葬儀に臨んで、読経ではなく“手向(たむけ)”または“手向けの曲”という尺八の古典曲を耳にする事がある。名前のとおり霊前に奉げるものであって、その調べがもたらす功徳は経文と同等と言われている。誰もがこうべを垂れ、故人との出逢いの日やその時どきの表情を思い出す時間となり、風が止まり、会場の気密がぐっと高まる気配がある。おごそかな、けれど丸みのある気体に充たされていくのが分かる。風を切る音が染み入るように、時に烈しく胸に飛び込んで記憶の蘇えりを手助けする。不謹慎かもしれないけれど、いつも通りの式よりも随分と得をした気持ちで家路につく。
尺八の知識を持たず、“楔(くさび)吹き”とか“虚(うつろ)吹き”といった奇妙な呼び名の奏法、“横ユリ”、“縦ユリ”といった技法なんかもあるらしいのだが、どの部分をもってそのように称するのか見当がつかない。そもそも演奏の良し悪しには強い興味はなく、音曲自体が具えた記憶なりイメージの喚起力とその刹那がなにより愉しい。曇り空の下に横たわる枯野やびょうびょうと広がる海原やらが脳裏に出現し、皮膚のうえにいつしか堆積した穢れや重い腐臭をさっと削ぎ落としてくれるような居心地の良さがある。聴くひとによって頭に描くものは様ざまであろうが、いずれも生と死の境界をほんの少しだけまたいで見る束の間の奇蹟と思う。
大概の場合において奏者は独りだが、稀に数名での合奏もある。そのときは首や肩を懸命に震わす演奏者たちの半身ばかりが目に吸いついて、どこにも景色は出現し得ない。弔歌の色合いがぐんと強まり、焦点が現実世界でとどまってしまうせいだ。勝手気ままに滑空する次元とは距離が置かれる。そういう時は大切な背中を人ごみで見失ったような具合で、なんとはなしに虚しい。
俳優 根津甚八の追悼する小特集が先月雑誌「キネマ旬報」(*1)に組まれたのだが、これを読みながら脳裏にまざまざと景色が浮び、四人の執筆者が順繰りに“手向けの曲”を奏でている、そんな連想を抱いた。聞き書きもあれば寄稿もあるのだけれど、編集する側が気を遣った痕が見えてどの声も断裂することなく滑らかに連結して全体としてうつくしい。小さいけれど繊細な祭壇が仕上がっており、単なる読者が偉そうに何なのだけど、立派な仕事を見せてもらったと思う。
21歳の根津を麿赤兒(まろあかじ)が語り、30歳の桧舞台を野上照代が回想し、33歳の円熟のときを柳町光男(やなぎまちみつお)が振り返る。ひとりの男優が芽を出し、茎を伸ばし、花を咲かせていく様子が天幕いっぱいに映されるようであり、ひとの一生は一本の映画と思えるし、ひとり一人が色違いのバトンであり、同時にそれぞれが地縁の禍福を託されて走るランナーとも思う。
映画監督であれ、職場での差配役であれ、また、家庭においての親なり家長も似たようなものだ。内面に独自の宇宙を育て、唯一無二の存在である人間とその人生を託され、ぎゅっと握って駆け続ける立場になるのは嬉しさ以上に責任の重圧が大きくあって、実にしんどい時間ばかりだ。形相も自然とけわしくなる。
根津甚八が蜜をしたたらせる男盛りの43歳に至ったころ、ついに石井隆は出逢いを果たして、バトンを託された走者となった。一本の映像『月下の蘭』(1991)を作り上げ、これを起点として根津は“村木”もしくはその血筋に当たる男の姿を創り続けていくのだが、これまで開示されてこなかった両者の邂逅のさまが石井の書いた文章でようやく明らかになっている。石井世界に惹かれる者は玩読することを勧めたい。人と人との交差は運命としか言いようがなく、怖ろしくも体温のきわめて高い連結と分かる。それはまさに石井隆の描いてきた世界ではないか。石井作品は作者自身の歩みが投影されやすいし、その事を石井は強く否定していない。私たちは幾多の生々しい人生と常に向き合っていることを意識して良い。
