2011年3月21日月曜日

“先に舞台がある”~石井隆の劇画手法③~


 【天使のはらわた】(1978-79)の後半に鮮烈なひとコマがある。ぐっと遠近感がある草むらの描写でアングルはかなり低い。名美が逃げて、梶間とその仲間が追いかけている。彼女を暴行し、その写真を撮って恐喝して今後の自由を奪おうと目論んでいるのだった。これはもう登場人物全員が走っているせいもあって地面が大きく斜めに揺らいでいるのだけれど、隅々まで筆が入った徹底した写実性が観る者に強い生理的衝撃を与えている。手前を大きく遮る草の葉も効果をあげていて、こちらの息まで苦しくなる具合だ。

 このコマの前後がどのような手順で作成されたかを教わったのだったが、これも又呻くような内容であった。承知の通り、漫画作りの最初の段階に“ネーム”と呼ばれる台本と絵コンテの中間のようなものがある。多くの作家の場合はサササッとコマを割ってそこに台詞が並ぶだけが大概であるのだが、石井の場合は映画の絵コンテそのままなのだそうだ。どのような表情があり、どのような舞台に立っているのか。光の具合、影の具合はどうなのか。そこまで丁寧に描きこまれていたらしい。頭の中のイメージが完成されていて、それをどうしたら最終的に定着させられるか、それが全てであった。

 この特殊なネームに合わせてどんな写真資料が必要でそれは何処にロケに行けばいいのか判断し、実際に足を運んで風景を撮ってくる。映画と同じロケーションの感覚である。このコマにはこれ、あのコマにはあれと言うように想い通りの光景を撮りに行く。何十枚、何百枚と撮り溜めて、現像して丹念に取捨選択し、それを拡大縮小して微調整した後に貼り付けて、ようやく下描きの段階に入っていく。つまり、人物の含まれない背景ばかりが並んだ図面が最初に作られていた、ということだ。

 名美と男たちは完成なった舞台にいよいよ立ち現れて、駆け出し、転がり、声をあげてドラマを作っていくわけであり、その辺りもステージが完璧に作り込まれた後に役者が呼ばれるような手順となっている。よくもまあ、ここまで人物が背景に溶け込むような絵に仕上げられるな、と感心する他ないが、石井の劇画作りはすこぶる映画作りに似ているのがよく解かる話だ。助監督の経験も活きているのかもしれぬが、劇画時代のこの取材の流れが「写真集ダークフィルム 名美をさがして」(1980)に繋がり、遂には映画演出に連なっていった訳であるから、石井の仕事振りというのは本当に首尾一貫して映画を目指して歩んできた道のりだったと頷かされる訳なのだ。

 このようなロケーション重視の作劇法に絡み、もうひとつ興味深い話を聞いた。とあるアパートを舞台に選んで取材に行き、上記のような手順を踏んでようやくスタッフに回された図面(写真をコマ状に配置したもの)を基(もと)にアシスタントが絵に起こしていったのだが、その際にタンスか食器棚の上に押し込んであった中途半端な箱のようなものを省略してしまったらしい。石井は即座に注意して訂正を命じたとのこと。そういう用途不明なものがそこにあってこそ生活感が充溢して来るのであるから手を抜いてはいけない、との理由であった。

 箱は前日押し込まれて本来はそこに無かったものかもしれず、その逆に冬物のセーターが入っていたりして今日にもそこから下ろされて中身が取り出され、そのままグシャグシャに折り曲げられて捨てられたかもしれない。そう思えば箱のひとつやふたつは有っても無くても同じ理屈なのだが、石井は頑として譲らなかったそうである。省略するな、全部が必要であると。

 『ヌードの夜』(1993)の名美の部屋や『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)の主人公夫婦の寝室を染めていた小道具の数々を思い起こすまでもなく、石井映画においてはインテリアや装飾品がきらめくような生命を宿して自己主張し、画面の隅からこちら側にそっと囁いて来るのだが、その力の源流というのは背景徹底重視の石井の劇画作法に起因していたのではなかったか。
 
 石井は“背景が省略可能な漫画を考えていた”のじゃなくって、常に“背景、舞台を背負い続ける宿命を負った映画を考えていた”ということである。長い習練を経て劇画と映画、両者の地平は連なるだけでなく、邦画界では稀有とも言える深慮に満ちた創作活動が陸続と展開されるに至ったことに対しても、それは当然のことであるな、突き進むべき道を匍匐前進した結果であったのだと頷き、ただただ感服するのみだ。

 話を伺った往時の担当者は一度石井のモノクローム映画を観てみたい、と呟いた。同感である。想像するだけで胸躍るものがある。この度の天変地異がわが国に残す爪痕は深くえぐれて、確かに容易に快復は望めそうにない。祈りと黙祷の日々が続き、私たちは混乱した日常をなかなか取り戻すことは出来ないかもしれない。娯楽文化は肩身を狭くして、しばらくは精彩を放つことを世間は許されないかもしれない。

 でも、わたしはまたいつか再び石井隆の映画を見たいと願っている。夢を追い求め、人生を賭して映画と向き合ってきた石井隆の真摯な姿とその作品は、それだけでどれだけ勇気付けられるかわからない。どれだけ救われるかわからないからだ。



“三次元で捉えられた背景”~石井隆の劇画手法②~


 石井のインタビュウには手塚治虫、楳図かずお、つげ義春、さいとう・たかをといった同業者の名前が上がるのだけど、一瞥して判るようにタッチはいずれとも段差がある。不勉強でそう詳しくはないが石井と同時期に青年誌で人気を得た他の作家、たとえばつつみ進と比べてみると執拗に描かれたおんなの毛髪や茫漠とした空き地や鬱蒼とした草むらの表現に似たものはあるにはあるが、読後の印象はこちらも随分違ったものになっている。託されたメッセージやテーマはそれぞれ作品ごとに違うのは当然であるけれど、臨場感と言うべきか迫真性と言うべきか、石井の劇画には読み手の腕を取って紙面に引きずり込み、劇空間の只中に内包してしまうような磁力がある。

