2018年4月30日月曜日
“重力にあらがうこと”(10)~雨のエトランゼ~
どうすれば「వ(バ)」の字となって人は墜落するのか、かつてこれを解き明かそうとした作品があった。『魔性の香り』(1985)は結城昌治(ゆうきしょうじ)の同名小説の映画化ではあったが、【雨のエトランゼ】(1979)の終幕を巧みに取り込んだ構成になっている。
演出した池田敏春(いけだとしはる)は石井のインタビュウによく顔を覗かせており、石井劇画について造詣が深いだけでなく、石井の脚本を映像化したものには秀作が多かった。『天使のはらわた 赤い淫画』(1981)、『死霊の罠』(1988)、『ちぎれた愛の殺人』(1993)には石井劇画の光と影、湿度や匂いを再現するという目標を越えた、共に手を組み、さらに突き進んで地平のその先を開拓しようとする気構えが感じ取れ、私たち石井劇画の愛読者だけでなく映画愛好者を大いに喜ばせた。雨や鮮血などの液体描写はもとより、女性の姿態への粘り強い接写を惜しまず、それがいつしか卑俗さを押しやり聖性を附帯するまでになる。具象にとことん執着し続ける真摯さ、頑固さは石井と共通する生理と傾向が感じられ、まさに石井とは盟友の仲の映画監督であった。
池田が申し出たのか、それとも石井が挑戦的に綴ったものだったか、『魔性の香り』の終幕は脚本段階から【雨のエトランゼ】のコマの再現を目指す。秋子(天地真理)というおんなは、小さな出版社をやっている江坂(ジョニー大倉)と最後の夜を過ごし、トイレに行くと言った後で雨降る屋上から投身する。【雨のエトランゼ】と違うのは、異常を察知した男が屋上まで駆け上がり、最期の視線の交錯を階下ではなく屋上で為している点だ。
おんなはパラペットの上に四足となって牝猫のように佇み、そのままゆっくりと反転していくのだった。これにより【雨のエトランゼ】同様の「వ(バ)」の字型姿勢を保っておんなは落下していく。カメラはまず地上から、次いで屋上からおんなの姿を捉える。建屋と体軸を平行にして仰向けになった様子がはっきりと写し撮られていた。
この映画をどこで最初に観たのだったか。封切時ではなく二番館あたりだったと思うが、かなり混乱をした記憶がある。結城の原作は読んでいたが、石井の脚本が掲載されていた「月間シナリオ」1986年2月号は買いそびれていた。徐々に【雨のエトランゼ】に収斂されていく銀幕を観ながら、少し居心地が悪くなった。【雨のエトランゼ】とは違い、なるほど墜ちる寸前に両者は互いを見合いはしたが、落下途中に視線を交わすことが叶わずに闇のなかどんどん小さくなって消えていくおんなの孤影を見つめながら、これで良いのだろうか、愛情と野心溢れる再現ながら何かボタンの掛け違いをしたように思えて、俯いて劇場を後にした。
【雨のエトランゼ】と比べて『魔性の香り』が劣っているとか、到達し得ていないとか言いたいのではない。懸命に考えた上での結論であろうから、あれはあれで良かったように考えている。しかしながら「వ(バ)」がどうして生まれたか、あれだけ丁寧に映像化してもらい、あの夜はこうしたんだよ、こうだったはずだよと手取り足取り教わりながらも、分からない分からないと悶々と今日まで自問自答を重ねて来た理由もあるのであって、それは『魔性の香り』に今ひとつ説得力が無いからだ。男の立ち姿が屋上に現れ、振り返ったおんながバランスを崩したために落下が後押しされたような描かれ方であって、それは『魔性の香り』という話を確かに完結させてはいるが、そうして【雨のエトランゼ】の落下姿勢を上手になぞってはみせるが、【雨のエトランゼ】の終幕の数コマの衝撃と謎を十分に解き明かしてはいない。
【雨のエトランゼ】において屋上に男は昇っていかず、おんなは投身をひとりで完遂する必要があったのだが、はたしてあのような細い塀の上の四足猫立ちと貧血卒倒の体の妙な動作を実際したものだろうか。死に向かう者は地上を見つめる動作が必要があり、立つにしても座るにしても、眼下の景色に正対する格好でまとまった時間を持つのが自然と思われる。
