言葉を継ぐならば、石井の描く自然描写には単なる舞台設定の域を超えた“不自然さ”が数多く視とめられる。定型を突き抜け、石井ならではの差配が及んで“背景が演じている”局面にあって、劇評をする上で到底無視できないコマが含まれる。言葉だけでは説明しにくい点もあるから他の漫画家作品の背景描写をいくつかここでは並べ置き、それを足掛りにして石井劇画の、ひいては石井映画の背景の“不自然さ”につき考えてみよう。

 断崖絶壁とおんなという絵柄は決して珍しくないから、書棚から幾冊か手にとってめくれば似たような場面を見つけるのは容易い。たとえば、つのだじろうの短篇【暗い海の香織】(1970)には、銀座でホステスとして働くおんなが身を投げようと夜の海辺を訪れる場面がある。(*1) 岩礁に波が砕け、白い飛沫をけたたましく宙に飛ばす荒海が見開きいっぱいに広がっている。おんなの表情は左隅のコマに小さく押し込まれ、とても窮屈そうだ。海の猛々しさに眉を曇らせ、頬に一筋の涙を流すと唇を結んで天を仰いでいく。観念したおんなは、そっとその場を後にするのだった。

 夜の海はおんなの胸中とは無関係な“他者”としてうねり狂い、一切を寄せ付けようとはしない。思えば私たちの日頃から接する海というのは、実際そのような“他者”の動静ではなかろうか。波のかたちも風の強弱も、昼夜や季節の気温差に応じて千変万化する自然現象に過ぎない。そこに集う動植物にしても、こちらの思惟とは関係なく生きて、まるで勝手に蠢いている。それに対して石井の背景描写というのは登場人物の胸中を投影するかのごとく面立ちを急変させ、雲の色や波の動きまでを変幻させる。実際の景色とは明らかに違っている。

 楳図かずおの【洗礼】(1974)には、海辺がこの“他者であること”を表現したくだりがある。 おんながひどく傷心し、おぼつかない足取りで浜辺へと降り立つ。沖には鳥の群れが飛び交い、クワークワー、ギーギーと滑稽な声で鳴いている。空は青々と晴れ渡り、おだやかな海原がはるか彼方まで広がるのだったひとしきり泣いた後でおんなは自分を袖にした男を恨み、その妻を烈しく憎んでいく──そんな描写になっている。ふと見ると、足元の岩に小さな波がぶつかり音を立てている。作者はその小波のザザッ、ザザ、ザパーンという音と動きを間欠的に、ことさら執拗に取り上げるのだが、それはおんなの心に異常な振幅が生じたことを読者に体感させる添え木とするためだ。一見のどかな海辺を丹念に見渡し、探し求め、ようやくおんなの心境と同調する陰鬱な小波の音にたどり着いたことが丁寧に説かれている。

 自然描写のまるごと全てが人物のこころを代弁する、そのような事は通常ありえない。構成される物は無数で、それぞれが趣きの異なる“他者の群れ”である訳だし、私たちの視線は絶えず移動を続けては次から次に隣接する事象、たとえば灯台、水族館、防潮堤、磯辺の小動物、汚い漂着物などに対峙し、個別の反応を強いられるからだ。その度にこころは色彩や紋様を変えていく。最終的に小波の重複へと至る【洗礼】の描写は、こころと共振するごとく見える限定的な自然現象に焦点を絞り、その音や動きをことさら誇張することで激しい効果を生んでいるのであって、これは写実ではなく編集上の技巧と呼んでよい。無理矢理に視線をねじまげ、おんなのこころと景色の一部を強引に結束させている。

 石井の劇というのは【赤い蜉蝣】に限らず、ときに淫雨に包まれたり、奇怪な洞穴へと導かれていき、さながら世界全体が独りのおんなの心象風景と化す勢いなのだけど、その局所的とは言い難い大きなスケールの変容というのは、だから写実でもなければ技巧的な視線の結束でもなく、これは何かと言えば、“正気(まとも)ではない景色”が突如噴出している、そのように認識すべきだろう。石井はそれを連綿と、飽くことなく描き繋いでいる。

 次に引くのは石井が敬愛して止まぬ手塚治虫なのだが、手塚の描く背景画と石井のそれは、誰の目にも隔たりがあるように見える。単にタッチが違うというだけではなく、登場人物の心情からの距離が違う。【アラバスター】(1970)の幕開きは海に面した別荘で始まっているが、そこで吹く風というのはその典型でまるで情感を付帯しない。

 女優がひとり、別荘番を雇って暮らしている。かつて彼女に玩(もてあそ)ばれ捨てられた男が復讐鬼と化し、そこを急襲するのだった。別荘番を脅して賊が内部に侵入して間もなく、散歩からおんなが戻ってくる。風が吹き寄せ、コートのベルトをなびかせる。強い向かい風はこれからおんなの身に起こるだろう困難さを予感させ、読み手の気持ちを緊張させる。前のコマにはおんなが草むらを上ってくる様子が低いアングルで描かれていて、別荘の全景も取り込まれてあるが、その時の天空は気味の悪いまだら模様があるだけで風は描き込まれていない。突如、時空を裂くように吹いておんなに立ち向かってくる風は、だから一種の危険シグナルとして手塚の筆先から発せられた人為的なものであり、この点のみを解釈すれば人間の精神と直結した、どこか霊験的な現象にも思われる。

 しかし、実際のコマを冷静に直視すれば、平行線で描かれた手塚の風は意識を持たぬ、人間の内実をまったく慮らない気流の表現に過ぎないと分かるのだし、また、おんなの周囲と密接に絡むことなく、ひどく遠巻きにして吹き降ろされてもいる。確かにコートのベルトは後方に幾らかなびいているが、おんなの髪や姿勢、それに表情も、屋内空間での様子と全く変わらない。つまりここで描かれた風は登場人物と一切関係を持たない存在であるのだし、当然ながらおんなの心象風景とも重ならない。

 かつて一世を風靡したものの今は凋落した女優の、その哀しさと心細さを想起させる風景とはなっていない。そのような手塚の無機的な風や雨の描線は、食い足りない印象を覚えはするが、これが現実の風というやつではなかろうか。ここのところ急激に気温が下がり、吹く風がやたら意識されるのだけど、私たちはそんな風のいちいちに個別の憎悪や悔恨、自己憐憫を視止めはしない。風は風に過ぎない。(*3)

 石井隆のそれは性状が異なる。心情によって変幻する“正気とは思われぬ風景”の噴出が石井隆の背景描写には確かにあって、そこでは風や雨が不自然なかたちで顕現する。人の内部から放射されたものゆえに、それらは遠巻きにするのでなく、人物と隙間を埋めるように近接していく。

 そこで起きるのは生理現象との明らかな乖離である。本来、私たちは風もそうだが、特に雨に降られた時、これを不快に感じて逃げようとするのだし、眉を寄せ、目を細めて防御の姿勢を取る。雨滴が粘膜に触れるのは不安を覚えるものだし、目に入れば沁みて厭なものだ。私たちは風や雨を遠ざけるのが普通であるのに、劇中で目撃する石井の雨や風はその逆であったりする。その点でも極めて特異であると思う。

 水木しげるの【コケカキイキイ】(1970)の冒頭では、風雨に晒され、行く手を水たまりに阻まれ、息も絶え絶えのおんなが描かれている。地べたに倒れ、ぼろ雑巾と化してなお、「生きたい、生きたい」と必死に這い進む。膨大な数の妖怪や精霊を描き、アニミズム(汎霊説)に則った物語を編んで見える水木であるのだが、厳しい戦中の体験に裏打ちされているのか、体温を奪い、疾病を招く風雨の描写は苛烈を極める。おんなに襲い掛かる雨と風の非情さには、自然と人間は時に敵対するという実感が込められている。(*4)

 上村一夫(かみむらかずお)の代表作【同棲時代】(1972)の挿話のひとつに、人と雨の間合いを丹念に描いた一篇がある。道路の雨だまりに車が突っ込み、跳ね散らかした泥水を少女が傘で必死に避けようとする。防ぎ切れずに泥だらけになる少女が、憤然として虚空を睨むのが印象深い。日常を過ごす上で時に避けがたい雨の日の不快さをスライドさせた表現であり、水木の描写と同様に道理に適ったものだ。(*5) 

 もうひとり、安彦良和(やすひこよしかず)を並べ置こう。安彦はアニメーターとして活躍する一方、漫画作品にも果敢に挑戦している。人間の身体が劇中対置された敵やその武具の突然の動き、そして、雷や雨の急襲に対してどのように反射し、次にどのような動きに繋がっていくかを思案し続ける立場にある。したがって人物の喜怒哀楽を四肢の微細な動きに託す技量を具えていて、その漫画作品のひとコマひとコマに置かれた人間の手足、表情にしても微妙に位置や面影を変えていくのだった。能弁とも言えるし、やや表現過剰とも思えるが、いずれにしてもその描画は私たちの日常に通じる一瞬が写し取られている。

