この場の副題に触れながら、李商隠(りしょういん)について語ってくれた人がいる。中国の詩人らしいのだが、浅学で返す言葉に詰まった。元々が詩歌の素養に欠けている。江口章子(えぐちあやこ)の評伝、原田種夫の「さすらいの歌」 (1972) を以前読んで胸を打たれたから、ああいう語り口で李商隠という“人間”を描いたものであれば読み通せそうと思え、好機と捉えて関連本を一冊求めた。高橋和巳の「詩人の運命」(*1)を選んで毎夜頁を繰ったのだが、さすがに千年も経つと足跡も輪郭も明瞭でないらしく、主に作品解題にばかり頁が割かれている。漢文の授業を受け直している気分がした。
けれど、間欠泉のごとく噴き出す高橋の発想や絵解きが実に楽しく、それを励みにしてどうにかこうにか読み終えたのだった。時にまばゆく、濁った頭を雷撃して嬉しい。印象深い箇所を整理を兼ねて書き写そう。引用と呼ぶには行数があまりに多いけれど、これ以上四散させては書き手の訴えるところが伝わりそうにない。
「哀悼はその存在の無化に向けられるだけではなく、肉を超えて残されようとして残りえぬ志の共有があるとき、いっそう切実である。なぜなら共通の志向を介在してこそ、人間存在の有と無の対比は、とりかえしようもない断絶であることが認識されるからである。李商隠が、まだそれほどに人生の辛酸をなめたわけでもない若年のころから、すでにこの面で卓越していたことは、いずれは泥にまみれるべきものながら、彼にもなにほどかの抱負があったからであり、その哀悼がほとんど挫折者にむけてのみたむけられているのは、彼を未来へひきずってゆく何かの予感のためだったかもしれぬ。いや文筆の魔性は、しばしば他者にむけて書かれたことが次の瞬間に運命的にみずからのこととなる皮肉にもみられるが、それは共感というものが、単に過去の経験の相似によるばかりでなく、未来の予感からも発するものだからである。」(184頁)
「フランスのある寓話に、貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われたときに覗くと、世界の何処かで、いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮かんでくる。その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に耐えてゆく。李商隠が夥しい故事を羅列するとき、それは概ね、彼の意識に浮んだ青い玉の像だと解してよい。それ故にまた、そこに表現される意味が享受者の精神の玉に何らかの像を結べばそれで充分であり、それ以上の穿鑿は必ずしも必要とはしない。それが文学なる人間のいとなみが持つ最大の効用であるだろうから。」(316頁)
個人的には「共感が過去の経験の相似によるばかりでなく、未来の予感からも発する」という箇所に最も胸を貫かれ、深く頷くところがあった。将来を予測することはどんな些細なことでも難しいが、それを投げ出さずに続けた先には他者への共感が生れる。劇場で展開される他者の境遇に私たちは涙するのだけど、思えばそれは未来予測が有ればこそであって、端的に言えば、別れや死、失敗、膠着、罪悪感、これに対する慰撫といった負の未来を透視する力に支えられている。劇中人物に向けられるものに限らず、紙面や現実世界を前にして湧き上がる他者への痛切な想いは、いわば自身の未来図を透かし見た結果なのだ。これに気付けば彼らに対する親近感はより増すのだし、短絡的な言動も自ずと抑え込まれる。言われてみればその通りであるけれど、私にとっては完全に盲点であり、体温をともなう読後感があった。
さて、これらの文章は、もちろん高橋が李商隠“だけ”を語ったものに過ぎないから、これを別の作家への懸け橋に用いることは土台からして間違っているし、断章取義以外の何ものでもない。けれど、ここにはまず高橋本人の捉える文学の役割が明示され、文筆家としての己の姿勢やまなざしがありありと浮ぶのだったし、絵画や文学に挑む創作者たちが次々と脳裏に立ち現れては、その内実が透けて見える。私たちが絵や小説、映画といったものに何故これほどまで共振するのかが説かれているし、不思議なくらい石井隆が挑む創造の荒野の諸相と合致する。それも実に面白かった。
