2014年7月27日日曜日

“村木の手” ~『甘い鞭』の終局に関して②~



 凶器を握りしめたおんなが、今まさに面前の誰かを殺めんとする。刹那、別の手がにゅっと伸びて画面を横切り、刃(やいば)持つおんなの手首に躍りかかって惨劇をくい止めるのだった。『甘い鞭』(2013)の終幕にて観客の度胆を抜いた“手首掴み”の描写であったが、これに似たものを私たちは石井の過去の劇画で目撃して来た。

 たとえば【天使のはらわた】(1978)において“手首掴み”は、哲郎(ここでは川島姓)と名美の関係を代弁するように象徴的に繰り返されていた。男の広い掌と指が白い手首の内側の橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっくこつ)、二本の骨を万力のごとく締め付け、挟まった神経と血管をじわり圧迫する。おんなの脳髄には電流が駆け上り、甘い官能と希望の瞬きが宿される。そんな風合いのコマが頁を覆っていた。(*1)

 暴力的行為の渦中に突如割って入り、手を挿し込み、その場からおんなを離脱させようとする生一本の天性を、石井がこの哲郎という男に与えているのは明らかであって、第二部の中盤では妹の恵子に対しても同様の事を行わせている。不良グループの用心棒役となった恵子が、対立する相手に自転車のチェーンを高くふりかざし撃ち下ろそうとした瞬間、頭上から手が伸びて頭髪とチェーンをがっと摑まれるくだりがあった。

 哲郎の明らかな属性として“手首掴み”のバリエーションが盛り込まれてあるのだが、捨て身で蛮行を押し止めたこの兄とその不意の出現に仰天して振り返る妹の、頁一枚をまるまる費やして描かれた両者の構図が『甘い鞭』のラストカットと重なって見えるのは、はたして偶然だろうか。石井の劇を支えるひとつの型、歌舞伎の見得と近しいものと捉えた方が良さそうだ。

 【天使のはらわた】を離れて見渡せば、映画『天使のはらわた 赤い教室』(1979 監督曽根中生)の骨格となった短篇【蒼い閃光】(1976)の幕引きにも“手首掴み”が観止められる。罠に落ちてブルーフィルムに出演させられたおんなが混迷をきわめて自暴自棄に至り、手提げ鞄に隠し持っていた剃刀で自分の手首を切り裂いてしまう。その刃先は男にも向けられ、大きく傷ついた男はなんとか床を這い進んで、虫の息となって横たわるおんなの身体に必死に手を伸ばし、血を吹く手首を摑んでいくのだった。

   【黒い天使】(1981)では、主人公の殺し屋魔世(まよ)を救う手のひらがあった。深夜、駐車場の前を通りかかったところ、見知らぬおんなが乱暴されかけているのを偶然目撃した魔世はこれを見過ごせずに割って入る。暴漢の逃げ去るのを確認して現場を立ち去ろうとしたところ、突然白刃がきらめいて魔世を襲うのだった。乱暴されていたおんながとち狂い、一部始終を目撃した魔世の口封じに男が置き忘れた刃物を拾ってまっしぐらに襲い掛かったのだ。刃先が魔世のみぞおちに吸い込まれる寸前、いつの間にか横に立っていた男(蘭丸)が凶刃を素手でがっと摑み、魔世の命をからくも救っている。

 【蒼い閃光】のフリーライターであれ、【黒い天使】の蘭丸であれ、さらには【天使のはらわた】の川島哲郎であれ、彼らは面立ちとその人格から典型的な石井のキャラクター“村木”の系譜にあると捉えて良いだろう。これら一連のにゅっと手を出しておんなを救出する顛末は石井の活劇の王道であるのだし、このような行為の裏には常に村木的心情とでも言うべき恋慕や執心が注がれていると仮定しても一向に構うまい。

 また、そのような思案の自然な枝葉として、それぞれの“手首掴み”が男女の、村木的な人格と名美的人格の再会の場に起きている点も私たちは頷きながら受け止めることが出来るだろう。当初は衝突したり眼中に置かずにいた相手が、どちらかの窮地に際してこつぜんと現れ、身とこころを救おうと懸命に手を伸ばす。無関心や誤解から散々な初対面となった二つの魂が、それゆえにどこか引き付けあって、今度こそ裏表のない真実の交信を果たそうと試みる。そういう起死回生の流れが、一連の“手首掴み”の根底に視止められる。

