あんな名前で商売になるのだろうか。酒に弱い私は店名を見ただけで宿酔い必至だ。絶対足を踏み入れない。尤もまるで由来の分からぬ店名が仮にあったとして、誰が困るわけでもなかろう。客とは至っていい加減な存在であるのだし、また、実際それで構わない。名前に惹かれて暖簾をくぐる者などひと握りだから、あれこれ執着して考えるだけ野暮だ。
確かにそれはその通りなのだ。店名などの意味や由来にとらわれる事はそんなに大事とは思われない。が、こと石井隆の命名とあっては簡単に放り出せないところがある。『GONIN』(1995)の準備稿において、舞台の主軸となるディスコの名前は“バーズ”ではなく“グロッタ”だった。鳥たち、とか、洞窟とか、ざらついた手触りがあって胸騒ぎを覚えるが、どちらも正体不明の感じがあってよく分からない。不思議と思い、否応なく妄想が膨らんでいく。
黒澤明の『野良犬』(1949)を鑑賞した折りに、夕空を背景に「Bird」(正式にはBlue Birdなのだけど、)という劇場のネオン看板が点いたり消えたりしているのを見ると、そこに何かしらの接点はないかと勘ぐってしまう。確か石井の“記憶の映画”に『野良犬』も入っていたはずだ。でも、BirdsとBlue Birdでは大きな開きがあるしなあ、看板ネオンが映るのはどっちも一瞬でしかない。どうかしている、と自分でも思う。両者を結束させ、何かしらの意味を託されたなんて考えるのは気狂い沙汰だ。
こうして堂々巡りをつづける毎日なのだが、準備稿の方の“グロッタ”という単語にはより強い磁力があってきつく縛られて来た。どこから石井の脳内に忍び込み、どんな想いでそれを使用するに至ったのかをずるずると考えた。
もちろん私たちは、石井が名付けを行なう際のスタンスが緊迫をはらんだ理詰めのものではなく、割合としんなりと柔らかな思考でもって進行する点を学んでいる。映画や雑誌、実在する知人から借りてくる手法を石井はおしなべて隠さない。石井世界のイコンである“土屋名美”や、『GONIN』のディスコ経営者“万代樹彦”などの命名の経緯がそうだ。だから、こうして悶々と書き綴ることの全てが勘違い、思い込みである可能性は否定できない。馬鹿だなあ、深読みのし過ぎだよ、と石井だって笑うかもしれない。
それでもグロッタに立ち戻って書棚の前に陣取れば、この語は「グロテスク」という芸術様式と対で語られる傾向がある事が分かってくる。澁澤龍彥(しぶさわたつひこ)の書物をまさぐったときも、グロテスクを生成する上での通過点という捉え方だったように思う。イタリアやスペインの貴族たちが庭の一角に築いた「人口の洞窟」を一般には指していて、彫刻がうじゃうじゃと内壁を覆い尽くしてこの世の物とは思われない。黒雲から降り立った魔物が幾たりも侵入して、幽冥との境界線を曖昧にしていく、そんな妖しい雰囲気の風貌である。往時の貴族たちは呪術的な大きなもくろみを抱き、昼でも薄暗い回廊の建築に熱中したのだ。
石井は港近くにそびえる白い建屋に、この宗教的魔窟のイメージを投射しようとしたものだろうか。欧州の暗い空の下、庭木を押し掃(はら)うようにして醜貌を晒す人口洞窟の写真を見つめながら、『GONIN』という劇はここまでは乾いていないし、こんなに大人しくまとまってもいないように思えた。“グロッタ”の文字と響きを登用した、その精神的高揚にまではたどり着けない。創作の上で跳躍を誘うような、ぐっと背中を押されるような際立った異相が見当たらず、少なくとも私の中では両者は結線を果たさない。
たとえば先に引いた東野芳明(とうのよしあき)の「グロッタの画家」も、実はその一環から手にした本なのだけど、その中で東野は庭園芸術から思案を切り離し、より根源的な穴倉への耽溺、人がどうしてもふり解けない闇への憧憬といった視点からグロッタを語っている。「メドゥサにしても、キクロプスにしても、洞穴の中に住んでいた」と古の伝承に書かれる怪物の存在に触れていき、「厳重に封をして洞穴へととじこめておくべき危険な代物だった」と続けて、グロッタに宿る空気の質を原初的で荒々しいものへと導いていくのだったが、こちらの凶暴で不安を醸す連想の方がずっと『GONIN』の世界には近しい気がする。
「これらの洞穴の住人どもは、単なるひよわな偶像でなくて、れっきとした化けものという生き物であり、その視線にあえば、なよなよした肉体は、一瞬に峨々たる岩石と化し、また、その煌々と輝く眼差しは、天をもふきとばす火山の大爆発を起し、全世界の座標の原点を、人間からたちきって、一きょに物質のあらあらしい息吹きの中に移してしまう、はなはだ壮烈な化けものなのだ。」(*1)