今このようにして【雨のエトランゼ】について深く思案を進めていると、【雨のエトランゼ】から『魔性の香り』へと移り変わるときに、それはすなわち、「劇画」から「映画」へと移り変わるときと言い替える事が出来そうだが、“得られるもの”と“喪われるもの”が確実にあるのであって、その“喪われるもの”というのが石井劇画の特性であり、もしかしたら石井世界の核心ではないか、という漠然たる考えを抱えている。
2018年4月29日日曜日
“重力にあらがうこと”(9)~雨のエトランゼ~
屋上からの主人公の投身で話が突如途絶える【雨のエトランゼ】(1979)だが、一頁をまるまる割いて石井が描いた入魂の面差しに圧倒され、読み手のほとんどは首から下の部分、おんなの四肢や胴体の傾き具合について言及することはない。当たり前といえば当たり前の話だ。それは大筋と無関係だからだ。これから書き連ねるのはその些細な部分についてであり、常人の目からは奇怪に映るかもしれない。
四十年ほども前の劇画に今さらあれこれ言及することは、墓場を荒らして棺桶をまさぐり、遺骸を抱きしめるがごとき狂人沙汰に相違ない。ふと思い出したのだけど、若い時分に自宅のテレビジョンで洋画劇場を眺めていて、その作品が何だったか明確には思い出せないが、『オードリー・ローズ』だったか『リーインカーネーション』だったか、それとも『チェンジリング』(*1)かもしれないけれど、怖いというよりも妙に切ない幽霊譚をしみじみと観終わった後で、締め言葉を言いに現れた評論家が「柳の下の幽霊を捕まえてきて手術台で解剖しているみたいだ」と笑いながら語ったのが強く印象に残っている。
なんとなく腑に落ちず、それで覚えていたのだった。霊魂を寝台に手招きし、横たえ、真摯に向き合ってその想いや正体を知ろうという行為のどこが可笑しいのか。死者や彼方に去ったものに気持ちを馳せることは魂のもっとも繊細な活動であり、何よりも荘厳な瞬間と思う。枝葉末節にこだわって本質を語らない事は有害でさえあって、作者からしたら相当に迷惑な行為かもしれないが、そこまで向き合わないと到達しない領域というのがある。石井隆という多層な作り手と向き合う為には、この程度の執着は不可避と思うがどうだろう。
さて、名美というおんなが墜落する一瞬の四肢や胴体の傾き具合はと言えば、背中を地上に向け、両手両足を天に差し出すような具合だ。キリル文字の「ツェー」と発音するらしい「Ц」という文字に似ているだろうか。いや、背中はもう少し丸まり首をぐっと持ち上げている様子は、頭の位置こそ左右反対になってしまうが、テルグ文字でこちらは「バ」と発するらしい「వ」にそっくりである。前述の【女高生ナイトティーチャー】(1983)と似て見えるかもしれないが、体軸の向きがあれと九十度違っている。【女高生ナイトティーチャー】のおんなの身体はビルディングの側壁に対して直角で、両足、両手をを広げて落ちていく。大の字を引っくり返した感じだ。キリル文字で表わせば「ゥ」と発音するらしい「Ұ」だろうか。対して【雨のエトランゼ】のおんなは体軸を建屋側壁に平行にして降下し、男のいる編集部を横目で眺めようとする。
この「వ(バ)」という体勢は一体どのようにして生れたものだろう。彼女はいかにして屋上から跳んだのか。考え出すとこれは相当に“不自然な”かたちである。先述のように人体の落下は宙に浮く直前の動作に左右される。身体のどこかを支点にして落ち始めれば、円運動の慣性を従えた人体はゆっくりと回転をしながら落下していく。インドのジャイプルで起きた痛ましい事故などがこれに当たる。一方、意を決して足先から飛び込めば、今度は糸引く雨のように一直線に墜ち続け、足首あたりから地上へと激突する。こちらは東北の街に位置する病院スタッフの論文にあったような、主に自殺行為にともなって見受けられる形である。その理屈でいえば、【雨のエトランゼ】の「వ(バ)」の字型形態というのは、まったくもって奇妙に思われる。
あのような形になるには金網を慎重に乗り越え、屋上の縁をぐるりと欄干状に囲む、専門用語ではパラペットと言うらしいコンクリートの段差に腰をおろした後で、そこに横たわり、それも腹を下にしてその狭いへりに俯(うつぶ)す事が前提になりはしないか。その上で焼き魚を静かにひっくり返すようにして反転し、けれど回転で慣性が生じないようにゆっくりゆっくり落ちなければ「వ(バ)」にならないのではないか。