 たとえば【ジャンヌ Jeanne】(1995)で、主人公が皇軍への資金供出の交渉役を担い、ジル・ド・レー男爵の城に数名でおもむく。錬金術と男色に溺れた男爵は男装の主人公に目をつけ、部下に命じて罠にかけようとするのだった。雨降る中庭へおびき寄せられたおんなの背後から覆面をかぶった大男が襲い掛かる。このときおんなは雨を避けて右手を額のあたり掲げているのだし、眉はぎゅっと寄せられ、瞼にも緊張が加わって雨の目に入るのを防ごうとしている。(*6)

 また別の場面では、至近距離に落雷を受け、その白光のただ中にジャンヌ・ダルクの火刑される一瞬のイメージを見てしまった王太子がその奇蹟に打ち負かされ、自らが権力闘争に敗れた事実を受け入れる。雨が降りしきっている。男泣きする王太子は横にいるおんなに対して雨が目に入ったと言い訳するのだが、その顔は雨に打たれてくしゃくしゃに歪み、目を固くつむっていくのだった。(*7)

 このように、私たちの胸中におかまいなしに攻撃を仕掛けてくる雨と、それを防御する身体反射の双方が合わさって降雨の表現が完遂するのが常であるが、石井の劇の場合には不自然なことに身体を保護する方向へと反応しない。頭頂部から足先までをぐちゃりと濡らし、雨足が顔面を叩いたとしても、石井のおんなたちはそれがまるで無いように、はたまた雨ではない別種のものが飛来したような素振りで佇むのである。不快さをにじませる事もない。

 かつて評論家の権藤晋(ごんどうすすむ)は、石井の作品を“死者の書”と称して私たちの度肝を抜いたのだったが(*8)、この“正気とは思われぬ風や雨”と生来あるべき反射を示さぬ石井のおんなたちの身体、艶然と雨に濡れるがままになっても平気な姿というのは、確かに“死者”の物腰に通じるところがある。【紫陽花の咲く頃】(1976)や『ヌードの夜』のポスター画などを見つめていると、どこかに持っていかれそうな気分になりはしないか。狂人や死者の視点に立った景色を、私たちは繰り返し示されているのではないか。物語を綴るように見せて石井は、物語の域をはるかに超えた、もの怖ろしい描写へと踏み入っている。


(*1):「シリーズ女たちの詩1 玲子の歩いた道」(1999 さくら出版)所載 18-19頁 
(*2):【洗礼】 楳図かずお 1974 小学館文庫 第三巻 78-83頁 楳図は日常の死角に尋常ならざる事態をそっと潜ませたり、徐々に平穏な風景が乖離を来たして暗黒の祭事空間へとすり替わっていく恐怖を描くことを得意としている。それゆえに楳図は、景色やそれを構成する事象につき入念に観察し、自作にすり込んでは象眼を施す術にひと一倍長けた作家となった。彼の背景は石井とはやや性格を異にするが、劇に占める比重は近しい。
(*3):【アラバスター】 手塚治虫 1970 手塚治虫漫画全集 講談社 第一巻 48-49頁 アシスタントを多用して、自身は主線(おもせん)に力を注いだことも幾らか影響していると思われるが、環境に対する諦観のようなものも手塚の劇空間全体を色濃く覆っていて、それが背景描写を定型化させたと読み取っている。地球規模の、はたまた宇宙的な大変動の前に滅びゆく人間社会の断末魔を数限りなく手塚は描いたのだったが、そのような巨大な変節には至らぬ小さな騒動を含め、自然の前で人間は為すすべなく非力であることを作者は最初から認め、白旗を掲げている。自然は非情で容赦がない。膝を折り涙する人間にお構いなしに風は吹き、火は駆け、病魔が流行する。
(*4):【コケカキイキイ】 水木しげる 1970 「畏悦録~水木しげるの世界~」1994 角川ホラー文庫所載 280頁
(*5):【同棲時代】 上村一夫 1972 アクションコミックス 双葉社 第二巻 「VOL.18 ふしぎな女」126頁 雨は情欲を搔き立て、寂然とした風情に人を酔わせ続ける。上村はその特性を利用して恋人たちの舞台をしっとりと、時にはげしく濡らすことに執念を燃やしたが、ここでの少女の災難とその後の険しい面立ちには、雨なんてものは本来厄介で煩わしく、迷惑千万の現象でしかないと断じる硬い物言いがある。それを有り難がり甘美に描くのは愚かしいという、作者の自己批判が感じ取れる。
(*6):「愛蔵版 ジャンヌ Jeanne」安彦良和 (2002 日本放送出版協会)321頁
(*7): 同 546頁     
(*8):「名美Returns―石井隆傑作集」 ワイズ出版 1993










2014年10月19日日曜日

“世界が抱擁する”~「アポロは月に行かなかった」~


 先の皆既月食の折には、うす雲をとおして怪しく灯る赤い容姿に酔い痴れた。月はかけがえがなく、見上げるだけでいつも嬉しい。隔たりは36万キロメートルもあると言うが、かつて其処に、幾たりもの人間が降り立ったという事実は、今更ながら強い驚きをもたらす。行こうと思えばどこへでも人は翔べるのだ、行けないのはきっと心が弱いのだ、と真顔で諭されている気持ちになる。

 その月面着陸を題材にして草川隆(くさかわたかし)が執筆した小説「アポロは月に行かなかった」(*1)が復刊なり、現在書店の棚を飾っている。あらすじを紹介すると、アポロ宇宙船発射の少し前に、日本から特殊撮影の映画技師が極秘裏に招聘される話だ。国の威信にかかわるプロジェクトを完遂するため、予防策「サブ・アポロ計画」が急浮上したのだ。セットが組まれ、精密な模型を駆使した月着陸のあるべき様子が撮られていく。果たしてその特撮映像は使われるのか、そして、国家機密に関与した主人公の運命やいかに───

 映画トリックで国の窮地を救おうと試みる話は今でこそ珍しいものではないが、『カプリコン1』(*2)や『東京湾炎上』(*3)といった映画作品、浦沢直樹の【BILLY BAT(ビリーバット)】(*4)よりも先行していたわけだから、そこを踏まえて読むと痛快この上ない。出版から間を置かずに映画化されていたら、もしかしたら世界的な興行に繋がったのではなかったか。卓抜した発想力に驚かされる分、とても惜しい気がするのだった。

 さて、小説の中身はここでは脇に置き、装丁について語らねばならぬ。1970年の初版と変わらずに表紙の構成はシンプルで、明朝の赤いタイトルが最上段に配され、下に黒ゴシックの作者名を意趣なく従えている。あっさりした白く明るい面持ちが、特殊な光沢紙で満艦飾に彩られた近年の書籍群と並べ置くと逆に人目を引くのだった。

 摩天楼に向けてまっしぐらに落ちていくサターンロケットの絵が、不吉ながらもどこか懐かしい。時間の波を突き破って過去がゆらめき漏れる感じがして愉しいのだが、この絵も含め挿画を担当したのが若かりし日の石井隆であり、計算すると二十代の半ばでの初期の仕事と分かる。宇宙船、船外作業服、撮影機材、年季のはいったレンガ壁、サングラスをかけた男、はためく星条旗といった素材をコラージュ風に配してあるのだが、描線は細く均一であり、余白や黒く塗りこめられたベタ部分が大量にあって随分と硬質な絵となっている。

 【天使のはらわた】(1978)以降の劇画や映画宣材の濡れたタッチを瞳に刻んだ人には意外に映るかもしれないが、自ら納得し、また、読者に支持される描線を体得するまで試行が重ねられ、趣きのまるで違う足跡を印すことが漫画家には間々有ることであり、手塚治虫にしても諸星大二郎(もろぼしだいじろう)(*5)にしても、雰囲気の全然違ったコマなり短篇を作歴に組み込んで世間を驚かせている。石井はプロの漫画家に師事したり、アシスタント業を経て世に出たのではない徹底して独学の人であったから、紆余曲折の幅は他の作家よりも巨きくなって当然であって、「アポロは月に行かなかった」の乾いたタッチはそのひとつに過ぎない。

 石井が己の世界像を手中にする遥か前のスタート地点に「アポロは月に行かなかった」は在って、今の石井が世に示すものとはまるで違っているのだけど、その分、現在の石井世界を構成する要素なり技巧を対照的に際立たせる習作とも位置付けられ、思案を深める絶好の材料と思う。

 石井の世界像とは、はたして何か。しげしげと「アポロは月に行かなかった」を見返し、加えて同時期に雑誌に寄せたイラストや挿し絵も合わせ眺めた上で、その全般を念頭に入れて慎重に読み解くなら、今の私たちを圧倒する叙情性あふれた空間(映画も含めて)を石井隆が体得したのは、名美に代表される“ひとの面影”とそれを抱擁する“背景”各々を共に会得した瞬間であったと言えるだろう。

