『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(以下『愛は惜しみなく奪う』)(2010)の白眉は、後半の舞台となった石切り場であることは言を俟(ま)たない。内部に階段やトンネルを具えるだけでなく、暗緑色に淀む地底湖まで穿たれて在る大洞窟だ。部位それぞれが大切な役回りを担って物語を支えているようにも見えるが、何より本体とでも言うべきか、劇中呼称“ドゥオーモDuomo”になぞらえれば“祭壇”と名付けられそうな虚無空間にただただ圧倒される。石の床に石の壁、そして同質の天井で構成されたその偉容に目を瞠り、凄い凄いと呻くばかりだ。
もっとも石井が世に送り続けた作品をつぶさに見守って来た身には初めて目にしたこの場処が奇想天外なものとは感じられず、むしろ石井らしい選択であったとしっくり馴染むところがある。幾筋もの支流を抱えて蛇行する大河の趣きが石井世界にはあるのだけれど、中の一本を確実に占めている“黄泉路、冥府”といったものが顕現されており感心することしきりだった。
先にも書いたように石井劇画には“タナトス四部作”(*1)と呼ぶべきまとまりがある。各々【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣】と題され、1979年から1980年にかけて発表されたものだ。海原、岩壁、森、横穴、トンネル、半ば崩れ落ちたレンガ壁、水槽、人間にあらざる者、突如飛翔して面前を横切る鳩といった事象で占められた道行きのあれこれは、深い眠りの奥で断続する悪夢のように展開されていく。
紙面に築いてきた冥府の情景をフィルムに定着させることに慎重であり、これまで巧妙に避けて来た石井であった訳だが、今作『愛は惜しみなく奪う』には一気呵成に渡河してその聖域に踏み込んだかのような勢いがある。前作『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が名美というおんなの抱えた情炎をすべて燃焼尽くす風であった流れを受けての英断であろう。17年前の『ヌードの夜』(1993)で名美(余貴美子)は森の入口にて遺体埋葬を諦めて泣く泣く自宅に舞い戻った経緯があるが、『愛は惜しみなく奪う』では冒頭から迷うことなく樹木生い茂る奥のそのまた奥へと、なにかに憑かれたように踏み込んで見せており、越境観と言うか、到達観とでも呼ぶべきか、そんな“突き抜け”があるのは絶対に見逃してはならない点だろう。
“ドゥオーモ”とは、だから、おそらくは創作活動の決算期に入ったと認めているらしい石井隆が自らに課していた“不可侵区域”に歩を進めたその果てに待ち受けていたコアな情景であって、タナトス四部作と明らかに通底する部分を担っており、その意味できわめて繊細で重大なものを抱えている段階と思って良いのだ。相当に深い内奥を秘めた描写なのである。
逆引き辞典の頁を繰るようにして、まずタナトス四部作を考察することは今作の解読(石井の冥府とは何か)や石井世界を探る上で有効と信じているのだが、以前からずっと疑問に思っていたのは四作もの“冥府もの”がある程度まとまって出現した理由なのだった。初期の画集「死場処」(1973)や雑誌に寄せた一枚絵の中には、命の焔(ほむら)が尽きて間もない様子のおんなの遺骸や男と組み合うあられもない姿態が山野を背景に描かれていたのだったし、夢とも現とも判別つかぬ幻影に弄ばれていく展開は初期の石井劇画の得難いモティーフとなっていた訳だから、それ等を鋭意発展させたものであることにもちろん間違いはない。
されど、大都会の一隅にて地方出身の若い男女が物狂おしい出逢いと別れを繰り返していくセンチメンタルな「活劇」を描くことの多かった石井が、突如として前のめりの執念をもって一個のおんなの肉体に巣食う精神世界の末路である「死劇」を驚嘆すべき筆致をもって描いていった背景は一体全体何なのだろう、何が起こったのだろうと当惑を覚えてしまう訳なのだ。単行本にまとまったものをやや遅れて手にとった私にはその辺りの事情が呑み込めず、いずれ権藤晋や山根貞男といった石井の良き併走者が正確なところを解き明かしてくれるだろうと願っているものの、待っている間に震災や事故か病気で生命尽きたときにはそれこそ我が魂は劇画の名美のように黄泉路に迷って到底浮かばれそうにない。
実際のところ生まれて此の方、これ程まで死の影を身近に感じ怖れおののいたことはない。遠方よりはるばると酷い悪路を今まさに走ってくれているだろうトラックの到着を、冷えた部屋でひとり待ちながら焦るような、自分で自分を慰めるような気持ちでこの文章をまとめているのが嘘のないところであって、私の内側に宿ったもの、人や風景、絵画や映画や小説、漫画といったものたちへの愛する余りの思索や敬慕といったものが形に残ることなく霧のごとく消えてしまうのではないかと、ほんとうに焦り苦しく感じながら書き留めている。 人が抱き続けている“想い”というのは実に儚いものだと分かる。
自分なりに答えを探してもがくしかない。ワイズ出版よりかつて上梓され手元にある「おんなの街Ⅰ、Ⅱ」(2000)は「ヤングコミック」に掲載された同名連作を収めたのみならず、往時の代表作やさらには反故原稿まで加えた労作であって石井世界の魅力と支える石井本人の情熱を存分に伝える内容となって素晴らしいのだが、タナトス四部作が総覧出来るのは有り難い。幸い初出一覧が巻末にあったので一部これを書き写し、連載順(恐らく製作順)に並べ替えてみるとこんな具合となる。