それとも『幸せになるための5秒間』(*2)という映画で描かれたような、長い歩み板を準備して屋上からぐっと突き出す方法だろうか。板の上をそろそろと歩いていき、建屋と平行に落ちることを目論んでゆるゆると腰をかがめていき、歩み板に座り、居眠りして椅子からずり落ちるようにして臀部から地上へ向かうことになれば「వ(バ)」に近い形になるかもしれない。これは冗談だ、そんな事はどう考えたって起こり得ない景色だ。
【雨のエトランゼ】の製作に当たって選ばれ、こころよく石井の取材に応じた雑誌編集部が当時あった雑居ビルは、どうやら同じ場処に現在も建っており、特徴的な窓枠で直ぐにそれだと分かるのだけど、これは4階建てである。もちろん、現場に足を踏み入れてみたり、身近な場処で撮影された映像作品を観れば分かるように、映画でも漫画でも巧妙に継ぎ足された集合体である訳だし、そもそも石井は【雨のエトランゼ】でおんなが飛び降りる建屋の外観を作品内に描き込んでいない。だから、おんなが飛び降りた高度の正確なところは不明だ。
内部の雑然とした「中小出版社」の風景だけを借用し、物語上の想定では数十階建の高層建築であったものだろうか。エッフェル塔ほども高い場処からおんなは跳び、スカイダイビングの熟練者よろしくコートを広げ、風圧をばたばたと受け止め、草むらの小動物を狙う鳶(とび)のように悠々と体勢を整えながら「వ(バ)」の形へと徐々に移ったものだろうか。これも有り得ない。
低空飛行を余儀なくされながらも歯を食いしばり、清淡な日々を暮らす市井の男女がふとした拍子に愛憎に打ち負かされ、異常燃焼して自身さえ黒こげになりそうな、それとも凍えて手足がもがれるような時間を過ごすというのが石井隆の人情譚(刃傷譚)の基本であるから、おんなにそんな立派な高度は与えられなかったように思う。それでは、いったいどうやって「వ(バ)」になれたのか。
笑いや舌打ちが聞こえて来そうだ。たかが漫画の数コマに大袈裟ではないか。書店やコンビニエンスストアに並ぶ雑誌を開けば、重力を無視して躍動する肉体が其処かしこに乱舞しているではないか。漫画とはその誕生の早い時期から、特に手塚治虫が出現し、ロケット工学が急速に発展し、ロボットやサイボーグが跋扈するようになったあたりから、重力から解放された大跳躍や自由自在の飛翔が売り物になっている。そうだ、石井隆は化け猫映画が好きじゃん、名美って化け猫なんじゃないの。猫が落下する途中に身体をひねって姿勢を変えるように、ひょいひょいクルリと回ったのじゃないか。【雨のエトランゼ】のおんなは漫画に所属するわけだから、何が起きても変じゃないでしょ、そんなに堅苦しく考えるべきではないだろうよ。
普通ならそこ止まりだし、別にそれでも良いよ、と石井は例によって目を細めて微笑むに決まっているが、「漫画」にのみ帰結させるのではなく、「映画」や「写真」、「絵画」や「実体験」に照らし合わせるべきが石井劇画である以上、私たちはもう少しだけ真顔で臨んで別の結論を導く必要がありそうだ。
この「వ(バ)」は石井の創意が溢れ出た瞬間と捉えて良いように思われる。それは適当とか偶然でそうなったのではなく、確信犯的な奇蹟の瞬間である。後年の映画作品で銀幕に映し出され、私たちの度胆を抜いた一瞬の“不自然さ”が既にこのときから作動していたと捉えたいところだ。『死んでもいい』(1992)で大竹しのぶに天空方向から差し出されるライター、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)で佐藤寛子に降りそそいだ雲母、『甘い鞭』(2013)の終幕に壇蜜の右手首をつかんだ何者かの腕といった奇蹟とも悪夢とも区別出来ないものが紙面に舞い降りている。
私たちはこれら石井映画の“不自然さ”と同じものを以前から【雨のエトランゼ】のラストシーンに嗅ぎ取っていて、それで時どき、昏い電燈の下に彼の本を引き寄せているのではなかったか。死の後始末を寺社に委ね、墓石に名を刻んで多くの人が去っていくが、魂の部分を手引きする役目までは求めず、良く言えば世界一自由な、悪く言えば寄る辺なき国民の我々にとって、石井の単行本は聖書のように妖しい無視し得ない存在感を書棚の隅から放っている。
