入口で手渡されたリーフレットに柳の言葉が掲載されていて、同じ文面が展示ブースにも大きく掲げられている。雑誌「工藝」の昭和16年12月号に掲載された小文「アイヌへの見方」の一端だ。後になって工芸専門雑誌に再掲なっているのを探し出し、全部を時間かけて読んでみた。アイヌの民が自然との共生をいかに尊びながら生きたかを熱く代弁して、わずかに盲愛的にも、また、大上段に構えて感じられる文章とも幾らか感じたが、展示会での引用箇所はたいへん味わい深くて的を射た洞察となっていた。
「それは啻(ただ)に美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、その創造力の容易ならぬものを感じるからである。見て見厭きないばかりでなく、見れば見るほど何か新しい驚きを貰う。(中略)その美に虚偽はないのである。不誠実さはないのである。こんな驚くべき現象を今の文化人の作に見出し得るだろうか。ありとあらゆる偽瞞(ぎまん)と衒気(げんき*2)と変態とにまつわる吾々の作物と比べ、どんなに道徳的なものであろう。」
柳の切々たる訴えを背中に受けながら、アイヌの工芸品、特に「衣服」を長く見つめていると何者かに諭されているような厳かな時間に変化する。これはどうしたことだろうと不思議に思いつつ、うっとりした気分で「衣服」と向き合う。高額の染料を使ったり、著名なデザイナーの差配を受けておらない実に素朴な品々であるのだが、逆にその分、作り手の労力や費やした時間がありありと透けて見えるようであり、加えて、実際に袖を通した人間の確かに其処に居たこと、土を踏みしめ、四季の風に抱かれて過ごし、さまざまな物思いに沈んだに違いない実在の彼らの生涯にこころが持って行かれた。妙に胸に沁み入って来て、見つめる己が瞳をじわじわと濡らすような具合となる。
柳が誉め讃えたものは純粋に文様や素材選びの工夫であって、作り手や使用者の生きた印影を重ねてはいない。美術評論のそれが鉄則であろうことは承知もしている。観る者に感動を及ぼす秀抜なデザイン、造形の巧みさ、剛直な色彩といった物体そのものが附帯する性格についてのみ感嘆の声を上げておれば良いのであって、それ以上の事を夢想するのは勝手だけれど、それはもはや探究や評論ではなくて幼稚な感想に堕していく。わたしが抱くあやふやな気分はまさにそれで、一般人の、それも妄想癖のひどい個人の半端な感傷に過ぎない。
だけど、どうしても身に纏った「ひと」へと想いが次から次に弾んでしまって止まらない。「美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、その創造力の容易ならぬものを感じる」という柳の礼讃を目で追えば、いかにも豪奢で輝く衣装が浮んで来そうだが、実際は至極地味でささやかな造作であるところが逆に連想を誘ったように思われる。
頭の奥にある芯がじわじわと重さを増すような、それでいて思考自体は滞留して霞がかかるような、身近な故人の思い出に向き合うみたいにうら哀しい気持ちになる。つまり、展示物が全て「遺品」に見えて仕方なかった。葬儀に参列した後のような、観賞後に浮き立つものは多くなかったが、帰宅の道すがら展示物の印象と我が身を取り巻く記憶、そして石井隆の作品における衣服の描写を長々と反芻する時間を持った。
石井隆という作家を考える上で、他人の発した石井作品への言及を探して読み耽る行為は欠かせない。私にとっては常習化した栄養点滴になって久しいが、世間を騒然とさせた初期の石井劇画群への反応を思い起こせば、そこに「衣服」描写に関する言及が目立って多かったと記憶する。大概は肌着についてのそれであり、薄い綿素材の布地が肉体の凹凸に沿ってぴたりと貼り付き、またはぐいぐいっと喰い込み、艶かしい大小の襞(ひだ)を作っていく、そんな精密描画に興奮を隠せない発言であった。
どこか発育がおかしかったのだろう、私はといえば、思春期にもかかわらずコートやワンピースといったどちらかと言えば上着の方に目が奪われてならなかった。異性の肌や肉体の構造、柔らかな輪郭に魅力を覚えなかった訳ではないのだが、現実世界でそういった物をまじまじと見る機会が無かったことから圧倒的に経験値が乏しく、どうやらそれが原因して迫真力を内部に喚起しなかったようである。
