2018年6月17日日曜日

栗本薫「ナイトアンドデイ」(「ライク・ア・ローリングストーン」所収)(3)


 小説のなかの漫画家と実在の石井隆とは違うよ、いっしょと捉えてカッカしないでよ。栗本が生きていたら唇をとがらせて反発するだろうか。それとも、そうだよ、その通りだよ、私は石井隆の作品をろくに読んでいないし、彼がどんな人か全然分からないよ。あとがきにだってそう断わっているじゃないの、ちゃんと読めよ、と髪振り乱して開き直るだろうか。

 「「ナイトアンドデイ」のモデルは、かの石井隆大先生であります。といっても私は先生のお作を読むだけで他のことは、どういう人かも何も知らん。ただ、「横須賀ロック」や「名美」を読んで暗─い気持ちになり、宮谷一彦、永島慎二と同質の匂いをかいだだけです。」(*1)

 「この三編の中編には、いずれもモデルがあります。私の知人だった人も居れば、メディアを通してのみ知って、そして勝手なイメージを抱いた人もいます。どの作品のどの人のモデルは誰で、それがどうアレンジされていった、という類のことは、小説がいかに生まれてくるかという評論の材料としては面白いし、また、芸能週刊誌的興味にも、面白いかもしれませんが、小説を楽しんで頂く上には、いらぬことだと思います。」(*2)

 知らないのだ、勝手なイメージなのだ、誰がモデルかなんて読者には気にしてもらいたくもない、と著者はくどくど綴っているのだが、これはどうにも釈然としない暴力的な振る舞いではなかろうか。何も知らないと書いていながら、小説「ナイトアンドデイ」には石井隆を取り巻いた当時の状況が克明に採取され、虫ピンで串刺しにするようにして要所要所に貼り付けてある。「勝手なイメージ」の領域をとっくに越えており、七十年代の顔となった石井隆の輪郭を写し込もうとかなり気負って書いてある。

 「それから三、四年、つまり一九七〇年代のちょうど半ばごろになって、(中略)ブームがはじまった。佐崎さんは、そのブームの、ほとんどきっかけになったと云ってよい人気(中略)劇画家だった。」(*3)

 「その雑誌の表紙をみたとき、ぼくは思わず笑ってしまった。なぜなら、それは(中略)ヒゲなどを生やした、佐崎さんの写真だったからだ。(中略)パラパラめくると、何だか難しそうなことがいっぱい書いてあった。ポルノ映画の監督だの、評論家だのが、佐崎さんのマンガについてしゃべっているのだ。」(*4)

 「まだ、ブームが頂点といわれたころで──佐崎さんの代表作といわれる「鏡子シリーズ」がポルノ映画化されるという記事が新聞にでかでかとのった」(*5)

 その雑誌とは表紙構成から新評社が1979年1月に出した「別冊新評 石井隆の世界」であるのは明らかであるし、映画は1978年7月22日公開の『女高生 天使のはらわた』(監督 曽根中生監督)を指している。ここまで特定の現象を注ぎこんでいながら、知らない、モデルが誰かなんて余計なお世話だと読み手の推測を押しとどめようとするのはどうしたって無理な話だ。次の部分などは完全に「名美」を、石井隆を連想させる目的で為された挿入文だろう。

 「信子さんは、佐崎さんのいつもかくヒロインの名前をいった。鏡子──狂子──響子──今日子──彊子──字はちがっても、いつも同じ肩までの冴(さ)えないロングヘア、やぼったいブラウスとスカートであらわれてくる女。」(*6)

 「名美」という器を作り上げ、そこに幾種もの酒を注ぎ、さまざまに波紋を起こして薫風を振りまいた石井隆の仕事が、上にあげた小説中の漫画家佐崎の文体と同一とは言えない。「名美」は奈美や那美になったりはしないからだ。では佐崎のモデルは、かのA先生、かのB先生であったろうか。

 当時の漫画界では手塚治虫のスターシステムに似た描法が定着を見せ、石井隆以外の作家においても、登場する人物に特定の容姿と決まった名前を繰り返し与えつづけて、幾度も幾度も読者の前に立たせて幻惑を導くことが流行った。「名美」と「村木」という固定された名前と容姿の男女を再三に渡って採用した石井の手法というのは、だから専売特許とは言えない訳だけれど、これだけ状況証拠がいくつも重なってしまえば、「ナイトアンドデイ」の作者栗本が石井隆と彼の劇画の「表層部分」を不遠慮に奪い尽くし、再構成しようと企んだことは明白と思われる。

(*1):「ナイトアンドデイ」 栗本薫 文春文庫「ライク・ア・ローリングストーン」所収  文藝春秋  1986年8月25日発行 223頁  あとがき
(*2):  同 227頁  文庫版のためのあとがき
(*3):  同 200頁
(*4):  同 200-201頁
(*5):  同 214頁
(*6):  同 197頁

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