2020年9月13日日曜日

“果てしなき流れの果て” ~石井隆の時空構成(15)~

 


 石井隆の作品群は、互いに共振し合いながら繋がっている。視界から外れて忘却しかけている過去の単行本を手に取り、コマを注視し読み進め、そこでようやく見えてくる物がある。人間とはなにか、私たちのこころとは何かを「探索」し続ける道程であることを、数篇の劇画と映画を例に上げて説明した。

 石井は今なお調査と分析を続行している。近年の映画作品においても手を休めていないのである。「待ちわびる」という行為に際しての拘束時間が伸長されて、「実験機」に選ばれた劇中の登場人物はその都度凄惨きわまるドラマに身を捧げてのたうち回り、魂の変容する様子を生々しく提示する。

 たとえば映画『花と蛇』(2004)で原作の設定を遥かに越えた年齢で周囲から「まれびと」と称される老人などは、あれは半世紀に渡って待ちわびた人間の末路を体現してみせたものだ。ダンテ・アリギエーリの「神曲」に着想を得た『フィギュアなあなた』(2013)で、主人公の男を廃墟ビルディングで待ち構えて支えるおんなは古代詩人ウェルギリウスの役割だから、そのダンテの原典に従えば千年といった長い歳月を冥界で過ごした者になる。劇中にて点描(フラッシュバック)される現実描写から読み解けば千年という設定はさすがに無いにしても、石井による「待ち時間の伸縮」が遂にそこまで至った、つまり、生死(しょうじ)の境界さえ破ってしまったという解釈は我々の胸を熱く湿らせるのに十分だ。

 絵筆を持って画布に向き合うに当たり、モデルとなる人物に後退するように命じる。背後には底無しの暗渠が広がっているにも関わらず、もう少し向こう、あと数メートル奥に行ってくれと小声で命じながら構図を練っていく。モデルは健気にこれに応じていくのだけれど、いつしか命じる方も命じられる方も懊悩を極め、これは地獄巡りに他ならないと考えてしまう。

 観客のこころに沁み入る物語とはそうあるべきではないか、と石井は信じている。物語を書くとは、映画を作るとはそこまで過酷なものであり、安易に受け止めては罰が当たる。人生を賭して「魂のこと」に取り組んでいる作り手に対し、私たちも真摯に見つめていくことが肝要だし、愉悦もより増すかと思われる。

“延びていく時間” ~石井隆の時空構成(14)~

 


 「隔離された一角」でひたすら作品に向かい続け、「物の描写や空間の変形」が常に起き続ける石井隆の世界。劇画【天使のはらわた】(1978-79)の最終話で特筆すべきはそこで生じた「時間の伸縮」についてだ。

 『天使のはらわた 赤い教室』(1979)の極めて知られたおんなの台詞「私があなたを待っていたのは、たったの三時間よ、たった……の……」(*1)が物語るように、ドシャ降りの中央公園におんなは午後七時前後に到着し、十時を回ったことを確認してその場から立ち去っている。【天使のはらわた】の最終話において石井はそれを大幅に上回る時間をおんなに与えている。

 その日、昼過ぎに目覚めた男に遅い朝食をおんなが勧めてまもなく友人が訪ね来て、そこで三人は衝突する。男ふたりが転がるように部屋を出て行き、その背中を茫然と見送った後におんなは旅支度に入るのだった。男が深く傷ついた身体でようやくアパートに戻ったときには既におんなの姿はなく、素人なりの応急処理をして休息する男のそばの目覚まし時計の針は午後4時30分過ぎを指している。

 アパートの窓から新宿の高層ビルの林立する様子が墓石のように眺められることから、おんなが上野駅に到着したのはどう考えても同時刻帯かそれより少し遅れた辺りであろう。話は午前零時直前の最終列車の出発場面で幕を下ろすから、指折って数えれば実に5時間以上に渡っておんなは待たせられた事になりはしないか。

 明確におんなの足取りが分かるコマを探せば、駅のホームでおんなの見上げる時計は午後9時を過ぎていて、そこから最終列車の出発時刻まで数えれば「たったの三時間」とほぼ同じになる点も実に面妖である。はたしておんなの待ち時間は3時間であったのか、それとも5時間以上であったのか。

