2019年4月29日月曜日
“まじらうこと” ~歓喜に近い愉悦~(8)
『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)で起きた人間と人間による小水の交じわり。これをどう嚥下して消化するのがよいか考える上で役立つ言葉はないかしらと書籍の山を手繰っていくと、ひとりの詩人の本と後日それに絡んで為された対談に突き当たる。詩人、歌人の釈迢空(しゃくちょうくう)の唯一の女弟子であった穂積生萩(ほづみなまはぎ)が著した「私の折口信夫(おりくちしのぶ)」と、穂積と山折哲雄(やまおりてつお)との対談を収めた「折口信夫のエロス 執深くあれ」という本だ。『天使のはらわた 赤い眩暈』を設計する局面で監督の石井隆がこれ等を読んだとは思えないが、あの奇妙で温かなカットを目撃した私たちが等しく抱えてしまう得体の知れぬ感動の根っこを説明してくれるのではないか。
浅学のわたしは折口信夫(釈迢空は折口の雅号)についてよくは知らない。三島由紀夫が彼(および穂積)をモデルにして書いた短篇小説「三熊野詣(みくまのもうで)」(1965)や折口の「死者の書」(1939)を漫画化した近藤ようこの作品(2015)を通じて触れた程度の実に恥ずかしい読書遍歴であるのだが、圧倒的な真摯さで古代日本を透視し続けた探求の生涯のその片鱗ぐらいは知っており、まばゆい対象と感じていた。本の中で穂積は師である折口との交流を通じて起きた大小さまざまな出来事を述懐すると共に、この民俗学の巨人の果てしない深慮と繊細過ぎる所作をそっと打ち明け、既に失われて久しい面影を生々しく刻んで後世に伝えることに成功している。
住環境や出入りする弟子たちが活写され、往時の折口を取り巻く諸相のいちいちが鮮やかに蘇える。廊下から微かに聞こえてくる足音や師の面前にぬかずく若者たちの物腰を鮮明に想像させ、より近距離での接見を許された感がある。
さて、折口をめぐる逸話のひとつとして紹介されていたのが小水に関するものであり、これが私には石井の『天使のはらわた 赤い眩暈』と通底するものと感じられた。極度の潔癖症であった折口は自分用と来客者用、別々の小便器を手洗場に備え付けさせていたのだが、女弟子の穂積としては奥にある別の形状のものを使うより仕方がない。穂積はある日折口に誘われ自宅を訪問した際にこの小部屋を使用し、その際に自分が折口にかつて送った手紙が切り裂かれ、落とし紙となって紙置き場にあるのを発見してしまう。折口の身の回りの世話をする者の観察では、穂積の手紙が屑篭に捨てられているのを見たことは無いと言う。つまりは尊敬と愛着をもって丁寧にしたためた自分の手紙が、折口の排泄時にわざわざ使われているという理屈となる。恥辱と怒りがぶくぶくと沸騰し、癒えない深い傷となって穂積を長年苦しめる。
没後二十年してから穂積のなかで整理されるものがあり、実は全くの見当違いであったのだと気付く。自分を軽んじ愚弄する目的ではなく、最も気持ちを許して身近に置いている事の証しではなかったか、という肯定的な考えに至るのだった。いかにも師のしそうな事ではないか。
「おしっこ、それは「わがふるさと」から迸(ほとばし)り出るものである。大切な大切なあたたかい液なのだ。それが他人のものとまじらうことは、実に不快だから(中略)便器を分けるのである。その反面、愛する人と尿がまじらうことは「いやではない」のではなく、むしろ歓喜に近い「愉悦」であり、すすんでまじりたいと思うような、ねちっこい愛の人なのである。」「うまく出来ている手紙は、こっそりと文箱に納い込んだ。(中略)出来のよくない手紙は──ふところにしのばせて朝の用便に愛をこめて秘所をふくのに使われた。」(*1)
折口と穂積の間に三十九歳という年齢の段差があるだけでなく、折口の同性愛の性行が両者の直接の触れ合いを許さなかった。しかしながら、いや、それ故にこそ、両者の体内から発する小水同士を他人に邪魔されない形で混同させる行為を通じて豊かな交情を果たそうと試みた気配がある。それを密やかに持続させようとする初老の男の想いというのは、極めて不自然ながらも明瞭な浪漫に染まっており十分に了解し得るものだ。
『天使のはらわた 赤い眩暈』に出現した“尿がまじらうこと”の後段で石井は、主人公の男女ふたりをモーテルへと誘導して直に交接させ、心身ともに親密さをより増す方向にうながしている。折口の場合とは違った展開へと物語は歩んでいくのだけど、愛する人と尿がまじらうことを歓喜に近い「愉悦」と捉え、すすんでまじりたいと思う事を愛情の自然体のひとつと考えて共有しているのはどうやら間違いなかろう。
性愛の熱狂に包まれるとき、きわめて稀ながら人は肉体の隷属を解かれる刻(とき)を持つ。自身と愛する対象との境界線が溶けて消滅する時間を過ごす。激しくも切ない愉悦を通じて生きている事をまざまざと実感する。石井の劇に頻出する“着装”にも通じることだけど、人間と人間との融合を図り、その目論見の成否をつぶさに追っているところが石井隆の創造の地平を貫いて在る。
(*1):「私の折口信夫」 穂積生萩 講談社 1978 76-77頁
この内容は「執深くあれ―折口信夫のエロス」 山折哲雄 穂積生萩 小学館 1997でも補強されている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