2022年2月23日水曜日

敗北の歴史

 


 肉親の死を通じてようやく宗教との間合いを縮め、その教義やしきたりにつき真顔で向き合う時間を持てている。それまでのわたしはどちらかといえば無神論者であり、宗教、ここでは明確に仏教と言い切った方が自然だと思うが、斜に構えてぼんやり眺めるばかりだった。春秋の彼岸やお盆には先祖の墓を清掃し、手を合わせることはしたけれど、本音を言えば義務感からやっていただけでお寺という存在がすこし疎ましかった。

 磨崖仏(まがいぶつ)や横穴墓をよく訪ねるし、散歩がてら墓所を歩いたりもして、世間から隔絶した宗教空間に浸るのは好きなのだが、実生活に関わりだすと強い抵抗を覚えた。先祖の墓を守るということは精神的に縛られ、外(ほか)の地方に住まうことを邪魔し、海を越えて生きるという可能性を諦めることになる。いや、実際にそうする度胸もなく、家族というしがらみを絶つ放埓さも自分は最初からそなえていないのだけど。要するに覚悟も何も出来ていないものだから、寺を毛嫌いしたということか。簡単に折伏(しゃくぶく)されてなるものか、という幼い気概もあった。

 亡き親族との会話を思い出すと、そのなかに寺に対する意識についてのやりとりがあって、苦い場景として度々脳裏に再生される。寺の門徒会の役職は世襲制であるから、原則自分が亡き後はおまえが継ぐことになりそうだが、その意思がおまえにはあるかどうかと尋ねる声に幼稚な言葉を即座に返している。経文(きょうもん)の内容、特に天国の記述がリアルに感じられず到底信じ切れない、どうしたら純粋に信じられるだろう、正直言って寺に前向きに関わりたいと思わない。黙ってこれを聞いていた故人の、瞬きをせず鎮かにこちらに注がれていた瞳の深い色彩と面持ちを忘れることが出来ない。がっかりさせたかもしれない、悲しませたのかもしれない、今更ながら罪なことをしたと悔やんでいる。

 ここしばらくの弔事を通じて、また、寺の年間行事に何周か足を運んで神妙な顔で着座し、さらに疑問や興味から関連する書籍を選んで自宅で読み進めるうちに、この世界観も満更でもないという気持ちに至っている。宗教家という存在の内実が凡人同様に不安や揺らぎに満ち溢れ、必ずしも鉄壁の信仰を抱いているのではない事がだんだん分かってきて、垣根が低くなったというか、眩しさが薄れてきてかえって居心地が良くなった感じがする。

 たとえば、ある仏教思想家は以下のように自身の若い時分の宗教観を綴っている。「お浄土といふものが解らないのであって、浄土とか地獄とかいふような話は昔の偉い人が好い加減に何かの方便でいつたものであらうといふような考へを持つて居つたのであります。」(*1)  なあんだ、こんな高名な識者も自分と同じ立ち位置から出発していたのか、と肩の力が抜けて嬉しくなった。

 また、親鸞(しんらん)が六角堂夢告という出来事を通じて吹っ切れたことを学び、さらに親密さを覚えた。六角堂夢告については長くなるからあえて詳しくは触れずにおくが、百日弱の長い参拝の末に聖なる存在を夢のなかで面前にしてしまった親鸞という男が、その映像と声に背中を押されるようにして次のステージに登っていった、思い切り端折ればそういう話だ。

 過去に悪行を為した者さえも心根次第では救われるという、世界でもめずらしい寛容な浄土信仰を組み立て広めていく宗教家の礎に「夢告」があった点が興味深いが、その夢の内容が「女犯(にょぼん)」に触れたものだったのも面白い。宗祖の活動のほぼ起点において当時聖者にとって悪行の極みといわれた異性との触れ合いや交わりを全肯定し、さらには実践に踏み切った事実も合わせて知り、実に鮮烈で気持ちに真っ直ぐに飛び込んできた。ああ、なんて生臭く、弱っちくて、陰影の濃い信仰だろう、いや、信仰と書くと偉そうになる。実際は切実で極私的な懺悔と祈りとが堆積する、相当に黒々とした場処なのだった。そういう事であるならば、倫理的に脆弱なこんな自分のような馬鹿者の居場所も見つかりそうに思われた。

 同じ過程で手に取った石田瑞麿(いしだみずまろ)の本は、中世の僧侶と戒律の関係、特に異性との交わりに関して徹底蒐集してみせた労作であったが、「敗北の歴史」と評していて、読んだ時には暗然とした気持ちを味わった。「戒律の問題としては、殺生や盗みなど、重罪とされたものは外にもある。ただ、出家がこれらを犯した事実は実例としては、姦淫に比較すれば、物のかずではない。性欲の問題はそれだけ身近で、誘惑の度合は強い。その誘惑に勝てなかった出家の姿を洗いざらいぶちまいて、戒律がいかに根づきにくいものであるか、これを書くことによって、痛いほど思い知らされた」と石田はあとがきに記している。(*2)