 前の方の名美および村木といった“人物の面影”、というのは誰にも分かりやすい話だ。石井劇画の看板役者として名美と村木のふたりがいる。彼ら無くして数々の名作は成立しなかっただろう。たとえば「アポロは月に行かなかった」と同時期の石井の一枚絵を取り出し、これを見れば理解は一気に進む。そこには名美も村木もまだおらないのだが、それより何より当初の石井の描くおんなも男も大概はひどく醜いのだった。皮膚下に隠れた頭部の筋肉、眼輪筋(がんりんきん)や皺眉筋(すうびきん)、口輪筋(こうりんきん)といったものが制御不能となり、はげしく収縮して顔面に深々とした皺を刻んでいる。

 それは私たちが鏡の奥やスポーツ競技の中継、職場やあるいは寝室といった日常のあちこちで発見する生きた人間の顔立ちに違いなく、醜いと言うよりも実際的と呼ぶべき様相なのだが、彼らを揺さぶる理性とはかけ離れたもの、つまりは苦痛や苦寒といったものだけが生々しく伝播されるばかりで、見る側の眉根にも自然と皺が寄ってしまうのだった。胸の奥の心筋に触手が伸び、血流を乱すまでには当然至らないから、ただただ呆気に取られて見送るより他はない。その宙ぶらりんの感懐というのは、後年の流麗かつ芳醇たる石井世界を前にした時の動悸や昂揚、陶酔からは随分とかけ離れている。

 石井隆が名美や村木の絵姿をものにして以来どうなったか。刻まれる皺はあまり見られなくなって、その面貌はすべすべとし、過酷な情景のなかでさえ端整でやさしいと感じさせた。表情筋をほんのわずかに、見えるか見えないか程度に緊縮させる、いわば能面にも似た面立ちを石井はあえて選んだということになる。結果的にそれが石井隆の世界の方向を指し示し、独特の航路へと導いたのではなかったか。

 “名美泣き”に代表されるように石井のおんなたち、男たちは表情を隠すことが常になり、感情の起伏をぽつねんとした台詞にひっそりと託すか、それとも喉元で押し返していくのだった。一瞬だけ浮かんでは消える唇のゆがみ、伏した目のふちに宿る微かな痙攣、何か言いたげに半開きとなる唇といった微妙なものを通じて、私たちは名美や村木との交信を余儀なくされた。明確なシグナルはなく、おぼろげな、途切れがちなものに懸命に耳を澄まさねばならぬ。それが人間であり、それが他者であり、それが人間と他者とが魂を結束する術(すべ)なのだと信じられる、そういう目線と気持ちが働く読者が自ずと選ばれて石井世界の周縁には集まったように感じられる。

 では、もう一方の石井隆の“背景”とは何か、それを考える上でも「アポロは月に行かなかった」や初期の一枚絵が示唆するものは多い。ある連作では、林の奥や海面下で性愛遊戯にふける男女をパノラマミックに描いていた。紙面の端々に配置されたおんなたちがフリーズするさまは月岡芳年(つきおかよしとし)の描く義経やカラス天狗たちの物腰となんとなく似ているのだが、人物の表情や姿態以上に注目したいのは舞台に選ばれた野外風景の描写である。

 隙間なく画面を埋める樹々や草葉の鬼気迫る筆致には、石井隆という作家の内実に灯る緻密さ、繊細さが垣間見られ、後年石井が描くことになる霊的な木立ちなり陰森の萌芽を見ている事に違いないのだけれど、肝心のところが足らない印象を覚える。背景と人物とは通信を途絶し、互いに無関心に佇立するばかりであって、これは“石井隆の背景”にまで育っていない。白樺の群立、笹の密生はそれ自体が風雪に耐えて個別に生きている様子であって、手前の人物とは溶け合わない。

 後年描かれた作品、たとえば【おんなの街】シリーズの一篇【赤い蜉蝣(かげろう)】(1980)をここで並べ置けば、石井隆に何が起きたか、何を手に入れたのか理解されよう。悶々とひとり進退に迷って、おんなが断崖のふちにたたずんでいる。数歩先に足を踏み出せば身体は宙に浮き、煩悩なり襲いかかる日常の障壁から解放されるかもしれない。おんなの眼下には波をしぶく暗い海がのったりと横たわり、風は盛んに吹いて細い背中を押すようだ。

 このとき風は、おんなを含めた“全て”を影響下に置いている。長い髪はざわざわと乱れるのだし、トレンチコートのベルトは風圧でひしゃげて上手へと押しやられている。おんなの足元の草葉はもちろんのこと、よく見れば、崖付近より湧き出でた雲が海原へとたなびき、本来なら岸壁へと寄せ来るはずの白波までも風の勢いに負けて、左から右へ押し返されていくのだった。人物と背景が見事に一体化して一幅の風景画が完成しているのだが、その雲のどす黒い、尋常ならざる色や、波の異様なかたちを見れば、単なる写実に終わっていないことは明白だ。

 連載に追われる人気漫画家の創作工程を開陳する雑誌の特集や展覧会で、原稿の下書き段階をコピーしたものが並んでいるのをたまに目にする。それを見ると忙しい作家は背景構図を荒っぽい線で定め、狙いやディテール説明を添え書きして送り、林や街路、建物の内装や日常道具といったものの線画をアシスタントにあらかた任せている事が読み取れる。つまり作家は、主線(おもせん)と呼ばれる人物描写に注力し、その動きや表情でもって紙面に魂を吹き込もうと全身全霊を尽くしていくのだが、石井の場合には背景描写と主線(おもせん)の比重はほぼ同等であり、下絵の段階で背景の森や街路、酒場の棚や壁に貼られたポスターまでが狂いなく、詳細に鉛筆で描かれていることが多いのだ。ほかの漫画家のところでアシスタントをしてきた者は、この背景を含めた完璧な下絵に目を丸くした。この辺りのことは以前書いた通りだ。

 アシスタントの手腕を疑うとか、統一した世界観を維持したいという極端な神経質さが露呈しているのでなく、“背景”が背景以上の意味を持たせられた為だろう。現実の空間をカメラにて写し取り、コマにそれをひとつひとつ丹念に配置して映画的空間を劇画に注入し、誌面を擬似的な銀幕へと変幻させる狙いから始まった作図工程かもしれないが、いつしか石井作品の背景は湿度や体温を帯び、“登場人物の心理状態までも鎖(さ)し固める”、そのような重い役割を担わされることになった、それが全てだろう。

 その事は映画作品にも通底するのであって、近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の撮影現場のひとつである巨大な石切り場にて、ヒロイン役の佐藤寛子(さとうひろこ)に対して石井は、この洞窟全体が“れん”という不幸なおんなそのものであると静かに説いて演技を導いたのだが、石井のこの言葉はまさに石井の世界像とは何かをそっと指し示すわけである。

 能面のような一見感情を露わにしない人物像の創造と共に、石井は風をともない、闇を従え、そして雨を呼び寄せながら、人物の胸中を巧みに代弁する表情豊かな背景の創出に着手し、それを筆に馴染ませていった。森は森以上の光を湛え、屋上は屋上以上の薫風を吹かせ、廃墟はひそやかに息づき、雨は体液のようにぬめっていく。原作者と作画を兼ねた役割にとどまらず、美術監督の役割を石井は兼任することになったのであり、その総合的なまなざしと実行の積み重ねが、いつしかフィールドを替えて映画作家となって以降も役立ったはずなのだ。劇画と映画双方を断絶させることなく裾野を繋げることに成功し、圧倒する絵作りを継続している。



 「アポロは月に行かなかった」には私たちを強く牽引する石井世界の人物も背景も見止められず、単調な固い線が走るばかりなのだが、黒インクの盛んに交差するその様に接していると、一心不乱に机に向かう二十歳過ぎの若者の丸まった背中と、ペン先に注がれた硬いまなざしが透けて見えて来る。描こうと決めた対象に焦点をしぼり筆を走らせ、夜通し紙面と格闘して生じた摩擦熱をあえかに感じ取ることが出来る。

 あの時の石井に、今このときのメガホンを握る自身の姿を想像出来たものだろうか。苦労して己のスタイルを確立し、他の誰もが真似し得ぬ世界を構築してみせたその半生の、何かビジョンのかけらでも瞳に瞬いたものだろうか。そんなもの、当然ながら誰にも見えはしない。真っ暗な道をがむしゃらに、懸命に駆けるしかなかったろうあの時、石井隆もまた、月を目指して飛び立った一機の宇宙船であった。未来に向けて地上を蹴ったばかりの真新しいロケットだったと思う。