 そもそも人間が人待ちをすることの耐久限度はどの程度であろう。レストランで会うと約束し予定の時刻から三十分もしたら弱気な私は溜め息が漏れる。相手の身に何かあったかと心配し、それとも機嫌を損ねる事でも何か言ってしまったかと怖くて堪らない。【天使のはらわた】第三巻の頁をめくりながら冷静に我が身に照らして考えれば、堪え性がない自分ならどちらに転んでも相当にしんどく到底耐えられそうにない待ち時間だ。

 石井隆はおんなを「北行き」の列車の出発ごとにホーム移動を繰り返させる念の入りようで、その忍耐する様子を克明に描き続ける。劇中に登場する時刻表は冊子形式であり、その表紙から弘済出版社の「小型全国版の総合時刻表 1978年9月号」と分かる。同じ物は手元にないが、日本交通公社版があるから当時の上野駅午後7時以降発の「青森方面行き」列車とホームを目で追えば以下のようになる。最終話の舞台が翌年1979年1月と仮定すれば前年10月の改正ダイヤで出発時刻は変わっているから正確にはこの通りではなかったかもしれないが、本数はそれほど変わるまい。おんなは点々とホームを移動して過ごしたのだ。それはどれだけの心的負担をもたらしただろう。

東北本線<下り>(上野─福島─仙台)(1978年9月のダイヤ)

(青森行き)

19時10分発 14番ホーム

19時27分発 13番ホーム

21時08分発 15番ホーム

22時00分発 15番ホーム

22時20分発 14番ホーム

22時41分発 14番ホーム

22時49分発 17番ホーム

(以下は青森方面行き)

23時15分発 17番ホーム 仙台行き

23時32分発 15番ホーム 盛岡行き

23時41分発 17番ホーム 仙台行き

23時55分発 16番ホーム 仙台行き

 視線は黒光りするレールと赤黒くなった敷き石辺りをさ迷っている。ベルがけたたましく鳴り響き、おんなは次の列車の出発ホームへとうつむいて歩き始める。十本以上の列車を見送り、乗客たちの好奇の視線に耐えながらホームを転々としたおんなの心情を思うと悲しみを越えて恐れに近いものを抱く。

 『天使のはらわた 赤い教室』でのおんなは「三時間」で崩壊を来たし、二度と男の手の届かぬ処へ行ってしまった前例をここで振り返らねばならない。あの時よりも過酷な時間の延長を強いられた「探索する実験機」であるおんなの魂は一体どうなったのか。【天使のはらわた】の最終頁に至る何枚かを流し見すれば、ありがちな恋人の邂逅場面と捉える読者が多いのだが、もしかしたらそこに「見えないもの」が「自然なかたち」で載っていないだろうか。あれは本当に幸せな結末であったのか。

 時間を伸縮させ、場処を移動して、愛するとは何かを突き詰めていく石井隆の探索は残酷で極めて険しい軌跡を描いて見える。

(*1): 「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じ

“時計の前で待ち続ける” ~石井隆の時空構成(13)~


 これから劇画【天使のはらわた】の最終話について触れようと思う。事前知識を持たずに物語の起承転結を味わうことが観賞の必須条件と考える人は頁を閉じてもらいたい。私自身はその辺りに関して若い時分から無頓着で、結末を先に知ることに今でも抵抗を持たない。そのぐらいで作品の魅力が薄れるのなら、最初からその程度の代物と考える。もしかしたら映画館の仕組みが今のようになる前、途中から観始めて巻末を先に知り、その上で冒頭から眺めて初見の地点に戻ったところで席を立つことも割合と普通だった時代に暮らしたせいかもしれない。面白いものは一部分を切り出しても不思議な力を帯びて人を魅了するものだ。

 さて、石井隆が日活の求めに応じて『天使のはらわた 赤い教室』の脚本を執筆し、それが曽根中生監督作品として公開されたのが1979年の1月であった。石井はその第一稿と第二稿を三ヶ月程前の1978年10月に仕上げている。(*1)

 既によく知られるように脚本への無断加筆と「共同脚本」名義の並列表記から曽根と石井は衝突し、仲介者と作品を気遣った石井が矛(ほこ)を収めて乗り切った形だが、石井は完成なった映画を何処で観て何を思ったものだろう。先の電光掲示板の描写ひとつを取っても、曽根と石井では物象の捉え方に段差がある。試写室の可能性は高いが、映画館にも足を運んだかもしれない。群衆の反応を覗(うかが)いながらどんな感慨を抱いたものか。

