月岡芳年の作品を石井劇画に引き寄せ、共振の名残りを手探る。そうは書いてみたものの、浮世絵に代表される一枚絵が主軸の芳年である。連続性を付随された劇画に強い影響を及ぼしたなんていささか想像が短絡過ぎるし、自分でも展開に無理を感じる。ウェブは伝言ゲームの濁流であり、いつしか言葉が一人歩きして石井に迷惑がおよぶと怖い。この辺りできちんと断わりを入れるのが無難だろう。
たとえば石井の単行本を書棚から抜き出してぱらぱらとめくって見れば、当然ながらそこには膨大なコマがちりばめられ、無数の構図が築かれ、めくるめく艶技や喜怒哀楽を示す豊かな表情といったものが押し鮨みたいに圧縮され、ぎゅうぎゅうっと収められている。一枚絵とは明らかに立ち位置が違っている。
具体例を挙げるため、1989年に世に出た短篇集「雨物語」を手に取ってみる。(*1) 石井の描線が目に止まるとその重力に引きずられるから、今はぶるぶると頭を振って視線を強引に引き剥がし、ページの枚数やコマ数を一枚二枚、ひとつふたつと指折って数えていく。すると、これまであまり気にした事はなかったが、劇画や漫画とはべらぼうな労働の集積だとようやく知れて、思わず驚きの声が漏れてしまう。数え方も人によって違うからいくらか幅を生じるが、巻頭のメロドラマ、五年の空白を埋めようと男女がもがく【雨の慕情】(1988)なんかは32ページで185コマもある。トリを飾る不器用な男女のすれ違いを描く【雨物語】(1988)は30ページで165コマだ。ハイパーリアルな石井の劇画はそれぞれのコマに繊細な筆が入っていて、どれもが一枚絵の迫力を持って迫り来るのだけど、完成度の高い入魂のコマが百以上も連なる訳である。全体として大変な手間隙がかけられているのであって、菓子をほうばりながらあっという間に読み切っていた自分の呑気さが急に恥ずかしくなってくる。
ちなみに石井の上の2作品は、1ページあたり平均すれば5.5から5.8コマ程で成り立っている。遊びの範疇に入るが、気になって手塚治虫の短篇も同じように数えてみた。事故による衝撃から昏睡に陥った少女が十七年後に覚醒する【ガラスの脳】(1971)は50ページに対して240コマであるから、平均して4.7コマ、地球の過去と未来を生々しく描いてしまう不思議な画家の物語【DAUBERMAN~ドウベルマン】(1970)は32ページに164コマであり、平均5.1コマになる。(*2) 石井の方がページあたりのコマ数が若干多いことには驚いたが、面相こそ異なるがそれほどページの構成は変わらないことが分かる。
脱線ついでにさらに書くと、(ここからが実は肝心で、石井世界の源泉を表わすように思われるのだが)映画専門用語で照らしてみれば石井の上記2作品の「シーン」(同一の時間,同一の場所,同一のアクションでまとめられるもの)の数は25と23であり、手塚のそれは61と32となるのであり、またまた単純計算となるが、先の総コマ数をこれに重ねれば、石井は1シーンを描くのに平均7.1コマから7.4コマを費やしており、手塚は3.9コマから5.1コマをあてがっている事が読み解ける。題材に天と地の開きがある訳だから、同じ土俵に両者を乗せること自体が滑稽な例証になるけれど、この数値の開きは、いかに石井が人間を含めた“景色”に執着し、省略なり跳躍といった技法への流れを堪え、目を凝らしてひたすらその場に佇立する事を己に課していたか、その辺りの作劇に関するリズムや体質をいくらか白状する値になっている。
手塚ひとりでは説得力がないから、もうひとり水木しげるの短篇も並べてみよう。世に売れる前の赤貧ぶりを描いたものをあえて選んだ。こちらは自宅周辺の徘徊や都心にある出版社への往復を描いた小品であって、手塚作品のような死傷者多数の列車の転覆事故も世界の終わりに降りそそぐ流星群もない。街に生きる人間の等身大の日常を描いているところは、石井作品の世界と面差しを似せている。
妻の出産や家賃の滞納に苦悶し追いつめられた精神が救世主譚をひり出していく【突撃!悪魔くん】(1973)は31ページに198コマ、45シーンで構成されている。仕事場に張り付く編集者に悲鳴をあげて夜の町に遁走した漫画家を次々に襲うハプニングを描く【残暑】(1969)は、16ページに93コマ、17シーンで構成されている。(*3) 換算すれば1ページあたりのコマ数は5.8から6.3であって、石井の5.5から5.8コマよりも若干多い。では1シーンあたりのコマの消費はと言えば4.4から5.4コマ程度であるから、石井の平均7.1から7.4コマよりもずっと性急であり、その心拍はむしろ手塚と近似している。いや、ここではやはり石井の“長回し”的手法の特徴こそを書き残すべきだろう。
作家とて人間である以上、作風はめまぐるしく変化する。編集部の期待に応えようとしたり、自分なりの工夫を重ねて微妙にテンポは変わっていくものだろう。わずか2篇ずつをまな板に載せてするカウントでは何も分かるはずがないから、これを読む人はあまり鵜呑みにされないようにお願いしたい。手塚や水木に限らず、古今の名人上手の作品群を丹念に根気よく解析していくことで、各人の拍子なり脈動をデータ化できるかもしれないし、石井隆の創作の精髄のようなところもそれで導かれる可能性はある。いつか時間があったらやってみたい。
ともあれ、石井劇画というのは無数のカットの集合体である以上、仮にその中のひとコマに意図的、もしくは偶然に、先人の絵画のエッセンスが紛れ込んだからと言って、物語全体の色彩を決定付けるなんてことは到底起こり得ない。よく似たものが見つかったとしても、“影響”を受けているとまでは言えないだろう。
【魔奴】(1978)と【魔樂】(1986)という日頃あまり世間で触れられない作品にこれから手を伸ばそうとしているが、その作品は誰それの模倣であるとか、誰それの旗下(きか)にあると断定するつもりは毛頭無いのだ。そんな単純なことを綴りたいわけではない。絵や映画として具象化する前の、創作に関わる姿勢を整える領域での才能の交差といったものをどうにかこうにか捉えることで、石井隆という作家の背中に少しでも近付きたいのだ。
(*1):「雨物語」 石井隆 日本文芸社 1989
(*2):「手塚治虫 恐怖短編集 1 妄想の恐怖編」 講談社 2000 所載
(*3):「ビビビの貧乏時代 いつもお腹をすかせていた!」 水木しげる ホーム社 2010 所載
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