 挫折を経てひどく打ちひしがれた若者を前にすると、この白い表紙の本とその後の石井の活躍ぶり、墨の濃淡を使い分けて拡がりを見せた劇画の傑作の数々と陰翳の深い映画のことを教えたくなる。人生は36万キロメートルもの距離に実質等しい。道のりは長く、どこまでも空虚な闇だ。誰もがロケットとなり、炎のつづく限り、ひたむきに飛び続けるより他ない。


(*1):「アポロは月に行かなかった」復刻版 草川隆 栄光出版社  2014
(*2):CAPRICORN ONE  監督ピーター・ハイアムズ 1977
(*3):『東京湾炎上』 監督石田勝心 1975
(*4):【BILLY BAT』(ビリーバット)】 浦沢直樹 ストーリー共同制作 長崎尚志
「モーニング」に連載中 2008年─
(*5):たとえば諸星大二郎が1971年から翌年にかけて描いたと思われる【連作 オー氏の旅行】の洒落た構図やスマートなタッチを目にした時、土着的で野太い諸星作品に慣れ親しんだ熱心な読者ほど衝撃を受けるに違いない。流行漫画家とは、世間で売れる線(タッチ)を探し当てた優れた戦術家の側面を持つことを再認識させられる。


2014年10月4日土曜日

「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[13]~


 石井世界に惹かれ、耳目を属するひとは少なくないが、それは石井が強靭な作家性を有しているからに他ならない。世に出された劇画や映画を額装して記憶の回廊に並べると、それ等は共鳴して確かな調べを謡い出す。画家の個展会場の趣きを自ら示し、点でなく面でもって胸に迫って来る。

 もちろん娯楽を目的とした物語であり景色であるから、理屈ではないもの、つまりは性欲や支配欲、暴力的衝動の顕現を劇中の男女に託し、日常のむしゃくしゃする気分の転換を図るだけでも当然かまわないのだけれど、少しの間たたずみ、その絵にたいして低吟したい気持ちにさせる強い磁場がある。作品単体で語る時間と共に、作家の内面宇宙を手探りする思考の枝葉が育ってしまう。出版の沃野とウェブの密林を歩み続けていくと、同じ感懐に捕らわれて石井世界をしずかに、けれど大切に語るひとに時折はちあわせするのだが、だからそれは自然なこととしか私は思わない。人物なり事象を粘り気をもって見つめる癖の日頃からある人ならば、石井の特異性はすぐに了解なるはずだ。

 「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」(*1)が世に出され、先日にはこの本の内容について往時の関係者が集い、歯に衣着せずに語った新聞が刷られている。(*2) 後者は身近な書店には見当たらなかったから図書館まで足を運び、複写して持ち帰って何度も読み返した。厚味のある前者はまだ読み切れていない。飛ばし読みが出来ない性格だし、興味深い記述が頁ごとに立ち昇るものだから就寝前の愉しみとしてゆっくり味わっている。原作者兼脚本家として石井は曽根作品の何作かに関わっているから、その部分だけは先に探して丹念に読み込んだ。

 継続して石井世界について綴っているひとが私の視界のなかに何人かいて、その内のひとりが両者の読後感をウェブに掲げている。わたしもほぼ同様の思いを抱いた。書いた人はまさに上の“石井世界をしずかに、けれど大切に語るひと”のひとりであり、石井側から見つめた際の留意点や疑問点を簡潔にまとめているのだった。とても読みやすいから、特別にリンクさせてもらおうと思う。『天使のはらわた 赤い教室』(1979)について惹かれる人はぜひこれを覗いてもらいたいし、読んでさらに関心が湧いたなら自伝や座談録をどこかで探してほしい。
http://teaforone.blog4.fc2.com/blog-entry-1101.html


 「読書人」の後段でも強く感じるし、上に記した同好の士の声にしてもそうなのだけど、亡き人をめぐっての欠席裁判にはなっていない。物づくりの難しさと嬉しさが伝わってくるし、故人とその作品への真情あふれた手紙となっている。このところ年輩者の葬儀に参列すると弔辞を読む人もおらず、有っても日本赤十字社からの定型の感謝文が代読される場面が多いのだけど、そんな淋しい野辺送りと比較すればどれだけ賑やかで嬉しいものか。自分が死んでもこんな実直な声は寄せられまいから、羨ましいとも単純に思う。自伝の未読部分が三分の一ほどもまだ残っているから、微笑みつつ耳を傾けてみよう、行間に埋もれた聞こえない声を手繰ろうと思う。


(*1): 「曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」 文遊社 2014
(*2): 「曽根中生とは何者か」 週刊読書人 9月19日号


2014年9月18日木曜日

“参列”


 上りかまちに腰をおろし、革靴の汚れをぬぐう。療養の甲斐なく知人が逝き、これから弔いの輪に加わらねばならぬ。つき合いはかれこれ二十年にもなるだろうか。腰掛けて細い足をひょいと組み、半身斜めにした姿が瞳によみがえる。歯を出して快活に笑う様子が懐かしい。つま先に靴墨をのばしながら、彼とのやりとりを思い返した。無理をたくさん聞いてもらったし、合間に交わす世間話もこころ和ませる時間だった。

 それにしても葬儀のための身づくろいというのは、実に厭なものだ。黒服が婚礼の場でも使われる慣習もあって、その辺りの記憶が蘇っていくにつれ気持ちがじぐざぐになる。等身大の自分とはやや違った、嘘くさいモノにすり替わっていく醒めた感じが付きまとう。

 霊前に供える紙幣には折り目をつけて袋つめするのに、礼服は汚れのないように徹底して気を遣うのはなぜか。不意討ちをされた驚きなり悲しさを体現するのが葬儀の場であるなら、あえて靴先は汚れたまま駆けつけるべきでないのか。背中には糸くずの一本ぐらい踊っていた方が自然ではないのか。いやいや、そうではない、互いに気配をころし、会場の闇に溶け込み、そうして遺影と遺族を静かに囲めばよいのであって、各人のこころ模様は二の次だ。そつのない身ごなしこそが参列者の務めだろう。──湿度や速度の異なる感情が、首の後ろあたりでふわふわと漂う。

 そういえば石井隆の劇において慶弔の席が描かれることは稀有であり、あれは一体全体何故だろうと首をひねる。死に至る瞬間や遺骸をあれほど丹念に描きながら、それを弔う場面を入れないのは石井作劇のひとつの特徴と言える。たとえば『夜がまた来る』(1994)で暴力組織への潜入捜査がばれて葬られた永島敏行は、雨降る埠頭にようよう身体を引き上げられると、次の場面には小さな骨箱へと成り果てて自宅アパートの壁際の棚に置かれてしまう。

 斎場や寺、献花や弔辞、それに家族や友人といったものが一切無いような唐突で大きな跳躍がある。承知の通り『GONIN』(1995)の終幕にもこの跳躍はそっくり再現され、ターミナル地下で殺された佐藤浩市はその後の葬儀や荼毘の様子がものの見事に割愛されているのだった。幕引き間際になってから長距離バスの座席に骨箱となって現れ、命脈の尽きる様子は駆け足でもって締めくくられる。
 
 祝い事についても同じ傾向は読み取れるのであって、年ごろの女性が数多く描かれながら実際に花嫁衣裳を目撃することは皆無に等しい。劇画の掌編【愛の景色】(1987)にかろうじて披露宴の様子が描かれているが、頁の大半は着付けをされていく花嫁がこれまでの恋愛遍歴を長々と回想する内容であるのだし、いざ宴席のただ中に歩み入れば出席者も新郎も表情は硬く、抑制された描画にとどまっている。

 式典の仔細を巧みに回避する石井の真情については知る由もないが、衣服の柄や素材、背後にある家具や装飾に至るまでを徹底してコントロールする事を自らに課した劇画作品群の、呆然とさせられる緻密な描写をここで思い返すならば、会場に群れなす者それぞれの表情や言葉、仕草といったものを彼らの勝手気ままに任せること自体がまず生理的にきびしいのかもしれぬ。

 人影で埋まるパーティーや闇のオークション会場が『花と蛇』(2004)や『花と蛇2 パリ/静子』(2005)において出てくるが、仮面を装着させてみたり、照明をぐっと落として表情や言葉を奪っていくのはそういう深慮が働いたからではなかったか。頭数を可能なかぎり削ぎ落とし、彼ら選ばれし人間に濃厚な魂を吹き込もうとする。石井の創る舞台でモブシーンは、根幹を成すことはない。赤裸々な想いなり表情を刻印する作業を、さながら白兵戦のごとく、物狂おしく重ねていく。

 いや、待てよ、『GONIN  サーガ』(2015)ではエキストラまで動員されて撮影が行なわれたと聞いた。目的はライブシーンと共に“結婚披露宴”を撮るためと言うのだから、これは一体全体どう捉えたら良いのか。よもや仮面付きの披露宴、ということはあるまい。なんてことだ。