駅に向かう雑踏に混じって歩き、その後に乗った電車にがたがた揺られながら、真横に立っている、それとも、前の席に茫洋と座っている現実の女性たちのコートとスカート、ロングブーツといった上着の輪郭や質感が脳裏に焼き付き、それと石井の劇画の細部が強く結線していくことの方が度々だった。
石井の画業を年数ごとに分割し、第一期、第二期とか、赤の時代、青の時代といった風に綿密に体系付けてはまだいないのだが、厖大な数の取材写真に基づくハイパーリアリズムに舵を修正した辺りからの「衣服描写」は、いま見ても陶然とさせられる仕上がりである。私を含む多くの読者が石井隆の描くおんなの実在をそれにより信じ、彼女たちを通じて世界を見直すように仕向けられた。ほとんど隙間なく石井の絵と現実は連結していき、読み手の思考を支配した。そんな時期を確かに過ごしている。
上述の通りで晩熟(おくて)だったものだから、石井劇画を共に楽しんで意見を交わすおんなの友達は身近にいなかった。石井が劇画で選んだ服や化粧道具が高級品なのかどうか、まるで判断がつかない。しかし、石井がおんなたちに任じた役柄なりコマの背景を埋める住宅の諸相から推考するならば、素朴なもの、庶民の手が届く範疇の既製品と思われた。それを身に纏うおんなたちが男社会で歯を食いしばって闘っているように見え、健気に思え、哀しくも愛らしくも感じられた。目線をフラットに保てたから、知らず知らずに感情移入をしていき、要するに恋に染まったみたいになって、醒めながら終始どうにも気になってばかりいた。微熱を帯びながら、いつまでも酩酊しつづけた。
柳のアイヌ工芸賛歌が脳内に響き渡り、展示品の衣服に自分の目が釘付けになったのは、私の奥まったところに深く鋭く浸透した石井隆のまなざし、世界へと絶えず注がれる低位置からの視線とどこか共振したからだ。他人から見たら緊急入院が似合いの危機的状況かもしれないけれど、貴重で嬉しい連結の一瞬だった。
「石井の劇の装飾に虚偽はなく、不誠実さもなく、偽瞞(ぎまん)と衒気(げんき)もない。底辺に息づく劇は、それが性愛の地獄までも垣間見せても、どこか道徳的な空気さえ感じ与える。」柳の文章は私のなかでたちまち石井への賛辞へと変換した。「ただ美しいのみならず、立派であり、見て見厭きないばかりでなく、見れば見るほど何か新しい驚きを貰う。石井隆という作り手の容易ならぬものを感じる。」世辞ではなく、本当にそう思う。
そうだ、石井の劇とは「工芸」ではなかろうか。もとより「工芸品」と巷で総称される木彫りや織物を身骨砕いて作っている訳ではないのだが、実用性を重視して産み落とされた無数の物象「道具たち、衣服たち」が完璧に記録されている。衣食住の面貌を徹底してコマに移し替えながら、「現実と見まがう世界」を創出せんとして精魂を傾けていったその末に「日常」が差し出される。使い手のおんなや男が寄り添って描かれているから、「道具たち、衣服たち」は体温を帯びて脈動さえ刻んで感じられる。劇中での「物」の立ち位置が他の作家のそれと大きく違っていて、端役に過ぎないはずの衣小が確かな重心をともなってこころに迫り来る。
展示されたアイヌの衣服を不遜にも「遺品」と先に書いた。柳たちが蒐集した時点から八十年程も経過しつつあるから、そんな乱暴な表現もきっと許されると信じたいのだが、その捉え方は石井の劇画を面前とした際の独特の淋しさ、沈降する感懐として、一切の摩擦なく綺麗に連なるように思う。作品のなかで着ていたあのコートやブラウス、唇よせたコーヒーカップ、手のひらから手のひらへと渡されていったあのライター、あの口紅、あの櫛。間違いなく在った物たち。今はどうなっているのだろう。どこかにひっそりと仕舞われているのだろうか、それとも消耗し尽くして土に戻ってしまったか。
このような妄想を包容し得るのが石井劇画の凄みだ。コラージュされ、編集されているから、現世をそのまま複写している訳では当然ないが、画面を埋め尽くす要素に真実がしっかりと寄り添う。他から大きく抜きん出た方術であり、今もって観る者を捕りこんで離さない。
(*1):「アイヌの美しき手仕事 柳宗悦と芹沢銈介のコレクションから 令和元年度アイヌ工芸品展」宮城県立美術館
(*2): げんき【衒気】自分の才能・学識などを見せびらかし、自慢したがる気持ち
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