 よく知られたように石井は自らカメラを操って“背景”となる街角や路地裏を取材していて、それが作品に力を与えているのは違いない。例えば運尽きて降下し続ける人生をようやくそこで支え、からくも繋ぎ停めているかの如き退避所めいた場末の酒場が石井の作品には頻繁に登場するのだが、【黒の天使】(1981-82)や【赤い微光線】(1984)などを再読するたびに驚かされる構図があり、コマ一杯に呆れるほども小道具で埋め尽くされていて目が離せなくなる。劇の展開とともにカウンターの裏側に無遠慮に回りこみ、そこで掃除をし始めたり酔いつぶれては低く屈み込んでいく人物動作が起こっていくのだが、その不意の動きに背景はしっかり追いすがって分離していかない。紫煙とアルコールの入り混じった夕闇の気配をそのまま維持して、ドラマの命脈を生き生きと保つのである。

 教わった話によれば、石井の取材はどうやら半端ではない。もしも、自分が漫画作家だとして特定の車なり家屋なり店舗を背景に選択し、作画のために写真を撮るとしよう。さて一体どれだけのフィルムを費やせるものだろう。こうやってああやって、前から後ろから撮ったらお終いといったところだろう。せいぜい50枚も撮ればもう撮るところないと思うに違いない。ところが石井は黙って200枚ぐらいは平気で撮るのだそうだ。どんな使い方するか分からないからと、車であれば上から撮ったり中から撮ったり、内部もブレーキのペダルから、運転している視点から撮りたいとかその徹底ぶりは凄いらしい。酒場など主要な舞台ともなれば数百枚にもなるらしい。

 数撃てば当るというのでなく、撮ったどの写真も構図が決まっていて絵になっているということがさらに驚嘆させられたそうである。何十枚撮ってその中で数枚しか使えないというのではなくって、どれもこれも格好がよい。最初から構図の切り取り方が抜群だそうで舌を巻いたとのこと。そのような徹底振りが石井劇画の舞台を三次元的にしており、縦横無尽な活用を実現に導いたのだ。人物と背景が隙間なく一体となって連なり、決して乖離することはない。石井の頭のなかでの劇画構想はつまり動画を作成する観点から立ち上がっていて、それも今風のコンピューターグラフィックによく見受けられる3Dに似た捉え方なのだろう。背景の考え方が写真館でよく目にする狭苦しくささやかなホリゾントとは仕組みも大きさも違っているということだ。

 石井の映画作品を観ていてもこれと似た感慨、著しい3D感が押し寄せる瞬間が幾度も巡って来る。前後左右に加えて上昇と下降も目まぐるしい。動きの種類によっては宗教的なメッセージが込められていると思ってもいるけれど、劇画制作でつちかった奔放な視座転換がこの石井らしい躍動へと導いた可能性は大いにあると推察している。



“劇画と映画の地平”~石井隆の劇画手法①~



 石井監督作品の各々はすっきりと独立しているような、その逆にみっちり列を連ねるような曖昧な距離を具えて並んでいる。『花と蛇』(2004)と『花と蛇2 パリ/静子』(2005)、『黒の天使』のvol.1とvol.2(1998、1999)、最近では『フリーズ・ミー』(2000)と『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の“冷蔵庫”繋がりといったものを観れば頷くところがあるだろう。絵画に例えるなら一人の画家から産み落とされた連作、はたまた一巻の長大な絵巻物の面影を宿している。静謐なアトリエでキャンバスに向かい、手にしっくり馴染んだ絵具や筆を器用に使う画人の幻影を脳裏に抱いてしまう。

 劇画と挿絵作家時代に氏の創り出したドラマの数々に魅了され、やがて転じてシナリオ作家から監督業へと猛進していく様子に目を瞠(みは)り熱い喝采を送ったファンは数多くいるのだけれど、そんな近しい過去を持つ愛好者同士で寄り集い声を交わすうちに面白いことが起きる。映画同士が面立ちを連鎖していくにとどまらず、氏の劇画、イラスト、シナリオへと無理なく地平が拡がって話がどうにも止まらなくなることだ。おんなの肢体、闇に浮かぶ景色、雨にたたずむ男──、二重写しとなるカットを互いに秘めており、個々に切り分けて語ることが表層的にも深層的にもえらく難しくなっていく。

 具体例をあげれば『黒の天使vol.1』におけるエスカレーター襲撃シーンなど分かりやすい。エスカレーターで昇って来る親の仇(かたき)を上階でそっと待ち構え、慌てふためく相手を不敵な面貌にてじっと見据えた後に容赦なく銃撃する一光(葉月里緒菜)が描かれていたけれど、あれと相似する描写が石井の劇画【赤いアンブレラ】(1988)の中にはあった。いや、相似というよりもそのものである。両者のこのカットは一卵性双生児と例えても一向に構うまい。ふたつの作品はあえかに共振して、複雑な波紋を綾織っては読者と観客の内側で木霊(こだま)していく。  

 石井スパイラルとでも呼ぶべき飽くなきイメージの反復こそが、物語の深淵に潜む情念や真実を印刻する上で重要な鍵になっているのは違いないのだけれど、そこでふと思い至って唖然とするものがある。近接したジャンル同士、つまりは映画と映画とで橋渡しするダブルイメージ、はたまた映画とシナリオとが緩やかに融合するのは至極当然なことな訳だけれど、“劇画”と“映画”がここまで自然に寄り添うことはどうであろう。当たり前の事象だろうか。