【赤い蜉蝣】★ 1979 2月13日号
【雨のエトランゼ】 1979 6月27日~8月22号
【果てるまで】 1979 9月12号
【停滞前線】 1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】 1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980 1月9日号
【赤い暴行】★ 1980 1月23日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)
つまりタナトス四部作(★印)はロマンティークな【雨のエトランゼ】や【夜に頬寄せ】を挟みながら約一年の間に出現したことが分かる。【赤い眩暈】を筆頭に置いて編纂されることが多い四作だが、実際に口火を切ったのは1979年の【赤い蜉蝣】だった訳だ。
苦界からの足抜けに失敗したおんなが追っ手に捕まりリンチを受けて気を失う。気付けば海に面した断崖に佇んでいるところであって、やがて冥界の使者にいざなわれて海に飛び込んでいくおんななのだったが、そんな精神世界の淋しくも愛おしい情景の裏で進行していた現実世界の風景は実は凄絶なものであって、終幕はおんなの後頭部がぼこんと水溜りに浮いて彼女の生命が今まさに燃え尽きたことが提示される。【赤い蜉蝣】とはそんな現実と精神風景を行きつ戻りつする内容なのだけれど、まあ文字に起こしても伝えきれない作品であるから、未見の人には本を探して読んでもらうしかない
身勝手な推量であり、また断章取義と一笑されるに違いないけれど、私なりに思っていることはまたしてもベルイマン作品との連環である。特に『狼の時刻Vargtimmen』(1968)との繋がりだ。個人的にベルイマン作品を観ることは元々からして歓びであったから先日DVDを求めた訳だったけれど、途中になって石井作品と二重写しに見える箇所があって大いに胸騒ぎを覚えることとなった。
都会を逃れて孤島に移住した画家である夫とその妻の物語だ。暮らしは当初穏やかに推移していくのだったが、島の住人と交流を続けるに従い内向的な夫の面相は険しさを増していき、言動が妙に怪しいものになっていく。妻は男の様子に翻弄されつつ必死のまなざしで見守っていくのだった。幕引き間際を襲う数々のショッキングな情景には石井のタナトス四部作を想起させる箇所が目白押しであって、見ていて息苦しかった。特に夫婦の永別の舞台にすえられた“森”の在り様、位置付けは同一の血筋と言えるだろう。
上に取り上げた【赤い蜉蝣】のラストカットと通底する描写もあって、その仔細は同好の士のいつか訪れるだろう楽しみの為に伏せておくけれど、たぶん石井は『狼の時刻』を観て触発されたことは間違いないと信じている。先にも引いた三木宮彦著「ベルイマンを読む」(フィルムアート社)によれば、当時日本未公開であったベルイマンの二つの作品がテレビで相次いで放映されたと書かれている。『狼の時刻』が1977年8月22日に、『恥 Skammen』(同)が8月23日に流されたらしい。流れに無理は感じられない。
崩壊していく人格を外から観察するのみでなく、内奥に深々と潜水していく。錯綜したまま、軋んでいくまま、魂の大揺れする様を曖昧でなく具体的に構築してみせたベルイマンの不敵な手法が石井の劇空間にそのまま引き継がれていき、複数の視座をもたらしている。結果的に石井世界の多層性をさらに高めたのだ。
“ドゥオーモ”はあのような巨石空間となったものの、森に抱え込まれた広場のような場処として当初構想されていたというのも、だから頷ける話なのだ。長年の疑問も含めて穏やかに、芳醇なる結実の想いをもって終息する訳である。
(*1):この“タナトス四部作”はmickmacさんの命名。素敵です。ありがとう。
※追記
何か引っ掛かるところがあってワイズ出版の「おんなの街 Ⅰ」を見返していたところ、初出一覧に誤植があったようです。【赤い蜉蝣】★ 1979 2月13日号と上に書いたのはどうやら間違いであって、実際は1980年の2月13日号に掲載なったようです。ベルイマン作品と連環するイメージを託したのは、無理が出てきました。まさに妄想でありました。お詫びいたします。
実際の掲載順序は次のようであった模様です。
【雨のエトランゼ】 1979 6月27日~8月22号
【果てるまで】 1979 9月12号
【停滞前線】 1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】 1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980 1月9日号
【赤い暴行】★ 1980 1月23日号
【赤い蜉蝣】★ 1980 2月13日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)
また馬鹿をやっちゃいました。ごめんなさい。 2012.06.23
0 件のコメント:
コメントを投稿