2020年9月13日日曜日

“延びていく時間” ~石井隆の時空構成(14)~

 


 「隔離された一角」でひたすら作品に向かい続け、「物の描写や空間の変形」が常に起き続ける石井隆の世界。劇画【天使のはらわた】(1978-79)の最終話で特筆すべきはそこで生じた「時間の伸縮」についてだ。

 『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の極めて知られたおんなの台詞「私があなたを待っていたのは、たったの三時間よ、たった……の……」(*1)が物語るように、ドシャ降りの中央公園におんなは午後七時前後に到着し、十時を回ったことを確認してその場から立ち去っている。【天使のはらわた】の最終話において石井はそれを大幅に上回る時間をおんなに与えている。

 その日、昼過ぎに目覚めた男に遅い朝食をおんなが勧めてまもなく友人が訪ね来て、そこで三人は衝突する。男ふたりが転がるように部屋を出て行き、その背中を茫然と見送った後におんなは旅支度に入るのだった。男が深く傷ついた身体でようやくアパートに戻ったときには既におんなの姿はなく、素人なりの応急処理をして休息する男のそばの目覚まし時計の針は午後4時30分過ぎを指している。

 アパートの窓から新宿の高層ビルの林立する様子が墓石のように眺められることから、おんなが上野駅に到着したのはどう考えても同時刻帯かそれより少し遅れた辺りであろう。話は午前零時直前の最終列車の出発場面で幕を下ろすから、指折って数えれば実に5時間以上に渡っておんなは待たせられた事になりはしないか。

 明確におんなの足取りが分かるコマを探せば、駅のホームでおんなの見上げる時計は午後9時を過ぎていて、そこから最終列車の出発時刻まで数えれば「たったの三時間」とほぼ同じになる点も実に面妖である。はたしておんなの待ち時間は3時間であったのか、それとも5時間以上であったのか。

 そもそも人間が人待ちをすることの耐久限度はどの程度であろう。レストランで会うと約束し予定の時刻から三十分もしたら弱気な私は溜め息が漏れる。相手の身に何かあったかと心配し、それとも機嫌を損ねる事でも何か言ってしまったかと怖くて堪らない。【天使のはらわた】第三巻の頁をめくりながら冷静に我が身に照らして考えれば、堪え性がない自分ならどちらに転んでも相当にしんどく到底耐えられそうにない待ち時間だ。

 石井隆はおんなを「北行き」の列車の出発ごとにホーム移動を繰り返させる念の入りようで、その忍耐する様子を克明に描き続ける。劇中に登場する時刻表は冊子形式であり、その表紙から弘済出版社の「小型全国版の総合時刻表 1978年9月号」と分かる。同じ物は手元にないが、日本交通公社版があるから当時の上野駅午後7時以降発の「青森方面行き」列車とホームを目で追えば以下のようになる。最終話の舞台が翌年1979年1月と仮定すれば前年10月の改正ダイヤで出発時刻は変わっているから正確にはこの通りではなかったかもしれないが、本数はそれほど変わるまい。おんなは点々とホームを移動して過ごしたのだ。それはどれだけの心的負担をもたらしただろう。

東北本線<下り>(上野─福島─仙台)(1978年9月のダイヤ)

(青森行き)

19時10分発 14番ホーム

19時27分発 13番ホーム

21時08分発 15番ホーム

22時00分発 15番ホーム

22時20分発 14番ホーム

22時41分発 14番ホーム

22時49分発 17番ホーム

(以下は青森方面行き)

23時15分発 17番ホーム 仙台行き

23時32分発 15番ホーム 盛岡行き

23時41分発 17番ホーム 仙台行き

23時55分発 16番ホーム 仙台行き

 視線は黒光りするレールと赤黒くなった敷き石辺りをさ迷っている。ベルがけたたましく鳴り響き、おんなは次の列車の出発ホームへとうつむいて歩き始める。十本以上の列車を見送り、乗客たちの好奇の視線に耐えながらホームを転々としたおんなの心情を思うと悲しみを越えて恐れに近いものを抱く。

 『天使のはらわた 赤い教室』でのおんなは「三時間」で崩壊を来たし、二度と男の手の届かぬ処へ行ってしまった前例をここで振り返らねばならない。あの時よりも過酷な時間の延長を強いられた「探索する実験機」であるおんなの魂は一体どうなったのか。【天使のはらわた】の最終頁に至る何枚かを流し見すれば、ありがちな恋人の邂逅場面と捉える読者が多いのだが、もしかしたらそこに「見えないもの」が「自然なかたち」で載っていないだろうか。あれは本当に幸せな結末であったのか。

 時間を伸縮させ、場処を移動して、愛するとは何かを突き詰めていく石井隆の探索は残酷で極めて険しい軌跡を描いて見える。

(*1): 「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じ

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