 なるほど昨今のコンピューターグラフィックスの飛躍ぶりは凄まじいのひと言で、ニューヨークに本拠地を置くマーベルコミック社の漫画を忠実に映画化することは興業界の一大潮流となっている。「バットマン」や「アイアンマン」、「X-メン」といった実写化作品は世界を席捲するのもうべなるかな、屈折した主人公や敵役の人格が繊細に描き分けられていて、大人の鑑賞眼にも耐え得る仕上がりとなっている。巧妙に造られたスーツもすこぶる蠱惑的で光と影の演出も心憎いばかり。よく原作の面差しを再現しており、唸らされることしきりだ。現実のものであれ妄念であれ、およそニ次元に描かれた世界をスクリーンに再現出来ぬものはないぐらいに進化を窮めてしまい、年々手の込みようはエスカレートして見える。

 そんなハリウッドの大作と並べ評することは無理なきにしもあらずだが、“石井隆が劇画で描いた世界観”と“「同じ石井隆」がメガホンを取って像を定着させた映画”とが実にきっちりと糸を結んで一体となっていることに、わたしはそれらヒーロー物の隆盛に対する以上の感嘆を抱き、熱い吐息を吐きながら唸らざるをえない。

 たった一人の男が別々な媒体で生み出したものが、物理的な制約を越えて寸分の隙間なく連なって見えてしまう、それは冷静に考えれば驚嘆すべき話ではなかろうか。まるで奇蹟か呪術を目の当たりにしているような得体の知れない気持ちにすら襲われてしまう。ここまで地平線をなよやかに繋いでいくクリエーターは、どこを探したっておよそ見つかりはすまい。世界的にも稀有な現象を私たちは目撃しているのではないか。

 一体全体、石井劇画とは何であったのか、なぜ映画とここまで一体になれるのか、わたしは随分とその事に不思議に感じて延々と引きずってこれまで生きてきたのだった。2009年の秋、幸いにして往時の出版関係者より直に話を聞く機会に恵まれた。たくさんの刺激的な事実を知り得たのだったが、これによって石井劇画と石井映画の結合する理由のみならず石井世界の原動力とは何かも得心することが出来たのだった。

 読めば随分と大袈裟だと笑う御仁もおられようが、私が思わず声上げる具合となった幾つかの逸話をここで紹介したいと思う。なお、石井と関係者に迷惑が及ばぬよう開陳するのは知り得た話の十分の一にも満たないし、勝手ながら手を加えてまとめている。








2011年3月19日土曜日

“愛しきものたち”による結晶~石井劇画を構成するもの~



 この一週間の出来事の仔細と今も目の前で繰り広げられている悪い夢にも似た光景の数々を書き留めて記憶に刻み、次の世代に伝えようかと余程思わないでもないのだけれど、エアポケットに落ち込んだような週末の静かなこの午後に記しておきたい内容はやはり石井隆と彼の作品に関する思索のあれこれだ。

 真黒い大波に洗われることなく、家族や知人も皆が無事であったことの幸福に浮かれ騒いでいるつもりは決してなく、こういう表現がこの時機ふさわしいかどうか判らないけれど“土壇場”、“瀬戸際”という感じに絶えず圧迫されているせいだ。三十年という歳月を跨いで観て、読んで、考えてきたものを早く形にしておきたい、こうしてモニターに向かっていられるような時間は一切合切無くなってしまうのではないかと背中を銃口で小突かれている気分でひどく焦っている。

 深呼吸をして、ふたたび石井の“冥府”に気持ちを戻そう、と、したのだけれど今度は“不謹慎”という言葉が頭の隅の方でちらちら明滅する。思えばここ一週間、映画、小説、テレビドラマといったフィクションに気持ちが一切傾かない。生物としての原始的な部分で何かしらの回路が遮断されたみたいで、飲酒その他の身体的欲求がいずれも大きく減じてしまった。戦時下の日本で娯楽、音楽を徹底して禁じ、美粧を控えたことを思い返して、なるほど、そういう厳しい局面では無理強いなどしなくても自然に誰もがそうなったのかもしれないな、なんて想像を巡らしてみたりする。こんな時に映画や漫画のことを書き連ねることは他人からはずいぶん“不謹慎”に見えることだろう。

 けれど、わたしの目に石井隆の世界はひとりの個性的な絵師による「宗教画」に準じたものに見えているから、語ること、紹介することを卑俗で無価値とは毛頭思っていない。わたしの“私らしい人生”には大事なことと考えているのだけれど、沿岸部の惨状や受話器越しに聞く知人、友人からの切な過ぎる話と衝突して逡巡するものがある。もう一度、深呼吸してみよう。

 石井は『死んでもいい』(1992)公開時に行なわれた対談(*1)でフランスの監督ロジェ・バディムRoger Vadimについて突然に相手から振られた際、即座に『血とバラEt mourir de plaisir』(1960)のタイトルを上げて、劇場に「何度も通った」作品と返している。この『血とバラ』の中には幻想的な夢のまとまりが在って、その中のひとつは後年石井が描いた【真夜中へのドア】(1980 タナトス四部作に含まれる)の一場面と繋がって見える。

 身の丈もある大きな窓を境にして現世と冥界とが隔てられており、向こう側は水槽か海のような具合になっている。石井の作品においてはひどい火傷を負って死線をさまよっている名美の母親がゆらゆらそこを漂い、徐々に光の届かぬ暗い方へと遠ざかって行く。慌てふためいた名美は窓を必死に叩いて母親を引き止めようとするのだったが、黄泉の死者はもはや手遅れと取り合わないのだった。

 上の対談において石井は『血とバラ』には確かに何度も通ったけれど「他にもそういうのはあります」と言い添えて、バディムに拘泥したのではない事を強調している。なるほど石井は“バディム派”と括られる程には同監督作品に酔ってはおらず、『血とバラ』という作品についてだけ極端に酩酊して見えるのだ。

 石井の劇画には多くの映画、絵画の面影が投入されているのだけれど、どれもが閃光のように断片的なのが特徴となっている。雨滴が車のサイドミラーの下辺にへばり付き、丁度差し込んだ朝日を屈折させてしばし凄まじい真っ赤な光を投げかけてきて、程なく力尽きて地上に落ちていくことがあるけれども感じはあれに似ている。つまり人気作品に便乗して筋運びや人物像をそっくり真似るとか、丸々まとまった場面をそのまま盗用するという性格のものとはまるで違っている。一瞬だけを組み込むのである。

