2018年6月5日火曜日

“絵本”



 年明けて直ぐに漫画家つげ義春にかかわる書籍が書店に並んだ。年三回刊の「スペクテイター」41号(*1)と「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」と題する単行本(*2)だ。三十年程も前に休筆したにもかかわらず、滔々と弁をふるう識者がいまも次から次と躍り出る。つげ独特の眩(まばゆ)さを覚える。

 貸本時代の初期作品は巧みな話術で支持を取り付け、当時の子供たちの脳裏にあざやかな光跡を刻んでいる。その後の掌編たち、【紅い花】(1967)、【ねじ式】(1968)、【ゲンセンカン主人】(同)などに至って、青年層の記憶の裾野に雨滴のごとく滲み入った。素朴な描線の人物像ながら、雷雲の如きただならぬ変動を隠して思えた。読者の心に低くたれこめ、振り払えない蔭(かげ)をもたらした。

 ずいぶん前の本のなかで評論家の梶井純(かじいじゅん)は、つげの貸本作品群を評して次のように書いている。「作家の本質的な社会観などとは無関係に理想をえがくことができる子どもマンガ志向をもつことこそ、「一流」の子どもマンガ家が約束される最大の手形であった」のだが、「同じ子どもマンガをかきながらも、つげ義春は、無意識にこの時代の暗部からうきあがることを肯(がえ)んじえなかった」。また、後続の「ガロ」を主体に発表された佳作群については「読者の存在を半ば無視してみずからの作品を切りひらいていく道すじをたどった」とも記している。作品および作家の性向を簡潔に表現して感心させられるが、要するにつげは時代におもねることのない孤峰として在り続けたのだ。(*3)

 折々に書棚から引き出してはじっと視線を注いでいく年季の入った読み手だけでなく、いまも若く新しい読者を獲得し続けているところがつげの見事なところだ。加えて間欠泉のごとく噴出をくりかえす研究本、解析本の出版である。その事実の堆積にはただただ舌を巻き、不思議な作家がいるものと感嘆させられる。

 石井隆にもつげと同様の、いや、それ以上の引力なり渦がそなわるとわたしは一心に信じているのだけれど、石井が評論や研究の対象に選ばれることは少なく、それが至極残念でたまらない。でも考えてみれば、そもそも一人の漫画や劇画の表現者に対してとことんこだわり抜いた書籍が編まれること自体が珍事なのである。手塚治虫や石森章太郎、水木しげるや白土三平、それに楳図かずおといった鮮烈な作家性を前にしてこれまで幾人もの評論家や研究者が腕まくりして挑んだが、手塚とつげ以外はそれほど目立った出版の隆起はない。

 過去の作品群を二言三言で簡潔に紹介しまくるとか、憧憬や尊敬の念をとろりとろりと綴ってみたり、これまでの親交を目尻下げて回顧する、そんな軟らかでモザイク状の構成ならば大概の雑誌の作家特集に見受けられるからさして珍しくないのだが、「読み解き」であるとか「作家論」と冠した重心の低い活字で頁が埋め尽された本というのはそうそう見ない。特に単著は多くない。

 青土社の「ユリイカ」や河出書房新社「文藝別冊」のバックナンバーが並ぶ大型書店には、押切蓮介(おしきりれんすけ)、志村貴子、東村アキコ、こうの史代(ふみよ)、古屋兎丸(ふるやうさまる)、江口寿史(ひさし)、岩明均(いわあきひとし)、諸星大二郎、岡崎京子、いがらしみきお、いしいひさいちといった私があまり読んだことがない最近の漫画家と懐かしい作家の名前をそれぞれ背表紙に記した両誌の特集号が並んでいる。どの程度売れるかは知らないが需要はあるのだろう。単独で一冊の作家論を編むまでには至らないものの、往年の「漫画主義」的なかたち、複数で多角的に切り込む布陣はメンバー替えしていまも健在なようだ。「スペクテイター」のつげ特集の構成はどちらかと言えばこれに近い。作業を分担し、ひとりの創作者を取り囲んで皆で迫ろうとする。

 一方の「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」は矢崎秀行ひとりの筆によって書かれている。こういうスタイルは確かに見なくなった。何も漫画に限ることではなく、映画についても単独執筆者による作家論の出版は稀である。あっても長いインタビュウを文字に起こし、上手く構成したものが主流と思われる。

