2023年5月7日日曜日

“石井隆が加えた首線<2>” ヴィナスの首飾りについて(5)

 


 「ヴィナスの首飾り」という言葉を足掛かりに石井の劇画を振り返り、首に生じる不自然で強い皺を幾例か紹介した訳であるけれど、中でも真骨頂と呼ぶべき作品がある。それは1979年に発表された【果てるまで】の最終頁(ページ)だ。

 日常社会から滑落し、隠花植物のようにひっそり暮らす男女を描いた小編で、石井劇画のなかでは佳作のひとつに数えられる。ここに登場する男とおんなはお互いを頼りとしながら、ひたすら性愛にのめり込んでいく。絶壁を登攀するクライマーさながらの充実と寂寥があふれる作品だけど、ここで命綱たる登山ロープの役目を果たしているのは裸身をきつく縛る麻縄である。遊戯と呼ぶには遥かに真剣な面持ちでふたりは互いをいたぶり、慰めながら、自分たちが此処にいることをかろうじて確認していく。

 最後のコマは一枚絵の裁ち切りとなっており、おんなは中空に浮いた状態で吊るされている。ゴールラインにいつまでも達することがない性愛に戸惑った男が、ぶら下がったおんなを見やりながら嘆息している図柄である。対するおんなは無言であるのだが、そんなおんなの露わになった首を仔細に観察すれば、「ヴィナスの首飾り」が出現する箇所に、あえかな、極めて短い線が視止められる。

 先述の「ブラックストリッパー」の加筆が「美人画」からの離脱を表わすという方程式に従えば、こちらの【果てるまで】にわずかに加えられた短線も、一種の「精神線」として引かれたように感じられる。石井の絵には細い首を大気に明瞭に晒して世間に示すものが少なくないが、「ヴィナスの首飾り」を意識させる線は本当に見当たらない。余程の想いがなければペン先は紙面を穿たない。

 「美人画」、端的には「おんな」たることに対する限界、逡巡といったものが急速に発現して線を結んだ、という事である。石井の劇は「おんな」の皮をかぶったおんなと「男」の皮をかぶった男が性愛を通じて理解しようとし、結局のところはすれ違うという「人間」の孤独を描く側面があるけれど、この【果てるまで】での終幕においては、おんなもまた「おんな」であることに倦(う)んでしまい、遂に言葉を失ったという解釈が成り立つ。

 見えるか見えないかのノイズのような短線であるから、おんなの美貌を曇らせるほどの傷痕ではない。しかし、その擦痕には悲鳴や溜め息が貼り付いている。誇大妄想と笑わば笑え、石井隆という作家はこの手の微細な描き分けを好んで行なうところが確実にあった。描線を隠密みたいに自在に使い、性愛の軍場(いくさば)を駆け抜けさせながら、人間(ひと)を描き、消耗し尽くした果てに再び立ち上がって走り続けた。

 ひとの世はおおよそ負けつづけ、諦めつづけ、壁に突き当たって煩悶することの繰り返しであるが、それは君だけではないよ、ひと皮むけば誰もが同じだよ、と語り聞かされている気がする。

 石井の劇とこれを愛する者の間には、この【果てるまで】が示すような、台詞ならざる台詞に引き寄せられる静謐な時間が訪れる。無言に対しては無言のままで頷き、その都度、言葉では表現出来ない共振が生じて打ち震える。

 とんでもない作り手であった。私たちはそんな人に逢えた、まったき幸せな結縁ではあるまいか。石井の居らない世界はたまらなく味気ないが、モニターには、紙面には、まだまだ数限りない「仕掛け」があり、それに気づくたびに私たちを驚かせ、奈落の底に突き落とし、ときには肩抱きしめて励ましてくれるに違いない。






“石井隆が加えた首線<1>” ヴィナスの首飾りについて(4)


 現代の女性たちは老化と醜悪の象徴と誤解する首の横皺(しわ)、「ヴィナスの首飾り the necklace of Venus 」と呼ばれるものがかつては人を引き付ける魅力と捉えていて、絵画的にも大切な装飾となっていたことが分かった。その表現に絵師たちが知恵を絞り、成功した事例においては観る者の感情に鮮烈な印象を刻むことも知った。

 石井隆(いしいたかし)が「ヴィナスの首飾り」もしくはそれに準ずる皺をどう表現していたか、遺した厖大な劇画について振り返ってみれば、先達と比して劣らない、あえかでありながら相当に奥深い技巧をそれとなく凝らした箇所が見つかって驚かされると共に、いかに石井が自分の絵に魂を込めていたか、どれほど腕の立つ匠だったか思い知らされる。