 私だけでなく石井世界を凝視し続けた者にとっては、もうそれだけで十分に鳥肌の立ってしまう話だ。旧作の『GONIN』ではディスコでの群舞があり、レストランで飲食に興じる人の遠いざわめきがあったが、石井世界を俯瞰するとあのような人の群れ集う様子を描くこと自体が尋常ではなく、相当の冒険や混沌であり、熱狂と呼べるだろう。石井はあの19年前の“活劇”の世界観を踏襲すべく確かに動いており、加えてこれまでは回避していた“式典”を正面から撮り込もうとしている。決意や覚悟は相当のものだとそれだけでも知れるところであって、現場で発生している武者震いの波動はこちらをも揺すっていく。
  
 うしろの方の席で背中を丸め、そんな事をうっすらと思う。気持ちを外へ向けて飛ばさないと大泣きしてしまいそうだ。故人の若さとその突然の別れに誰もがひどく動揺している。補助椅子まで出された満員の会場は静まりかえり、嗚咽に染まった哀しい弔辞が続いていた。目をくりくりさせる遺影の笑顔がこころに沁みて、忘れられない式になってしまった。
 





2014年9月5日金曜日

“弔文”~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[12]~



 曽根中生監督が逝った。1970年代に日活ロマンポルノの一翼を担い「天使のはらわた 赤い教室」「博多っ子純情」など忘れえぬ佳作を残した映画作家だった。────こんな書き出しで始まる弔文が新聞の文化面を飾った。(*1)それが読売や朝日といった大衆紙ではなく、経済紙であったことが静かにそして明確に物語る点がある。客を呼び込める職業監督として、曽根の名が日本列島にあまねく浸透したことの証しだろう。

 五十過ぎから半ばとなって組織なり商売の心棒と化した男たちにとって、“ソネチュウセイ”という響きは風圧のある映像を即座に憶い出させ、それを脳裏に再生させてたゆたう時間は嬉しい白昼夢だった。職場や休憩室で同僚の視線を気にしつつ新聞を畳む手をそっと止め、老眼で霞む先の小さな記事を舐めるように読んだひとはきっと多かったに違いない。

 訃報に接した彼らの緊張の具合なり胸の内を駆ける風音を想像すると、わたしの気持ちは徐々に湿り気を帯び、やがて落ち葉の歩道に貼り着くような重さになった。やはり反省するところがあって、どうしても思いは下降していく。もちろん拙文が曽根の目に留まったとは到底思えないのだが、不味いことをしでかした気はする。

 上の記事の執筆者は『天使のはらわた 赤い教室』(1979)について、「ニヒルと熱狂が理想的に結びつき、純粋なメロドラマまで昇華した傑作だった」と綴っている。ああ、例によって、また“傑作”と書かれている。本当にそう捉えても良いのかどうか、石井隆が書いた脚本の第一稿と第二稿、および石井の展開する独自の世界観にがっちり視座をすえ咀嚼を重ねた上での思いの丈を、ここで長々と語ってしまった訳なのだが、結局のところ私の中では綱引きは終わらないままだ。少なくとも石井世界にとって映画『赤い教室』は傑作とは言い得ず、微妙で悩ましい立ち位置にこれからも在り続けると捉えている。

 ただ、こうして曽根が倒れて息をひきとってしまうと、素人の癖に不躾な事を並べてしまったようにも思われ、ひどく後ろめたいような、黒く濁った感情が湧いてしまうのが嘘のないところだ。特に曽根が映画界から離脱して後、そのまま消沈することなく事業に邁進していた様子が透けて見えてしまったから、自然と言葉選びは慎重になる。養殖にしても新燃料の製造にしても、実に地味で根気を要する商いだ。苦労もさぞ多かったことだろう。同時代の併走者、生活者という認識が急に濃くなった。


 限られた生の只中で、世に傑作と呼ばれる何かを産み落すことは至難の技だ。運命的で稀有なものと捉えるし、それを手にした人の旅路は理想的で羨ましく思う。誰でも、何でも良いから傑作をその手に抱き、そうして最期の眠りにつくことが望ましいと信じるから、曽根への手向けとしてこの瞬間につぎつぎに花ひらいていく『赤い教室』への賛辞につき、これはこれで今は許せるような軟らかい心もちになっている。書きたい人は書いて良い。人それぞれに尺度は違って当然だ。

 これからしばらくの間、彼を悼み、作品についての随想がいくつも目に触れるはずだ。脚本家石井の名と、村木や名美の姿が合わせて紙面に踊り、私たち中年男や若い世代の網膜に秘かに刻まれていき、そうして、新作『GONINサーガ』(2015)の弾みなり評価の厚みに繋がっていくなら、それもまた大事なことだし素敵なこと。此岸と彼岸とを跨ぐエールとなって、遺された者を援けてもらいたいと願う。

 あんなに無神経な事を次々に書いておきながら、今ごろになって手をあわせている。そちらの景色は穏やかですか、どんな風が吹いていますか。色彩は豊かですか、それとも墨絵のようですか。
どうか安らかにお眠りください。


(*1):日本経済新聞 2014年8月29日 文化面 「文化往来 ニヒルと熱狂の同居、曽根中生監督死去」

2014年8月19日火曜日

“白衣(びゃくえ)” ~『GONIN』での傷の反復~


 『GONIN リアルエディション』(*1)を盆休みに観賞して、クレジットが闇に溶ける最後の一瞬まで存分に愉しんだ。とりわけ印象に刻まれたのは佐藤浩市が演じる万代(ばんだい)という男が次から次としょい込む生傷の、その具体的な描写なり挿入のタイミングだった。

 以前はぜんぜん気に留めなかったのだけど、それは私が地べたに転がる西瓜のようにして、薄ぼんやりと暮らして来たせいだ。この二、三年の間に人並みに色々とあって、寒い手術室に横になる切なさも学んだ。それでようやく劇中に現れる怪我の創り込み、その深さに目が向くようになったわけだ。映画というものは年齢と共に違って見えるというが、確かにその通りと実感させられる。

 美丈夫の形容そのままの万代という男が、舞台の先々で怪我をして血をぶわりと噴き上げていく。やくざの事務所から現金を奪い去り、それがばれて逃走を強いられ、やがて追撃を喰らって頓死に至る中盤まで男の身体は鮮血でくまなく染まっていくのだった。喩えとしては変かもしれないけれど、執拗に、独特の丁重さで傷付いていく。巡礼者が白衣(びゃくえ)の背に寺社の朱印を一個一個押しながら歩んでいくけれど、さながらあの調子と呼吸で赤々と染まってしまう。

 石井隆の好みと言ってしまえばそれまでだが、傷を負う箇所にしたって型にはめられて見える。また、それが“反復して”起きるのがすこぶる面妖だ。すなわち、劇の冒頭で絡んできたサラリーマン(竹中直人)を万代は打ち倒し、相手は口腔やら鼻を切って地面をのたうつのだったが、それから少し経つと今度は自分が元刑事(根津甚八)に叩きのめされ、大きく口を切って血の混じる唾を暗い運河にむけて幾度も吐き落とすことになる。また、経営する店のフロアで騒動が起き、そこで若い不良(本木雅弘)がナイフを振り回して野本というやくざ(飯島大介)の左頬を傷つけるのだけど、しばらく後のひっそりとした夜の廊下で今度は万代とその不良とがナイフを間にして揉み合いとなり、万代の左の頬に先とまるで同じ位置を目指すかのような縦一文字の傷をつくっていく。

 強奪を成功させるも自身は脱出できず、組事務所にひとり居残る羽目になった万代は、責任を取って指を詰める組長大越(永島敏行)の後を追うようにして無理矢理おのれの指先を切り落されてしまうのだったし、追ってきた二人組の殺し屋とバスターミナルの地下で銃撃戦となり、その片割れの若い方(木村一八)の足を撃ち抜くのだったが、逃げ込んだトイレで腰を下ろしたのがたたってしまい、扉と床との狭い隙間から差し込まれた銃口から射出された何発もの弾丸を受けて下半身がずたずたになって失血死する。ここまでリズミカルに、なぞるようにして傷を負い続けていく主人公というのは他ではあまり見ないのではないか。

 怪我をしてしばらくの間は苦悶に顔を歪ませるのだったが、数分後にははつらつと床を蹴って駆け回る姿も考えれば奇怪なものであって、夢の淵にざぶりと全身を浸かった明け方に懸命に立ち泳ぎするような非現実感、浮遊感がある。何となく不自然な手触りを覚えるのだった。

 『GONIN』(1995)という作品は善と悪という単純な色分けを最初から捨て置き、軌道を外れて軋んでいく男たちの群れを描いていく。一面的な悪は此処には居らないし、皆どこか似たようなところがあって、いや、それこそを言わんばかりにわざわざ極端に相似する舎弟関係を幾重にも敷きつめているのだった。鏡面に映される幻像のようになって、周囲の人間と同じような箇所に同じような傷を負っていく万代もきっとその一環なのではあるまいか。合わせ鏡に挟まれた暗室で口笛を吹くような、闇に抱かれた三面鏡で孤独に化粧をするような、反響が反響を生んでいく仕掛けが『GONIN』には無数にあって、何度観ても気持ちのどこかが共振してふらふらになってしまう。