 単独で上梓することの難しさは一体どこにあるのか。一個人が作家論を試みる上で困難な側面は「歳月」の断崖にある。日常の現実世界で他者、それは友人でも恋人でも良いのだけれど、その人柄とその内部に広がる精神世界をある程度理解するには相当の時間を要する。出会い、幽かな途切れ途切れの交信を開始し、やがて打ち解けてお喋りに興じ、なにかの拍子に深刻な対話を始めてそれを延々と連ねるという行程を踏まえることが肝心となる。いやいや、本当に相手を知るには「時間」なんていう生ぬるいものでなく、「歳月」という強面(こわもて)の集積が求められていく。

 私たちが作家に出会うときは喝采を博した後が大概であり、駆け出しの頃など全く知らないのが普通だ。「歳月」を持たずにいきなり人間と対峙する訳だから、どうしても臆病になる。響きがどうも嫌いで普段は使わないようにしているが、人生を賭して創作に挑む作家の孤影をどこまでも“フォローする”こと自体が容易な道筋ではないのだ。まして作家の内奥に迫り、したり顔であれこれ論ずることなど土台最初から可能な次元とは到底思われない。立ちふさがる岸壁の偉容に怖じ気づいて、こりゃ手ごわいと登る気が失せてしまう。

 人生を理解するのは結局のところは当人のみじゃないのか。誰もが雨のなかに佇む村木のように、そのかたわらを肩と背中を濡らしながらも歩み行く名美のように、ほんの少し距離をおき離れ離れとなって踏ん張るしかない。足裏に力をこめて大地に仁王立ちし、互いをひたすら見守って見守って、見守り続けるより仕方ない。そんな当たり前の真実に足がすくみ、誰もが口を閉ざしていく流れではなかろうか。

 ずるずると長い枕で𠮟られそうだから本題に移れば、このつげ関連の二冊を続けざまに読んで評論の難しさと怖さをまざまざと目にしたのだった。この場はつげについて語る場処ではないから詳細は触れないが、作品に引用された写真の出自をめぐる解釈に段差が生じている。どちらかと言えば「『ねじ式』のヒミツ」の方がすこし分が悪い。執筆者が生真面目な性質(たち)で作品に対する愛着の強さがよく伝わる分だけ、余計に哀しく、吐息を凍らせるものがあった。

 人が人に惚れ、理解しようと努める行為はなんと微笑ましく、そして、なんと残酷なことか。ひたすらに気持ちを深めていくが、往々にして道を誤っていく。相手の求めるものと真逆のことをしてしまう、妙ちくりんなことを思いこむ。熱情のとばしりに負けて、胸にそっと貯め置けずにいよいよ苦しくなって、気を許した相手に半熟の私見をべらべらと喋ってしまう。

 なんだなんだ、自己弁護にその本を使う気かね、あのなあ、君の勘違いは上の本と比べたら数段ひどいよ、まったく偉そうなことを書けた身かね。分かっている、その通りだ。つまり私は矢崎のこの本から我が身同様の暴走気味の、同時に真面目すぎる性行を受け取り、彼と自分を、そして人間という総体をどこまでも温かいものとして信じたいのだ。同情のような自己憐憫のような湿った気持ちに完全に呑まれている。

 間違いは確かに犯したが断罪する(される)までもなかろう、そう思いたいのだ。読み解きのどこかに誤りがあるからといって、作家の内実、魂の基幹部分から大きく外れているとは限らない。今ごろがっくりと肩を落として落ち込んでいるだろう矢崎に近づき、よく迫れている方じゃないかと誉め讃えたい。どちらの本をつげが喜ぶかと言えば、きっとこっちの本の内容や熱情を興味がり微笑んでくれるに違いない、なんて想像する。

 実娘の手になる清楚できっちりした装丁の可愛らしい“絵本”をめくりながら、ひとりの人間、ひとつの家族の柔和なまなざしが宿っていると感じる。寡黙な作家と結線を果たそうとする読者の分身が、うつくしい本の形態となってわたしの前に腰をおろしている。

(*1):「スペクテイター〈41号〉 つげ義春」 エディトリアル・デパートメント編集 幻冬舎  2018年2月
(*2):「つげ義春『ねじ式』のヒミツ」 矢崎秀行 響文社  2018年1月
(*3):「現代漫画の発掘」 梶井純  北冬書房 1979 199頁、201頁


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