 原則的に石井は自作において、登場するおんなたちを絶えず美しく描こうと尽力した。初期の習作や端役は別にして、メインで描かれるおんなたちを美しく捉えるべく努めた。雨や水、わずかで逆光ともなりがちな照明、時に血に染まり、時に過酷な性的搾取の状況に置かれていても、石井はそんなおんなたちを美しく描かねばならないと考えた。

 おんなという存在を崇(あが)め、哀しみ、指先を伸ばし続けた。神の如き俯瞰を用い、また、拝跪(はいき)するような低位置から凝視め、硬貨一枚ほどの穴から見守りながら、おんなという存在の美しさと強さを紙面とフィルムと電子データに定着させようと自らに課した作家だった。

 そうであれば描かれるおんなの首すじは白く滑らかになり、「美人画」が主体となっていくのは道理である。ハイパーリアリズムで人体や家屋を描き、取材した写真を多用もした石井の劇画や絵画を私たちは現実の写し絵と捉えがちで、おんなたちも肉感あふれる現実の存在と見てしまいけれど、いくらページをめくっても首に横皺は走らない。石井の使命感は紙面の隅々にまで及んでいて、余分な皺は排除されている。

 次に例示するのは、そのような美人画の大海に突如現われた加筆線である。稀に生じている分、石井の作為が感じられるし、そこに託された想いを考えるのは石井世界を思案する上で邪魔にはならないように思う。

 【黒の天使】のエピソード「黒のⅣ ブラックストリッパー」(1981)において、石井はクライマックスの激闘の場面でおんなの首に太い線を描き足している。椅子に縛りつけられた男装のおんなに対し、その性別を探るため衣服を剥ぐという乱暴が為された瞬間、おんなの首すじに線が亀裂か雷光のように走ったのである。読者がそのコマに瞳を凝らして停止飛行する秒数は幾つか分からない。ほんの1秒か2秒だろう。その特殊な線が引かれたことに違和感を認めた者がどれだけいるかと考えると、ほぼゼロではなかったか。

 同じく「ブラックストリッパー」ではもう一箇所、暗殺業務に失敗した主人公の魔世(まよ)が凄惨な私刑に遭い、起死回生を図って逆襲する場面にて首に線が加えられた。両足を使って敵を羽交い絞めにして自由を奪っただけでなく、頚椎を折って相手を無力化するという過激なコマで石井はおんなの首に荒々しい線を描き加えている。

 大きな動作にともなう効果線みたいにも見える。たとえば【過去からの声】(1983)では街路を歩行中にかつての恋人と再会した男が強く振り向き、その際に不自然な太い線が顎付近に走っていて、これは男の激しい身振りを読者に実感させるための効果線として機能していた。

 しかし「ブラックストリッパー」の当該コマをよくよく見直せば、おんなたちの首付近は静止状態か、今まさに静止するところであって、動きのベクトルは希薄なのである。だから、ここで石井が線を描き加えている意図を探れば、これは多分に内面的な、おんなたちの精神面を露呈させた象徴的なもの、もしくは憤激や緊張といった感情の起伏なり湧出を補うための「精神線」として加えられたと捉えるべきだろう。

 すなわち、「美人」であらねばならないという使命が喪失した一瞬なのである。「おんな」であることを拒絶し、純粋な一個の生命体として生き返った場面なのだ。外観は変わらない。変わらないから見せようがない。でも、ここでこの白い首のままではいられないな、と石井はペン先を押し付けた。

 我々読者がいちいちこの線を認識している訳ではない。コマを追うので精一杯なのだし、それ以上の解読を石井も望んではいない。いつも通り、分かる人に分かってもらえれば良いという淡淡とした姿勢のままで原稿を仕上げ、担当編集者に託したに違いない。

 もはや石井にこの声は届かないのだが、恐るべき絵師であったことを再認識させられている。ここまで抑制したのだ。どこまでも筆先をコントロールして、劇を演出し続けたのだ。勢いに任せるのではなく、徹底して世界を組み立てている。とても忍耐強い人だったと思う。





“あえかで気付かない線” ヴィナスの首飾りについて(3)