 『甘い鞭』の終局を襲った手についての最終判断は観客のそれぞれに委ねられるし、石井も多種多様な受け止め方を喜んでいる節があるのだけれど、人によっては上に引いたような複数の残像から“村木の手”を想起することだろう。しかし、同時に私たちはそれ等の残像が付帯するものゆえに、“村木の手”の否定が厳然としてなされている点をこそ、ここではすくい取る事が可能となるのだし、むしろ求められていると感じる。

 なぜあの手が男ではなく、若い無名の女優の手で演じられる必要があったのか。そうして、なぜ壇蜜がこれを振り返り、その手の持ち主が誰であるかをまったく認識出来ずに終わっているのか。

  男でもなければ、再会という状況でもないのだ。ここでは“村木”の否定がくどいほど語られている。この事を読み手はよくよく咀嚼し、嚥下しなければならないだろう。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)で飛来したマネージャー(津田寛治)の魂のような湿ったものも無ければ、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)の代行屋(竹中直人)のような最期を看取ってくれる熱い腕もない。壇蜜演じる奈緒子というおんなが従来の石井の劇ではあまりない、手の届く範囲からひどく遠くに放り出されたことを示す、なんとも乾き切った終局が示されてあり、二重三重に物憂い。


   幼い魂と身体を自由にせんとする犯罪行為が日々多発し、世を騒然とさせているのであるが、石井が『甘い鞭』を演出するにあたり最後の最後に“村木の不在”を深々と押印してみせたことを、善き読者を自認する者はしっかりと理解し、胸に刻んでおかなければならない。石井の犯罪にむけるまなざしや姿勢がどのようなものか、ひとりひとりが代弁する役割を担っているように私は考えている。調教、理想のおんな、馬鹿を言うな。夢を見るな、そのような暴念の果てに男の立ち位置は残されていない、村木には誰もなれない。そのような無言の叱責と共に、石井の『甘い鞭』は締めくくられている。


(*1):石井の筆づかいは腕を摑まれた名美だけでなくって、私たち読者の生理をも大きく揺さぶるものがあった。読後三十年を経ても記憶にあざやかなのは、そのリアルな肉感がわたしの奥でしっかりした切り口をつくった証だろう。石井のことを劇画家ではなく、絵描きであると感じるのはこういう時だ。








2014年7月17日木曜日

“天使の手” ~『甘い鞭』の終局に関して①~


 風が窓から吹きこんで、腕と頬をやさしく撫でていく。ふさいだ気持ちは和らぎ、人の声が恋しくなってラジオのスイッチをひねってみる。カチャカチャといじっているうちに豪快な話しぶりが耳に入り、これが実に面白くて聞き惚れた。海外の遺跡発掘にまつわる講演の録音で、後で調べてみれば博物館の名誉教授らしい。

 装飾品や納められていた山羊の骨、その背中あたりに置かれてあった鋭利な刃物から推理を飛翔させ、埋蔵の目的や当時の習俗を解析していく。一心に探りもとめた結果、ばらばらだった知識がみるみる結線していき、いにしえの時代の絵姿が脳裏に湧き出てくるのが心地好い。埋もれたひとの心に触れていく嬉しさと楽しさを説いて、熱く伝わるものがあった。

 さて、そのように微笑みつつ耳を澄ますうち、石井隆の映像と二重写しとなる一瞬がおとずれて大そう驚かされたのだった。アクセルを踏んでいた足の力が抜け、車は夜のバイパスをのそのそと惰性で走った。

 山羊と刃物の組み合わせから神への生贄(いけにえ)に違いなく、その遺跡が宗教的な色彩を含んだものと講演者は説明するのだったが、それはさておき氏はここで山羊を殺して神に供する“燔祭(はんさい)”の歴史に触れ、旧約聖書の創世記の第二十二章を引くのだった。神の意思に沿うべくアブラハムがわが子イサクを山へと連れ出し、その生命を絶とうとする。刃物を振りかざした瞬間、天使が空から舞い下ってその手をがっと摑んで止めた、と老教授は聴衆にむけて語った。

 その後、一匹の山羊が草むらより現われ出で、それをアブラハムは捕まえて神に捧げる顛末なのだけど、刃物を持つ手、それをがっと摑んで止める手というのは、瞬時に石井の『甘い鞭』(2013)のラストカットと結びついて私を雷撃したのだった。イサクの燔祭については映画かテレビで観て知っていたが、天使が降臨して手をがっと摑んで止めた記憶はない。不意を突かれた形となって呼吸が乱れた。


