2013年11月20日水曜日

“深淵を覗く者”


 
 遅い時間に夕食をしながら、録画しておいたテレビ番組を眺めた。幼少時に親しんだ犯罪ドラマのリメイクで、懐かしさと好奇心が背中を押したのだった。けれど、これが予想以上に生々しい殺人描写の連続であり、陰惨な感じの筋運びと画面づくりにほとほと閉口した。閉口しながらも茶碗を置いて、しばし見惚れてしまった。
 
 『深淵を覗く者』(*1)という題名であったのだが、登場する捜査員たちは死者の大量生産に嫌気が差しているのだったし、中のひとりは己の病的な探究心を持て余し、仕事も身体も何もかもを放擲(ほうてき)する寸前に追い込まれる。ぎりぎりで踏みとどまって生還を果たすものの、最後まで酷い“ぶれ”は続いていく。人の内奥で繰り返される異常な加圧と減圧が描かれていて、どこか石井隆の劇と通じる気配があった。

 大団円の場に選ばれたのが、石井の『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)で重要な役割を担う代行屋(竹中直人)の、住居兼仕事場とそっくりであるのも面白かった。今は使われておらない人気(ひとけ)のない工場であり、壁にはくたびれた外階段が蔦(つた)の張り付くようにして伸びている。その先の最上階は、かつては代行屋の仮寓(かぐう)だった訳なのだが、今度は犯人の隠棲する危険な巣穴と設定されていた。思わず食事をやめて見入った理由としては、実際のところ、こちらの方が大きい。

 そうして気付くのは、見捨てられて埃だらけの殺風景な部屋に、一方は無表情の犯罪者が居つき、夜な夜なおんなたちの殺害方法を試行錯誤するのに対し、石井の創った場処では寄る辺ない魂ふたつが出逢い、声を交わしてお互いを励ましていくのだったし、ついには身体を重ねる奇蹟さえ起きてしまう、その“柔和(やさし)さ”なのだった。

 殺人鬼の部屋には、華やかな舞台から引きずり降ろされ、今は実験台となって日々焼かれ、切り刻まれていくマネキン人形が何体も淋しげに置かれてあったのに対し、石井の最近作『フィギュアなあなた』(2013)ではそんな用済みのマネキン人形を慈しみ、守ろう、救おうと奮闘する男が描かれていた、その事の“寂しさ、切なさ”なのであった。

 逃げ場を失った犯人が怪光線を自らに向けて照射し、紅蓮の炎につつまれ死んでいったのに対し、石井の描く村木哲郎という、これもまた孤独な身の上の男は、寒々しい空間に置かれたテーブルにぽつねんと座り、涙ぐみながらも懸命に箸をあやつり、めしを口に運んでいった、その事の“強さと哀しさ”であった。

 廃墟となったビルや工場をロケーション先に選んだ場合、大概の創り手は悪鬼なり外道が跳梁跋扈する伏魔殿に変えてしまうものだが、石井隆という男はその逆に、いや、そのような“背景”にこそ、邂逅と恋情、救済と復活といった明明(あかあか)とした生命の焔を持ち込もうする。“地際(じぎわ)に近接した目線”が、堕ちた人間をおだやかに見守っていて、本当に特別と思う。

 冷えてしまった味噌汁の椀を唇に寄せ、のど奥に流し込みながら、石井の劇のこの世に存在することはつくづく有り難く、救われるような気がするのだった。


(*1):「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル 第4話 深淵を覗く者」 脚本 小林弘利 演出 鶴田法男 美術 池谷仙克 2013





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