 本当は石井劇画に散りばめられた多くの事象をひとつひとつ取り上げ、比較検証しながら石井世界とは何かを究めて行こうと思っていたのだけれど、世間の事情があまりにも騒然として先が見えない状況であるから私なりの結論を急げば、石井世界は呑まれることなく、相手をどんどん呑む。絵画、映画スチール、グラビアといった一瞬の情景を幾つも呑み込んで花ひらいた結晶体の面影がある。ロマンティークな男女のドラマの其処此処に別な物語の息づきが挿入されて、せわしく懸命に、健気に肩寄せ合って活動しているように見える。

 そして大事なことは、それら挿し込まれた細片のどれもが石井隆にとって愛すべき記憶の断片に等しく、劇の骨格と同等に想いがひとつひとつ込められているという事だ。コマを埋めるためにルール無用にあたり構わず切り貼りされたのでなく、愛着ある光景なり恋している女優の容姿といったものに充たされてあるが為にコマのひとつひとつが生命を得て語り始めるのである。

 この細分化されながら全体を皆で担っているという石井劇画独特の構造が後年の映画演出にも影響し、日本映画には類を見ない“群像劇”へと発展していった。少し急いでしまったけれど、そのように自分なりに読み取っているところだ。

(*1):「月刊シナリオ」 1992年10月号 桂千穂〈作家訪問インタビュー〉クローズアップ・トーク



2011年3月18日金曜日

“森”に彷徨う~タナトス四部作の源泉~



 『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(以下『愛は惜しみなく奪う』)(2010)の白眉は、後半の舞台となった石切り場であることは言を俟(ま)たない。内部に階段やトンネルを具えるだけでなく、暗緑色に淀む地底湖まで穿たれて在る大洞窟だ。部位それぞれが大切な役回りを担って物語を支えているようにも見えるが、何より本体とでも言うべきか、劇中呼称“ドゥオーモDuomo”になぞらえれば“祭壇”と名付けられそうな虚無空間にただただ圧倒される。石の床に石の壁、そして同質の天井で構成されたその偉容に目を瞠り、凄い凄いと呻くばかりだ。

 もっとも石井が世に送り続けた作品をつぶさに見守って来た身には初めて目にしたこの場処が奇想天外なものとは感じられず、むしろ石井らしい選択であったとしっくり馴染むところがある。幾筋もの支流を抱えて蛇行する大河の趣きが石井世界にはあるのだけれど、中の一本を確実に占めている“黄泉路、冥府”といったものが顕現されており感心することしきりだった。

 先にも書いたように石井劇画には“タナトス四部作”(*1)と呼ぶべきまとまりがある。各々【真夜中へのドア】、【赤い眩暈】、【赤い暴行】、【赤い蜉蝣】と題され、1979年から1980年にかけて発表されたものだ。海原、岩壁、森、横穴、トンネル、半ば崩れ落ちたレンガ壁、水槽、人間にあらざる者、突如飛翔して面前を横切る鳩といった事象で占められた道行きのあれこれは、深い眠りの奥で断続する悪夢のように展開されていく。

 紙面に築いてきた冥府の情景をフィルムに定着させることに慎重であり、これまで巧妙に避けて来た石井であった訳だが、今作『愛は惜しみなく奪う』には一気呵成に渡河してその聖域に踏み込んだかのような勢いがある。前作『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)が名美というおんなの抱えた情炎をすべて燃焼尽くす風であった流れを受けての英断であろう。17年前の『ヌードの夜』(1993)で名美(余貴美子)は森の入口にて遺体埋葬を諦めて泣く泣く自宅に舞い戻った経緯があるが、『愛は惜しみなく奪う』では冒頭から迷うことなく樹木生い茂る奥のそのまた奥へと、なにかに憑かれたように踏み込んで見せており、越境観と言うか、到達観とでも呼ぶべきか、そんな“突き抜け”があるのは絶対に見逃してはならない点だろう。

 “ドゥオーモ”とは、だから、おそらくは創作活動の決算期に入ったと認めているらしい石井隆が自らに課していた“不可侵区域”に歩を進めたその果てに待ち受けていたコアな情景であって、タナトス四部作と明らかに通底する部分を担っており、その意味できわめて繊細で重大なものを抱えている段階と思って良いのだ。相当に深い内奥を秘めた描写なのである。

 逆引き辞典の頁を繰るようにして、まずタナトス四部作を考察することは今作の解読(石井の冥府とは何か)や石井世界を探る上で有効と信じているのだが、以前からずっと疑問に思っていたのは四作もの“冥府もの”がある程度まとまって出現した理由なのだった。初期の画集「死場処」(1973)や雑誌に寄せた一枚絵の中には、命の焔(ほむら)が尽きて間もない様子のおんなの遺骸や男と組み合うあられもない姿態が山野を背景に描かれていたのだったし、夢とも現とも判別つかぬ幻影に弄ばれていく展開は初期の石井劇画の得難いモティーフとなっていた訳だから、それ等を鋭意発展させたものであることにもちろん間違いはない。

 されど、大都会の一隅にて地方出身の若い男女が物狂おしい出逢いと別れを繰り返していくセンチメンタルな「活劇」を描くことの多かった石井が、突如として前のめりの執念をもって一個のおんなの肉体に巣食う精神世界の末路である「死劇」を驚嘆すべき筆致をもって描いていった背景は一体全体何なのだろう、何が起こったのだろうと当惑を覚えてしまう訳なのだ。単行本にまとまったものをやや遅れて手にとった私にはその辺りの事情が呑み込めず、いずれ権藤晋や山根貞男といった石井の良き併走者が正確なところを解き明かしてくれるだろうと願っているものの、待っている間に震災や事故か病気で生命尽きたときにはそれこそ我が魂は劇画の名美のように黄泉路に迷って到底浮かばれそうにない。