 自宅に戻って書棚からほこりだらけの旧約聖書を引き抜き、二十二章に目を通す。やはりそうだ、天からの使いは明確な姿を刻んでおらず、声だけをもってアブラハムを制止している。写し書けば次のような具合だ。

「そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。」

 手をがっと摑んで止めるという具体的な景色は、ならば何処から現れて考古学者の胸に宿ったものだろう。一個人の想像にしては明快で、自信に溢れた断定口調だ。細密画を間近で見るような臨場感があった。

 調べてみれば実はまったくその通り、“絵”なのだ。イサクの燔祭を題材とする絵画は星のごとくあるのだけれど、そのいくつかに神の使い、すなわち天使がアブラハムの手を摑んでいる様子が見てとれる。原文に忠実であろうと努めるものにはそこまで踏み込んだ荒々しい描写は無いのだけど、幾人かの天才たちが越境を為し遂げ、五感を揺さぶるイメージを付与している。強靭な印象をもたらし、きつく捕縛して、原典以上の物語性を多くのひとの内に注いだのであり、おそらくはラジオの講演者もその囚われ人の一人に違いない。

 特にカラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio、ルーベンス Peter Paul Rubens、レンブラント Rembrandt Harmensz. van Rijnの三者が描くものが壮絶だ。不意討ちされ、驚愕して手の方を振り仰いだアブラハムのゆがんだ頭や顔の描写も加わって、劇的効果を押し上げている。角度や構図は相似形となっていないが、この緊迫した時間と大気は確かに『甘い鞭』に通じる。

 石井隆が幼少年期に父親の書棚にあった絵画全集に親しみ、劇画世界にそれらのイメージの植生を試みていることは以前書いた。(*1) たとえばルーベンスは劇画【天使のはらわた】(1978)の極めて大切な背景に採用されているし、ティントレット Tintorettoは【赤い眩暈】の黄泉回廊となって融け入っている。『甘い鞭』のラストを襲った劇甚な描写の素地として、絵画「イサクの燔祭」のうちのどれか一つが在ったとは考えられないだろうか。

 もしもそうであるならば、『甘い鞭』の血の饗宴は違った光を新たに加えるように思う。“原典”にはなかった天使の飛来、その現実化と肌への接触を果敢に盛り込んだ画家たちと同等の試みを石井は最後の最後に“原作”に付け加えて、自分なりの“宗教画”を完成させて見えるのだし、少女期からひどく破壊され続けてきた奈緒子(間宮夕貴/壇蜜)の元に天使が飛来したという絵解きは、切実で胸に重い感動をもたらす。

 さらにその天使が奈緒子や私たちの前にうつくしき全貌を現わすのではなく、女の手のにゅうっと突き出た、むしろ悪魔的、悪夢的と呼んでも構わないだろう形で途切れているのも無残な余韻を孕む。宗教的な要素を組み込みながら、どこか冷めたもの、拒絶する姿勢がある。


 石井隆という作家は神の不在なること、奇蹟を待ちわびることの不毛を百も承知で物語をつむぐのであるが、霊的なものの追認や奇蹟の顕現を希求せざるを得ないぎりぎりの局面へと登場人物が追い詰められると、それに対して直接的ではない、遠回しの描法で“何か”を投じようとしてしまう。本来見えないものを見る、そういう段階へと人が導かれていくのだけど、世にあふれる多くの創作劇においては甘やかな勝利とも、燦然とかがやく報酬とも受け止め得るそのような奇蹟のビジョンが石井の劇にあっては徹底して惨たらしく、悲しく描かれていく。狂気の淵だけにしか奇蹟は顕現せず、救済も伴わないのではないか、という透徹したまなざしに染まっていて、一貫して厳しいのだった。

 そうか、あれは天使の手だったか、と膝を打っておきながら、半時間も経つと周囲は闇に包まれ、自信が揺らいでしまう。ぽつんと置いてけぼりを喰らってしまう。とんでもない作り手だと想う。けれど、面白い走者ともやはり思えて、その遠ざかる背中に目を凝らしながらのそのそと追いかけている。 

 
(*1):いずれもmixiにて
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=162461817&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157072984&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1157506539&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1164603675&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1160474777&owner_id=3993869
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1162358990&owner_id=3993869

引用した絵画は上から
The Sacrifice of Isaac  Caravaggio 1603
Sacrifice of Isaac  Peter Paul Rubens 1612-3
Abraham and Isaac  Rembrandt  1634