 脚本執筆とその後の綱引きの丁度同じ時期に、石井は【天使のはらわた 第三部】を執筆中であった。(*1) 話は終盤に差し掛かっており、最終話の少し前の回では雪の描写がある。主人公の男が友人を追って白い町を走っている。やがて男は数センチの雪で地面が染まってみえる淋しい墓地へと至り、並んだ石の天面はいずれも雪が笠をつくって白く膨れているのだった。男はそこで凶刃に倒れる。この墓地のカットは石井自身が野外で撮った取材写真を加工したものである。

 便利になったものでインターネットのNTTレゾナントの検索プラウザ「goo」を使用すれば、特定地域の過去の天気を直ぐに調べることが出来る。当時都心に雪が降ったのは1979年1月13日土曜日の一日限りであるから、石井がもしも墓所の撮影をリアルタイムに行なっていたとすれば、1月13日か14日の早い時分ではなかったろうか。墓所の場面を含めた回はこの天候をひとつの材料とし、半月程度かけて綾織られた計算になる。

 最終話が「ヤングコミック」に掲載なったのは「(1979年)3月14日号」である。この手の号名は発売日を表してはおらず、一週間または二週間前に店頭に並ぶのが慣例であったから、3月初旬には印刷なって読者の手に渡っている。隔週発行の体制であったから、石井が脱稿したのは2月の下旬頃であったろう。

 何が言いたいかといえば、石井が【天使のはらわた】の最終話を描くための構想、ネーム制作、編集者との打ち合わせ、取材、下書きといった一連の作業はまさに『天使のはらわた 赤い教室』の公開から約1ヶ月経過した頃に当たり、つまり、石井の内部に『天使のはらわた 赤い教室』をしきりに反芻し、「探索する」時間の只中であったという点である。

 劇画家としての石井の思考は脳内での映像の浮上と言葉への置き換えで成り立つから、脚本執筆において過剰で鮮烈なイメージが溢れ出し、それが呼吸し鼓動を打ったに違いないのだが、曽根の演出を目の当たりにした石井が発奮し、「隔離された一角」である己の領域たる「劇画」のなかで、「映画」を撮り切ろうと模索するうちに【天使のはらわた】の最終幕はより『天使のはらわた 赤い教室』と共振していったのではないかと推察する。

 友を追って男が部屋を飛び出したアパートの小部屋にひとり残されたおんなは、忌まわしい過去を男に知られてしまった絶望感に顔を硬直させながら、けれど、もう一度だけ「待ってみよう」と考えるのである。もう男は自分を見限り、この背中を追っては来ないのではないか、そうやってこのまま生き別れる事しか道は無いのではないか。いや、男はいつだって突然に自分の前に現われ、沈鬱な記憶の海に溺れかける自分を救おうとしたではないか。

 反発するふたつの心を抱えたおんなはトランクに最低限の生活道具を押し込むと、上野駅へと出立する。戻って来た男へのメッセージ代わりに、最初に出会った頃の学生証を栞(しおり)代わりに数ヶ月遅れの古い鉄道時刻表に挟んで部屋に残す。死んだ友人の故郷青森へ行きたいと言っていたじゃないの、まだ気持ちがあるなら駅で待つから来てもらいたい、一緒に北行きの列車に飛び乗ろう。気持ちの重圧に押しひしがれる寸前のおんなはもはや具体的な言葉もメモせず、黙って部屋を出て行くのである。

 私たちはここで「腕時計を持たないおんな」が「仰がなければ見られない高い位置にある」「大きな時計」が一分ごとに時を刻む様子に時折目を凝らしながら、「必死の思いで相手を待ち続ける立ち姿」を目撃する。

 暗澹たる過去に悶え苦しむ一個の人間が、その手首を、指を握ってもらいたいと念じつつただただ待ちわびる様子が20頁を越えて展開されており、読者の胸を熱く揺さぶっていくのである。『天使のはらわた 赤い教室』の脚本では十行程ほどの状況説明の場面だったものが、石井の精神作用で大きく拡張され延延と続いていく「ひと待ち」の様子は圧巻というやや古風な形容を用いても大袈裟ではなく、演出家としての石井の器を見せつける物となっている。