(*1): GONIN コンプリートボックス 2007年発売に所収


2014年7月27日日曜日

“村木の手” ~『甘い鞭』の終局に関して②~



 凶器を握りしめたおんなが、今まさに面前の誰かを殺めんとする。刹那、別の手がにゅっと伸びて画面を横切り、刃(やいば)持つおんなの手首に躍りかかって惨劇をくい止めるのだった。『甘い鞭』(2013)の終幕にて観客の度胆を抜いた“手首掴み”の描写であったが、これに似たものを私たちは石井の過去の劇画で目撃して来た。

 たとえば【天使のはらわた】(1978)において“手首掴み”は、哲郎(ここでは川島姓)と名美の関係を代弁するように象徴的に繰り返されていた。男の広い掌と指が白い手首の内側の橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっくこつ)、二本の骨を万力のごとく締め付け、挟まった神経と血管をじわり圧迫する。おんなの脳髄には電流が駆け上り、甘い官能と希望の瞬きが宿される。そんな風合いのコマが頁を覆っていた。(*1)

 暴力的行為の渦中に突如割って入り、手を挿し込み、その場からおんなを離脱させようとする生一本の天性を、石井がこの哲郎という男に与えているのは明らかであって、第二部の中盤では妹の恵子に対しても同様の事を行わせている。不良グループの用心棒役となった恵子が、対立する相手に自転車のチェーンを高くふりかざし撃ち下ろそうとした瞬間、頭上から手が伸びて頭髪とチェーンをがっと摑まれるくだりがあった。

 哲郎の明らかな属性として“手首掴み”のバリエーションが盛り込まれてあるのだが、捨て身で蛮行を押し止めたこの兄とその不意の出現に仰天して振り返る妹の、頁一枚をまるまる費やして描かれた両者の構図が『甘い鞭』のラストカットと重なって見えるのは、はたして偶然だろうか。石井の劇を支えるひとつの型、歌舞伎の見得と近しいものと捉えた方が良さそうだ。

 【天使のはらわた】を離れて見渡せば、映画『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曽根中生)の骨格となった短篇【蒼い閃光】(1976)の幕引きにも“手首掴み”が観止められる。罠に落ちてブルーフィルムに出演させられたおんなが混迷をきわめて自暴自棄に至り、手提げ鞄に隠し持っていた剃刀で自分の手首を切り裂いてしまう。その刃先は男にも向けられ、大きく傷ついた男はなんとか床を這い進んで、虫の息となって横たわるおんなの身体に必死に手を伸ばし、血を吹く手首を摑んでいくのだった。

   【黒い天使】(1981)では、主人公の殺し屋魔世(まよ)を救う手のひらがあった。深夜、駐車場の前を通りかかったところ、見知らぬおんなが乱暴されかけているのを偶然目撃した魔世はこれを見過ごせずに割って入る。暴漢の逃げ去るのを確認して現場を立ち去ろうとしたところ、突然白刃がきらめいて魔世を襲うのだった。乱暴されていたおんながとち狂い、一部始終を目撃した魔世の口封じに男が置き忘れた刃物を拾ってまっしぐらに襲い掛かったのだ。刃先が魔世のみぞおちに吸い込まれる寸前、いつの間にか横に立っていた男(蘭丸)が凶刃を素手でがっと摑み、魔世の命をからくも救っている。

 【蒼い閃光】のフリーライターであれ、【黒い天使】の蘭丸であれ、さらには【天使のはらわた】の川島哲郎であれ、彼らは面立ちとその人格から典型的な石井のキャラクター“村木”の系譜にあると捉えて良いだろう。これら一連のにゅっと手を出しておんなを救出する顛末は石井の活劇の王道であるのだし、このような行為の裏には常に村木的心情とでも言うべき恋慕や執心が注がれていると仮定しても一向に構うまい。

 また、そのような思案の自然な枝葉として、それぞれの“手首掴み”が男女の、村木的な人格と名美的人格の再会の場に起きている点も私たちは頷きながら受け止めることが出来るだろう。当初は衝突したり眼中に置かずにいた相手が、どちらかの窮地に際してこつぜんと現れ、身とこころを救おうと懸命に手を伸ばす。無関心や誤解から散々な初対面となった二つの魂が、それゆえにどこか引き付けあって、今度こそ裏表のない真実の交信を果たそうと試みる。そういう起死回生の流れが、一連の“手首掴み”の根底に視止められる。

 『甘い鞭』の終局を襲った手についての最終判断は観客のそれぞれに委ねられるし、石井も多種多様な受け止め方を喜んでいる節があるのだけれど、人によっては上に引いたような複数の残像から“村木の手”を想起することだろう。しかし、同時に私たちはそれ等の残像が付帯するものゆえに、“村木の手”の否定が厳然としてなされている点をこそ、ここではすくい取る事が可能となるのだし、むしろ求められていると感じる。

 なぜあの手が男ではなく、若い無名の女優の手で演じられる必要があったのか。そうして、なぜ壇蜜がこれを振り返り、その手の持ち主が誰であるかをまったく認識出来ずに終わっているのか。

  男でもなければ、再会という状況でもないのだ。ここでは“村木”の否定がくどいほど語られている。この事を読み手はよくよく咀嚼し、嚥下しなければならないだろう。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)で飛来したマネージャー(津田寛治)の魂のような湿ったものも無ければ、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の代行屋(竹中直人)のような最期を看取ってくれる熱い腕もない。壇蜜演じる奈緒子というおんなが従来の石井の劇ではあまりない、手の届く範囲からひどく遠くに放り出されたことを示す、なんとも乾き切った終局が示されてあり、二重三重に物憂い。


   幼い魂と身体を自由にせんとする犯罪行為が日々多発し、世を騒然とさせているのであるが、石井が『甘い鞭』を演出するにあたり最後の最後に“村木の不在”を深々と押印してみせたことを、善き読者を自認する者はしっかりと理解し、胸に刻んでおかなければならない。石井の犯罪にむけるまなざしや姿勢がどのようなものか、ひとりひとりが代弁する役割を担っているように私は考えている。調教、理想のおんな、馬鹿を言うな。夢を見るな、そのような暴念の果てに男の立ち位置は残されていない、村木には誰もなれない。そのような無言の叱責と共に、石井の『甘い鞭』は締めくくられている。


(*1):石井の筆づかいは腕を摑まれた名美だけでなくって、私たち読者の生理をも大きく揺さぶるものがあった。読後三十年を経ても記憶にあざやかなのは、そのリアルな肉感がわたしの奥でしっかりした切り口をつくった証だろう。石井のことを劇画家ではなく、絵描きであると感じるのはこういう時だ。








2014年7月17日木曜日

“天使の手” ~『甘い鞭』の終局に関して①~


 風が窓から吹きこんで、腕と頬をやさしく撫でていく。ふさいだ気持ちは和らぎ、人の声が恋しくなってラジオのスイッチをひねってみる。カチャカチャといじっているうちに豪快な話しぶりが耳に入り、これが実に面白くて聞き惚れた。海外の遺跡発掘にまつわる講演の録音で、後で調べてみれば博物館の名誉教授らしい。

 装飾品や納められていた山羊の骨、その背中あたりに置かれてあった鋭利な刃物から推理を飛翔させ、埋蔵の目的や当時の習俗を解析していく。一心に探りもとめた結果、ばらばらだった知識がみるみる結線していき、いにしえの時代の絵姿が脳裏に湧き出てくるのが心地好い。埋もれたひとの心に触れていく嬉しさと楽しさを説いて、熱く伝わるものがあった。

 さて、そのように微笑みつつ耳を澄ますうち、石井隆の映像と二重写しとなる一瞬がおとずれて大そう驚かされたのだった。アクセルを踏んでいた足の力が抜け、車は夜のバイパスをのそのそと惰性で走った。

 山羊と刃物の組み合わせから神への生贄(いけにえ)に違いなく、その遺跡が宗教的な色彩を含んだものと講演者は説明するのだったが、それはさておき氏はここで山羊を殺して神に供する“燔祭(はんさい)”の歴史に触れ、旧約聖書の創世記の第二十二章を引くのだった。神の意思に沿うべくアブラハムがわが子イサクを山へと連れ出し、その生命を絶とうとする。刃物を振りかざした瞬間、天使が空から舞い下ってその手をがっと摑んで止めた、と老教授は聴衆にむけて語った。

 その後、一匹の山羊が草むらより現われ出で、それをアブラハムは捕まえて神に捧げる顛末なのだけど、刃物を持つ手、それをがっと摑んで止める手というのは、瞬時に石井の『甘い鞭』(2013)のラストカットと結びついて私を雷撃したのだった。イサクの燔祭については映画かテレビで観て知っていたが、天使が降臨して手をがっと摑んで止めた記憶はない。不意を突かれた形となって呼吸が乱れた。


