2019年4月30日火曜日
“人間の真実”~歓喜に近い愉悦~(10)
せっかく折口信夫(おりくちしのぶ)に触れたのであるから、最後にそこを火口(ほくち)にして『花と蛇』(2004)に横たわる「不在」について書き添えたい。『花と蛇』でおんなを拐(かどわ)かすことを命じた田代という老人(石橋蓮司)は配下の男から“まれびと”と称される。しばらく前にある会合で『花と蛇』の“まれびと”って何だろうね、変な言葉だね、と話題に上った際にすかさず折口信夫の名を返してきた編集者がおり、さすが三百六十五日を文章に捧げている人は違うと唸った。えっ、オリクチ。あれ、違うかな、ごめんなさい、で会話は終わってしまったのだけど、瞬時に言葉を結線させる速さと管轄領域の広さには舌を巻いた。この奇妙な呼び名は劇中に一度きりしか出て来ないのであるが、内実の詰まった質感を映画全体に与えているように思う。
さて、“まれびと”とは折口が蒐集し展開させた異界の者を通常は指す。折口自身の著作に追えば、次のような一文が返ってくる。「まれと言う語の溯(さかのぼ)れる限りの古い意義に於て、最少の度数の出現又は訪問を示すものであつた事は言はれる。ひとと言ふ語も、人間の意味に固定する前は、神及び継承者の義があつたらしい。其側から見れば、まれひとは来訪する神と言ふことになる。ひとに就て今一段推測し易い考へは、人として神なるものを表すことがあつたとするのである。人の粉した神なるが故にひとと称したとするのである。」(*1)
民俗学と石井隆はあまり繋がらないように思えるが、神と石井のラインというのは軽んずる事が許されない間柄である。西洋絵画を通じて信仰に触れ、これを大胆に引用して独自の伽藍を築いてきた石井隆であるから、どうしても私たちはキリスト教的なイメージと石井の創る映像を重ねようと努めてしまうのであるが、もしかしたら石井は土着的な我が国の神仏や呪術についても消化し、「気付かせないで見終えるくらいの」繊細な匙(さじ)加減でそれ等の要素を振り掛けているのかもしれない。
巨額の富を持ち、政財界を牛耳る田代老人は神に似た万能力をふるう存在であり、確かに“まれびと”という綽名(あだな)もふさわしいように感じるが、そう納得すればするだけ寂寥とした想いが湧き上がる。私たちの見知った甲斐性なしのこころ優しき凡人“村木”とはまるで違った存在がおんなの前に出現している、その事のどうしようもない「不在」の寂しさである。
役者石橋蓮司の強烈な容貌と、終幕での床面を蛇状となって這い伝う驚くべき演技にひどく圧倒されてしまった私たちは、田代という男を醜悪な怪物、人ならぬ欲望の権化というイメージで捉えている。それはそれで驚嘆と熱狂がフィルムに宿った証しであるから素晴らしいことなのだが、最初のモニター越しにヒロインを発見し恋に落ちる状況と、本来あるべき救出者としての立ち位置をよくよく意識すれば、あれだって“村木”の変奏と言えそうだし、たとえば演じ手として根津甚八という線だってあったかもしれない。身体を壊した上に不運続きとなり、当時世間から身を隠すようにしていた根津を視界の隅に置いていればこそ、役柄として無理をかけない寝たきりの、移動するときは車椅子の“村木”像が石井の脚本に現出した可能性もあるように思う。
それでは百歩譲ってあの怪物が村木であったとして、劇の様相は変わったであろうか。美丈夫の片鱗を残した白髪の老紳士だったらどうだったか。趣きは違ったかもしれないが、本質は何も変わらなかった。石井の監督した映画作品の台本をいくつか入手して完成されたものと照合すると、綴られた内容とフィルムに定着したものに乖離がほとんど生じていないことが分かる。それは『花と蛇』でも同じであっただろう。田代はあの通りの田代であり、我々がよく見知った金はないけど手と口を出す村木ではなく、金は出すが手を出さなければ言葉も発しない何処か隔てられた場処にいる神だった。
また、端的に“まれびと”とは秋田のナマハゲに代表される山海の神であり、祝祭の日や年越しの夜に現れて村落の家々を廻る異形の者たちを指している。こちらの方がよく知られているのではないか。彼らがやって来る目的は何かと言えば「地域社会の側からすればどちらも年/季節の変わり目に福をもたらす「来訪神」であることに変わりなく、どちらも歓待すべき対象であった」(*2)のであって、つまりは異様な風体はしているが「福の神」であった。
「福の神」であるべき者がおんな(杉本彩)を最終的に狂わせ、歓喜に近い愉悦とは程遠い無限回廊へと突き落としている。この点に関しても私たちは咀嚼する必要がある。石井隆はすれ違いの景色をたくさん描いて来た。人が人を救うことなど容易なことではないのにそれでも声を掛け、どうしても手を差し伸べてしまう男がいる。そんな視線があるのをおんなは気付いているのだが、結果的に両者の想いは結実しない。短絡過ぎるかもしれないけど、そんなすれ違いが縷縷綴られている。『花と蛇』はすれ違ってもいない。ここまで噛み合わない神とおんなというのは絶望的である。
最後の最後までおんなは神の意図を知ることがない。そもそも神の意図するものが私たち観客にもよく分からない。人工的な地獄を金に飽かせて造り上げ、そこにおんなを陥れて苦境を演出する。田代老人はそこに颯爽と現れておんなを救う振りをする訳でもなく、むしろ彼女の逆襲を怖れて拳銃を携える始末である。“村木”的ポジションの男が滅多矢鱈に苦境だけを築いていく『花と蛇』の展開は、石井の作劇の流れのなかで最も漆黒の闇に閉ざされ光の見えないドラマとなっている。原作を貫く無限地獄と通じるところがあるから、問われたなら石井はそれが狙いだったと答えるのだろうか。