(*1):
『オードリー・ローズAudrey Rose』 監督 ロバート・ワイズ 1977
『リーインカーネーション The Reincarnation of Peter Proud』 監督 ジョン・リー・トンプソン 1975
『チェンジリング The Changeling』 監督 ピーター・メダック1980
(*2):『幸せになるための5秒間 A Long Way Down』 監督 パスカル・ショメイユ 2014
“重力にあらがうこと”(8)~雨のエトランゼ~
石井が「漫画」に育てられながらも彼の地を目指さず、どこまでも「映画」を追いかけた特異な絵師だった点を私たちはここで思い返す必要がある。映画的な手法をおのれの劇画づくりに大胆に移植したことは彼の写真集「ダークフィルム 名美を探して」(1980)で明らかであるが、石井が目標とした「映画フィルム」に散りばめられたカット割りとは、そして、石井劇画が取り入れた「映画的コマ割り」とは何だったか。
観客の視線を誘導し、前のカットと後に続くカットが仮に別々な日に別の場処で撮られたものであったとしても、そこに運動なり生理現象が隙間なく連結して見えると客に信じこませ、由って肉体の快楽や苦痛が列なる時間をも幻視させる。加えてこれに付随する思考や感情の立ち昇りを無理なく客の脳内に想起させる。「映画」の全てがそれとは言わないけれど、現実世界で身体に次々と巻き付いては消えていく慣性なり反動を十分に理解し、たくましく想像をめぐらせてはカメラ前で延々と再現していく仕事が「映画作り」の要であることは間違いない。
【女高生ナイトティーチャー】(1983)で脳内再生された転落の顛末は、そして、投身に限らないけれど石井劇画で目撃される所作なり現象のほとんどは、映画作品を構築するのと非常に似た道程を経ている。そうであればこそ、あのような巧みな描画が産まれ得る。物体それぞれに重心が与えられ、動けば慣性が生じる。歌舞伎役者の明達が引力を意識し、その帯や手拭いを自在に操るように、石井隆もまた重力を熟知し活かす、破壊と創造を司る道士だ。
石井以外の映画においても投身は数多く描かれている。二、三の例を記憶に辿れば、誰でも鮮やかに脳内にそれは再生される事だろう。それだけ私たちは衝撃を受けたからだ。あたかもその場を目撃したような錯覚を抱き、また、彼ら投身する者、死する者の内面に寄り添って様ざまに思考を巡らせている。コマ割りの力が私たちを現場に導き、生と死の境界での立哨を強いてくる。
たとえば『めぐりあう時間たち』で窓枠にもたれ、そのまま身体を傾げて落ちていく詩人の最期であるとか、最近では『イーダ』でおもむろに窓を開け、そこに助走つけて歩み寄り空中に飛び出していくおんなの背中を生々しく思い出す。(*1)彼ら銀幕の投身者を回想していると甘苦い味を舌に覚え、泣きたいような気分になってくるが、同時にその重苦しい味わいは石井作品の読後感や観賞後の酩酊に似ていることに気付く。生の臨界を越えたところにありながら、愛慕や肉欲を引き剥がすことが出来ずにいる、そんな歪んだ境界線上に石井は作劇の軸芯を据えている。
石井隆が過去どのような投身を映画館の暗闇で目撃したかは知らないが、私たち同様の衝撃体験を経て来たのは間違いない。今度は自分が銀幕ではなく紙上ながらも、「映画」を克明に定着させる役目を負った訳である。そんな石井が【雨のエトランゼ】(1979)の投身を描くにあたり、見上げれば雨雲しかない屋上に遂に至ったおんなの行動なり、そこに渦巻く感情を思い描かなかったはずはないではないか。肝心の屋上を【雨のエトランゼ】から奪ったことが不思議に思えてならない。
投身の真っ只中、落ちていくおんなだけを描き、その前の雨に打ち沈んだおんなを露わにしなかった。読み手を驚かせようとする、ただその為だけにばっさり切り捨てる必要があったものだろうか。仮に軽く手を振って廊下へ消えたおんなのその後の行動と、呑気に情事の疲労にたゆたう男の所在ない立ち姿が延々とカットバックされても【雨のエトランゼ】の本質は揺るがなかっただろうに、石井は大鉈(なた)を振り下ろすようにして思い切っている。頭を断ち、尾を断ち、どくどくと脈動する心臓を凝っと見下ろしている。