 自宅に戻って書棚からほこりだらけの旧約聖書を引き抜き、二十二章に目を通す。やはりそうだ、天からの使いは明確な姿を刻んでおらず、声だけをもってアブラハムを制止している。写し書けば次のような具合だ。

「そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。」

 手をがっと摑んで止めるという具体的な景色は、ならば何処から現れて考古学者の胸に宿ったものだろう。一個人の想像にしては明快で、自信に溢れた断定口調だ。細密画を間近で見るような臨場感があった。

 調べてみれば実はまったくその通り、“絵”なのだ。イサクの燔祭を題材とする絵画は星のごとくあるのだけれど、そのいくつかに神の使い、すなわち天使がアブラハムの手を摑んでいる様子が見てとれる。原文に忠実であろうと努めるものにはそこまで踏み込んだ荒々しい描写は無いのだけど、幾人かの天才たちが越境を為し遂げ、五感を揺さぶるイメージを付与している。強靭な印象をもたらし、きつく捕縛して、原典以上の物語性を多くのひとの内に注いだのであり、おそらくはラジオの講演者もその囚われ人の一人に違いない。

 特にカラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio、ルーベンス Peter Paul Rubens、レンブラント Rembrandt Harmensz. van Rijnの三者が描くものが壮絶だ。不意討ちされ、驚愕して手の方を振り仰いだアブラハムのゆがんだ頭や顔の描写も加わって、劇的効果を押し上げている。角度や構図は相似形となっていないが、この緊迫した時間と大気は確かに『甘い鞭』に通じる。

 石井隆が幼少年期に父親の書棚にあった絵画全集に親しみ、劇画世界にそれらのイメージの植生を試みていることは以前書いた。(*1) たとえばルーベンスは劇画【天使のはらわた】(1978)の極めて大切な背景に採用されているし、ティントレット Tintorettoは【赤い眩暈】の黄泉回廊となって融け入っている。『甘い鞭』のラストを襲った劇甚な描写の素地として、絵画「イサクの燔祭」のうちのどれか一つが在ったとは考えられないだろうか。

 もしもそうであるならば、『甘い鞭』の血の饗宴は違った光を新たに加えるように思う。“原典”にはなかった天使の飛来、その現実化と肌への接触を果敢に盛り込んだ画家たちと同等の試みを石井は最後の最後に“原作”に付け加えて、自分なりの“宗教画”を完成させて見えるのだし、少女期からひどく破壊され続けてきた奈緒子(間宮夕貴/壇蜜)の元に天使が飛来したという絵解きは、切実で胸に重い感動をもたらす。

 さらにその天使が奈緒子や私たちの前にうつくしき全貌を現わすのではなく、女の手のにゅうっと突き出た、むしろ悪魔的、悪夢的と呼んでも構わないだろう形で途切れているのも無残な余韻を孕む。宗教的な要素を組み込みながら、どこか冷めたもの、拒絶する姿勢がある。


 石井隆という作家は神の不在なること、奇蹟を待ちわびることの不毛を百も承知で物語をつむぐのであるが、霊的なものの追認や奇蹟の顕現を希求せざるを得ないぎりぎりの局面へと登場人物が追い詰められると、それに対して直接的ではない、遠回しの描法で“何か”を投じようとしてしまう。本来見えないものを見る、そういう段階へと人が導かれていくのだけど、世にあふれる多くの創作劇においては甘やかな勝利とも、燦然とかがやく報酬とも受け止め得るそのような奇蹟のビジョンが石井の劇にあっては徹底して惨たらしく、悲しく描かれていく。狂気の淵だけにしか奇蹟は顕現せず、救済も伴わないのではないか、という透徹したまなざしに染まっていて、一貫して厳しいのだった。

 そうか、あれは天使の手だったか、と膝を打っておきながら、半時間も経つと周囲は闇に包まれ、自信が揺らいでしまう。ぽつんと置いてけぼりを喰らってしまう。とんでもない作り手だと想う。けれど、面白い走者ともやはり思えて、その遠ざかる背中に目を凝らしながらのそのそと追いかけている。 

 
(*1):いずれもmixiにて
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=162461817&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157072984&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157506539&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1164603675&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1160474777&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1162358990&owner_id=3993869

引用した絵画は上から
The Sacrifice of Isaac  Caravaggio 1603
Sacrifice of Isaac  Peter Paul Rubens 1612-3
Abraham and Isaac  Rembrandt  1634








2014年7月6日日曜日

“恐いもの”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(3)~



 喫茶店で休憩していた折、怖い思いをした。いや、怖い思いをさせてしまったと書くのが正しいのか、そのあたりが微妙だ。入口のそばで、最初から落ち着かぬ席だった。店内は程々の混み具合で、そのなかで私と友人とは明け透けな会話を続けていた。亡くなる人がそろそろ周りに出始め、上辺だけの空疎なお喋りは虚しい気持ちが互いの中に育っている。

 ドアを開けて入ってきた二人連れが空いたテーブルに寄ってきて、どっちがどの席に座るかをめぐって言い争うのが聞こえた。声の主はいずれもおんなで、親娘なのか姉妹なのか分からないが、背中越しに聞こえるくだけた調子からすると家族に違いない。

 この距離では会話は筒抜けだと感じた。それでも私は言葉を選ばず、話題を回避せず、危うい単語を混ぜながら談笑し続けたのだった。通り魔やストーカー事件にも触れたし、人間の二重性についても踏み込んで話した。わずかながら露悪的な気持ちもあったかもしれない。背後で草葉が風で揺れているような、息づく感じが続いていた。

 帰る時刻となって私たちは席を立った。セルフサービスの店であったから、ゴミ箱に近い友人がテーブルの上に置かれていたものを片付けに行ってくれ、私は出口方向へと身体を回し、一歩踏み出したところだった。悲鳴にも似た声が唐突に腹の高さから逆巻いて、それも私へ投げられているのが分かって大いにうろたえた。おんなふたりが揃ってこちらへ顔を向けているのが瞬時に分かった。「こわい」ではなく「こわいぃぃ」と語尾を変にのばす声で、こちらの顔を凝視しているようだった。

 ようだった、と書くのは正確には覚えていないからだ。半端な態度をしてしまったせいだろう、私のなかに居座る残像、夏服でテーブルに腰かけ、こちらを見上げるおんな二人の像は、共に白いお多福の面を付けたようであって奇怪なものとなっている。ちゃんと立ち止まり睨み返してやれば良かったのかもしれないが、あの時のわたしは突然の奇声と真顔での凝視に耐えられず、彼らの目をまともに見返すことが出来ないまま逃げるようにして店を出ている。

 そんなに恐がらせる話をしたろうかと先の時間を反芻してみても、それ程のこともないのだった。確かに昨今の残虐な事件に触れ、それを題材にした小説に触れ、鬼畜だの投身だの、寒々しい単語は並べたのだがそれが何であろう。もしかしたら、私自身の顔なり身体なりに恐怖するものがあったのだろうか、という考えに行き着いてにわかに青ざめたのは、友と別れて大分経ってからだった。おんな達の少なくとも一人は、私の顔か背後に“何か”を見たのではなかったか。いい気になって廃墟や被災地を歩き過ぎたからか。いや、若い時分に自身の弱い性格を嫌悪して、鬼でも何でもいいから舞い降りて自分にとり憑いてくれ、そして力溢れる男にしてくれと昏い夜道で祈ったせいか。

 自宅に戻って洗面台の鏡に向かいつぶさに視てみたが、疲れた中年男が映るだけで特段どこかが腫れているわけでも、湿疹が生じているのでもない。人知のおよばぬ超自然な視力をどうやら授かることのなかった私には、見えないものはとことん不可視のままである。「こわいぃぃ」と叫んだおんなが何を見たのか、知る術もなければ知る必要もあまり感じない。どうせなら毛むくじゃらの悪魔ではなく百太郎のような美形であって欲しいと願わないでもないが、考えてもどうしようもない、見えない以上は手に負えない遠い次元の話だ。一応恐いから念仏を何度か唱えて、それで忘れてしまおうと思う。むしろ今は、そこら一帯に“何か”を見てしまい、その度に肝を冷やしているだろうあの女性を不憫に感じる方が気持ちの中で強くなっている。

 さて、先月末に石井隆は『GONIN サーガ』(2015)を撮り終えており、今後ポストプロダクションに注力して来年の公開を目指すのだろうけれど、この『GONIN サーガ』は『GONIN』(1995)の続編に当たっていて、両者の間には約二十年の歳月が横たわっている。思えばこの間に石井の筆づかいは、微妙に進化を重ねている。いつでも旧作を鮮明な画像と音質で楽しめる時代であるため、これまで未見であった若い人が『GONIN』を初めて手に取り、自宅で驚嘆のまなざしで観賞することも多いだろうと思う。気持ちもさぞかし踊るだろう。そのようにして旧作の『GONIN』の残像をあまり引きずり過ぎると、きっと来年に戸惑うことも起きそうだ。正統な続編に違いはないが、二十年の歳月は石井を変え、映画システムを変え、世界を別の色に染めている。