「人間世界のもろもろの事象のうちの、なにに焦点をあわせるか、それ自体は嗜好と直観の領域に属するが、その直観の中にはすでに一つの態度が秘められている。なぜなら、人間社会の諸事象はただ単に自然的世界の存在物のように、そこに存在するだけではなく、長い伝統と習慣による価値意識が浸透していて、今まで注目されなかった一つの関係性なら関係性を他の関係性に対して拮抗的に高くもちあげるということは、すでに一つの主張だからである。たとえば戦いのさなか、勇壮な戦争画が好まれる時代に一人の画家が一輪の薔薇のみを執拗に描きつづければ、その薔薇はすでに垣根沿いに偶然咲いている一輪の花ではない。」(158-159頁)
「何が彼の規範なのか。それは凡そこの世において最もはかなく、最もうつろいやすく、最もとらえどころなく、最も頼りないもの、つまりは愛であった。人間の悲喜劇を彼は、力の葛藤や権威の変遷としてはみない。その者の運も不運もその者の手のとどかないところで決定されえてしまう、そういう立場つまりは女性の側からみようとする。」(161頁)
「百年の哀楽はすべて他者による、女性の側に立つこと、それは表の価値、政治そのものを底辺から批判することも意味する。」(161頁)
「李商隠の文学の幻想性も実は、確立された彼の立場、もっとも儚いものの側から現実を撃つ立場と密接に関係するものなのである。なぜならば、胸いっぱいに秘めた悲哀も、胸はりさけんばかりの怨みも、遂に現実を何一つ動かし得ないことが解ったとき、人は必然的に幻想的にならざるを得ないからである。冤罪の者のはねられた首が、血しぶきをあげながら相手に飛びかかったり、一人の女の悲歎が万里の長城をこわしたりする幻想を何故、人はいだくのか。それが現実には起こりえないからである。なぜ小説の文学、荒唐無稽な幻想が、痛めつけられる階層から生れ、痛めつけられた階層の共感をよぶのか。現実にみずからの負価を解消することができないからである。そして幻想的な文学がなぜひたすら男女の間という狭い管を通して世界をみようとするのか。もっとも儚くもっとも頼りにならぬ情念こそが、痛めつけられた存在の、最後の砦だからである。それは現実の組織にも体制にも何らの打撃を与ええない。だが悲しいことに、組織や体制のあり方が変化したのちの個人の胸をも撃ちうるのである。」(161-162頁)
「知己の死に遭うことの多かった現実の偶然を、いつしか内面において運命化し、いわばみずからを精神の僧職に位置づけるにたる必然性をも彼は持っていた。(中略)非在に対するより敏感な精神、それは実は、人間の諸価値のうち愛に執着することの陰画なのである。他者との関係性を利害や支配や快楽において見ず、愛情の相において把えたいと欲する価値意識の持主であればこそ、その関係性の断絶に敏感であり、その悲しみが彼の心絃を齢を重ねるに従って最もかなしい五十絃にまで完成させもする。人間存在の不安定性は、愛と死においてこそ、爆発的に啓示されるものなのである。」(183-184頁)
李商隠と石井とを同一視する訳にはいかないが、ふたりの男の世界観には通底するものを感じる。石井は「政治そのものを底辺から批判する」ことはしないが、ここで政治を別の言葉と置き換えてみれば良い。「百年の哀楽はすべて他者による、女性の側に立つこと」を辞さない石井の姿勢の、その先に対峙するのは“男”であり、“男社会”であって、それらへの批判は一貫している。これはある意味、政治よりもはるかに難敵だろう。加えて近年の石井作品には、知己との関係性の断絶と歳月の隔たりを中軸にすえるものが増えてもいる。『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)しかり、『甘い鞭』(2013)しかり、『GONINサーガ』(2015)もそうだった。愛するものとの離別を描く女性主体の映画を作ろうと模索し、結果、映画の「魔性」が発動して男である作者自身の周りにも激しい渦が生れている。渦がさらなる渦を呼んで逆巻いている。