 実際のところ生まれて此の方、これ程まで死の影を身近に感じ怖れおののいたことはない。遠方よりはるばると酷い悪路を今まさに走ってくれているだろうトラックの到着を、冷えた部屋でひとり待ちながら焦るような、自分で自分を慰めるような気持ちでこの文章をまとめているのが嘘のないところであって、私の内側に宿ったもの、人や風景、絵画や映画や小説、漫画といったものたちへの愛する余りの思索や敬慕といったものが形に残ることなく霧のごとく消えてしまうのではないかと、ほんとうに焦り苦しく感じながら書き留めている。 人が抱き続けている“想い”というのは実に儚いものだと分かる。

 自分なりに答えを探してもがくしかない。ワイズ出版よりかつて上梓され手元にある「おんなの街Ⅰ、Ⅱ」(2000)は「ヤングコミック」に掲載された同名連作を収めたのみならず、往時の代表作やさらには反故原稿まで加えた労作であって石井世界の魅力と支える石井本人の情熱を存分に伝える内容となって素晴らしいのだが、タナトス四部作が総覧出来るのは有り難い。幸い初出一覧が巻末にあったので一部これを書き写し、連載順(恐らく製作順)に並べ替えてみるとこんな具合となる。

【赤い蜉蝣】★ 1979  2月13日号
【雨のエトランゼ】 1979  6月27日~8月22号
【果てるまで】  1979 9月12号
【停滞前線】  1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】  1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980  1月9日号
【赤い暴行】★ 1980  1月23日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)

 つまりタナトス四部作(★印)はロマンティークな【雨のエトランゼ】や【夜に頬寄せ】を挟みながら約一年の間に出現したことが分かる。【赤い眩暈】を筆頭に置いて編纂されることが多い四作だが、実際に口火を切ったのは1979年の【赤い蜉蝣】だった訳だ。

 苦界からの足抜けに失敗したおんなが追っ手に捕まりリンチを受けて気を失う。気付けば海に面した断崖に佇んでいるところであって、やがて冥界の使者にいざなわれて海に飛び込んでいくおんななのだったが、そんな精神世界の淋しくも愛おしい情景の裏で進行していた現実世界の風景は実は凄絶なものであって、終幕はおんなの後頭部がぼこんと水溜りに浮いて彼女の生命が今まさに燃え尽きたことが提示される。【赤い蜉蝣】とはそんな現実と精神風景を行きつ戻りつする内容なのだけれど、まあ文字に起こしても伝えきれない作品であるから、未見の人には本を探して読んでもらうしかない

 身勝手な推量であり、また断章取義と一笑されるに違いないけれど、私なりに思っていることはまたしてもベルイマン作品との連環である。特に『狼の時刻Vargtimmen』(1968)との繋がりだ。個人的にベルイマン作品を観ることは元々からして歓びであったから先日DVDを求めた訳だったけれど、途中になって石井作品と二重写しに見える箇所があって大いに胸騒ぎを覚えることとなった。

 都会を逃れて孤島に移住した画家である夫とその妻の物語だ。暮らしは当初穏やかに推移していくのだったが、島の住人と交流を続けるに従い内向的な夫の面相は険しさを増していき、言動が妙に怪しいものになっていく。妻は男の様子に翻弄されつつ必死のまなざしで見守っていくのだった。幕引き間際を襲う数々のショッキングな情景には石井のタナトス四部作を想起させる箇所が目白押しであって、見ていて息苦しかった。特に夫婦の永別の舞台にすえられた“森”の在り様、位置付けは同一の血筋と言えるだろう。

 上に取り上げた【赤い蜉蝣】のラストカットと通底する描写もあって、その仔細は同好の士のいつか訪れるだろう楽しみの為に伏せておくけれど、たぶん石井は『狼の時刻』を観て触発されたことは間違いないと信じている。先にも引いた三木宮彦著「ベルイマンを読む」(フィルムアート社)によれば、当時日本未公開であったベルイマンの二つの作品がテレビで相次いで放映されたと書かれている。『狼の時刻』が1977年8月22日に、『恥 Skammen』(同)が8月23日に流されたらしい。流れに無理は感じられない。

 崩壊していく人格を外から観察するのみでなく、内奥に深々と潜水していく。錯綜したまま、軋んでいくまま、魂の大揺れする様を曖昧でなく具体的に構築してみせたベルイマンの不敵な手法が石井の劇空間にそのまま引き継がれていき、複数の視座をもたらしている。結果的に石井世界の多層性をさらに高めたのだ。

 “ドゥオーモ”はあのような巨石空間となったものの、森に抱え込まれた広場のような場処として当初構想されていたというのも、だから頷ける話なのだ。長年の疑問も含めて穏やかに、芳醇なる結実の想いをもって終息する訳である。


(*1):この“タナトス四部作”はmickmacさんの命名。素敵です。ありがとう。







※追記
何か引っ掛かるところがあってワイズ出版の「おんなの街 Ⅰ」を見返していたところ、初出一覧に誤植があったようです。【赤い蜉蝣】★ 1979  2月13日号と上に書いたのはどうやら間違いであって、実際は1980年の2月13日号に掲載なったようです。ベルイマン作品と連環するイメージを託したのは、無理が出てきました。まさに妄想でありました。お詫びいたします。

実際の掲載順序は次のようであった模様です。

【雨のエトランゼ】 1979  6月27日~8月22号
【果てるまで】  1979 9月12号
【停滞前線】  1979 10月10日号
【夜に頬寄せ】  1979 11月14日~12月12日号
【赤い眩暈】★ 1980  1月9日号
【赤い暴行】★ 1980  1月23日号
【赤い蜉蝣】★ 1980  2月13日号
【真夜中へのドア】★ 1980 6月14日号(「増刊漫画アクション」掲載)


