2017年2月1日水曜日

「実相寺昭雄 才気の伽藍 鬼才映画監督の生涯と作品」 樋口尚文



 映像作家の実相寺昭雄(じっそうじあきお)が鬼籍に入って、はや十年が経過した。関連書籍が出されたり特集上映が行われたり、このところ一条のスポットライトに銀砂(ぎんしゃ)をまいたようなまばゆさがある。昨年末に上梓された「才気の伽藍 鬼才映画監督の生涯と作品」(*1)もそのひとつだけれど、頁を繰りながらあれこれの想いが湧いて出た

 もっともこれから綴る読後感は、石井隆とはまったく関係がない。仮にも“試論”と銘打った場処である訳だから節操がないし無礼とも思う。単行本「闇への憧れ」(*2)の著者と挿画提供者としてふたりは結び付くし、その本が石井世界という湿原へとわたしを手招きし、官能と暴力、男女間の拮抗や諦観いう暗い土手にむんずと押し倒して終生忘れぬ相手になっちゃった辺りは以前書いた通りなのだが(*3)、そんな事は極私的でとろけた感傷に過ぎないのだし、彼を敬愛する誰かがどこかの花花しい紙面で書評など綴れば十分という気がする。寄り道の許しを請い、頭を低くして進もう

 実相寺のドラマは日常の皮相をメスで裂いて白日に晒すような硬いアングルと、台詞の隙間に込められた死生観が強烈だった。『京都買います』(1968)を撮った実相寺はわずか三十歳ぐらいであったのだけど、あの頃からひどく抹香臭い作風があったから、なんだか歳月を越えた幽玄の存在と解釈され芸術家というより宗教家として自分のなかで血肉化されていった。

 なにより苗字が変わっていたし、外貌もどこか坊主めいていた。雑誌か何かで最初に見た実相寺の写真、円谷プロダクションで頭角を現わした若い時分のその姿からして妙に痩せこけていて、足はあんなに長くないようだったがジャコメッティの彫刻に似ていた。余計な脂肪の付いていない絞りに絞った体躯と顔立ちで、ガンジス川の修行僧みたいだった。

 だから亡くなったと報じられても生き仏がいよいよ大往生を遂げたような感覚があって、淋しくはあったけれど衝撃はなかった。静かに新聞記事を切り抜き、「闇への憧れ」にそっと挟んだ。振り返れば享年六十九歳というから、実際は随分と若かったのに

 どうしてそんな風にはるか年長と思い込んでいたのだろう。それは演出家として彼ほど執拗に人生に喰い込んできた者がいないからだ。子供向けの映像を提供し、それを観て育った為でもなかろうが斜め目線でへそ曲がりの学生となった時期、今度は倉本聡と武満徹を脇侍(きょうじ)にしてスペシャルドラマを立ち上げてみせた。神出鬼没とまでは思わなかったが、振幅がやたら大きい作り手と感じた。その癖に筆のタッチが均一で作家性はどこまでも色濃かった。

 やがて暗い目つきの工員となり、のたうち狂う鬱屈を一人前に持て余す頃には、ビデオ作品ながら成人映画専門館でその新作が唐突に上映されたりするのだった。休日の危険な真空を埋めてくれると共に、身もふたも無い物語展開で性欲の焔を吹き消した。家庭での居場所を奪われて薄茶色の郷愁に襲われる時期になると、真夜中の居間にひとり逃げ込んで録画しておいた怪獣ものを退嬰的に眺めるようになったのだけど、いつの間にか古巣に戻った実相寺から単発ながらも摩訶不思議な掌品が贈られてきた。メジャーなのかマイナーなのか、職人なのか芸術家なのか、こっちの視線が追いつけなかった。

 合間には池袋でATG作品オールナイト上映にも足を運んだし、コマーシャルで新進の女性タレントの唇にねっとりと紅を差し、羨望と怨嗟の交じる思いに苛まれて散散な正月もあった。『帝都物語』(1988)や『星の伝説』(1990)、『悪徳の栄え』(1988)はどこで観たのだったか、記憶はいずれも虚ろながら、手探れば肉感的な弾力をそなえて返ってくるものがある。存外、同じようなまなざしを実相寺に向ける同世代の人は多いのではないか。

 つまりは同時代的な存在だった。彼の後半生と私たちの前半生は重なってしまう。洟たれ小僧の前で炸裂したテレビジョンの閃光のなかに、青年時に立ち寄った銀幕のほこり臭い面(おもて)に、そして家庭人の前におぼろに灯る受像機に、実相寺はふらりと立ち現われては紫煙のようにその都度揺らめいた。石井隆が逢魔が時に現れる優しい顔した家庭教師だとすれば、実相寺はいつ校舎を訪れても気配が感じ取れる、はたまた進学した先になぜか転任されてくる年齢不詳の美術教師だった。