(*1):
『めぐりあう時間たち The Hours 』監督スティーブン・ダルドリー 2002
『イーダ Ida 』 監督パヴェウ・パヴリコフスキ 2013
“重力にあらがうこと”(7)~雨のエトランゼ~
石井隆は劇画から台本、そして映画創作のそれぞれの局面において、投身するおんなを何度も描いてきた。【雨のエトランゼ】(1979)と似た場面もあれば、逃避や復讐、救命を目的としたもの、アングルがまるで違う物など多種多彩だ。ある意味、石井隆ほど投身というアクションに魅了された作家はいない。読み手はさまざまな面相をした跳躍や墜落を見せられ、そこに既視感を抱きながらも気持ちはやはり緊縛されていき、固唾を呑んで劇の成り行きを見守る羽目となる。
情念と欲望、保身と現実のべたべたした癒着に誰もが疲れ果て、ついに誰かが、それは大概がおんなたちなのだが、高い屋上や階層から身を宙に躍らせる形を取る。観賞を終えて冷静になって振り返れば、石井がいかにその行為に活力を持たせようと心血を注いでいるか分かってくる。いや、その前段階として、跳躍や墜落の現場の臨場に対して想像を膨らませ、頭のなかにそこにある物すべて、室内装飾から人体から、風向きや雲の動きといった天候や、何にも増して人物の表情と思考の細々としたものを構築しようと躍起になっているのが分かる。
たとえば【女高生ナイトティーチャー】(1983)という短篇において、男は起床後に目にした新聞に知り合いのおんなの転落死亡事故の記事を見つけてしまい、凍りついたようになって読み進めるのだったが、その硬く微動だにしない背中の裏でまざまざとおんなの窓をつき破り地上に落下していく様子を幻視してしまうのである。石井隆という劇画作家が担ってしまったハイパーリアリズムの手法が、この徹底した想像を自身に迫り、また、劇中の人物にも求めてしまっている。
【女高生ナイトティーチャー】の墜死について言葉をさらに繋げると、その一連の頁で唸らされるのは石井のアクションへのこだわりであって、墜落直前の人体にそなわった慣性が次にどのような落下の姿勢を決定づけるか、とことん幻視し尽くされているところだ。その繊細というか、そら恐ろしい想像の広がりに私たちは言葉を失う。おんなは強い力で何度も窓ガラスに後頭部を打ちつけられ、ひび割れ、飛散していく破片と共に宙へと舞っていく。それぞれに付された慣性の力が人体とガラス片に働き、放物線を描いてゆるりと押し倒すのだった。そのままおんなの身体は仰向けとなって、遥か地面へと音もなく弾かれていく。石井劇での人体落下とはどのような描写を言うのか、その特性がしっかりと描かれていると思う。
2018年4月21日土曜日
“重力にあらがうこと”(6)~雨のエトランゼ~
【雨のエトランゼ】(1979)という話を送り手が要約したらどうなるか、連載の折に頁の縁に載った「あらすじ」を書き写してみよう。
「仁科恵子=名美、マイナー誌編集長村木、元カメラマンの事業家川島の三角関係は3年越しである。はじめ村木、次は川島と関係した名美は過去の醜聞写真を週刊誌に暴露され、男たちのエゴに苦悩した。思いあまって訪ね激しく求愛した………。」(*1)
随分と地味な印象を受ける。実際【雨のエトランゼ】は過剰な程も生真面目な恋愛事情を描いている。人物の数は片手に絞り込まれ、また、話題はヒロインの動向に偏るから、読んでいて膠着を覚える時間がどちらかと言えば多い。カウンターに並んでグラスをあおるだけに終始してみたり、ささやかなアパートの一室で肩を寄せ、これまで撮り溜めてきた風景写真を眺めるのみの時間もあるのであって、はげしく身体を重ねる逢瀬ばかりではない。
色模様とは大概がそんなものだ。渦中にいる当事者は今この時を激流下りと捉えるが、第三者から見た彼らは蜘蛛の巣に捕えられ、時おり震える蜻蛉(とんぼ)か蝶々に過ぎない。じたばた身悶えする彼らの横を、風鈴を奏でるほどの幽かな風になって時間なり歳月が渡っていく。三角関係と音の響きだけは物々しいが【雨のエトランゼ】を貫く硬さは現実とそっくりであって、事態はそうそう転調しない。