石井は肉弾戦をもって現世を活写することを劇の根本としているから、目から怪光を発して人間を石に変えたりはしないし、どろどろの溶岩流も出現しない。おんなの視線は一瞬に男たちの魂を凍結させ、その首や胸からは天井にしぶく血の噴出を起こす程度なのだが、そのようにして赤々とフロアを染め、輪になって踊り狂うサバトの夜さながらに次々と周辺で人が倒れ、ひどい酩酊状態に陥って銃口に身を晒していく『GONIN』や『GONIN2』(1996)の勢いのある姿とは、つくづく神話的な苛烈さ、極端さが内在すると思う。貴族の庭園で闇にまぎれてのっそりと潜んでいる芸術作品ではなく、予測が付かず、常識も通じない怪物と遭遇する場処としての洞窟が描かれ、そこに踏み込んだ人間の絶望と発狂、地獄巡りの情景が彫り込まれている。
ほかに“グロッタ”という表現をグロテスクから分離して語る書物はないかと探してみたところ、次のような文章に突き当たった。
「大蘇芳年の飽くなき血の嗜慾(しよく)は、有名な「英名二十八衆句」の血みどろ絵において絶頂に達するが、ここには、幕末動乱期を生き抜いてきた人間に投影した、苛烈な時代が物語られてゐる。これらには化政度以後の末期歌舞伎劇から、あとあとまでのこつた招魂社の見世物にいたる、グロッタの集中的表現があり、おのれの生理と、時代の末梢神経の昂奮との幸福な一致にをののく魂が見られる。それは、頽廃芸術が、あるデモーニッシュな力を包懐するにいたる唯一の隘路(あいろ)である」
三島由紀夫の書いたもので、画集「血の晩餐」(*2)の冒頭を飾るものだ。出版前年に三島は自決を遂げているから、これは生前に書かれたエッセイが元となっている。もっと具体的に言えば、一部だけが切り抜かれて使われている。本来は「デカダンス美術」と題された小文で、竹下夢二、モンス・デジデリオ Monsù Desiderio、オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー Aubrey Vincent Beardsleyらと共に、あの“月岡芳年”に触れていた。(*3)
四人の画家を並列した文章は焦点を絞り切れぬ曖昧さがのたうつのだが、こうして前段と後段をざっくりと斬り落とし、芳年への言及だけを紙面に叩き付けるようにして飾り直すと、映画が始まった直後に強烈な導入部をいきなり見せられたような驚きと慄きがあって相当の衝撃がある。「血の嗜慾、絶頂、生き抜いてきた、苛烈な時代、見世物、昂奮、おののく魂、デモーニッシュな力、隘路」と烈しい言葉が速射されて、腹わたに突き刺さり、硬い震動がじんじんと響いてくる。
芳年を「グロッタの集中的表現」と呼んだ三島も凄いが、この形容を導いた芳年の表現世界に絶対的な高度を感じる。そうして思うのは、仮にこの文章を芳年の画集で目にし、いや、その確率は芳年を熱く語る石井の口調からすれば我々が思う以上にずっと高いと考えるのだが、これを読み進めて瞳に刻んだ石井隆という男がおのれの創造する舞台『GONIN』にて「グロッタの集中的表現」を極めようとしたのだとしたら。
人目から隠されたその想いを今更ながらこうして後追いするだけでも息が止まるような緊迫を覚えるのだし、読者や観客の知り得ぬところで為される想いの丈の深さや厚み、その不可視性は、石井世界をつらぬく画風と完全に合致もしていて連想に破綻がない。
芳年の大回顧展以降の時期に世に問うた【魔奴】(1978)を起点とし、【魔樂】(1986)への隘路(あいろ)を経て、『GONIN』のグロッタが描かれた。石井が映画世界においても、同一の地平で揺れることなく歩み続けたことを示している。ひとりの絵描きが人生を賭して「無惨絵」の後継を担おうとする、その真紅の証印となっている。
(*1):「グロッタの画家」 東野芳明 美術出版社 1957 引用は1665年再版のものから 「ルドンの眼玉」79頁
(*2):「血の晩餐―大蘇芳年の芸術」1971 番町書房
(*3):「デカダンス芸術」 初出 「批評」1968年6月 引用元は「決定版 三島由紀夫全集 35」 新潮社 2003 116頁
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