それにしても痛々しく、積年のファンは古(いにしえ)の処刑道具、鋼鉄の処女に放り込まれた如き気分になる。石井の創作の脊髄となっている“救出”の完全な「不在」をこそ、ただただフィルムに刻印すべく徹底して骨折っているようにしか見えない。
上に写した折口の文章の別の箇所に、次のような記述もある。「まれびとは古くは、神を斥(さ)す語であって、とこよから時を定めて来り訪ふことがあると思はれて居た」(*3) とこよとは「常世」であり折口は「理想郷」と説明しているが、私たちの概念に広く巣食う「常世」とは死者の国、黄泉も含まれている。過去どこで何を喪失したのか明確には語られないが、田代老人はおんなの踊る姿をモニター画面で見初(そ)めて奮い立ち、無謀な行動を起こす。けれど、満身創痍で車椅子から立ち上がる事すら叶わないのだ。「死」の重い霧に全身を包まれていて、それでも失った過去を蘇えらせようとして躍起になるのだが、結局は救出なのか復讐だったのか、それとも追憶だったのか、一向に判然としない男の目論みは完膚なきまで瓦解分裂して総崩れとなるのである。
“村木”の不在、救出の不在、死の霧の蔓延。“まれびと”という呼び名の採用はわずか一行、一瞬であるのだが、その背景には極めて暗いものが渦巻いている。石井は作品自体から離れた解釈を嫌うだろうが、当時の石井の真情が漏れ出ているのではないかと私はしつこく疑っている。身近に起きた家族との永別がそれ等を呼び込んで見える。映画の制作は大金勝負だ。数千万円、場合によっては数億円を預かる立場の者が私情に流されるのは危険だし許されないのだろうが、ひとりの画家、創作者、人間として見るとき、それは防ぎようがない事だし、当然許されてしかるべき性格のものだ。いや、むしろそうありたいように願う。それが私たち観客が本来待ち望む芸術ではなかろうか。
人が人と知り合いそれぞれを愛することの本当の姿を、別れることの身を切る辛さをフィルムのコマに焼き付けている。失意のどん底にある友人を慮りながら、けれど、これまで積み上げてきた画法と文法をずたずたにして己自身を思い切り鞭打っていく。それが石井隆であり、彼の『花と蛇』であった。ここまで自分を責めて責めて、さらに責めぬく公開処刑じみた作業を自ら強いる作家をそう多くは知らない。人間の真実が透かし込まれているから、あんなに荒唐無稽なのに私たちの胸ぐらを摑んでいつまでも離さない。
(*1):「国文学の発生(第三稿)」折口信夫 1929 「全集」第1巻 中央公論社 1995 所載。「魂の古代学―問いつづける折口信夫」 上野誠 新潮社 2008 101-102頁より転記
(*2):「「来訪神」行事をめぐる民俗学的研究とその可能性」 石垣悟 「来訪神仮面・仮装の神々」岩田書院 2018 所収 71頁
(*3):「国文学の発生(第三稿)」折口信夫 1929 「無形文化遺産の来訪神行事」 福原敏男 「来訪神仮面・仮装の神々」岩田書院 2018 所収より転記 14頁
“気付かせないで見終えるくらいの”~歓喜に近い愉悦~(9)
『花と蛇』(2004)という作品について、これまでどの評論家も丹念に読み解こうとはしなかった。興行的には大成功を収め、週刊誌のグラビアは主演女優の姿態で覆い尽くされていたから、その意味で実に幸せな作品と言えるのだろうが、大衆娯楽の域を越えて石井隆というひとりの創造者の作品としてどのように位置づけるべきなのか、真っ向から観賞して思考を重ね、言葉をひり出して新たな見解を誌面に綴り、観客や読者に伝えようとする猛者はいなかった。要するに誰もが戸惑い、語る事を恐れた。私たち石井隆の世界を愛する者にとってここまで識者たちが沈黙を通した事は何とも淋しいことであって、今も欠落感に苛まれるところがある。
物語は時系列的に進まぬ箇所もあり、舞台構造は乱れに乱れる。主人公のおんなを責め苛むそれぞれの状況は一見脈絡なく点描風に配置され、明け方に見る悪夢の印象を観客に与える。ひどく抽象的と捉える人も出てくる始末で、石井隆の映画を愛すると公言する人であっても当作品の題名が口から発せられることは絶無に近い。
判官贔屓という訳ではなく、この『花と蛇』に惹かれて止まないところが以前から私にはあって、それが何から発せられているかを折に触れて考えてきた。感覚的な表現になってしまうが、筆跡が粗く残っているような力強さがある。透明感で定評のある水彩画の巨匠が画材を油絵具に替え、さらに筆をこれまでの数倍の太さに換えて大きな画布に挑んだ雰囲気がある。絵画ではなく工芸に例えるなら、塗装をしていて厚く盛られて脈打つ部分をあえてそのままにしている、そんな荒々しくも人間的な趣きが宿っていると受け止める。普通なら紙の鑢(やすり)で削り、さらに粗目と極細二種の研磨材で表面をてらてらと輝くまで磨いていくところを急に放置し、血管のように盛り上がったまま固まった塗料の筋を睨め付けながら、これで良いんだ、この方が良いんだ、単純に磨けば良いと思う奴には勝手に思わせてやれば良いんだ、と決然として作業を中断する職人の気配がある。
一点突破で解読する事が出来ない多層性、多角性が石井の作品にはあるから、自然とあっちこっちの方向から間欠的に考える日々を送ることになるのだけれど、先述した“小水”という小道具から『花と蛇』を改めて直視したらどうなるものだろう。劇中拉致されたおんな(杉本彩)は大量の利尿剤を無理矢理に呑まされ、堪え切れずに衆人環視の中で小水を迸らせる羽目に遭うのだが、あれに何かしら託されたものは無かったのだろうか。