 性愛を主軸に据えた都会の恋情劇という「隔離された一角」で作品を描きつづける石井を前にして、同じ(ように見える)ものを黙々と掘って店頭に並べていく工芸家、たとえば鮭を咥えた木彫りの熊だったり将棋の駒であったりを背中を丸めて作っている職人の姿をついつい連想してしまいがちだが、実際は「物の描写や空間の変形」が絶え間なく起きている。

 物作りとは人間づくりであり、また、血肉の提供である。よく言われる言葉だが、石井隆には本当にそれが合致するように思われる。

(*1):「石井隆作品目録」 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」 1979 所載

2020年9月12日土曜日

“隔離された一角で” ~石井隆の時空構成(12)~


  ここまで読んで半数の人は呆れかえっているだろうが、残りは否定せず、然(さ)もありなんと捉える事だろう。石井隆の創る世界は奇妙で何だか粘度を感じる。職人芸というよりも作家性が前面に出て思われる。全作品を透徹した視線が貫き、また、柔らかく包みこむ。体温を帯びた吐息が付いてまわり、個別でありながらも連結して見える。漫画を熱心に愛し、映画を一定量以上楽しむひとなら容易に了解し得る事柄である。そんな風に思って頷いてくれる人は沢山いるのじゃないか。

 おまえ様は思い込みが酷いね、危ない妄想狂で実社会では関係を持ちたくはないけれど、確かに石井隆の作品には他より抜きん出たところがあるような気が自分でもする。可哀相だからもう少しだけ付き合ってやろうか。そんな心優しき幾たりかの愛すべき存在を信じ、さらに先に進もうと思う。

 石井の劇に登場する「時計」に纏わりつく特別な彩りにつき語ってきたが、これは時計に限らず様ざまな物象において同様に例示し得るところだ。貴方は「ライター」について何枚も原稿用紙を埋められるだろう。貴女は「コート」について触れることで石井隆論を展開出来るかもしれない。そこの君は「ネオン管」や照明で石井世界を誉め讃えることが可能だろう。

 私がここで言いたい事はそういった「物(モノ)語る」側面についてではなくて、石井が劇を描き続ける流れのなかで生じていく「物の描写や空間の微妙に変形していくこと」についてだ。過去作で試みたことが基礎となり、新たな作品では改良の手が加わる。画家の作風が徐々に変わっていきながら、総ての絵画がひとりの作家を浮き彫りにするにも似た性格が石井の劇にはそなわっている。

 石井隆はかつて美術誌のインタビュウにおいて、自作のヒロインに据える「名美」というおんなの名前やキャラクターへのこだわりを尋ねられ、以下のように答えている。

「女性って何なんだろう」と突き詰めていこうと居直ったんです。その時に、ひとりの女性も描き切れないのにどうして色々な女性を描けるのか、だったら名前もひとつでいいやと。(中略)探索する実験機というんですか、一緒につき合ってくれるアンドロイドみたいなもんですよね(*1)

 この「探索する実験機」という喩えは、ひとの口からそう容易く飛び出すまい。石井の実感がありありと伝わる言葉だ。深宇宙を突き進む黄金色の小型宇宙船や、地中掘削機を連想するが、石井の劇づくりはまさにそのような発見と接近、精密撮影、採掘と分析の繰り返しではなかったろうか。一歩進んでは岩盤に突き当たり、後退や迂回に迫られ、時にトンネルを掘りながら手探っていく。

 おんなとは何か、人生とか何か、そしてドラマとは何かの自問自答を重ねながら「隔離された一角」(*1)で突き詰めていった。セルフパロディなんて言って脱力する暇などまるで無い、その作歴は苦行と地道な研究の連続であった。

(*1):「映画へ 揺籃期としての八〇年代 石井隆」 インタヴューアー 斎藤正勝、栗山洋   「武蔵野芸術 №100」 武蔵野美術大学 所載

2020年9月11日金曜日

“雨に煙る時計” ~石井隆の時空構成(11)~

 