また馬鹿をやっちゃいました。ごめんなさい。 2012.06.23

2011年3月8日火曜日

消えない“木霊(こだま)”~石井作品の反復について~


 石井隆を読み進むに当たっていつ頃からイングマール・ベルイマンIngmar Bergmanを意識したかを振り返れば、『叫びとささやき Viskningar Och Rop』(1973)のスチールが口火だったと記憶している。雑誌掲載の鉛筆画に始まり、やがて単行本「名美」所載の【緋のあえぎ】(1975)扉絵へと加筆され再録なった石井の一枚絵と構図がとても似ていた。いずれも寝具に音もなく横たわるおんなと一体の人形とが並び描かれていた。

 痛々しいとか哀れというのではない。卑猥という括りも当てはまらない。誰しもが懐中し、時折向き合わねばならぬ独りきりの時間が描かれていた。もちろんスチールと絵とでは趣きが違うのだし、横たわる顔の向きも左右別々で異なっている。しかし、なぜかしら両者は妙に引き合うものがあって、奥まったところで囁き続けて止まないのだった。

 こうして深く凝視めるに至ったベルイマンの作品には、心理描写や夢魔の扱い方に石井と共通する“生理”が認められて唸ってばかりだった。例えば『沈黙Tystnaden』(1963)や『叫びとささやきViskningar Och Rop』(1972)等を見ると、質感がやたら似た場面に突き当たる。ワイングラスの割れた破片で自らの股間を傷付け、鮮血に染まるのを横暴な夫に見せつける。さらに血に染まる手の甲で唇と頬を拭っていく『叫びとささやき』での壮絶な血化粧なんかはその典型だ。口元を紅くして艶然と微笑むおんなの顔は、石井の描き続けた面影にしっとり像を重ねていく。【蒼い狂炎】(1976「別冊ヤングコミック女地獄」第2集所載)や【水銀灯】(1976「イルミネーション」所載)で自傷し崩れ落ちていく名美の姿がたちどころに思い返された。

 もとより石井は石井、ベルイマンはベルイマンであって、各作品のいちいちの描写を取り上げ例証しても詮無いように思われ、何より両監督に失礼だろうと臆するものが湧いて来る。されど映像以外にも共通する面があることを知ってしまい、困ったことに諦めがいよいよ付かなくなってしまうのだ。三木宮彦著「人間の精神の冬を視つめる人 ベルイマンを読む」(フィルムアート社1986)を読み返し、次の文章に行き当たってしまった。「登場人物の名にはアルマやヴォーグレル(*1)という、以前の作品のものが使われており、ミスティフィケーション効果を出している」。ここで言うミスティフィケーションmystificationは児童心理学用語でなく、単純に「神秘化」という程度の意味合いだろう。

 石井の劇でも“村木”や“名美”といった人物名が幾度も復活してはスクリーンを賑わせるのだし、似たような状況や小道具が彼らを取り巻いて“宿命”へと追い込んでいくところがある。例えば『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)では竹中直人が演じる“編集者”葛城が需要な役回りを演じていたけれど、容姿こそ違え【赤い教室】(1976)、『天使のはらわた 名美』(1979監督田中登)、【その後のあなた】(1980-81)、『ルージュ』(1984監督那須博之)の各編集者と共振するものが確かにあって、その都度に読者や観客は手の平に大量の汗をかきながら息を押し殺して見守ることと相成る。程なく顔を覗かせるだろう狂気と惨劇、鮮血や分裂といった大混乱を予感してひどく慄(おのの)いたものだった。これなどは石井らしいミスティフィケーションと呼べるのではなかろうか。

 映画監督である前に熱烈な映画ファンを自認する石井であるから、過去に於いてもしもベルイマン作品に触発されたのであるならば、その旨をどこかで必ず喋ってしまうはずだ。残念ながら直接名指しで言及した箇所はなかったように記憶しているから、両者の関連は単なる思い込みなのかもしれぬ。しかし、だからと言って両者の“類縁性”といったものまで容易に掃き捨てて良いとは思えない。

 過去の作品群を忘却の深いぬかるみに埋没させず、むしろ表層に雨を叩きつけるようにして反響をわんわんと誘い、新たな作品に活きた弾みを付けようとする。決まった人格と名前を継承して言霊(ことだま)の力を極限まで高めようとする。そんな策謀を石井隆は駆使しているのは違いなく、その強靭な作家性を海の向こうの巨人ベルイマンを引いて語るにいささかも無理や誇張は感じられない。石井隆とは実のところ、そんな国際性を背負った面白い監督なのじゃないかと考えている。(2007年08月15日03:15、2007年08月27日01:56)

(*1):同著によれば“ヴォーグレル”は“鳥”の意。





2011年3月6日日曜日

越境する魂~『フィギュアなあなた』に宿る想い~



 石井隆の監督作品のなかに『フィギュアなあなた』(2006)と題された小品がある。「週間アサヒ芸能」(徳間書店)の販売促進企画で応募者全員に頒布されたDVD作品であり、後にムック本「杉本彩DVD付写真集 妖舞裸身」(2006)として販売もされている。映画や劇画作品とは趣きを異としており、構成もシンプルで収録時間もおよそ25分間と長くない。そのような出生であれば世間で知る者も少なく、また、軽んじられる傾向にあるのはやむを得ない。しかし、二重三重の視座を許容する多層構造、またはパラレル世界を透かし込んだ石井隆の“劇”を読み解く者には、石井の映像作暦上新たな試みが為されていることに気付くだろう。

 物語は実質男女二人だけで成り立っている。その骨格は「アサヒ芸能」の12.29-1.5新年合併特大号に紹介されている200字足らずの「ストーリー」により語り尽くされてしまう。「プロモーションビデオ撮影のため、フィギュアの特殊造形衣装を着けてポーズを取る女優・マヤ(杉本彩)。撮影終了後、造形師の内山(山口祥介)は隙をついてマヤをクロロホルムで眠らせ、全裸に剥いたうえに、フィギュアの衣装を着せる。よこしまな欲望を抱いた内山は、マヤの足を大きく淫らに開き、自分だけの世界に埋没していく…。」