我が国に限らず被虐嗜好を扱う物語において小水の放出を見る、見られるというのは一般的であるから、『花と蛇』にその場面があっても特段の不思議はない。直々の指名でもあるからと容貌麗しいタレントを差し出され、当人も承知の上だ、存分に腕を揮うが良いと言われた料理人石井隆が、フルコースの一環としてそんな失禁場面を組み込んだとして可笑しな点は全然ないのだし、実際公開当時の各誌のインタビュウで石井は次のように発言もしている。
「この映画で表現したかったのは、凄いとか怖いとかいったように、五官を直接的に刺激することで、たとえ文法から外れていても、それを気付かせないで見終えるくらいのアメージングな世界。」(*1)「観る人の心を騒がせる、何かちょっとファナティックな方向に持っていくような装置をいっぱい作ったんです。」(*2)「徹底して観る人の映画的なものに訴える映画、そこを僕はずっとやってきたわけですから。役者たちの肉体、皮膚感覚、息づかい、汗──そういった実体そのものが語る力を信じたい」(*3)
小水の漏れ出る様子を接写して汗や血の流れるのと同様の、人間という存在の本源部分に訴えることを石井は狙っている訳だから、その描写のあくどさは一向に『花と蛇』という映画からも石井隆の思惑からも乖離するものではない。私たちは茫然として言葉を失い、雷光に慌てるように、哀しく雨に打たれるように、豪風に揺すられ大いにたじろぐように、夏の陽射しにじりじり焼かれ喘ぐようにして、為すすべなく慄(おのの)きながらおんなの肉体から噴射される液体を目撃すればそれで良いのだろう。
『花と蛇』とはそういう映画で、石井隆とはそういう場面を撮る監督で、ああ吃驚した、おしっこがしゃあしゃあ出てたね、なんて猥褻でなんて美しいのだろうね、さあ、満足したぞ、明日から気分を変えて頑張ろう、といま観た光景を忘れに掛かってもそれはそれで良いのだろう。しかし順を追って石井がどれほど執深く小水という事象を突き詰めて捉え、自身の作品にどのように組み入れて来たかを振り返ってしまえば、そう単純に振り切ることは出来ないのではないか。
【初めての夜】(1976)のような生理的嫌悪がともなわないのは嗜虐性向を持つ者たちが密かに集う宴(うたげ)の話であるから当然にしても、【今宵あなたと】(1983)や【果てるまで】(1979)、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)で見られた死に際ぎりぎりで生ずる自己承認欲求や愛する相手との切実なまでの融合願望がすっかり形として抜け落ちている点を私たちは記憶に刻む必要があるだろう。
寄ってたかって男たちに小突き回され、薬を飲まされて排出された小水であるのだが、それを指示した男(石橋蓮司)の存在をおんなは一切感じ取れない。うがった見方をすれば、男は魂の連結器たる小水を薬の作用で招き寄せたのであるから、相応の熱情が込められた図式であるはずなのだけど、【今宵あなたと】や【果てるまで】、『天使のはらわた 赤い眩暈』、そこに【初めての夜】や『死んでもいい』(1992)を加えても良いが、相手の存在が確実にあって為されたこれまでの劇とはまるで構図が違っている。両者の距離がずいぶんと有り、互いを見守ることが出来ない。無理強いされて出されたそれをおんなは自己の分身と捉える気持ちのゆとりもないから、嗜虐雑誌の口絵(1973)にあった内観の時間も与えられない。相手もいなければ自分もいない。『花と蛇』とは、無い無い尽くしの映画である。これは意図されてそういう形になっている。
多くの石井世界の愛好者は『花と蛇』を語るとき、「名美と村木」の不在を嘆きがちだが、石井隆がときに「不在」さえ表現する作家である点を忘れてはならない。不在をあえて強調し、真空の空隙に薄っすらと輪郭を作るという怖ろしい表現を石井は時にする。台風の渦の中心にある目のような具合に「不在」を描く。混沌とした肉色の坩堝の中心域に「名美と村木」の抱き合うシルエットが“空虚”という手段で置かれている。そこを見抜けるかどうかで、『花と蛇』の色調はすっかり反転するように思われる。
(*1):「映画であることの必然性に改めて立ち返ってみたかった」 インタビュアー 北川れい子 「キネマ旬報 2004年3月下旬号」 91頁
(*2):「彼女が何をぼくに賭けているんだろうと思ったときに、躊躇しちゃいけないと思ったんです。」 テキスト 渋谷陽一 「Cut 2004年4月号 №162」 140頁
(*3):「杉本彩の肉体の圧倒的な力を表現したかった」 文・構成 松井修 「映画秘宝 2004年4月号」 83頁
2019年4月29日月曜日
“まじらうこと” ~歓喜に近い愉悦~(8)
『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)で起きた人間と人間による小水の交じわり。これをどう嚥下して消化するのがよいか考える上で役立つ言葉はないかしらと書籍の山を手繰っていくと、ひとりの詩人の本と後日それに絡んで為された対談に突き当たる。詩人、歌人の釈迢空(しゃくちょうくう)の唯一の女弟子であった穂積生萩(ほづみなまはぎ)が著した「私の折口信夫(おりくちしのぶ)」と、穂積と山折哲雄(やまおりてつお)との対談を収めた「折口信夫のエロス 執深くあれ」という本だ。『天使のはらわた 赤い眩暈』を設計する局面で監督の石井隆がこれ等を読んだとは思えないが、あの奇妙で温かなカットを目撃した私たちが等しく抱えてしまう得体の知れぬ感動の根っこを説明してくれるのではないか。