 劇画と映画は視覚に訴える表現媒体であるから、取りも直さず作り手は描いて描いて描きまくり、そうやって空隙を埋めることで期待に応えている。もちろん数ある美術作品の中には例外もあり、たとえばルネ・マグリット René Magritteの人物や鳩の絵のように、輪郭だけを残した「空白」として画布に描かれる場合も間々あるが、あれにしても人間と鳥の存在は誰の目にも明らかだ。自ずと鑑賞者のこころに飛び込み、静かな波紋をもたらす。

 また、彫刻を展示する一角に立ち入り首や腕を失ったトルソと対面すれば、私たちは胴体から延長として想像をめぐらし、かつて在った、もしくは、本来在るはずなのに作られなかった首や腕を幻視する。つまり作品自体が「空白」につき最初から雄弁なのだし、添えられた題や説明文を通じて「空白」はやんわりと埋められていくものだ。「空白」は「空白」なりにある種の押し出しをもって受け手に迫り来て、これを愉しく咀嚼して味わうのが大概の鑑賞の道筋であろう。

 ところが石井の場合はやや肌合いが異なる。とにかく説明を尽くすことをしない。「描かれていないもの」はどこまでも「自然な形で描かれない」ので、最後まで気付かない受け手が多い。ややこしい表現の連続で本当に申し訳ないのだが、石井は果敢にも「不在=見えないもの」ですらコマの中、銀幕といった「場処にそっと置こうとする」。それが石井隆という作り手の全く目立たない(当然そうならざるを得ない訳なのだが)、けれど、創作の軸芯に近接する特徴のひとつと言えるだろう。

 先述の通り、石井のまなざしはおんなの腕時計といった実に細かしい小道具にまで浸透していく。読者や観客にくどくど説明することもなく、唐突に消失と出現を重ねていくのだ。私の思い過ごしであろうか。敬愛の強さが裏目に出て、虹彩をどろんと曇らせ実体とかけ離れた連想を誘っているのか、いよいよ狂人の戯言へと陥っているのか。

 時間を遡り、石井隆が劇画家として世間を圧倒していた時期に舞い戻ろう。数々の傑作短篇と長篇【天使のはらわた】(1978)のハイパーリアルな世界で日本中の読者を陶然とさせていたあの頃、映画製作の各社が盛んにアプローチを行っていた。日活は【天使のはらわた】第一部を忠実に再現して見せた後、名美と呼ばれるおんなを主役に据えた物語空間を銀幕に映すべく、石井本人に脚本の執筆を依頼する。そうして仕上げられた石井の処女脚本『天使のはらわた 赤い教室』(1979)は曽根中生によって監督され、主演の水原ゆう紀と蟹江敬三の実直な演技も相まって観客の胸をえぐり、涙を絞って、今なお世間の評価が高いことは周知の通りである。

 その『天使のはらわた 赤い教室』脚本のなかで石井は次のような場面を書いているのだが、私にはこれが安易に読み流すに足りる単なる状況説明のト書きとはどうしても思えない。

33 ドシャ降りの中央公園(同日夜)

     立ち尽くしている名美、目には虚空を。

村木の声「信じてくれ……信じて」

     遠くのビルの電光掲示板の時計が、『九時』を差す。

     立って待ちつづける名美、微笑……

村木の声「もう一度だけ、俺という男に賭けてみてくれ……

     七時だよ、七時……」

    『十時』の電光掲示板。

     天を仰ぐ名美、その顔に雨。

     手の中に握りしめられた村木の名刺。立ち去る名美。

     足元にグシャグシャになった村木の名刺。(*1)

 男の声の裏側に自分への気遣い、暗澹たる我が逆境に手を差し出そうとする真摯な想いを感じ取ったおんなは、約束の公園で三時間に渡って待ち続ける。おんなは腕時計を装着せず、鞄の内やコートのポケットにそれを持たず、ひたすら遠くの電光掲示板に目を凝らしているのである。

 それが何だよ、別におかしくないさ、時計を持っていないんだから掲示板の近くに突っ立ってるしかなかろう。大部分の人はそう考えて笑うだろうけれど、石井隆の劇画群に、さらに彼の映画群に、「持続するもの、連結するもの」を感知する読み手ならば、このト書きにどれほど切実な心情が託されているかを納得するのではないか。