その白波や陽炎を私たちは察知してしまうものだから、石井の作品を語ることはやがては作者の内奥に触れる段階に歩を進める事となる。関心は作品と作家の間をしなやかに、時に烈しく往還する。私たちの奥まった部分と石井世界は結線を果たし、否応なく共振していく。読み方としてそれを過剰とも暴走とも思わないし、そこに至らずに石井の劇画本を閉じ、映画を観終えた端から忘れていく人を私は残念と思う。
石井隆の「一輪の薔薇」とは何か、彼の作品が「陰画」であるとすれば何がそれを定着させたのか、石井世界が「青い玉」であるならば、それを覗き見する私たちは何を目撃しているのか。考えを廻らせると直ぐに発光し、返信されて来るものがある。静黙を貫く作家に対して、ただそれだけの理由で一切の思考を停止してしまうのは、飽食や浪費といった古い習性の名残りではないか。そろそろ私たちは重心を低くし、腰を据えて物事と向き合う時期と思う。少なくとも石井隆には、そうするだけの価値がある。
「詩人はその生涯の努力を、詩的な認識や措辞の深化にかけるとともに、また、みずからの主題と素材領域を常に拡大しようとする。同一表現を反復することが、文筆家の墓場である以上、絶えざる努力による領域拡大もまた詩人の不可避的な運命である。」(182頁)
『GONINサーガ』(2015)を前作の繰り返し、「同一表現を反復」しているとしか読めない人もいるが、その仔細に目を凝らせば、石井が「墓場」に近接した難しい場処にあえて自らを立たせながら、「絶えざる努力」で「主題と素材領域の拡大」を図っているのは明白だ。「不可避的な運命」に立ち向かっているとも感じられ、敬畏の念に胸が満たされる。どうしてそこまでして「墓場」にこだわるのか、そんな事も考えさせられた。
「詩のうちに含まれる認識上の価値や詩人の体験的真実を、詩の全体の結晶美を度外視して性急に摘出することは、あたかも妙なる音曲を奏でんがためのピアノを壊して事務机に使う愚にも等しい」(287頁)
ここは随分と痛く感じた箇所だ。私なりに誠実に石井隆という作家を読み解こうとしているけれど、急ぐあまりピアノを壊している瞬間がある。注意しなければいけないな、と深く反省させられる。先日の『GONINサーガ』の読み解きの中にも、実はそういった部分があったと分かっている。この場を訪れる人にはどうか鵜呑みはされず、御自身の目で世界を探って行ってもらいたい。
今回の読書のきっかけもそうだが、ウェブで思いがけない思念の交流が続いていくのは嬉しい「運命」からの贈り物と思う。過去からも、未来からも、思念の糸が投げ掛けられ、人の言葉が人のこころを勇気づけ、きっと優しく支えていく。業種や世代を軽々とこえて、また、生死を分かつ川を跨いで、私たちは確かに繋がり始めている。
雨が冷たさを増し、このところしきりに追い立てられるような気分だ。頻繁に此処に戻り、自由に想いを滑空させることも出来なくなっていくだろう。しばらく連絡が絶えても互いに元気な証拠と思って、各人の「運命」を生きていきたいと願う。
(*1):「高橋和巳作品集 別巻 詩人の運命」 高橋和巳 河出書房新社 1972 文中の括弧内は引用頁を指す。
(注意 物語の結末に触れています)
一ヶ月に渡って、石井隆の『GONINサーガ』(2015)を噛み砕いてきた。
群像劇なので複数の視座を持ち、それ所以の混沌と足踏みがあるにしても、石井らしい決着を各パーツでつけた巧みさ、緻密さを最初に思った。濡れた銀幕に、村木的なもの、名美的なものが乱反射して、どこに焦点を絞っても独特の景色に仕上がっている。また、不可視的領域がそ知らぬ顔で組み込んであり、シーン毎に不穏な残り香がある。幾重にも絵の具を画布に塗り込む多層感のある描写であって、画家石井隆の健在ぶりを示していた。観客の多くは不可視部分に気付かず、もやもやした興奮と不安を抱えながら過ごす羽目になるだろうが、それも含めて石井の狙いだろうから嬉しいばかりだ。
旧作で退治された悪党を、【天使のはらわた】(1978)の川島哲郎に準じた存在、自身の希望というでもなく、生活のためか、それとも人間関係に縛られてか、いつしか組織の中で生きていくしかなかった普通の男と捉え直し、陰画から陽画に一気に反転してみせたのも面白かった。これまで書いた内容をまとめると、そんな具合になるか。