浅学のわたしは折口信夫(釈迢空は折口の雅号)についてよくは知らない。三島由紀夫が彼(および穂積)をモデルにして書いた短篇小説「三熊野詣(みくまのもうで)」(1965)や折口の「死者の書」(1939)を漫画化した近藤ようこの作品(2015)を通じて触れた程度の実に恥ずかしい読書遍歴であるのだが、圧倒的な真摯さで古代日本を透視し続けた探求の生涯のその片鱗ぐらいは知っており、まばゆい対象と感じていた。本の中で穂積は師である折口との交流を通じて起きた大小さまざまな出来事を述懐すると共に、この民俗学の巨人の果てしない深慮と繊細過ぎる所作をそっと打ち明け、既に失われて久しい面影を生々しく刻んで後世に伝えることに成功している。
住環境や出入りする弟子たちが活写され、往時の折口を取り巻く諸相のいちいちが鮮やかに蘇える。廊下から微かに聞こえてくる足音や師の面前にぬかずく若者たちの物腰を鮮明に想像させ、より近距離での接見を許された感がある。
さて、折口をめぐる逸話のひとつとして紹介されていたのが小水に関するものであり、これが私には石井の『天使のはらわた 赤い眩暈』と通底するものと感じられた。極度の潔癖症であった折口は自分用と来客者用、別々の小便器を手洗場に備え付けさせていたのだが、女弟子の穂積としては奥にある別の形状のものを使うより仕方がない。穂積はある日折口に誘われ自宅を訪問した際にこの小部屋を使用し、その際に自分が折口にかつて送った手紙が切り裂かれ、落とし紙となって紙置き場にあるのを発見してしまう。折口の身の回りの世話をする者の観察では、穂積の手紙が屑篭に捨てられているのを見たことは無いと言う。つまりは尊敬と愛着をもって丁寧にしたためた自分の手紙が、折口の排泄時にわざわざ使われているという理屈となる。恥辱と怒りがぶくぶくと沸騰し、癒えない深い傷となって穂積を長年苦しめる。
没後二十年してから穂積のなかで整理されるものがあり、実は全くの見当違いであったのだと気付く。自分を軽んじ愚弄する目的ではなく、最も気持ちを許して身近に置いている事の証しではなかったか、という肯定的な考えに至るのだった。いかにも師のしそうな事ではないか。
「おしっこ、それは「わがふるさと」から迸(ほとばし)り出るものである。大切な大切なあたたかい液なのだ。それが他人のものとまじらうことは、実に不快だから(中略)便器を分けるのである。その反面、愛する人と尿がまじらうことは「いやではない」のではなく、むしろ歓喜に近い「愉悦」であり、すすんでまじりたいと思うような、ねちっこい愛の人なのである。」「うまく出来ている手紙は、こっそりと文箱に納い込んだ。(中略)出来のよくない手紙は──ふところにしのばせて朝の用便に愛をこめて秘所をふくのに使われた。」(*1)
折口と穂積の間に三十九歳という年齢の段差があるだけでなく、折口の同性愛の性行が両者の直接の触れ合いを許さなかった。しかしながら、いや、それ故にこそ、両者の体内から発する小水同士を他人に邪魔されない形で混同させる行為を通じて豊かな交情を果たそうと試みた気配がある。それを密やかに持続させようとする初老の男の想いというのは、極めて不自然ながらも明瞭な浪漫に染まっており十分に了解し得るものだ。
『天使のはらわた 赤い眩暈』に出現した“尿がまじらうこと”の後段で石井は、主人公の男女ふたりをモーテルへと誘導して直に交接させ、心身ともに親密さをより増す方向にうながしている。折口の場合とは違った展開へと物語は歩んでいくのだけど、愛する人と尿がまじらうことを歓喜に近い「愉悦」と捉え、すすんでまじりたいと思う事を愛情の自然体のひとつと考えて共有しているのはどうやら間違いなかろう。
性愛の熱狂に包まれるとき、きわめて稀ながら人は肉体の隷属を解かれる刻(とき)を持つ。自身と愛する対象との境界線が溶けて消滅する時間を過ごす。激しくも切ない愉悦を通じて生きている事をまざまざと実感する。石井の劇に頻出する“着装”にも通じることだけど、人間と人間との融合を図り、その目論見の成否をつぶさに追っているところが石井隆の創造の地平を貫いて在る。
(*1):「私の折口信夫」 穂積生萩 講談社 1978 76-77頁
この内容は「執深くあれ―折口信夫のエロス」 山折哲雄 穂積生萩 小学館 1997でも補強されている。
2019年4月28日日曜日
“地を這う二筋のもの” ~歓喜に近い愉悦~(7)
映画監督石井隆の処女作『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)には、観る度に強い感興をもよおす場面が含まれる。石井の劇空間を愛するひとにはよく知られたカットだが、床面を這う二筋の小水が交じり合うのだった。
夜勤の看護士のおんな(桂木麻也子)はある日、患者から暴行されかけて深く傷つく。へとへとになって帰宅してみれば、留守中あろうことか恋人が別のおんなを部屋に引き入れているのを目撃する。寄港を情無用で拒絶された不運な旅客船のようにして、あたふたとおんなは部屋を飛び出していく。もうひとりの主人公である男(竹中直人)は証券会社の営業職であるのだけれど、急場を凌ごうとして客から預かった金に手をつけ、目論見は当然ながら崩れて進退が窮まっていた。どうしよう、もう駄目だ、頭がはち切れんばかりになってハンドルを握っていると急に前方の視界を影がよぎり、とっさにブレーキを踏んだが間に合わずに撥(は)ねてしまう。疲弊し尽くした男女ふたりが偶然に路上で鉢合わせし、交通事故という最悪の形で出逢ったのだ。
男は絶望の黒雲に包まれながらも保身と自棄が半分半分の逃避行に走り、意識のないおんなを助手席に押し込むと廃墟ビルに連れ込んで軟禁する。そこから奇妙な隠とんの時間が始まるのだけど、ある時、ふたりは同時に尿意に襲われてしまい部屋の左右に分かれて緊急避難的に排尿を行なうのだった。すると何ということか、両者の小水は球根が根を伸ばすように床面をゆっくりと這い進んでいき、やがてひとつに交じり合ってしまう。これにはひどく驚いたし、また奇妙な感動を覚えた。