 顛末を語る必要から先の先まで続ければ、「警備員の巡回に慌てた内山の手の平がマヤの口を強くふさぎ、マヤは窒息寸前となる。目覚めたマヤは内山の仕事場で円柱型のプラスチックケースに身長わずか二尺足らずのフィギュアとなって収められている自身を認め、あらん限りに絶叫しようとするのだがその声は誰にも届かない。恐怖に引きつるマヤの顔は突如破顔し、カメラに向かって大きくウインクして静止する」

 唐突過ぎる終幕と短い収録時間からは劇画【カンタレッラの匣】短編連作(ロッキング・オンより2000年単行本上梓)がまず連想なるのだけれど、最も透かし見えてくる過去の劇画作品をあえて選ぶならそれは【真夜中へのドア】(単行本「少女名美」他に収録)になるのではないか。1980年に「増刊漫画アクション」に掲載されたこの作品では、帰宅途中の高校生名美が暴漢に襲われ、抵抗のあげく喉を圧迫されて絶命する。その刹那、作者は名美を冥界にて覚醒させて短い死出の旅を行なわせている。

 『フィギュアなあなた』でマヤに強いられる執拗な口塞ぎは明らかに窒息死を演出していて、以降のシーンは【真夜中へのドア】同様に“死線を越えた”と捉えるべきだろう。して見れば、霊体となって“むくろ”に残留したマヤの叫びが空気を振動させることなく、空しく真空に吸い込まれていくような口パクの描写も得心がいく。直後の不自然なウインクというのはマヤの思考がいよいよフィギュア体内へと埋没してしまい停止した、いわば“魂の消失する一瞬”として描かれていたのではなかろうか。

 昔のホラー映画『肉の蝋人形House of Wax』(1953)では、若い女たちが殺された挙句マリー・アントワネットやジャンヌ・ダルクの人形へと加工されていったが、あれはまだ実在した女性であり人間であった。マヤが加工されたのはプラスチック製のフィギュアである。人間ではない。女性性を強調されたオブジェではあっても、それを生きた女性とは言いがたい。極めて稀で冷徹な展開が訪れている。


 石井の映像作品で女性が殺められる陰惨な瞬間は確かに多いのだけれど、石井の意図する基底に在るのは、過去のインタビューで首尾一貫語られている通りであり、腕力の差から毎夜毎夜どこかで殺されていく女性という“儚い存在への想い”に他ならない。屍体の描写についても愛惜の念を投射して一線を守っている。

 時として筆が走り、より破壊的な辺境へと浸入する場合もなくはなく(それゆえに随分と印象に刻まれたものだったが)、たとえば連載劇画【魔樂】(1986‐87)においては月岡芳年を越えるぞ、とばかりに辛酸陰鬱な殺害場面を連綿と描き、ふと嗅覚に鮮血の匂いを錯覚するような鬼哭啾々たる異作に仕上げていた。大きく振り下ろされた斧により生身の肉体が“物体”へと変質する刹那を描いた【魔樂】の極北の光景と、『フィギュアなあなた』での終幕の針の振れ方は相通じるように思える。別人格どころか生物であることすら全否定された“プラスチックのむくろ”へと“物質化”した己の哀れな姿を、最期に透明な器の内壁を鏡のようにして垣間見たマヤというおんなの心中の混濁と悲愴さは想像して余りある。

 こうして見ていけば『フィギュアなあなた』とは、お気楽な空気を大衆に振り撒きながら、その実は慈愛の目線で女を描き続けている石井のドラマの根幹に少しもたがわず、近作『花と蛇』と似た構造を内包した“精神の格闘”の顛末でもあったのだ。

 石井は劇画作品として上記の【真夜中へのドア】のほかに、同じ1980年、似た展開で名美というおんなが迷い込んだ冥界をつぶさに描く試みを重ねている。いずれも単行本「おんなの街」他に収録なった【赤い眩暈】【赤い暴行】【赤い蜉蝣】がそれである。これらに描かれた冥府幽界は石井が過去感銘を受けた映像イメージの連結が基底となって創造されたと推定される。つげ義春【ねじ式】【夜が掴む】【外のふくらみ】、ロジェ・バディム『血とバラ Et mourir de plaisir』(1960)、ポール・デルヴォーやモンス・デジデリオの絵画、アンドレ・ブルトン著、稲田三吉訳 『シュールレアリスム宣言』の挿絵といったところが点火地点なのではないかと想像を巡らしているが、大胆なカットバックと当時の技法では最高峰と思われる緻密極まる線描にて創造されたそこでの石井の冥府は、実は石井の監督する映画に再現されたことは一度としてなかった。(*1)

 過度の飲酒や事故、睡眠不足から陥る悪夢世界、昇天できないで死後そのまま“現世”を飛翔する霊魂と彼らの漂流する想いは描いても、現世から冥界へと越境してカメラの三脚を移し立てることはなかった。執念の作家として自らに内在するイメージを三次元化し、フィルムに定着させてきた石井には貴重な処女地、それが冥界であった。
 
 映画鑑賞を愉しみとする者には、彼岸を描いた作品名を列記するのはたやすいことだろう。中川信夫『地獄』(1960)、神代辰巳の『地獄』(1979)、ダグラス・トランブル『ブレインストーム BRAINSTORM』(1983)、ジョエル・シューマッカー『フラット・ライナーズ FLATLINERS』(1990)、エイドリアン・ライン『ジェイコブズ・ラダー Jacob's Ladder』(1990)と枚挙に暇がない。人にもよるのだろうが、こういった“冥府もの”を観たとき、妙に冷めた自分を感じることがある。宗教観や文化、年代によって人が思い描く冥府の姿は大きく異なり、万人を納得させ得る霊界のイメージを創出することはなかなか大変なことだ。