探せばいくらだって書ける。たとえば、闇と光のコントラスト配分を考慮した結果なのだろう、暗い領域に置いてけぼりを喰らったようなヤクザ組織の面子が、揃いも揃って黒々と単色で塗り込まれているのも愉快だった。(もちろん役柄としてだけど)獰猛で享楽的、知性よりも本能を強調した面構え。菅田俊(すがたしゅん)、井坂俊哉(いさかしゅんや)、屋敷紘子たちは、おのれの腹の奥底まで墨一色に染め上げてみせ、石井の思惑によく応えた。銃撃をまともに受け、痙攣するごとく弾かれ壁に吹き飛び、どさりと地べたに叩き付けられていく身体の動きに陶然としながらも、観ていて全く後ろ髪を引かれないのが素敵だった。誰が彼ら(役どころの彼ら)に家族や係累のあることを想像しようか。旧作『GONIN』(1995)のような灰色の領域を増やせば、運命悲劇の連鎖は永遠に終わらなくなってしまう。彼らは『GONINサーガ』の黒い縁取りとなり、式典を最期まで支え切って健気だ。
ひと呑みにして消化出来るはずがなく、反芻の末にようやっと血肉となるのが石井作品だ。筆を置く気は毛頭ないけれど、人間ってやつは何時死んでも不思議はない。区切りは大切だろう。ここに至っては封印を解いて構わないと思うから、終幕の描写に少しだけ触れ、現時点での感想を閉じよう。
『GONIN』と『GONINサーガ』のふたつの物語を俯瞰した時、そこに1995年と2014年という二つの年数が立ち上がるのだが、よくよく見ればその航路上にはもう一箇所、不自然な停泊港が視止められるのだった。それは井上晴美が演じる未亡人の営む酒場の装飾にもあるように2000年の世紀の節目であった。どうしてこの2000年に物語は立ち寄る必要があったのか、石井隆を熱心に読む者は思いを巡らして良いだろう。
2000年に降り立つことで、ヤクザの遺児役の東出昌大と桐谷健太のふたりは、物語設定上、二十歳前という難しい年齢を演じなければならなかった。この中継地点を踏まない方がどれだけ語り口は滑らかになったか分からない。どうして石井はここに立ち寄ったのか。それは、登場する人物の誰もが特別な響きを持った2000年という年を跨いで生きてきたのであり、そんな華やかな世間の足取りの裏側で大量殺人の関係者という陰惨なレッテルを貼られ、俯いて歩かざるを得なかった苦境や怨憎を描きたかった──訳ではないだろう。また、『フリーズ・ミー』(2000)の主演女優である井上晴美の頭上にそれを飾り、敬意を表した──訳でもおそらくはない。
劇映画という手段と石井隆の意思がその年にカメラを固定し、雨の中で佇み、花を手向けている相手は一体誰であるのか。私たちはそこを強く意識して良いように思うし、石井の願うものが私の憶測通りであるならば、石井は映画という手段を時間旅行機(タイムマシン)に準じたものと捉えている。その意識を踏まえて作られた『GONINサーガ』という作品には、当然ながら時間流を遡って何事かを為し得ようとする強い視線が託される。
旧作『GONIN』と今作との間には血脈があり、生殖と成長の日々が連なり、それは生き物の宿命として逆戻りを決して許されない絶対の下降ベクトルであるのだが、映画はそれを悠々と逆行してみせ、その上で成し遂げられる事だってあるのだ、と、石井はどうやら小声でつぶやいている。想いを馳せる特定の日々に立ち戻ることができる、そんな奇蹟を歌って見える。
石井は『GONIN』の修正を試みたのではないか。いや、もはや修正の施せぬ『GONIN』に肉付けして、新作に取り込み、現在到達した自身の境地に完全に合致した作品として連結し直そうとしている。もっと具体的に言えば、万代樹彦(ばんだいみきひこ 佐藤浩市)の村木化を図って見える。冒頭のナレーションと劇の終わり方が示すように、そもそも『GONINサーガ』とは、万代樹彦について再考をうながす物語であろう。
議論百出を覚悟して書けば、『GONIN』は石井の作品群の中にあっては異分子とまでは言わないが、色彩的に隔たったところがあったのだし、2000年以前の作品の典型として現在の石井の作風とは馴染まない箇所がある。先日、遂に石井は『GONIN』の三屋純一(本木雅弘)が土屋名美の系譜に当たり、『GONIN』の主軸に村木と名美の物語が置かれていたことを開示したのだったが、結果的に『GONIN』は石井世界とは別種のバイオレンスアクション劇と世間に見なされ、独自のファン層を築いて来たのだった。石井世界の稜線に在ることは違いないのだが、やや亀裂を生じて見える。