体温を帯びて床面に放出され、十分には冷却されていない二種類の体液が右と左から部屋の真ん中にやって来て、たぷたぷとわずかに波打ちながら合流していくその奇観はどこかほのぼのとして温かい、のどかで幻想的な面立ちと感ぜられたのだけど、感動の正体を十分に摑めないのだった。不浄とは思わず、扇情されることもなく、どうにも表現しにくいもどかしくも柔らかい気持ちにぼうっと包まれた。ただただ不思議な感覚ににじり寄られながら、言葉無く混合する様子を見守った。
男とおんなの警戒がほぐれて、意思の疎通が開始されたという意味合いだろうと推察されたものの、これを小水で表現するというのは尋常ではない。私たちは小水を使ってのそのような交感の術を通常は持たないし、普通は試そうともしないだろう。
「血」が混じる、「血」に擦り寄るという場面は映画や小説に探せば幾つも見つかり、また、そんな描写に私たちは理解と共感を覚えもする。血は我が国の劇づくりで瞬間接着剤のようにして人と人の隙間を埋め、情感を高め、口に出来ない様ざまな想いを代弁してきた。それは歌舞伎でまず実践され、現在の石井隆作品を代表とする血の活劇へと至る道である。
坪内逍遥(つぼうちしょうよう)は幼い日から歌舞伎の舞台に親しみ、其処で受けた衝撃と困惑、そして愛着を連綿とある文章に綴っている。「昔は、すべての殺傷の場では、蘇芳(すおう)汁(*1)を、それはそれは夥しく使ったものである。そうして、いよいよ絶命するまでのディテールの長くあくどかったこと!」「ああ、何だか、色ッぽいような、無気味なような、妙にごたついた、奇妙な変な夢を見たとばかり思ふやうな感銘を残させる」「この残忍を好み、猥褻を喜ぶという情癖は、それが彼の原始時代には最も大切であった戦闘本能の一面の現れであるだけに、(中略)依然として潜在していて、何等かの大変動によって、一旦自制力を失ったりといふと、卒然として発作するものであるらしい。」(*2)
このように「血」であるならば、私たちの細胞に居座りつづける本源にすんなり直結して素直に了解されるものだ。たとえば谷崎潤一郎の「お艶(つや)殺し」の作品の中盤に血みどろの描写がある。自分に恋着する男の心を利用して、邪魔と感じる別の男の殺害をけしかけて成功させるヒロインお艶は、道具に使った新助を上手くなだめた上で「小躍りして喜びながら、血糊だらけの男の胸に跳びついた」のだった。識者のひとりはこの場面について次のように綴る。作品を「支える殺しの美学、それがもたらす戦慄は、情念的であるよりは、ひどく官能的である。流血は女体の官能をかきたて、官能は血を吸って美しく肥え太る」のであって、「血糊だらけ」は単純な場景説明ではないのだ。「生死のあわいに噴出する情念」「高揚する観念」「あるいは臨終(いまわ)のきわに戦慄し、痙攣する心理や感情」「つまりは、いっさいの人間的なるもの」を代弁するところが流血場面にはあると分析している。(*3)
普段はあまり深く考えないが、物語空間における「血」とはそこまで饒舌なものであるし、共通言語となって即座に情報や想いを伝える能力を具えている。現実においても歴史資料館などで血判状と呼ばれるものを目にすると、そこに込められた人々の窮迫を認め、極めて人間的な声や動作が次々に浮んでも来る。あれなどは「血」の力が時代を越えて影響することを示している。
現代劇において『天使のはらわた 赤い眩暈』と似たようなカットを探せば、小水ではなく「血」であるならば即座に見つけることは出来る。ある空想科学映画の終幕は真新しい雪の上で男とおんなの血が交じり合うカットであり、『天使のはらわた 赤い眩暈』と様態が極めて似ている。空飛ぶ円盤の目撃者の血液成分に変異が生じてしまい、鉄分が銅へと入れ替わることで色素が赤色から青色へと極端に転じてしまう。それが母から子へ遺伝的に継承される事が判明し、社会と政治にどんよりとした恐怖が蔓延した末に全地球的な聖夜の大量虐殺へと発展していくのだったが、絶命したおんなの血がとろとろと雪面を這い進んでいき、男の身体を染めるものと一体になる最終場面の構図は私たちの脳内で容易に消化されて瞬く間に血肉化されたように思われる。添い遂げる事が出来なかった恋人の無念を思い、また、血の差別という字面を通じて歴史の反省と未来への警告を読み取った。「血」は、その交わりは、去来する想いに一瞬で充たされる。(*4)
『天使のはらわた 赤い眩暈』の廃墟ビルの一室で、おんなの股からいつまでも止まらぬ血が流れ続け、反対側に立つ男の性器からこれも憐れなるかな血尿が凄まじくほとばしり続けてやがて合流するようであれば、これは先の識者の表現を借りれば「臨終のきわに戦慄し、痙攣する心理や感情」が出るにしても両者はそこで貧血と腹痛で青ざめ卒倒し、もう隠とんどころではないよね、恋路も浪漫もどうでもよい、救急車を呼ぼうよ、あっ、サイレンの音、やっと来たね、それじゃさよならね、悪いことしたね、じゃあね、でお話は終わってしまうから駄目なんだけど、では小水が平穏無事にちょろちょろと流れ下って交じわっていく事が普通であるかといえばやはり頓狂なところがあって、そんな場面を映画にしてみようと考える石井隆はやはり面白く、まったくもって特殊過ぎる思想家である。