2014年7月6日日曜日

“恐いもの”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(3)~



 喫茶店で休憩していた折、怖い思いをした。いや、怖い思いをさせてしまったと書くのが正しいのか、そのあたりが微妙だ。入口のそばで、最初から落ち着かぬ席だった。店内は程々の混み具合で、そのなかで私と友人とは明け透けな会話を続けていた。亡くなる人がそろそろ周りに出始め、上辺だけの空疎なお喋りは虚しい気持ちが互いの中に育っている。

 ドアを開けて入ってきた二人連れが空いたテーブルに寄ってきて、どっちがどの席に座るかをめぐって言い争うのが聞こえた。声の主はいずれもおんなで、親娘なのか姉妹なのか分からないが、背中越しに聞こえるくだけた調子からすると家族に違いない。

 この距離では会話は筒抜けだと感じた。それでも私は言葉を選ばず、話題を回避せず、危うい単語を混ぜながら談笑し続けたのだった。通り魔やストーカー事件にも触れたし、人間の二重性についても踏み込んで話した。わずかながら露悪的な気持ちもあったかもしれない。背後で草葉が風で揺れているような、息づく感じが続いていた。

 帰る時刻となって私たちは席を立った。セルフサービスの店であったから、ゴミ箱に近い友人がテーブルの上に置かれていたものを片付けに行ってくれ、私は出口方向へと身体を回し、一歩踏み出したところだった。悲鳴にも似た声が唐突に腹の高さから逆巻いて、それも私へ投げられているのが分かって大いにうろたえた。おんなふたりが揃ってこちらへ顔を向けているのが瞬時に分かった。「こわい」ではなく「こわいぃぃ」と語尾を変にのばす声で、こちらの顔を凝視しているようだった。

 ようだった、と書くのは正確には覚えていないからだ。半端な態度をしてしまったせいだろう、私のなかに居座る残像、夏服でテーブルに腰かけ、こちらを見上げるおんな二人の像は、共に白いお多福の面を付けたようであって奇怪なものとなっている。ちゃんと立ち止まり睨み返してやれば良かったのかもしれないが、あの時のわたしは突然の奇声と真顔での凝視に耐えられず、彼らの目をまともに見返すことが出来ないまま逃げるようにして店を出ている。

 そんなに恐がらせる話をしたろうかと先の時間を反芻してみても、それ程のこともないのだった。確かに昨今の残虐な事件に触れ、それを題材にした小説に触れ、鬼畜だの投身だの、寒々しい単語は並べたのだがそれが何であろう。もしかしたら、私自身の顔なり身体なりに恐怖するものがあったのだろうか、という考えに行き着いてにわかに青ざめたのは、友と別れて大分経ってからだった。おんな達の少なくとも一人は、私の顔か背後に“何か”を見たのではなかったか。いい気になって廃墟や被災地を歩き過ぎたからか。いや、若い時分に自身の弱い性格を嫌悪して、鬼でも何でもいいから舞い降りて自分にとり憑いてくれ、そして力溢れる男にしてくれと昏い夜道で祈ったせいか。

 自宅に戻って洗面台の鏡に向かいつぶさに視てみたが、疲れた中年男が映るだけで特段どこかが腫れているわけでも、湿疹が生じているのでもない。人知のおよばぬ超自然な視力をどうやら授かることのなかった私には、見えないものはとことん不可視のままである。「こわいぃぃ」と叫んだおんなが何を見たのか、知る術もなければ知る必要もあまり感じない。どうせなら毛むくじゃらの悪魔ではなく百太郎のような美形であって欲しいと願わないでもないが、考えてもどうしようもない、見えない以上は手に負えない遠い次元の話だ。一応恐いから念仏を何度か唱えて、それで忘れてしまおうと思う。むしろ今は、そこら一帯に“何か”を見てしまい、その度に肝を冷やしているだろうあの女性を不憫に感じる方が気持ちの中で強くなっている。

 さて、先月末に石井隆は『GONIN サーガ』(2015)を撮り終えており、今後ポストプロダクションに注力して来年の公開を目指すのだろうけれど、この『GONIN サーガ』は『GONIN』(1995)の続編に当たっていて、両者の間には約二十年の歳月が横たわっている。思えばこの間に石井の筆づかいは、微妙に進化を重ねている。いつでも旧作を鮮明な画像と音質で楽しめる時代であるため、これまで未見であった若い人が『GONIN』を初めて手に取り、自宅で驚嘆のまなざしで観賞することも多いだろうと思う。気持ちもさぞかし踊るだろう。そのようにして旧作の『GONIN』の残像をあまり引きずり過ぎると、きっと来年に戸惑うことも起きそうだ。正統な続編に違いはないが、二十年の歳月は石井を変え、映画システムを変え、世界を別の色に染めている。