 わたしは僧職の身ではないけれど、もしもそういう宿命を帯びて中世に生まれていたならば、多分相当に苦悩して自己崩壊を来たしたように想像される。振り返れば性愛に対してわたしは敗北につぐ敗北を重ねてきた。その都度、さんざんに穢れ尽くして鬱鬱とした気分を味わってきた。そのような汚濁した魂を自覚していればこそ、聖なる寺院を最終的な寄る辺とする気持ちになれなかった、そんな風にも自己分析している。肉親に対して経文(きょうもん)中の天国の記述うんぬんを示して抵抗してみせたが、本当のところは愛欲と官能に溺れ続けた身で神仏に額(ぬか)づくことが恥ずかしくて怖くて仕方なかったのだ。

 親鸞が厳しい修行を経て「夢告」を授かり、戒律破りの妻帯(さいたい)という大胆な転換を自ら行なうとともに、これを旗印にした信仰集団を育ててくれていなかったら、そしてこれ等の生臭く、弱っちくて、陰影のある行程を後継の僧たちが覆い隠し、衆目に晒さずにいたなら、わたしが肉親から継いだここ最近の宗教初心者生活はあまりに眩しく、立派過ぎて、どんなにか心苦しかったか分からない。

 笑われるに違いないけれど、私にとって今や親鸞は我が人生の頭上に石井隆と並び立ち、どちらもこんな自分でも良いんだよ、どんなに穢れたってだいじょうぶだよ、人は人に惹かれ、触れ合いに溺れ、五感を満たす性愛に生きる歓びと苦しみを味わう存在なんだよ、全然おかしくないんだよ、駄目でいいし、駄目が普通なんだよ、と呼び掛けてくれる大切な存在になっている。


(*1):「浄土の観念」 金子大榮(かねこだいえい) 文栄堂 1925 2頁

(*2):「女犯 聖の性」 石田瑞麿 筑摩書房 1995 あとがき 218頁


2022年2月5日土曜日

濃霧

  それは無いなあ、と言下に否定されてしまい、すがすがしささえ覚えた。その人は山を愛しており、年間を通じて登攀やロッククライミングに没頭している。

 彼がよく通うという絶壁まで物見遊山したことがあるが、車道からかなり奥まった処にあって、低地とはいえ尾根伝いに細道を歩かされて難渋した。人里から離れてそんな山ふところに入ることなど自分の生活にはほとんどなく、案の定、道に迷ってべそをかきながら行きつ戻りし、軽率にも平底の靴で登ったせいで足を滑らせ、あげく不安定な石がはずみでごろごろ転がって来て我が背中を叩くなど実に散々であった。

 あの数倍の距離をさらに分け入って深山幽谷を果敢に歩きまわる彼ならば、「何か」を見たり、聞いたり、触れたりする時間、すなわち山の怪(かい)に遭遇することも時折あったのじゃないか、そのように尋ねたのだけど、出会った記憶は無いとあっさり返された次第である。

 鬱蒼とした林に踏み込んでいくと、私などはたちまち背筋がぞぞぞっと寒くなる。中岡俊哉(なかおかとしや)の心霊本とか南山宏(みなみやまひろし)の宇宙人の本を子供のころに読み過ぎたせいで、独りでいると背後に誰か立っているように感じられてならないし、樹木の陰から銀色の服を着た化け物が飛び出して来るような気がする。修験道とかで何十日も山に籠っているうちに神秘体験をするというじゃないか、君にだってこれまで全然ないという事はないだろう、探せばきっと何かあるのじゃないのか、と、しつこく喰い下がった。天狗とか、山女(やまおんな)とか、不思議な話をあれこれ聞くじゃないか。

 それはさ、自分たちは「ぎりぎり」まで行かないからだよ。生死の境まで行くのが修験道だろうけど、そういう「ぎりぎり」にならないように計画を立て、無理をしないで山に遊ぶことが登山の理想だし務めだよ。奇怪なものを見たり聞いたりするのは、最初から行程に無理があったり、体力に見合った山を選ばないからだな。

 物静かな口調でそのように説かれると、確かにそういう感じもしてくる。達人の言葉というのは説得力がまるでちがう。実際の野山には怪奇現象など皆無なのかもしれない。

 与太話に翻弄されて幼稚なことを口走ってばかりいる友人を哀れみ、しょうがないから付き合ってあげるといった風情で彼は話を続けた。そういえば一度だけあったよ、幅1メートルもないような狭い尾根を登っている最中に濃厚な霧に出くわした。もう牛乳の中を泳ぐような具合で、足元も何も見えないんだ。さすがにこれは足を踏み外して転落するのじゃないか、と慄(おのの)くぐらいの濃い霧だったな。

 それから数年後に別な山を登っているときに同じような濃霧に遭った。その時、時間と空間の感覚が飛んでしまって、自分が何処にいるか皆目分からなくなったんだ。数年前のあの険しい尾根で立ちすくんだ時のように思えて、意識があの瞬間に完全に舞い戻ってしまった。今日此処に至った道中の記憶がきれいさっぱり失われて、数年前の自分になっていた。幻覚とか幻聴ではないけれど、あれは不思議な感覚ではあったなあ、と彼はやさしく微笑んで、今夜何杯目かになるココアを口に運んだ。