(*1): 蘇芳色(すおういろ)とは黒味を帯びた赤色。蘇方色、蘇枋色とも書く。蘇芳とは染料となる植物の名前で、インド・マレー原産のマメ科の染料植物を指す。心材や莢にブラジリンと言う赤色色素を含み、この色素を用いて明礬で媒染すると赤色、木灰などのアルカリ性水溶液だと色見本に似た赤紫、鉄を用いると黒っぽい紫(似紫)に染め上がる。今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われている。(wikipediaより)
(*2):坪内逍遥 「東西の煽情的悲劇」 春秋社 1923
(*3):「近代文学における流血と死 森鴎外と三島由紀夫」 蒲生芳郎(がもうよしろう) 「日本における流血と死の哲学」 菊地久治郎 編 帰徳書房 1954 所載 11頁、18頁
(*4):「ブルークリスマス」 監督 岡本喜八 脚本 倉本聰 1978
2019年4月14日日曜日
“自己愛” ~歓喜に近い愉悦~(6)
日頃意識し得ないものに対して、私たちは言葉を多く育てない。執着なり困惑を経て、縦糸と横糸が交差するように思案が連なる局面に至り、そこでようやく言葉が群れを成して揺らめき現われる。他のひとは知らないが、私は小水について意識して来なかったから、自然これに関する言葉を蓄えられなかった。どこまで、どのように小水を捉えるべきか皆目分からない。そんな訳だから石井隆が劇中に描く小水について、これを単刀直入にあれこれ綴ることが上手くいかないでいる。
老廃物を体内から追い出すという日常生活に付随した現象である以上、極めて馴染み深い存在に成ってはいる。「ほとばしる」「いばり散らす」といった言葉の語源も一説には小水と関わるらしい。今日だって三度厠(かわや)に足を運んでいる。そろそろ下腹部がこそばゆい感じとなり明らかに尿意を覚えているから、間もなく椅子から立ち上がり、小走りに部屋を横切って扉を開けて、ビニール製のスリッパを急いで突っ掛け、しばしの時間白い陶器に向かって今日四度目となる放尿を味わうことだろう。そのとき小水はドリルビット(刃)のようにねじれ運動を起こしながら空中を飛翔し、直ぐに壁に当たってむなしく垂直方向へと落下して視界から未来永劫失われるのだ。暗渠を潜って浄水場に辿り付き、活性汚泥槽でごぼごぼと処理された上で河にざぶざぶと捨てられ、遠くへと旅立っていく。意気地のない私を置き去りにして、果敢に海原へとひた走る。
健康診断を受けに医療センターまで足を延ばせば、同じ時間帯に列を作る男たちがそれぞれ紙コップに採取した面立ちの違うものを眺める瞬間もある。蜂蜜色の明るいものもあれば、蜜柑の皮みたいにやや落ち着いた色調もある。時にはブラッドオレンジの果肉を絞ったかの如き強面のものがあり、提供者の体調を陰ながら慮ったりもする。半月ほど経って封書形式で渡される検査結果にはプラスやらマイナスやらの記号が並び、小水が私たちの健康状況を透かし見る上で重要な立場にあることも理解している。
出張の折に腎炎を患い、ユニットバスの薄暗い灯かりの下で対面する妙に濁った小水におののきもした。大量の汗を吸ってぐっしょり濡れた寝具に戻ってくるまったときの心細さといったらなかったが、小水という奴は体調次第で千変万化し、それを見る私たちの顔色まで変えてしまう。そんな健康面においての連環については、たぶん誰でも容易に言葉をひり出すことは可能だろう。
しかし、情緒や恋情に関わる小道具として、そしてまた、どうやら「雨」や「血」と同程度の魂の化身として石井の劇に登用されているらしい小水について、踏み込んだ言葉でこれを玩味し、作家性に結び付ける考究はなかなか進まない。悪戯に書物をめくり、小水をめぐる表現をあれこれ探して補填するべく足掻いているが、どう捉えて良いか難しいところがある。
たとえば石井がかつて描いた絵(*1)に小水を主題にしたものがあり、休日の起き抜けに静かに対峙しながら答えを待ってみたりもするのだけれど、そうそう直ぐには返って来ない。穴の開くほど見返したりもする日々なのだが、見れば見るほど奥深く妖しく感じられる。多角的、多層的な作風を持ちながら、けれど全てが通底して見える石井世界の大伽藍のなかで小水とは一体全体なにか、どんな想いが込められているのか。
この絵は二枚連作の形式を取っている。一枚目の構図は反射する床面を下半分に大きく配置しており、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggioの「ナルキッソス Narcissus Narciso(伊)」を参考にして描かれたと想像される。ギリシャ神話を題材とするカラヴァッジョの絵の中の美少年は、水面を鏡と成し、自身の顔立ちをしきりに確認していたのだけれど、石井の絵の方は光沢あるタイル石か鏡面仕様の平板にしゃがみこんだ黒いスリップ姿のおんなが描かれている。
床方向にうつむくおんなの横顔は堅く、その瞳が注視する先は判然としない。長い睫毛に半ば隠れるようであり、いや、そもそも虚空を睨んで焦点を結んでいないようにも見える。頁構成から、そして、おんなの姿態の変化からも時系列的に次に展開された連作の風景を並べ置けば、彼女の関心は自身の整った容貌ではなく、もっぱら自分が排泄した小水の透明度や粘性、色調といったものに深く魅せられているのがようやく分かってくる。
闇のなかでぼうっと反射する床面にむけて放尿をしているのだけど、これを小型の丸い観賞用ガラス鉢に受け止めようとおんなは腐心しており、その鉢の中には水中花が六つほど揺らめいている。「ナルキッソス」に触発されたと想像される絵であるから、ここに描かれてあるのは自己愛である。実際この絵に異性の影は一切見当たらない。作品世界の画布の外側に蠢く男たちを気遣うこともなく、私たち読者も完全に捨て置いておんなは自分の世界に没入している。