しかし、最後の最後になって石井は劇の流れを劇的に加速させるのだった。雨の降りしきる夜、男だけ独り残った編集室におんなが再訪し、ふたりは海の底で身を寄せ合うような穏静で色彩のない時間を過ごす。編集室は雑居ビルの一角を間借りしており、今から40年ほども前の世相がありありと忠実に写し描かれているから、ラジオ付カセットレコーダーが机わきに置かれてあり、男の愛聴歌だろうか、ブルースがそこから浸み出でて室内を満たしていく。
あの当時、誰の傍らにも砂に埋もれた深海魚の骨に似てごつごつした装いの、似たような機械が置かれていた。テレビのイヤホンジャックとコードで繋いではポーズボタンを熱心に操作し、歌謡曲や吹き替え映画を録音しては飽かずにそれを聞き直した。音質は二の次で、モノラル機能でも十分に嬉しかった覚えがある。そうやって手間暇かけて採取した音楽や声には夢見がちで漠然とした不安に苛まれた若い気持ちをよく支え、鼓舞する調べがそなわっていた。
【雨のエトランゼ】に話を戻せば、狂おしい房事が終息し、鈍麻した身体の芯をギブスのごとき淡い快感の名残りが包んでいく。切実な、余韻にみちた指先の愛撫へと移行するのだけれど、おもむろにおんなは小用に行くと告げて、廊下を隔てる入り口へと向かうのだった。トイレはドアを出て階段の脇あたりにあるのだったが、場所はもう知っている、と、男の案内をやんわりと制したおんなは「じゃあね」と軽く手を振ってそのまま扉を閉ざしてしまう。
間もなくおんなは階段を伝って闇が支配する屋上へと至り、終にはそこから投身するのだった。ヒロインの自死という容赦ない結末である。それで【雨のエトランゼ】は幕引きとなる。憤慨された人がいたなら謝るしかないが、優れた小説や映画、漫画といったものは結末を先に聞かされたとしても魅力を減じることはないと信じる。まあ、この通りだ、無粋者で御免なさい。
一応は頭を下げたので先を続ければ、おんなは自ら生命を絶つべく全身を宙に浮かせ、雑居ビルの外壁に沿って地上へと墜ちていくのだったが、階下の編集室に残る男の眼前を雨滴が伝う窓ガラス越しにおんなの姿が一瞬だけ捉えられ、ふたりの視線が交差して、そこで両者は永別する。
自ら死を選んだり、事故なり事件に遭遇して頓死したりえらく傷つく様を目の当たりにすると、それが赤の他人であっても私たちをひどく動揺するし、残像に生涯に渡り縛られる。悲哀を覚えてかれら傷付く者、死にゆく者の姿態を脳裏に刻む行為は、本能の為す一種の焼き鏝(ごて)だ。個体の生き残りのため、引いては子孫繁栄のための知恵を授かるたいせつな時間である。私たちはその都度、言葉では形容しがたい学びの手触りを得て、唇をかみしめ青ざめながら懊悩する。
【雨のエトランゼ】を初めて読んで以来、おんなの死の全体像が頭蓋骨の裏に焼き付いてしまった。いや、正確には墜落中の姿である。地上との衝突後の様子を作者は私たちに明示することなく、ただただ墜ちていく瞬間だけを示している。もはや取り返しのつかない状況であることを示す引きの構図で描かれた見開きと、墜ちゆくおんなの顔をアップで、こちらはまるごと一頁を使って描かれたものと、そこに導く小さな断片、実質三コマがおんなの最期をつたえる総てだ。ここを訪れる人の多くも上に紹介した墜落中のおんなの表情とまなざしに打ちのめされ、おそらく青ざめた口だろう。
千切れる程も花弁が開いたまばゆい性愛の刻(とき)だけが特殊な躍動や熱気を地上にもたらすと信じる読み手が、写実に徹する石井劇画にこれを探し求め、肉のたわみや下着の皺、汗や体液のしたたりを目で追っていった末に突如として死の断崖が出現する。私たちは目を疑う余裕すら与えられず、崖下へと突き落とされてしまった。前段が緩慢であったのも石井の計算であったのか、急激な大気の変化に打ち震えて心底おののいた。