 たとえば普段は“見えない何か”の描写についてもそれは言えるのであって、特に2000年以降の作品はこの辺りの振り幅が大きい。『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)では泥酔が、『月下の蘭』(1991)では高熱が引き金を引いて幻影を生んでいたし、『死んでもいい』(1992)や『ヌードの夜』(1993)では不安や恐怖心が夢か現か判別できない時間をもたらしていた。続く『GONIN』で竹中直人が見る家族はあきらかな狂気による産物と観客にも示されていたから、この辺りまでは誰の目にも分かりやすい様相を呈している。

 ところが『花と蛇』(2004)あたりから石井はその分かりやすさが物語の勢いを削ぐと感じたのか、それとも、人物の内面により踏み込んだ描写に徹する目的だろうか、境界線を明瞭にしないまま“何か”を見せることに物怖じしなくなっている。『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)、『フィギュアなあなた』(2013)、『甘い鞭』(2013)と、その傾向は強弱の波はあるけれどずっと続いている。

 幻視や狂気する人物のふところにダイヴして、その迷走に私たちは同行させられる。彼らが見るものを説明なく見せられ、その事の衝撃と哀しみに共振していく。分かりやすさを追い求め、自ら袋小路へ歩んでしまった感のある平坦な映画づくりが多い中で、石井はなかなか登攀し得ない人の魂という岸壁を独り目指して見えるし、血まみれになってはり付いて見える。本来不可視であるべきものを見てしまったり、追いすがっていく人のこころを不憫と感じ、愛しく感じ、そこに寄り添おうと努めている。

 2015年という、この国の未来の透明度がいよいよ減じて不安定この上ない時期に『GONINサーガ』は産み落とされるものであり、石井隆という作家の二十年分の澱(おり)なり皺なりをも反映した顔に当然なる訳である。あれが違う、あの頃は良かったといった懐旧に陥ることなく、新しい鼓動に耳をすませることが肝心だろう。わたし個人とすれば、こわいぃぃ、こわいぃぃ場面が続き、劇場をへとへとになって出る羽目とになる新しい『GONIN』であることをこころから願い、今からあれこれ夢見てしまっている。






2014年7月5日土曜日

“砂伴霖(サバンナ)”~『GONIN サーガ』第一報を読んで(2)~


 数ヶ月ぶりに沿岸の町へ足を運んだところ、道路の修繕が一段と進み、片へりには黒々とした毒蛇のごときケーブルを先に這わせたコンクリートの柱が立ち並んでおり、復興の手がいよいよ此処にも届いたかと大層驚かされた。茫洋とした真空地帯の面持ちは既にない。大型の工事車両が威勢よく行き交い、海岸線に目を転ずれば建設途上の白い防波提が万里の長城よろしくどこまでも連なり、異様な迫力をもって目に映るのだった。巨大な資金と労力が投じられた凄いものを見せつけられている感じがして、胃のあたりがざわめく。

 もっとも手品のようにするすると空中を渡って流れる電線の、分岐し、繋がっていく先は、一階をやられ、かろうじて二階部分で踏ん張りながら人が暮らしているらしい様子の数軒の深傷を負った家があるばかりであって、新築は見当たらない。黒い波の記憶に果敢に抗って郷里を再生せんと発奮する国や県の想いは伝わらないではないのだけれど、元々が過疎化の加速していた場処であったし、正直な話、このあたりの土壌を測ればやや高い数値が出るとも聞いている。以前あった町並みがすっかり元に戻るまでの道のりは、想像を超えた年数が必要かもしれない。

 業者以外の影がなく、道の左右は空き地となっている。瓦礫が取り除かれたざくざくした泥土から建物の基礎部分だけが鎖骨のように突き出し、海風に吹き洗われながら痛々しく陽に晒していた数ヶ月前までの平野が、いまや野辺になっている。視線の遥か先には陽の光に照り輝く堤の尾根(おね)がうねうねと続いているわけだが、そこまでは膝下ほどの背たけの夏草が隙間なく生え、緑色に埋め尽くしているのだった。人の倍ほどの高さの樹がところどころに、それもまばらに一本、また一本という具合に佇立し、左右対称に枝を伸ばしている。もちろん新たに植えられたものではなく、あの天災を生き残ったものである。この風景を前にして外国に来たようだ、アフリカのサバンナのようだと語るひとがいるが、確かに写真や映画で見るあの感じにひどく似ているのだった。