しかしながら、ここが特異で驚かされるのだけど、おんなは反射面に映し出された半裸の己の肢体には左程見惚れている様子はなく、黄金色の体液で満たされたガラスの小鉢に目を寄せて息を吐き、そこにたゆたふ花とそれを包むものにこそ恍惚となっていくのである。小水を果てなく凝視め続けて一切飽くことなく、ひたすら観察に邁進している。一種の自己愛に他ならないけれど、容姿ではなく体液について懸命に手探っている。外面を装うのではなく、徹底した内観へと歩んでいるところが凄絶でこの絵に独自の迫力を生んでいる。
ベビー服さながらの健診着姿で、手を汚さぬように集中して採った紙コップの液体を見下ろし、その泡(あぶく)が徐々に消えていく様子を見やりながら検査数値ばかりを気にする我ら庶民の思考とは明らかに違う、崇高で真剣な自己探査がここでは描かれているように思う。尿道口からほとばしり出た一瞬後には自分と無関係のものと捉えがちなのだけど、石井隆という作家はそこで踏みとどまって考えるのだ。人間とは何か、体液とは何か、なぜ流れるのか、流れ出たものに何を感じるのか。それが石井隆なのだろう。
それは人の一部なのか、それとも、もはや全くの他者であり、捨てられ、踏みつけられ、デッキブラシで洗い落とされるだけの汚穢(おわい)なのか。まなざしや指先の動き、髪の流れ、ぴくりと動いたり、じんわりと寝具に倒れていく、そんな動作のひとつひとつに私たちは魂の内部に潜む渇望や不安を読み取り、時に涙や血がこれに加勢することもあるのだが、それでは小水は最初から戦力外通知を受けた無用の物であるのか。ベンチ入りすら許されない無意味な存在なのか。
石井隆は全方位に思考を展開し、天候や衣服、装飾具までも人格化する作家であるから、その射程に小水が含まれるのは至極当然のことと思われる。涙と血と同等の表現手段として、ほかの体液、汗や精液も総力戦として大胆に扱われていく。小水とて例外ではないのだ。
(*1):「SMキング」 昭和48年11月号 鬼プロダクション出版部 所載
2019年4月3日水曜日
“血と肉と” ~歓喜に近い愉悦~(5)
森を縫って延びる峠道を走っていると素朴な手書きの看板が目に止まる。道往くひとに近在の滝を知らせ、立ち寄ることを勧めている。天候に恵まれ、時間に余裕があるときには休息がてら車を停めて観光する。案内に従い道を下っていくと、こっちは普通の平底靴だったりするのに予想外に傾斜がきつく、水気含んで滑(ぬめ)る足元に至極焦ったりもするのだが、ようやっと見(まみ)えてみれば、やはり来て正解としか思わない。ざあざあ途切れることない水の音が脳内を充たし、ただただその麗麗とした姿に見惚れてたたずむ。
海外のひとはどう思うか分からないが、私たちは滝の周辺が霊的世界と直結しているとごくごく自然に解釈する。来る途中や滝つぼからちょっと離れた場処に古い祠(ほこら)が祀られ、木の幹には御幣(ごへい)が供えられているのを認めるのが常である。滝の近くでこの世ならぬ妖魔と遭遇したという噂を耳にしても、さもありなんと肯首する人が大概ではあるまいか。今こうして見上げる滝は清廉な天女のような面立ちであるけれど、陽が落ちてから万一此処に降り立ったら、とんでもない恐怖と出遭う率は高いに違いない。想像し始めればもう無理だ、くわばらくわばら、逃げるが勝ちと身震いしながら駐車場へと引き帰す。
古来より我が国において水と霊性は親密な距離を保っているのだが、石井隆の劇に出現する小水はどうだろう、そういった性格が宿されていないか。いや、何もぴちゃぴちゃと肌や浴室のタイル床を叩く劇中の小水が河童やローレライといった水妖(みずあやかし)の変貌した姿と言うつもりはない。猥談でありがちな一元的な、卑小で汚れた老廃物という次元では到底語り切れない、相当に精神世界寄りの存在ではないのか。つまり“魂に寄り添うもの”として登用されて在るのではないか、そう捉えたがる自分がいる。
石井の初期の映画『死んでもいい』(1992)をここで例に上げようと思う。首都圏からやや離れた田舎町を舞台にした恋情劇であったけれど、町の駅を岐点として鉄路が“人の字”になっていてそこから物語は始まっていた。人と人が出逢ってしまう事でどうしようもなく派生してしまう愛憎、人間の抱える運命の一度流れ始めたら遡上を許されない怖さと尊さを描く上で、その人型の鉄路は格好の形であった。
改めて駅周辺を衛星画像で眺めてみれば、双方の鉄路に沿って川筋が認められ、人の字になっているのは川も同様と分かる。狭隘な谷に必死にしがみついて生き、そして、死んでいく、まさに水辺の町なのだ。それが劇の様相に若干作用している。不動産業を営む室田日出男の夫が、大竹しのぶが演じる妻の不貞を知って激昂し、助手席に無理矢理押し込んで自家用車を猛然と駆って辿り着いたのは闇に閉ざされた川原であった。三途の川辺のような緊迫した面持ちが挿入されており、観客の心拍をひどく乱した。
元々が石井隆の劇と水の描写は連結しており、これを読む人の多くは別に驚きを感じないだろう。でも、よくよく考えてみればこの『死んでもいい』は水と関わる場面が実に多くあって、演出のこだわりのどれだけ強く働いていたか、私のような一介の観客でも容易に読み取れる仕上がりとなっている。冒頭、駅の出口で男女が出逢って直ぐに土砂降りの雨となること。初めて身体を合わせる貸し物件の住宅には雨が狂ったように降り注ぎ、窓から風に乗って屋内に翔け入って床板を濡らしていくこと。旅館の大浴場での深夜の密会があり、東京の木場あたりに舞台の半径を広げても、葉脈状に広がる運河とそれを臨む船着き宿に登場人物の足は自ずと向いていく。