 この場面では「腕時計」の消失が語られると同時に、荒海越しの遙かな陸地で明滅する灯台のごとき電光掲示板が不意に出現している。時計を捨て、過去を封じ込め、息をころして隠棲し続けたおんななのである。雨に煙るビルに設置された電光掲示板を必死のまなざしで見つめて、今にも転がり落ちそうになる気持ちをどうにか鼓舞しながら、もう一度だけ「時計」を見ようとして、「時間」を信じようとして、少しだけ顎を上げ、はげしい雨に抗いながら未来を仰いでひとり佇んでいるおんななのである。

 ほんの目と鼻の先ではなく、わざわざ「遠くのビル」に設定しているところも実に「石井隆の劇」ではないか。現在時刻を確認すべく時計をちら見する単純な日常行為に対し、石井はここまで心情を託そうとする。

 曽根の演出は石井の脚本通りではなかった。前段の警察署内の場面は脚本に忠実に撮影されている。突如拘束されて泡を喰っている男の描写はそのままだが、時間の経過は取り調べ官が自分の腕から外して書類の上に無雑作に置いた腕時計のアップで告げていて、公園で待つおんなの周囲は闇に包まれ、視線の先に電光掲示板はなく、ただただ悄然として雨に濡れる姿である。

 もちろん、ロケーションの制約が影響した可能性は高い。時間経過を刑事の時計に喋らせることで脚本上の狙いは果たせるとスタッフの意見がまとまったのだろう。実際それで何か問題はあるだろうか。三時間も公園で待ちぼうけを食らったという状況さえ観客に伝われば、もう十分と考えるのが大人の反応である。映画づくりは工夫と妥協の連続ではないか。

 誤解されたくないのだが、傑作と言われる『天使のはらわた 赤い教室』に難癖を付けたいのではない。あの映画がここまで世間に支持されているのは、多くの観客が展開に呻り、彼らのこころに映画が居着いた証しであり、素晴らしいことと思う。ただ石井隆という作家の凄味を再確認したいのだ。

 あの場面でのおんなは、筋書きの必然ではなく、石井世界の必然として「遠くの電光掲示板」を仰ぐべきであったと今も自分は考える。背景や小道具までも動員して人間の真情を形成しようと奮闘する、それが石井隆の現場だからだ。背景が書き割りとなっておらず、有機的に人物と融合して切々と歌い出す。常に総力戦で画面を構成していて、漫然と手前の人物だけを眺めていても読み切れない空間が確かに存在し、しっかりと息づいている、それが石井隆の描く風景画だからだ。

(*1):「シナリオ 天使のはらわた 赤い教室」第1稿 「別冊新評 青年劇画の熱風!石井隆の世界」1979所載 第2稿(シナリオ1984年9月号所載)においてもシーンナンバーこそ違うが一字一句同じである。


2020年9月1日火曜日

“腕時計が消える日” ~石井隆の時空構成(10)~

 


 石井隆の「劇画」がどれほど細かい彫飾をほどこした伽藍か、時計の描写を通じて説こうとしている。ここで思い切り飛躍して一本の「映画」、石井の監督作のなかでも人気が高い『ヌードの夜』(1993)に触れたい。美しいフィックスが目白押しで、また、俳優ひとりひとりが見事に演技をこなし、照明とカメラの支えもあって鮮やかな血流を得ている。確かな体温を帯びて観る者にひたひたと迫って来る作品だ。

 登場する名美というおんな(余貴美子)は、始終その手首に腕時計をはめている。血を浴びることを想定しての仮装や、飛び込む覚悟で海原を臨んで外すことはあっても、基本は腕時計を愛用するおんなである。例によってその現象にたいがいの観客は興味を覚えない。自然だからだ。おんなが腕時計を操作したところぱっくりと蓋がまくれ、中に妖しげな白い粉が入っていた訳ではないし、未知の科学で作られた通信機へとたちまち変形し、地球外生命体とぴゅるぴゅると妙は発声で会話する訳でもない。普通の腕時計を手首にはめ、普通に時刻を確認する姿でしかないから気に留めないのは当然の話だ。

 このおんなが日中は地味な制服に身を包み、地味な会社の地味な事務員として働き、地下鉄で毎日通勤している事も徐々に分かってくると、余計に腕時計の着装は目に馴染むところがある。また、制服を脱ぎ捨てたおんなは男好みの衣装に着替えて危うい逢瀬を重ねていくが、その手首にも腕時計は巻かれ続ける。いずれにせよ全くの自然体とある。都会に暮らす身寄りのない社会人として常に時間に追われる身であり、真面目な性分ゆえに時計を手放せないのだと誰もが考えるはずである。これがおんなの生活スタイルであり、望んでそのように装っているようにしか見えない。