 「才気の伽藍」の著者である樋口尚文(ひぐちなおふみ)も妖しい匂いが薫る人だけれど、後付けを見れば同世代なのだと知れ、そう分かってみれば読中読後に盛んに頷くところが有ったのも自然なことと思われた。樋口の驚きや溜め息はわたし自身の驚きと溜め息を代弁してくれており、ほとんど乖離するところはなかった。こういう歳月を内在させて、しっくり腹におさまる実相寺関連本は初めてではなかろうか。

 作品に憑かれたようになり、やがて気持ちを侵されていく愛好者は数多いのだけど、その魅力が何たるかを実際に言葉にして綴ることは思いのほか難しい。樋口はこれに挑んで最後まで投げ出さず、見事な額装を仕上げている。単なる資料本ではなく、また、やけに筆圧の高い追悼文でもなく、長年に渡るひとりの観客の内なる感懐を肌の温かみと弾性のそなわった皮膚感覚で表し、最後の頁まで焦らず編んでみせる。表現に奥行きがある。少し抜き出すとこんな具合だ。括弧内は記載頁を表わす。

実相寺の美学は、つくづくそういう光と電気、聖と俗といったものの「あわい」「租界」「中陰」といった地帯を好み、そこに棲んでいたかったのだろう(24) その作り手の位置をとりわけユニークにしているのは、映画とテレビの技術のアマルガムであるテレビ映画独特の手法を一貫して作家性としたことだ(99) 

実相寺の技術的漂泊は、滅びし旧き世界のオーラをいかに新鋭の電子技術のなかに降臨させられるかという「霊気と電子」の主題への傾倒が炙り出されてくる(132) 

高踏的にして確信犯的な「官能と美の殉教者」そのものであったに違いない。しかしその実相寺ごのみの世界は高踏的であれど権威的ではない(159) おおかたの実相寺作品を観る愉しみといえば、ふやけた共感や感動を許してくれない「異物」感との出会いにこそあるのではないか(162) 

 樋口が内部で結晶化させた流麗にして緻密なこれら装飾文の数々は、評論家ならではの長年の蓄積と鍛錬が産み出したものであり、私たち庶民は到底紡げない玄人の手わざなのだけれど、誰もがなかなか口にし得ないでいた実相寺作品のなぞめいた魅惑に対する私的な解答となっていて、感心することしきりだった。「いかに強烈な情交の場面であろうとも低温で鋭角的な技法づくしの実相寺調に乱れはないので、驚くべきほどに扇情的な印象は濾過されている(152)」「実相寺ごのみの女優は痩せぎすで薄幸そうで、しかも低温の美しさがあるタイプが多い(209)」なんて、読んでいて知恵の輪が解けた瞬間みたいな悦びが背筋を走った。明瞭なピリオドが打たれたような清清しさがあった。

 一個の男が濁流に揉まれながらも与えられた生を完遂し切った姿が挿し込まれてあり、伝記という性格もそなわっている。天才は天才なりに、技巧者は技巧者なりに足をすくわれる事もあり、錯乱を必死に押さえ込み、泥を舐めながら組織の渦を懸命に泳ぎつづけ、やがて灼熱の恋をし呼吸を乱し、病と天命を自覚してひとり旅をする、そんな等身大の歩みを私たちは樋口の肩越しに目撃する。

 半ば神格化して見えた美術教師の背中をするすると回り込み、顔に刻まれた皺の深さと瞳の寂しさを再確認してしまった気分でじんわりと胸に充ちてくるものがある。人生ヒマツブシなんて言ってるけど、ヒマをつぶすのもなかなかしんどいよ、おまえも徐々にそうなるけど頑張れや、そう言われている。とんでもない書物が時どき現われては自分を励ますけれど、「才気の伽藍」もそれだった。

 樋口の文章からは真剣なものが絶えず放射されており、副作用が無くはない。実相寺作品を観たその時どきへと時間旅行を連ねたせいだろう、お陰でこのところ有り得ない回想(フラッシュバック)が頭の中を去来してひどく戸惑っている。職場に実相寺が突然現われ、近在の史蹟への道順を尋ねたという狂った記憶であり、その際に迂闊なことに彼であることに気付かないという落ちがつく。どこかで仕入れた偽の思い出なんだろうけど、あまりにも鮮明で困惑している。

(*1):「実相寺昭雄 才気の伽藍 鬼才映画監督の生涯と作品」樋口尚文 アルファベータブックス 2016 
(*2):「闇への憧れ 所詮、死ぬまでの《ヒマツブシ》」 実相寺昭雄 創世記 1977
(*3): http://mixi.jp/view_diary.pl?id=281446280&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=283751284&owner_id=3993869

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