劇画と映画は視覚に訴える表現媒体であるから、取りも直さず作り手は描いて描いて描きまくり、そうやって空隙を埋めることで期待に応えている。もちろん数ある美術作品の中には例外もあり、たとえばルネ・マグリット René Magritteの人物や鳩の絵のように、輪郭だけを残した「空白」として画布に描かれる場合も間々あるが、あれにしても人間と鳥の存在は誰の目にも明らかだ。自ずと鑑賞者のこころに飛び込み、静かな波紋をもたらす。
また、彫刻を展示する一角に立ち入り首や腕を失ったトルソと対面すれば、私たちは胴体から延長として想像をめぐらし、かつて在った、もしくは、本来在るはずなのに作られなかった首や腕を幻視する。つまり作品自体が「空白」につき最初から雄弁なのだし、添えられた題や説明文を通じて「空白」はやんわりと埋められていくものだ。「空白」は「空白」なりにある種の押し出しをもって受け手に迫り来て、これを愉しく咀嚼して味わうのが大概の鑑賞の道筋であろう。
ところが石井の場合はやや肌合いが異なる。とにかく説明を尽くすことをしない。「描かれていないもの」はどこまでも「自然な形で描かれない」ので、最後まで気付かない受け手が多い。ややこしい表現の連続で本当に申し訳ないのだが、石井は果敢にも「不在=見えないもの」ですらコマの中、銀幕といった「場処にそっと置こうとする」。それが石井隆という作り手の全く目立たない(当然そうならざるを得ない訳なのだが)、けれど、創作の軸芯に近接する特徴のひとつと言えるだろう。
先述の通り、石井のまなざしはおんなの腕時計といった実に細かしい小道具にまで浸透していく。読者や観客にくどくど説明することもなく、唐突に消失と出現を重ねていくのだ。私の思い過ごしであろうか。敬愛の強さが裏目に出て、虹彩をどろんと曇らせ実体とかけ離れた連想を誘っているのか、いよいよ狂人の戯言へと陥っているのか。
時間を遡り、石井隆が劇画家として世間を圧倒していた時期に舞い戻ろう。数々の傑作短篇と長篇【天使のはらわた】(1978)のハイパーリアルな世界で日本中の読者を陶然とさせていたあの頃、映画製作の各社が盛んにアプローチを行っていた。日活は【天使のはらわた】第一部を忠実に再現して見せた後、名美と呼ばれるおんなを主役に据えた物語空間を銀幕に映すべく、石井本人に脚本の執筆を依頼する。そうして仕上げられた石井の処女脚本『天使のはらわた 赤い教室』(1979)は曽根中生によって監督され、主演の水原ゆう紀と蟹江敬三の実直な演技も相まって観客の胸をえぐり、涙を絞って、今なお世間の評価が高いことは周知の通りである。
その『天使のはらわた 赤い教室』脚本のなかで石井は次のような場面を書いているのだが、私にはこれが安易に読み流すに足りる単なる状況説明のト書きとはどうしても思えない。
33 ドシャ降りの中央公園(同日夜)
立ち尽くしている名美、目には虚空を。
村木の声「信じてくれ……信じて」
遠くのビルの電光掲示板の時計が、『九時』を差す。
立って待ちつづける名美、微笑……
村木の声「もう一度だけ、俺という男に賭けてみてくれ……
七時だよ、七時……」
『十時』の電光掲示板。
天を仰ぐ名美、その顔に雨。
手の中に握りしめられた村木の名刺。立ち去る名美。
足元にグシャグシャになった村木の名刺。(*1)
男の声の裏側に自分への気遣い、暗澹たる我が逆境に手を差し出そうとする真摯な想いを感じ取ったおんなは、約束の公園で三時間に渡って待ち続ける。おんなは腕時計を装着せず、鞄の内やコートのポケットにそれを持たず、ひたすら遠くの電光掲示板に目を凝らしているのである。
それが何だよ、別におかしくないさ、時計を持っていないんだから掲示板の近くに突っ立ってるしかなかろう。大部分の人はそう考えて笑うだろうけれど、石井隆の劇画群に、さらに彼の映画群に、「持続するもの、連結するもの」を感知する読み手ならば、このト書きにどれほど切実な心情が託されているかを納得するのではないか。
この場面では「腕時計」の消失が語られると同時に、荒海越しの遙かな陸地で明滅する灯台のごとき電光掲示板が不意に出現している。時計を捨て、過去を封じ込め、息をころして隠棲し続けたおんななのである。雨に煙るビルに設置された電光掲示板を必死のまなざしで見つめて、今にも転がり落ちそうになる気持ちをどうにか鼓舞しながら、もう一度だけ「時計」を見ようとして、「時間」を信じようとして、少しだけ顎を上げ、はげしい雨に抗いながら未来を仰いでひとり佇んでいるおんななのである。
ほんの目と鼻の先ではなく、わざわざ「遠くのビル」に設定しているところも実に「石井隆の劇」ではないか。現在時刻を確認すべく時計をちら見する単純な日常行為に対し、石井はここまで心情を託そうとする。
曽根の演出は石井の脚本通りではなかった。前段の警察署内の場面は脚本に忠実に撮影されている。突如拘束されて泡を喰っている男の描写はそのままだが、時間の経過は取り調べ官が自分の腕から外して書類の上に無雑作に置いた腕時計のアップで告げていて、公園で待つおんなの周囲は闇に包まれ、視線の先に電光掲示板はなく、ただただ悄然として雨に濡れる姿である。
もちろん、ロケーションの制約が影響した可能性は高い。時間経過を刑事の時計に喋らせることで脚本上の狙いは果たせるとスタッフの意見がまとまったのだろう。実際それで何か問題はあるだろうか。三時間も公園で待ちぼうけを食らったという状況さえ観客に伝われば、もう十分と考えるのが大人の反応である。映画づくりは工夫と妥協の連続ではないか。
誤解されたくないのだが、傑作と言われる『天使のはらわた 赤い教室』に難癖を付けたいのではない。あの映画がここまで世間に支持されているのは、多くの観客が展開に呻り、彼らのこころに映画が居着いた証しであり、素晴らしいことと思う。ただ石井隆という作家の凄味を再確認したいのだ。
あの場面でのおんなは、筋書きの必然ではなく、石井世界の必然として「遠くの電光掲示板」を仰ぐべきであったと今も自分は考える。背景や小道具までも動員して人間の真情を形成しようと奮闘する、それが石井隆の現場だからだ。背景が書き割りとなっておらず、有機的に人物と融合して切々と歌い出す。常に総力戦で画面を構成していて、漫然と手前の人物だけを眺めていても読み切れない空間が確かに存在し、しっかりと息づいている、それが石井隆の描く風景画だからだ。
(*1):「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じである。