 “映画作家”石井が読者には馴染みの廃墟、断崖、森、水槽をランドマークとする冥府を再現しないで迂回し続けたのはその意味で正解であったし、此岸に神話世界を創出することに徹したのは商業監督の選択として申し分なかった。しかし、『フィギュアなあなた』においては、ついに杉本彩は僅かながらも明確に死線を越えている。死後、場所を違えて覚醒した瞬間、なんとフランス人形並の背丈となった自身を知る。“地獄”へのランディング以外の何物でもない。

 見えざるプラスチックの薄い皮膜が蝋のように顔面を覆い、救いを求める意思は瞬時にして氷結した。杉本彩の愛らしい笑顔とウインクとは、好色な読者へのおべっかでも『ヒッチコックのファミリー・プロットFamily Plot』(1976)へのヒッチコキアン石井によるオマージュでもなくって、マヤという人間の息の根を再び仕留める大斧の一撃であり、これからの石井作劇を見守る上で記憶に値する衝撃的な刻印なのだ。


           ◆           ◆           ◆          

 さて、過去の石井劇画において、上記の作品たちとは別方向から『フィギュアなあなた』に向けて急浮上してくる作品群がある。レンズ越しの視線に憑依された男たちの物語だ。【陰画の戯れ】(1975)、【甘い暴力】(1977)、【黒の天使 黒のⅡ 血を吸うカメラ】(1981)、【夜が冷たい】(1985)、といった作品には、カメラレンズやブラウン管モニターを女性との間に介在させないと関係を立ち上げられない、かなり傾斜した熱情に捕りこまれてしまった男たちが登場する。特に【甘い暴力】に登場する青年は『フィギュアなあなた』の特殊造形師とキャラクターを近似させている。

 冷静に考えてみれば山口祥介演じるこの内山の行動は不可解だ。自らの手になる特殊なコスチュームをマヤが着装し、まばゆいライトに照射され、プロのグラビアカメラマンに連写される劇前半にて造形師としてもフィギュア愛好家としても本懐は遂げているはずであろう。

 官能小説家であり女優でもあるマヤが杉本彩(アヤ)の分身であるのは名前が物語る通りで、我ら視聴者の助平な期待に応えてマヤは自信満々として丸く張った乳房や臀部はおろか、豊かな恥毛も開幕当初から全開であるのだから、見せられなかったことへの不満が内山の内部で膨張しているのでもないはず。ならば、コレクターとしての所有欲の暴走圧壊なのか、といえば、どうもそれも馴染まない。さっさと誘拐監禁するでもなく、ラストシーンでは肝心のマヤのボディに背を向けてさえいる。 

 巡回する警備員の目を盗んで無謀な“ビデオ撮影”を始めてしまう、その狂った熱情。意識なく横たわるマヤの裸身を前にしても性交へと至らないどころか、ご丁寧にも下着を履かせてしまうのである。この偏り具合は【甘い暴力】の青年と同様で、“撮影という行為”に淫し切っているのは間違いない。仕事部屋に戻って、もはやするべきことは全て為し得たといったスタンスで安息の時を過ごしている内山のけだるさは、女性を緊縛しては撮り溜めたポラロイド写真に埋もれて寝息をたてる【甘い暴力】の青年と重なっていき、どちらも草食獣のような穏やかさだ。

 フィギュアに萌える者を何と呼べばよいか分からないが、この内山という男の本性はそれではないということだろう。コレクターでも、レイパーでもなく、石井の創造してきた「写真に淫した男」というのが正解らしい。また、仕事場に置かれたマヤはコレクションに加えられたのではなく、巧妙に「隠された」ということが内山から見たストーリーなのではなかったろうか。

 このようにして読み解いて来た後に、三週続けて掲載されたグラビアを見直してみれば、杉本彩の豊満で円熟した肉体とジャパニメーションの色彩が組み合わさった奇怪なエロティシズムが、当初目にしたとき以上に視線を捉えて離さない。DVDの宣伝材料であるのでなく、「写真」が主役なのではないか。むしろ動画は予告編の印象となって大きく脳裏に後退し、グラビアの杉本彩の「完全に静止した=死んだ」姿態が未体験の妖艶な乾いた色香を放ち始める。

 即ち『フィギュアなあなた』という作品はマヤという女がどのようにして死んでいったかを描いたドキュメント“動画”と、逝く間際、処刑前の土壇場の女が生命の焔を瞬かせ、強い閃光を発した瞬間を「写真に淫した男」(それはつまりは内山という男と、もう一人、グラビア用の写真撮りを兼任した「石井隆という写真家」を指す)が、掬い取って定着させた“静止画”の双方によってコラージュされた全身を指し示すもので、それら全てを俯瞰して眺めることで見えてくる構図は、撮る者と撮られてしまった者との訣別、残された者と去り逝く者とのドラマであって、つまりは【おんなの街 雨のエトランゼ】(1979) にも静かに通底していくのである。

 石井監督はインタビューにおいて過去二度フィギュアについて言及していて、その時は明解にフィギュアとは何かを分析してはいなかった印象が残る。『フィギュアなあなた』という作品は、日本人のリビドーと格闘してきた石井隆がフィギュアの本質を遠回しに語っている調査報告書なのだろう。そこに石井隆という作家の挑戦を見る。自作の複製に止まらず、日本列島に湧出する新たなエロスについても貪欲に吸収していくクリエイターの凄みを烈しく感じている。 (2006年04月16日22:19)


(*1):これを書いたのは5年近くも前になる。その後石井隆は“精神の格闘”を主軸とする『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)と『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)を撮り終えている。いずれも死線ぎりぎりの描写であって、特に後者は石井の冥府とかなり近しいものとなっている。舞台挨拶での「命を削って撮った」と言う本人の弁はもちろん体力的なことを指すのだけれど、ドラマ自体が限りなく死線と接していた、ということも一面では含んでいたように思う。