上の川原での涙まみれの和解や、殺害未遂に終わった真夜中の自宅に激しい雷鳴が轟いて雨雲の急襲を示唆するのだったし、驟雨に煙った新宿の高層ホテルへと最終コーナーを回って行けば、最後はスイートルームの浴室のシャワーが泣き喚くようにして水をぞうぞうと吐き、三人の主要人物は揃って濡れ鼠になっていく。筋に綺麗に溶け込んでいるためにあまり意識をさせないのだが、続続と水は劇中に打ち寄せるのであって相当に強固なイメージの反復が為されている。
この水の描写の一環に小水に関わる場面を付け加えても、私の目にはそれほど奇異に映らない。すなわち駅でたまたま出逢ったおんなの横顔に惹かれた若い男、永瀬正敏(ながせまさとし)がおんなの背中を追っていき、たどり着いた夫婦経営の不動産屋に捨て犬さながら拾われ、見習い営業マンとして即座に雇われるのだったが、店舗奥にある便所が間もなく唐突に挿入されていた。万事に渡って分別の育っていない若者は、人妻が用を足した直後の扉を潜(くぐ)ってしまう。和式の白い陶器にまだ水は止まっておらず、じゃあじゃあと激しく流れている。男は無表情のまま黙って見下ろしているのだけど、観客の多くは隠微なものをさっそく嗅ぎ付け、不穏な劇の展開を予感する。誰もがそう思うようにあれは小水を間接的に描いていたのだし、『死んでもいい』の劇中に明滅する“川”や“温泉風呂”、“シャワー”そして“雨”と同列の水の一環として採用された、と捉えるのが扱いとして順当だろう。(*1)
私たちは石井隆の劇中の「雨」について、単なる自然現象とは見なさず、登場人物の魂を誘導したり、時に彼らの精神状況を如実に顕現してみせた人間の化身と捉えている訳だけど、逆の視点で眺め返せば、川も風呂もシャワーも、そして小水も雨と同等の位置にあると理解して良い。石井隆は先述の通り、小水について一般的な生理的不快感の生ずることを一方で認めながら、いざ彼の画布に描き加えるに当たってはこれを雨に準ずる方向で研磨し、彼なりの装飾として神殿の伽藍の一部に組み込んでいる。
中国文化史家で作家の中野美代子(なかのみよこ)は、キリスト教での聖体拝受を視界の隅に置いた上で、過去私たちの住まう亜細亜において人肉食への熱視線と執拗なまでの実行が重ねられた背景を探索して一冊の名著に編んでみせたが、そこに収まった1972年発表の評論の中で次のように断じている。「われわれの肉体をかたちづくる最も鮮明な実体である肉と血は、誰が何と言おうとも、最も精神的な物質としてわれわれの歴史に参与する」(*2)
中野の力強い声に連ねるようにして、私たち石井隆の読み手は再認識して良いように感じるのだ。つまり、「物語をかたちづくる最も鮮明な実体である肉と血に加え、石井隆は小水までも動員して人間を真っ向から描こうと努めている。血も肉も、そして小水も、誰が何と言おうとも、精神的な物質として私たちの実相に参与するからである。」
「性愛劇」ではなく「人間の劇」を手探りする石井隆は、等身大の我々こそを描き尽くそうとしている。そのとき小水は単なる排泄物の域を超えていき、能弁さを増していく。石井隆の劇中で物象の本質や価値はひそかに入れ替わるのである。
(*1):確かに男は小水を直(じか)に目撃はしていない。既におんなのそれは暗い下水へと押し流された後であって、画角を占めるのはゴム栓が開いてタンクから落ちくだる塩素まみれの水道水だ。だから男があの時ありありと幻視したのは小水ではなく、もしかしたら屈みこんだおんなの背中であり、その臀部であったかもしれない。それとも視角ではなく嗅覚を甚(いた)く刺激されてたじろぎ、一種の金縛り状態になったのだと無言で訴えている可能性だってあろう。かつて石井は【白い反撥】(1977)で似たような状況を描いていた。【白い反撥】の便所に残留するのは、少年が秘かに慕うおんなの幽かな体温と存在感のある重い体臭であった。うっとりと包まれていく幼顔の少年の、若々しくも微笑ましい年上のおんなへの憧憬が手際よく切り取られていた。脇下や臀部から発せられて体毛や下着をしっとり湿らせていく香りを、世間はともすればひどく目の仇にするのだけれど、恋する相手にまつらう物象に鼻を寄せたり顔を埋めて存分に五感を味わう行為は決してはしたない事ではなく、健全で愛らしい反応と言えるだろう。人間は身体の数箇所に大汗腺を抱えていて、濃厚なサインをガス化させて周囲に振り巻く動物である。先祖から受け継ぐこの特徴から言っても、視角と共に嗅覚を存分に愉しむように私たちは作られている。誌面にも銀幕にもおよそ醸(かも)しにくい匂いや薫りといったあえかな存在を、石井隆という作家は果敢に劇中に取り込もうとするのだが、それは石井隆の人品が卑しいのではなく、石井が等身大の人間の本質をよく知っており、それを正直に写し取っているに過ぎないのだし、人間ドラマの核心を描くに当たってそれ等生物としての特質をつまらないフィルターで漉して排除しない、逃げない、外さない、描き切った上で世間の揶揄を恐れないという事だろう。だから【白い反撥】と同様に、『死んでもいい』がおんなの体臭に若い男が犯(や)られた瞬間を組み込んでいると捉えても自然であるのだが、それ以上に小水(に準じたもの)を目撃したその事実こそが強烈な恋慕を煽っているのだ、と、そのように解釈しても可笑しくはないように思うのだ。あのタイミングであの水流というのは“不自然”で作為的であり、どうしても視角に訴えたいが為に無理やり創り込まれた時間と見るのが着地点として妥当と考える。
(*2):「中国人における血の観念」 中野美代子 「カニバリズム論」ちくま学芸文庫 2017 所収 106頁
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