人体の衝突で地面が大きな音を立てるのを聞き、階段を下って彼女が横たわるのを茫然と見下ろす男なのだったが、石井は視る者、視られる者双方のその刹那から目をそらすようにして描こうとせず、「窓の外で音がした コンクリートに 名美の弾ける 鈍い雨音がした」(*2)という短いト書きで状況を伝えるに止めた。雨が路面に作る細かな波紋を丁寧に描き上げ、うつむくようにして筆は置かれた。
愛しい相手の全消滅、肉と魂両面の斬首、追跡対象を奪われて暴れ狂う足裏と手のひら。恋路の果てに誰もがたどり着くそんな惨状が、地面に横たわる遺体や立ちすくむ側の萎んだ背中といったものの「不在」、紙面からの「隠蔽」で強調された。否応なく終結を意識させられ、目玉をえぐられたような閃光を覚えた。いま読んでもこの【雨のエトランゼ】の最終数頁は秀抜であり、穿たれた喪失感の深さ、断面積の広さにつき、漫画史を見渡して比肩し得る作品が思い浮ばない。こんな非情な絵面は見かけない。
「不在や隠蔽されたものを描く」という、何も知らない人が字面だけをたどれば矛盾を覚えるに違いない特異な手法を石井は自作に好んで潜ませるところがあり、後年の映画作品『ヌード夜』(1993)でも結実し、力技を発揮している。その点からも【雨のエトランゼ】の幕引きは無視出来ぬ道標と言うか、それとも墓標と呼ぶべきか、石井の作歴と読み手の脳裏にきっちりと佇立して脈打ち続ける。そのことに異論をはさむ者はたぶん誰もいないのではないか。
最初の単行本、そして完全版での読了。あれから長い年月が過ぎて、幾度も【雨のエトランゼ】を読み返す夜を越えて来たが、それと並行して私たちは映画作家としての石井隆を目撃し、作風やタッチについて数多くの事を学んでいる。その上で再度【雨のエトランゼ】を、特にその終幕部を読み直して分かるのは、不在、空隙は墜落後だけでなく墜落前にも作られていて、ほら、ここにも妙な間が在るよね、気付いたかい、と作者が手招いている点だ。
一体全体あの空白域にどんな景色があったものだろう。一度思考のドライヴが始まるとこれがなかなか凄絶であって、【雨のエトランゼ】の憎愛の密度はいよいよ増していくのだった。魂を削る覚悟でレイアウト組んだ、石井隆という作り手の執心に今更ながら気付かされ、ちょっとした痛みが走る。
(*1):「おんなの街 Ⅰ 雨のエトランゼ」 石井隆 ワイズ出版 2000 256頁
(*2): 同 138頁
2018年4月13日金曜日
“重力にあらがうこと”(5)~雨のエトランゼ~
昏い電燈の下、石井隆の本を枕元に引き寄せ、そっと薄目で眺める夜がある。身体が火照ってたまらない訳ではないし、生きている実感が欲しくて皮膚(はだ)下の冷えた血をたぎらせるべく、火種を突っ込み煽っているでもない。眠りを邪魔しない、おだやかな小一時間になっている。
考えてみれば、この初期の劇画群を石井が作ったのは三十代前半であったから、自分はもう随分とその年齢を越えてしまっている。折り返し地点を過ぎてもはや恋情に惑う楽章でもないのだけど、なんだか無性に石井の苛烈な場面に引き寄せられる。作中に点々と置かれた断崖に近づき底の方をじっと覗き込みながら、くぐもった囁き声に耳を澄ます。いずれおまえもそうなる、この頸木(くびき)からは絶対に逃げおおせないよ、そろそろ順序が廻ってくるから身辺整理に入ってはどうなの。変な喩えで笑われそうだけど、死を巡る場面に視線を縛られる。厳粛な気分で頁をめくっている、それが実際嘘のないところだ。
新旧通じて数多(あまた)の“死教育”を石井隆作品から受けた私たちにとって、また、年齢を経て幾つもの野辺送りを済ませてようやく胸に抱くのは、石井の劇における死の内実は存外リアルなものだという、乾いた、同時にいくらか勃い感懐である。村木たち、名美たちは異常極まる状況に追いやられ、現実にはあまり見ない稀有な死出の貌(かたち)を取るのだけど、そんな画面上で交わされる感情の往還は現実の私たちのそれに近しい。
其処に天寿を全うする者はほとんどおらず、登場人物の生は中断を余儀なくされる。渡河してからでさえ憂いをいつまでも引きずり、彼らは歩み続ける。冥界が本当にそんなものかどうかを知るすべはないが、なんとなく当たっているような気になる。未整理のまま淵に飛び込み、支離滅裂になっていく寂寥感あふれる険しい局面こそが実際の死じゃないだろうか。ずるずると整理がつかない、そんな物じゃあるまいか。
