2014年5月11日日曜日
“稜線をむすぶ”~『天使のはらわた 赤い教室』を巡って[6]~
『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曽根中生)の題名をウェブで検索すると、“傑作”という言葉が即座に返る。主演の蟹江敬三の死を悼む書き込みも多く、演技や存在感を褒めたたえるものが目につく。かれこれ三十五年も経っているのに、まだまだ愛されている。
はじめに断わらないと怖い気がするのだけれど、以下に書くのは私個人が漂着した、それも現時点に限っての読み解きとなる。一本の映画に想いを馳せれば、劇場に至る街路や取り巻いていた人間関係もありありと蘇える。先が読めずにむしゃくしゃしていたっけ、何とか映画がなだめてくれたのだったよな、そんな感傷に浸ることもしばしばだ。折々の心理状況は映画の色彩なり解釈を変えるし、記憶まで捩じ曲げるから、詰まるところ映画は人それぞれ、その時々のものとなり、誤解や思い違いも含めて各人の所有物と呼べるだろう。どのような『赤い教室』の評価があっても良いわけだし、各人が抱くそれを否定する気もなければ折伏(しゃくぶく)するつもりもない。
さて、曽根発言とこれを正そうとする「映画芸術」誌の書評(*1)について、どう捉えたらよいのだろう。方法はいたって簡単で、石井隆の書いた台本と完成作品を比較すればよい。手元には現物はないから、脚本を所載する「別冊新評 石井隆の世界」と「シナリオ」の二冊が頼りとなる。発行時期には五年程の開きがあり、前者は石井の劇画が熱狂的に読まれた頃に編まれた評論集であり、後者は『ルージュ』(1984 監督那須博之)の公開に合わせ、脚本家としての石井隆に焦点を絞った特集が組まれていた。
掲載されている二篇を比較すると両者の間に差異を探すのが困難であり、石井が自信をもって呈する『赤い教室』の全身像はここに尽きるということがわかる。また、末尾には注釈が添えられてある。「このシナリオはにっかつ映画「天使のはらわた・赤い教室」のために書かれた第一稿です。決定稿ではありませんが、もっともオリジナルなものであり、石井隆氏の希望によります」(*2)、「決定稿は、曽根監督がこの稿に手を加えて撮影台本としましたが、編集の都合上、石井氏のオリジナル第二稿を掲載しました」(*3) ───先ずこの数行を何度か読み返し、噛み締めなければなるまい。
話の腰を折ってしまうが、私が『赤い教室』にどう触れてきたかを先に書いてしまいたい。実はこれらの本の入手が先で、映像はかなり後から目にしている。脚本を読んで夢想するばかりの時間が長く続いて、その後で名画座かどこかで完成品を観たのだった。ふつうとは違う、ちょっと変則的な流れになってしまった。
その頃、つまり、わたしが『赤い教室』を観た時期の、劇画家石井隆は堂々たる面持ちだった。闊達且つ華麗な独自の世界を誌面に築いていて、何よりも描線に艶が乗っていよいよ美しいのだった。長編作品にはさまざまな大きさのコマや大胆不敵な見開きが挿し込まれ、人物の動作なり表情を緩急自在に操った。短編での語り口もあざやかで、色盛りの印象を強めた。【黒の天使】(1981)だったり【女高生ナイトティーチャー】(1983)がそれに当たるのだが、構図や適度なボリュームで盛られた台詞には映画に近しい薫りが充満し、すいぶん酔わされた。
また、脚本家としても着実に歩を進めていて、相米慎二(そうまいしんじ)や池田敏春と組んだ作品が次々に開花していた。『ラブホテル』(1985)や『魔性の香り』(1985)なんかを銀幕で観終わって外に出ると、街のどこもかしこもロマンティークな光を帯び、道行くおんなたちは誰もが秘密をかかえて見えた。すれ違うたびに濃厚に匂って、どぎまぎさせられた。石井の世界が急速に実体化して日常になだれ込んで来たように錯覚して、そわそわした気分にさせられるのだった。そのような劇画と映画世界の橋渡しが盛んに行われた日々に、やや出遅れて私は『赤い教室』を観ている。
『ラブホテル』やその少し前に撮られた『天使のはらわた 赤い淫画』(1981 監督池田敏春)といった作品は、もちろん各演出家の生理が反映されているし、お得意の技巧が随所に用いられていて、“彼ら監督の”代表作に数えられている。それと同時に石井の劇画世界を映像化することに対して妙な気負いや反撥が感じられず、結果的になだらかに稜線を結んで“石井の”作品にも成っていたように思う。
曖昧な表現しかひり出せなくてもどかしいが、石井世界には独特の気圧というか霧(ミスト)のようなものが各情景の隅々まで立ち込めていて、それを手で払いのけるような過剰な構築(セットであったり小道具だったりする)に走ってしまうと途端に劇そのものが求心力を失い、ぼんやりと拡散して安手のメロドラマ然としてしまう不思議な特性がある。『沙耶のいる透視図』(1986 監督和泉聖治)しかり、『ルージュ』(1984 監督那須博之)もそうだった。
わたしが石井の劇画に心酔するあまり、目新しい道具を異物として感じて拒絶反応を起こしているわけではなく、石井の劇は本質として極めてシンプルであり、視線は大概一点に、男女の立ち姿なり表情に誘導されていくのであって、その間無闇に目玉をきょろきょろさせるきっかけとなるものは巧妙に排除されるか、よくよく吟味された上でそっと置かれる傾向があるように思う。監督の体質が似ていたのか、それとも彼らなりの石井世界への歩み寄りの結果であったのか、その辺は今でも判然としないのだけど、『ラブホテル』や『赤い淫画』の寂寞とした空間構成はわたしの目線を心地好く縛り、結果的に石井世界の裾野に着地させられたのだった。
『赤い教室』をそれ等の後に観てしまった自分には、ああ、これはやはり昔の作品だな、ちぐはぐな部分は仕様がないな、と感じた訳なのだった。劇画で見たような河原なり公園を無難に選び、意識して似通わせた構図が劇中に点在しているにもかかわらず、何故かがちゃがちゃとして迷走する印象を抱いた。
不満に感じなかったのは、たぶん主演の水原ゆう紀のあごから唇にかけての、力んでぐっと硬い感じが石井の描く名美にすごく似ていたことがひとつ、それから酒場の二階で見せつけられる凄惨な場面が脳天を直撃し、総て押し流す勢いがあったからだろう。細かいところはどうでもよくなった。何より先に書いた新たな連結が始まっている以上は、石井にしても読者にしても、尾根をひたすら登りつづけるしかない、前に進むしかない、そのように感じられて『赤い教室』は自然と意識の外に追いやられたのだった。
(*1):映画芸術 2014年冬 446号 Book Reviews 倉田剛著「曽根中生 過激にして愛嬌あり」評 成田尚哉「『天使のはらわた 赤い教室』で何が起きたか?」
(*2):「別冊新評 石井隆の世界」 新評社 1979 218頁
(*3):「シナリオ」1984年9月号 シナリオ作家協会 140頁 『ルージュ』と『赤い教室』以外にも『天使のはらわた 名美』(1979 監督田中登)、それから『天使のはらわた 赤い淫画』も合わせて収められていて読み応えがある。
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