 たとえば普段は“見えない何か”の描写についてもそれは言えるのであって、特に2000年以降の作品はこの辺りの振り幅が大きい。『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)では泥酔が、『月下の蘭』(1991)では高熱が引き金を引いて幻影を生んでいたし、『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)では不安や恐怖心が夢か現か判別できない時間をもたらしていた。続く『GONIN』で竹中直人が見る家族はあきらかな狂気による産物と観客にも示されていたから、この辺りまでは誰の目にも分かりやすい様相を呈している。

 ところが『花と蛇』(2004)あたりから石井はその分かりやすさが物語の勢いを削ぐと感じたのか、それとも、人物の内面により踏み込んだ描写に徹する目的だろうか、境界線を明瞭にしないまま“何か”を見せることに物怖じしなくなっている。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(2013)と、その傾向は強弱の波はあるけれどずっと続いている。

 幻視や狂気する人物のふところにダイヴして、その迷走に私たちは同行させられる。彼らが見るものを説明なく見せられ、その事の衝撃と哀しみに共振していく。分かりやすさを追い求め、自ら袋小路へ歩んでしまった感のある平坦な映画づくりが多い中で、石井はなかなか登攀し得ない人の魂という岸壁を独り目指して見えるし、血まみれになってはり付いて見える。本来不可視であるべきものを見てしまったり、追いすがっていく人のこころを不憫と感じ、愛しく感じ、そこに寄り添おうと努めている。

 2015年という、この国の未来の透明度がいよいよ減じて不安定この上ない時期に『GONINサーガ』は産み落とされるものであり、石井隆という作家の二十年分の澱(おり)なり皺なりをも反映した顔に当然なる訳である。あれが違う、あの頃は良かったといった懐旧に陥ることなく、新しい鼓動に耳をすませることが肝心だろう。わたし個人とすれば、こわいぃぃ、こわいぃぃ場面が続き、劇場をへとへとになって出る羽目とになる新しい『GONIN』であることをこころから願い、今からあれこれ夢見てしまっている。






2014年7月5日土曜日

“砂伴霖(サバンナ)”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(2)~


 数ヶ月ぶりに沿岸の町へ足を運んだところ、道路の修繕が一段と進み、片へりには黒々とした毒蛇のごときケーブルを先に這わせたコンクリートの柱が立ち並んでおり、復興の手がいよいよ此処にも届いたかと大層驚かされた。茫洋とした真空地帯の面持ちは既にない。大型の工事車両が威勢よく行き交い、海岸線に目を転ずれば建設途上の白い防波提が万里の長城よろしくどこまでも連なり、異様な迫力をもって目に映るのだった。巨大な資金と労力が投じられた凄いものを見せつけられている感じがして、胃のあたりがざわめく。

 もっとも手品のようにするすると空中を渡って流れる電線の、分岐し、繋がっていく先は、一階をやられ、かろうじて二階部分で踏ん張りながら人が暮らしているらしい様子の数軒の深傷を負った家があるばかりであって、新築は見当たらない。黒い波の記憶に果敢に抗って郷里を再生せんと発奮する国や県の想いは伝わらないではないのだけれど、元々が過疎化の加速していた場処であったし、正直な話、このあたりの土壌を測ればやや高い数値が出るとも聞いている。以前あった町並みがすっかり元に戻るまでの道のりは、想像を超えた年数が必要かもしれない。

 業者以外の影がなく、道の左右は空き地となっている。瓦礫が取り除かれたざくざくした泥土から建物の基礎部分だけが鎖骨のように突き出し、海風に吹き洗われながら痛々しく陽に晒していた数ヶ月前までの平野が、いまや野辺になっている。視線の遥か先には陽の光に照り輝く堤の尾根(おね)がうねうねと続いているわけだが、そこまでは膝下ほどの背たけの夏草が隙間なく生え、緑色に埋め尽くしているのだった。人の倍ほどの高さの樹がところどころに、それもまばらに一本、また一本という具合に佇立し、左右対称に枝を伸ばしている。もちろん新たに植えられたものではなく、あの天災を生き残ったものである。この風景を前にして外国に来たようだ、アフリカのサバンナのようだと語るひとがいるが、確かに写真や映画で見るあの感じにひどく似ているのだった。

 間近で見たそんな奇妙な光景と、先日来ずっと考え続けている『GONIN サーガ』(2015)のことが頭の奥でくっついたり離れたりして、私のなかで渦を巻いている。石井の劇の原風景とどこか哀しく重なって見えた。たくさんの命が奪われた現実の地と、切った張ったの娯楽映画とを連結させて考える私の病癖に対し、不快を感じる人は当然いるに違いないけれど、わたしは石井世界を単なる夢の話とは捉えておらなくって、心の拠りどころ、いや、取り外しの利かない回路のようにして過ごしている。石井世界を考えることは自分を知る術であり、世界の淵に指先を伸ばして何かの端っこをつかみ取る方策である。

 表面上は可視できない領域となってしまったが、この草むらは長らく住まった人の、たくさんの係累が連れ去られたままとなった場処に違いはなく、そこを歩きながら、だからこそ余計に強く家族というものへ思いが馳せたのだった。突如生まれたこのサバンナには、記憶が確かに埋っているし、破壊された“家庭”が草の奥からそっとこちらを覗いている。

 振り返れば石井映画のほとんどが、可視化し得ないものとして家族を扱い、はたまた可視し得ない涯へと家族を追い込んでいる。冒頭で激甚な災厄が襲い狂って徹底的に破壊されるのだし、または、それさえ描写する暇も無く、あらかじめ解体されてしまっている。生き残った家族へも風が吹き寄せて、か細い炎はゆらめいて至極不安定だ。この執着は奇妙ながらも石井隆という作家を貫くひとつの特性、感性として無視出来ぬ点であろう。

 たとえば『死霊の罠』(1988 監督池田敏春)での怪人や『GONIN』(1995)の根津甚八と竹中直人なんかが演じた男たちは、すでに消散した家族の記憶を背負いつつ物語に登壇するのだったし、『月下の蘭』(1991)、『黒の天使 Vol.1』(1998)などでは幕が開いた直後に家族は殺害されていく。『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)にしても『死んでもいい』(1992)にしても家族は散り散りになる間際にあって、実際そのような道をたどってしまう。

 『フリーズ・ミー』(2000)、『フィギュアなあなた』(2013)では、主人公の苦境を救えたかもしれぬ家族は遠い田舎住まいであって、話すにしても電話の受話器越しに当たり障りのない内容をもぞもぞと交わすだけであるのだし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)にあっては、せっかく母がいて姉がいて、父親らしき存在さえあるのに彼ら自体が鬼畜の振る舞いで主人公の精神を圧壊させてしまう。ここまで家庭を消失させることに尽力して見える創り手は、東西を見渡しても稀有ではないか。

 『夜がまた来る』(1994)は苛烈な体験の数々がヒロイン名美(夏川結衣)を襲うのだったが、なかでも慄然とさせられるのは夫(永島敏行)が殺害され、火葬を終えた直後の場景であった。整頓し、小さな後飾りの壇を設けて骨壷と遺影を飾ったばかりのアパートの一室に名美とは別の人影がある。夫なのか名美なのか、どちらの係累にあたるか分からぬが、身振り口ぶりから近しい血筋の者と知れるのだったが、打ち沈む名美を独り置いて彼らはさっさと退場し、それを待ったようにして悪漢数名が部屋へ入り込んで暴れまくるのだった。家族というものが、係累というものがこんなに無力感を持って描かれる場面はあまり無いように思う。

 家族を追い立て、打ち倒していくことに作者がこだわる背景にあるのは、怨憎ではなくって、その逆の愛情なり憧憬が在るように感じ取っている。あえかに、けれど執拗に家族への回帰を望む吐息が全篇に薫る。『GONIN サーガ』を演出するに当たって石井は “家族たち”という語句を繰り返す、これまであまり見ないコメント(*1)を寄せているのだが、それは甘ったるい話を書くということで決してなく、凄絶な生き死にを通じての、肉親への裏返った愛慕の発露がこれまで以上の勢いとなって芽生え、萌えあがり、紅蓮の花弁を付けるという予告であろう。足元に埋もれた黄泉をひたすら覗きながら、野獣の群れなすサバンナを自らも野獣となって疾走することの宣言だろう。それを想うと今から緊張が避けられず、もの恐ろしい気分に包まれている。

(*1): http://www.cinematoday.jp/page/N0063839