 間近で見たそんな奇妙な光景と、先日来ずっと考え続けている『GONIN サーガ』(2015)のことが頭の奥でくっついたり離れたりして、私のなかで渦を巻いている。石井の劇の原風景とどこか哀しく重なって見えた。たくさんの命が奪われた現実の地と、切った張ったの娯楽映画とを連結させて考える私の病癖に対し、不快を感じる人は当然いるに違いないけれど、わたしは石井世界を単なる夢の話とは捉えておらなくって、心の拠りどころ、いや、取り外しの利かない回路のようにして過ごしている。石井世界を考えることは自分を知る術であり、世界の淵に指先を伸ばして何かの端っこをつかみ取る方策である。

 表面上は可視できない領域となってしまったが、この草むらは長らく住まった人の、たくさんの係累が連れ去られたままとなった場処に違いはなく、そこを歩きながら、だからこそ余計に強く家族というものへ思いが馳せたのだった。突如生まれたこのサバンナには、記憶が確かに埋っているし、破壊された“家庭”が草の奥からそっとこちらを覗いている。

 振り返れば石井映画のほとんどが、可視化し得ないものとして家族を扱い、はたまた可視し得ない涯へと家族を追い込んでいる。冒頭で激甚な災厄が襲い狂って徹底的に破壊されるのだし、または、それさえ描写する暇も無く、あらかじめ解体されてしまっている。生き残った家族へも風が吹き寄せて、か細い炎はゆらめいて至極不安定だ。この執着は奇妙ながらも石井隆という作家を貫くひとつの特性、感性として無視出来ぬ点であろう。

 たとえば『死霊の罠』(1988 監督池田敏春)での怪人や『GONIN』(1995)の根津甚八と竹中直人なんかが演じた男たちは、すでに消散した家族の記憶を背負いつつ物語に登壇するのだったし、『月下の蘭』(1991)、『黒の天使 Vol.1』(1998)などでは幕が開いた直後に家族は殺害されていく。『ちぎれた愛の殺人』(1993 監督池田敏春)にしても『死んでもいい』(1992)にしても家族は散り散りになる間際にあって、実際そのような道をたどってしまう。

 『フリーズ・ミー』(2000)、『フィギュアなあなた』(2013)では、主人公の苦境を救えたかもしれぬ家族は遠い田舎住まいであって、話すにしても電話の受話器越しに当たり障りのない内容をもぞもぞと交わすだけであるのだし、『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)にあっては、せっかく母がいて姉がいて、父親らしき存在さえあるのに彼ら自体が鬼畜の振る舞いで主人公の精神を圧壊させてしまう。ここまで家庭を消失させることに尽力して見える創り手は、東西を見渡しても稀有ではないか。

 『夜がまた来る』(1994)は苛烈な体験の数々がヒロイン名美(夏川結衣)を襲うのだったが、なかでも慄然とさせられるのは夫(永島敏行)が殺害され、火葬を終えた直後の場景であった。整頓し、小さな後飾りの壇を設けて骨壷と遺影を飾ったばかりのアパートの一室に名美とは別の人影がある。夫なのか名美なのか、どちらの係累にあたるか分からぬが、身振り口ぶりから近しい血筋の者と知れるのだったが、打ち沈む名美を独り置いて彼らはさっさと退場し、それを待ったようにして悪漢数名が部屋へ入り込んで暴れまくるのだった。家族というものが、係累というものがこんなに無力感を持って描かれる場面はあまり無いように思う。

 家族を追い立て、打ち倒していくことに作者がこだわる背景にあるのは、怨憎ではなくって、その逆の愛情なり憧憬が在るように感じ取っている。あえかに、けれど執拗に家族への回帰を望む吐息が全篇に薫る。『GONIN サーガ』を演出するに当たって石井は “家族たち”という語句を繰り返す、これまであまり見ないコメント(*1)を寄せているのだが、それは甘ったるい話を書くということで決してなく、凄絶な生き死にを通じての、肉親への裏返った愛慕の発露がこれまで以上の勢いとなって芽生え、萌えあがり、紅蓮の花弁を付けるという予告であろう。足元に埋もれた黄泉をひたすら覗きながら、野獣の群れなすサバンナを自らも野獣となって疾走することの宣言だろう。それを想うと今から緊張が避けられず、もの恐ろしい気分に包まれている。

(*1): http://www.cinematoday.jp/page/N0063839