真情こめて訥々と語られていく石井の“手向”を読み返していると、近作『GONINサーガ』(2015)に何を注ごうとしたのか改めて深まるものがある。最終走者としての自覚が石井のうちに余程なければ、『GONINサーガ』(2015)においてあのような根津の描写はなかったのではないか。ひとが誰もそうであるように、根津という芳しい果樹はやがて乾いて曲がり、苦しみつつ萎んでいくのだったが、その頭頂にあざやかに染まった固い種子を実らせていることをずっと石井は知覚し続けたのじゃないか。その結実を信じればこそ、あのような作劇に挑んだのではなかったか。
『GONINサーガ』において私たちは柄本祐演じる警官が黙々と病室を再訪し、昏睡状態から覚めない根津の枕元に寄り添い続ける様子に石井独特の“不自然さ”を目撃した。かつての作品の木霊を森澤というこの若い警官の設定や物腰から聞き取り、ほのかに発散される村木の衣香を嗅ぎ当て、この警官が村木的宿命を負った男と捉えた。世代交代劇の面差しを感じ取った。(*2)
しかし、その男が大団円にて瀕死の重傷を帯びながらも拳銃を離さず、名美的色彩を帯びたおんながからまる指をなんとか外して取り上げ、危機を脱しようと目論んで結果的に男の腕をささえるような姿勢に一瞬なったことと、おんなの血筋に当たる存在が雨のなかに突如出現し、根津の弱った腕をくいっと支え、一発必中の弾丸の射出を行なって物語を締めくくった姿には共振するものが認められる。
石井の劇空間を俯瞰して見ると、そこにさまざまな共振なり呼応が見つけられる。登場人物の関係性、台詞や道具、衣装といったものに呪術的とさえ形容しても大袈裟ではない仕掛けが数多く組まれるのは承知の通りだ。読み込んでいない観客の幾人かは縮小再生産と口さがなく言い連ねたりもするが、もともと石井の劇の特性には“反復”が色濃く具わっている。再訪、再来、再現、再録、再犯といった物狂おしいまでの繰り返しが見受けられる。そこに注がれた意を酌まないことには作品の読み解きは完了し得ないのだが、『GONINサーガ』もまた共振に次ぐ共振があり、加えて主流に見えて傍流、支流に見えて本流という石井ならではの視座の転倒が企てられている。
画面が息絶えた根津を低位置からとらえ、その姿が上半身を壁にもたせかけたままで動かないのとステージ上の柄本の姿が同じ姿勢であって、手前と奥とで鏡像のごとく向き合っている点から言っても、ここで石井は間違いなく両者を“村木”という線で繋ごうとしている。警官森澤が“村木”ならば、根津演じる元警官も“村木”という理屈だ。役名 氷頭要(ひずかなめ)、俳優 根津甚八に対してこそ“村木”を強く強く刻印しようと力を尽くして見える。竹中直人を前作とはまったく別人の役として使ったように、はたまたカメオ出演という形で登用することも出来たろうに、むしろ劇の中軸に根津=村木を据えたところに“本気”があったのだと今更ながら震えがくる。
『黒の天使 Vol.1』(1998)以来、石井の現場から遠のき、身も心もこなごなの満身創痍となって引きこもってしまった根津を、石井世界のコアとして再登用して、“村木の死”をここまで徹底して丁寧に描いてみせた訳である。バトンを握り、悪路を走り続けてきた石井の握力と他者へのまなざしの深さに身が引き締まるし、その熱意に応えて一生かけて実らせた一個の果実を、ぽとんと手のひらに落として差し出して見せた根津の、仕事という領域を超越した最終直線での疾走に対して胸の奥まったところが熱く射抜かれる。
ビジネスを通じて親しくなった人に対して、胸襟を開き、笑顔で会食することはあっても、引退したり運に恵まれずにひどく零落した人に対してどこまでも際限なく声掛けし、手を差し伸べることは現実としてなかなか難しい。負け戦にあっても“救出、援護”を尽くすというスタイルが石井隆の劇の基調にはあるけれど、石井は実人生においても同じまなざしを注いで実行している。なかなか常人には出来ることではない。
(*1):「キネマ旬報 2017年3月下旬 映画業界決算特別号」
追悼 映画俳優・根津甚八 寄稿 石井隆 「韃靼で」
(*2): http://grotta-birds.blogspot.jp/2016/07/blog-post_31.html
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