 今度は目を日本に転じ、おんなの首に描かれた皺(しわ)について、特に浮世絵の美人画に絞って見てみよう。浮世絵は肉筆と版画の二種に大別されるが、いずれも絵師自身の手によって為された描画であることに違いはない。これから例示するのは、だから幾人かの絵師の筆先から生まれてきたおんなの首であり、そこに走る皺である。正しくは顎(あご)の皺も混じるのだが、いずれも普段ならあまりにもあえかな線であるから見過ごしてきた人がほとんどだろう。

 版画の浮世絵はまとまって複製され、庶民や好事家に広く販売された。版元を潤し、そこに集う絵師を育んでいった。多くの才人が発見され、往事の鎖国政策も後押しして独特の美術空間が成熟なった訳であるが、木製の板版(いたはん)を用いる工程が、結果的に描線の取捨選択を押し進めた点は無視出来ない。

 もちろん神技的にいかなる細く複雑な線も再現する彫師(ほりし)や摺師(すりし)といった職人が版元に雇われ、絵師の飽くなき挑戦を受け止め続けたことは事実であるにしても、工房全体を包む基調として不要な線はなるべく削ろうという意図が働いていったことは容易に想像出来る。髪や着物の柄は徹底的に趣向を凝らして、その逆におんなの肌は曇りなくどこまでも白く保とうとする技巧注力のコントラストを進化させていったように思われる。

 鎖国が解けて西洋絵画の技巧が押し寄せる中にあっても、それら美人画の様式は次世代の絵師に引き継がれていき、徐々に面相は違えていっても徹底して「線を選ぶ」ことはやめなかった。だから私たちが浮世絵の美人画を頭に思い浮べると、江戸期であっても明治の作品であっても似たものが湧いて出る。

 おんなの顔の部位は明瞭な黒線の輪郭のなかで空中遊泳するように置かれていくのであって、皺という皺が排除された図柄に自然と落ち着くのである。浮世絵で描かれる首の皺というのは、だからやはり僅少な事例となると共に、絵師たちからすれば作為に満ちた加筆となっていて、ある意味で隠れた見せ場となっている。

 喜多川歌麿「咲分け言葉の花 かかあ」は享和3年(1803)の制作で、乳児がまさぐる胸の描線と連動するようにして顎線が2本描き加えられている。乳房とともに皮下における脂肪のたくわえが増して、おんなの喉もとの肉付きも豊かとなって生まれた皺なのだが、その線がかえっておんなの盛り、健康的なおんなの官能美を目に訴えてくる。

 渓斎英泉(けいさいえいせん)「今様美人拾二景 気がかるそう 両国橋」は文政5年から6年(1822~23)あたりの作品だが、こちらで追加された顎線は長く首すじを横断しており存在感を示す。おんなに内在する瞬発力を感じさせ、強い個性を付与している。

 月岡芳年(つきおかよしとし)「新柳二十四時」は明治13年(1880)の刊行だが、この作者らしい物狂おしい面相を携えていて、独特の凄みがある。芳年は顎皺を3本まで描き加え、腹部を縛る下締めのその両端を握っている手指にみなぎる力を補っているのだが、吊り上がった目と歪んだ唇も加わって実に猛々しく、おんなという生きものの奥底にある烈しさを表現している。

 豊原国周(とよはらくにちか)「見立昼夜廿四時之内 午前一時」は明治23(1890)年の作品で、思うように眠れないのか、真夜中に手持ち行灯(あんどん)を掲げて壁掛け時計を見やるおんなの半身が描かれている。首には横皺が長く走るのだが、行灯の光が射す方向を考えると必要ない線が加えられたように思われる。上の三例とは違い、顎をぐいと斜めに持ち上げた形であるから、むしろ首の横線は本来目立たないはずであるが、まどろみと覚醒を行き来するおんなの茫洋とした風情をこの一本が引き立たせている。

 試しにこれらの画面のそれぞれの皺の上に指先を置き、線の不在がどのように作用するかを想像してみると良いのだが、美人画という範疇であれば一切の支障は感じられないだろう。ただただ美しいと世間が賛辞するおんなの図柄であれば、これらの追加線は不要でさえある。歌麿、英泉、芳年、国周らに代表される稀代(きたい)の絵描きたちは、線一本をそれとなく増やして、読み手に対してほのかに笑って挑んで見える。どうだい、おまえさん方には見えるかい、おんなたちの内奥を膨らませることが出来るかい、俺たちの想像力に追い付けるかい、と試されている。

 皺一本を描くか描かないか、描くとすればどのような太さと長さで加えるか。画家とはひと筆に全神経を傾けつづける、常人には計り知れない驚くべき職人である。