2011年3月21日月曜日
“先に舞台がある”~石井隆の劇画手法③~
【天使のはらわた】(1978-79)の後半に鮮烈なひとコマがある。ぐっと遠近感がある草むらの描写でアングルはかなり低い。名美が逃げて、梶間とその仲間が追いかけている。彼女を暴行し、その写真を撮って恐喝して今後の自由を奪おうと目論んでいるのだった。これはもう登場人物全員が走っているせいもあって地面が大きく斜めに揺らいでいるのだけれど、隅々まで筆が入った徹底した写実性が観る者に強い生理的衝撃を与えている。手前を大きく遮る草の葉も効果をあげていて、こちらの息まで苦しくなる具合だ。
このコマの前後がどのような手順で作成されたかを教わったのだったが、これも又呻くような内容であった。承知の通り、漫画作りの最初の段階に“ネーム”と呼ばれる台本と絵コンテの中間のようなものがある。多くの作家の場合はサササッとコマを割ってそこに台詞が並ぶだけが大概であるのだが、石井の場合は映画の絵コンテそのままなのだそうだ。どのような表情があり、どのような舞台に立っているのか。光の具合、影の具合はどうなのか。そこまで丁寧に描きこまれていたらしい。頭の中のイメージが完成されていて、それをどうしたら最終的に定着させられるか、それが全てであった。
この特殊なネームに合わせてどんな写真資料が必要でそれは何処にロケに行けばいいのか判断し、実際に足を運んで風景を撮ってくる。映画と同じロケーションの感覚である。このコマにはこれ、あのコマにはあれと言うように想い通りの光景を撮りに行く。何十枚、何百枚と撮り溜めて、現像して丹念に取捨選択し、それを拡大縮小して微調整した後に貼り付けて、ようやく下描きの段階に入っていく。つまり、人物の含まれない背景ばかりが並んだ図面が最初に作られていた、ということだ。
名美と男たちは完成なった舞台にいよいよ立ち現れて、駆け出し、転がり、声をあげてドラマを作っていくわけであり、その辺りもステージが完璧に作り込まれた後に役者が呼ばれるような手順となっている。よくもまあ、ここまで人物が背景に溶け込むような絵に仕上げられるな、と感心する他ないが、石井の劇画作りはすこぶる映画作りに似ているのがよく解かる話だ。助監督の経験も活きているのかもしれぬが、劇画時代のこの取材の流れが「写真集ダークフィルム 名美をさがして」(1980)に繋がり、遂には映画演出に連なっていった訳であるから、石井の仕事振りというのは本当に首尾一貫して映画を目指して歩んできた道のりだったと頷かされる訳なのだ。
このようなロケーション重視の作劇法に絡み、もうひとつ興味深い話を聞いた。とあるアパートを舞台に選んで取材に行き、上記のような手順を踏んでようやくスタッフに回された図面(写真をコマ状に配置したもの)を基(もと)にアシスタントが絵に起こしていったのだが、その際にタンスか食器棚の上に押し込んであった中途半端な箱のようなものを省略してしまったらしい。石井は即座に注意して訂正を命じたとのこと。そういう用途不明なものがそこにあってこそ生活感が充溢して来るのであるから手を抜いてはいけない、との理由であった。
箱は前日押し込まれて本来はそこに無かったものかもしれず、その逆に冬物のセーターが入っていたりして今日にもそこから下ろされて中身が取り出され、そのままグシャグシャに折り曲げられて捨てられたかもしれない。そう思えば箱のひとつやふたつは有っても無くても同じ理屈なのだが、石井は頑として譲らなかったそうである。省略するな、全部が必要であると。
『ヌードの夜』(1993)の名美の部屋や『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の主人公夫婦の寝室を染めていた小道具の数々を思い起こすまでもなく、石井映画においてはインテリアや装飾品がきらめくような生命を宿して自己主張し、画面の隅からこちら側にそっと囁いて来るのだが、その力の源流というのは背景徹底重視の石井の劇画作法に起因していたのではなかったか。
石井は“背景が省略可能な漫画を考えていた”のじゃなくって、常に“背景、舞台を背負い続ける宿命を負った映画を考えていた”ということである。長い習練を経て劇画と映画、両者の地平は連なるだけでなく、邦画界では稀有とも言える深慮に満ちた創作活動が陸続と展開されるに至ったことに対しても、それは当然のことであるな、突き進むべき道を匍匐前進した結果であったのだと頷き、ただただ感服するのみだ。
話を伺った往時の担当者は一度石井のモノクローム映画を観てみたい、と呟いた。同感である。想像するだけで胸躍るものがある。この度の天変地異がわが国に残す爪痕は深くえぐれて、確かに容易に快復は望めそうにない。祈りと黙祷の日々が続き、私たちは混乱した日常をなかなか取り戻すことは出来ないかもしれない。娯楽文化は肩身を狭くして、しばらくは精彩を放つことを世間は許されないかもしれない。
でも、わたしはまたいつか再び石井隆の映画を見たいと願っている。夢を追い求め、人生を賭して映画と向き合ってきた石井隆の真摯な姿とその作品は、それだけでどれだけ勇気付けられるかわからない。どれだけ救われるかわからないからだ。
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