そういえば、映画『花と蛇』(2004)と『花と蛇2 パリ/静子』(2005)において、また、先行する劇画【黒の天使】(1981)の挿話のひとつにおいて、石井は高齢者の死を活写していた。テレビモニターやマジックミラー越しに或る日おんなを見初め、粘つくように凝視した挙句に思考を持っていかれる。いつしか記憶の火鉢に溜まった灰の奥から、橙色(だいだい)に息づく情念が顔を覗かせ、男たちは犯罪まがいの際どい蒐集や止むことのない官能遊戯に取り憑かれていくのだった。その末路は混沌を極めるのだが、突如ざっくりと斬り落とされて舞台をのたうっていく。
望み叶って手中にした仄(ほの)明るい肌のかたわらに横臥し、やがて男たちはおんなにはげしく組み敷かれて死んでいく顛末なのだったが、はたして彼らは昇天し得たのだろうか。煩悩を見事なまでに振り払い、歓喜の渦に抱かれてこれまでの人生の苦役を忘れ、ああ、ようやく終わった、有り難う、と溜飲を下げたのかどうか。実はかなり疑わしいところがある。私見にはなるが、一見幸福そうに描かれた老人たちの臨終の奥まったところは、やはり相も変らぬ急な崖なり薄暗い森との対峙であり流浪であった。
石井の指し示す死は常に不可解で、無情で、それゆえに忘れ難い。荒涼とした風景が累々と列なって記憶に刻まれていくのだけれど、どうしてここまで鮮明に刷り込まれるかといえば、それは奇観であるよりも以前に現実の死と本源的なところで重なって、容赦がなく、力強いからだ。石井が描いたあの道を誰もが辿るより仕方ない。割り切れぬ節目の刻(とき)を迎え、瓦礫だらけの廃墟然とした路を誰もが歩むに違いない、と読み手の多くが信じてしまう。
劇中の自死にしても大概がはげしい錯乱をともなうものであり、安らかな幕切れには至っていない。残された友人や係累においては悔恨や疑念に苛まれる域では収まらず、むごい災厄が直接襲いかかる。さながら髪の毛をがしがしと掴まれ、地べたを思いきり引きずられるのが石井の劇の常套、あらがえぬ手順書だから、死はまったく終点ではなく、むしろ起点となって機能している。『夜がまた来る』(1994)しかり、『GONIN2』(1996)しかり。死が幕引きの道具とならない。
花冷えとなったここ数日は夜気に震え、布団に包まりながら、石井劇画の代表作【雨のエトランゼ】(1979)ばかりを読み返しているのだが、これもまた混迷の度が高いひとりのおんなの死出の山路だった。完全版(*1)がワイズ出版から出されたのは十八年程も前であったが、ミルキィ・イソベの装丁が美しいあの紅い本がどうした訳か見つからない。誰かに貸したままとなったのか、それとも整頓下手の私が迷子にしてしまったのか。仕方がないので古書店から別のものを送ってもらい、昼夜駆けて喉を渇した馬みたいになってがぶがぶと読み返しながら、これは相当に不可思議なひとの最期が描かれた、また随分と石井隆らしい鏡面構造体だといく度も面白く感じた。
巻末に添えられた反古(ほご)原稿は、石井隆という創造主が秘めた恐るべき執念やワンカットなり台詞ひとつひとつに徹底してこだわる堅牢な作家性をひも解く上で、きわめて重要な付録となっている。作品の熱量と編集人の熱意とが束となって伝導を果たし、こちらの脳髄を温める。やはり名著の風格がある。読み直して良かったと思う。
出版者、寄稿者の石井劇画に向き合う真摯さにほだされたところが正直あるし、また、このところ私が囚われ続けている考え、人と重力との間をめぐる駆け引きにちょうど巻きつき共振して、【雨のエトランゼ】について考える時間になっている。名美の投身する姿を石井は圧倒的な筆力で紙面に彫り込んでいるのだが、茫然と見送るしかなかった村木同然の虚けた顔になって、なんであんな事になったのか、どうして石井はあの形を選んだのか、めでたい桜の季節なのに、屋上から見やる厚い雨雲ばかりを想っている。
(*1):「おんなの街 Ⅰ 雨のエトランゼ」 石井隆 ワイズ出版 2000
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