 石井の脚本中には二度腕時計を確認する様子がト書きに綴られ、完成した映画でもこれを踏襲して時刻を気にする姿が描かれている。


   女、聞くでもなく腕時計の時間を気にしながら、

女 「六本木って凄いんでしょ?よくテレビでやるじゃない。なんてったかしら」(*1)


       女、また時計を気にしている。

次郎「あ、日帰りなんですか?」

女 「ハイ?」(*2)


 おんなは腐れ縁の男(根津甚八)の殺害を目論んでおり、それを今夜実行に移すと決めている。男をホテルに誘い込み、そこで区切りを付けようと考えているから、どうしても時計が気になって気になって仕方がない。これまた自然な振る舞いである。

 しかし、この「自然さ」自体が石井の劇では異例な展開であると気付き、どこか「不自然である」と捉え直せば、単なる腕時計がおんなの内実を光の粒として差し出す一種のマイクロスコープとして機能するのではないか。つまり、『ヌードの夜』のおんなは忌まわしい記憶と対峙し「時間」を丸ごと封殺したおんなではなく、また、そ知らぬ顔を装いつつ対男性社会へのレジスタンスの一員ともなっていないその証しとして、時計を着装し続けているという解釈に至る訳である。

 彼らの過去は決して忌まわしい物ではなかったが故に「時間と共にいる」そんな造形がされている。不運ではあったが不幸せではない、そういう男とおんなが描かれているからこその腕時計と捉えるべきではないか。

 遺体の処分を押し付けられた代行屋(竹中直人)にとっては傍迷惑な展開であったが、エンドロールと共に岸辺に引き上げられる海水まみれの男女の死体というのは変則的な入水心中の幕切れであり、観る角度を変えれば激しくも幸福な生の完遂となっている。

 では、『ヌードの夜』の名美は先述の劇画群の「腕時計を外した」おんなと異なり、石井世界にあっては徹底して異質の者であったろうか。石井の劇につき纏いがちな「屈託」のまるでない一面的なキャラクターであったろうか。

 最終局面で代行屋の面前に現われたおんなの霊体が腕時計を何故かしていない点をやはり見逃してはなるまい。石井は手首をことさら強調して撮らないので、例によって気付く人は少ないのだが深読みすれば実にもの悲しい現象が起きている。

 終幕間際におんなと代行屋は生死(しょうじ)の境界をまたぎ、精神錯乱の只中が描かれている。迷走する光景それぞれを理詰めできっちりと意味付けることは野暮だろうし、意地悪な見方しか出来ない観客ならば、徹夜続きの現場で監督もスクリプターも俳優も疲れ果てていたのだ、着装忘れに最後まで気付かずそのまま撮影を終えてしまったに違いないと考えるだろう。そして、観客の目など節穴で気付くはずがないから、と強引に編集を押し進めた結果と邪推するはずである。

 それは違う、と私は思う。石井隆の劇とはこういう「さりげない異変」に満ちたものだ。石井は意識して腕時計の着脱をおんなに命じているのだが、ほとんどの人はそこまで観ない。「不在の描写」が頻発することを理解しなければ、そのまま気付かないのも無理はない。

 不自然こそが石井の劇画や映画の醍醐味であり、凝視してようやく見える景色がある。冥境より代行屋を訪れたおんなが腕時計をしていないことは、時間の消失した世界へ既に軸足を移し切ったという悲痛な宣言であると同時に、殺してしまった運命の男の呪縛から束の間だけ離れ来て、魂を心ゆくまで解放させた状態なのだと告げている。時間の残されていないぎりぎりの局面で、ようやく時間から(=伴侶から)解放されてたゆたう人間の最期の瞬きが描かれており、人生の自由ならざる哀しさ、苦しさ、中途半端に断裂するより術が無い非情なるその本質が切々と詠われている。石井世界の小道具、背景とはそういうものだ。細部に作家の想いが宿っている。それが活きた人物を作り上げる。

(*1)(*2):共に準備稿より引用