先の色彩コントラストの例えを再度持ち出せば、石井は『GONINサーガ』を用いて、白い印象だった万代樹彦を黒く塗りつぶすことに努め、独り歩きしたイメージの解体を行なっており、曖昧なこれまでの印象を思い切って払拭している。元ミュージシャンで肝が据わり、実業家の才覚もあるのだが、たまたま景気が悪かった、バブル経済の罠に落ちた不運なヒーロー、という従来の仮面を剥ぎ取り、その代わりに“実力もなく、ひとりよがりで甲斐性のない、愛する家族を不幸に落とし込む男”、そして、“愛する者を駄目にした後で血でも吐くような気持ちで懺悔し続ける”村木哲郎像へと引きずり落としている。そうする事で『GONIN』の他の“村木たち”と同様の立ち位置に戻している。
実際、『GONINサーガ』を覗き穴にして冷静に振り返ってみれば、万代樹彦という男は何をやっただろう。芸能界にデビューして、既に同世代から人気を博する年頃の娘がいるにもかかわらず、また、その娘が暴力団の芸能部門に捕り込まれつつあるのを知ってか知らずか、その辺は判然としないのだけど、どちらにしても愚かな発想しかひり出せず、一発逆転のホームランばかりを狙ってぶんぶんとバットを振り回しているのだった。結果的に親思いの娘を、生きたままで地獄に蹴落としている。万代のイメージは完全に倒立した。地に墜ちた。そして、ようやく地上に降り立って歩き出したのだった。
『GONIN』の“村木たち”は、愛する者を巻き込み、苦境や死に至らしめる点で道程をひとつにしている。氷頭(根津甚八)もジミー(椎名桔平)も、そして今や万代さえもやっている事は狂気の会社員荻原(竹中直人)とそうは違わない。酷い話には違いないのだが、多かれ少なかれ男が生きて家族を持つという事はそれに近しい景色を内包するものだ。大概の男はこれを薄っすらと予感し、身震いしながら日常を足掻いている。
以前この場に書いたように、2000年以前の石井の物語は死をもってばっさりと流れを裁ち切って清算する内容が多かった。散華を劇的に描き、観客はこれを涙して受け止めた。けれど、『花と蛇』(2004)以降の石井はもう少し慎重に糸を紡ごうとして見える。万代を無軌道的に死に急ぐ独身者ではなく、黒い尾を引きながらも生活に追われる“生きた男”に今更ながら戻したかったのではないか。神格化した万代像と決別し、私たちの背丈に近づけ、『GONIN』を2015年の一皮剥けた石井世界に立ち返らせている。過去に遡上し、誤ったイメージを修正することで、かえって万代という男の身を焼く業火は勢い付き、苦悩がいや増すに違いないのに、さらにそれは振り返って作者自身をも苛むこととなるに違いないのに、火鉢に腕を突っ込んで木炭の向きを変える具合にして石井はそれを行っていく。反吐を吐き、汗を流しながらも過去と今を手探っている作家が見える。(*1)
先日、フィンランドの女流画家ヘレン・シャルフベック Helene Schjerfbeck の個展を観る機会があったのだけど、死を目前にしながらも鏡越しの自己に向き合い、消滅に至る過程すらキャンバスに刻んでいた事に圧倒された。今回の石井の姿勢にも非常に似たようなものを感じている。生業である以上にひたすら想いを注ぎ、自身の苦悩と歓びの総体を作品に盛り込んでいる。ファンを楽しませる工夫をすると同時に、ある時はファンを敵に回してでも自身の魂に沿った加筆修正に挑んで、全く逃げようとしない。孤高を怖れずに突き進んでおり、その闘志にこちらの胸が焼け焦げる程だ。
スター映画なのだと石井は語り、確かに『GONINサーガ』そうなっているのだが、同時に紛うかたなく石井隆の絵画であり、その筆致や創作意図を探る旅でもある。死屍累々の幕引きを迎えるが、作者石井の生きた営みが押し寄せるのであり、観る悦びの質量は計り知れない。それこそがリアルな、生きる糧になり得る物語だと信じる。
わたしは随分と洗われた気分だ。耳を澄ますと、今も雨だれの音は続いている。
(*1):人によっては『GONIN』旧作の破壊とも受け取める今回の万代像の再生作業であるが、石井の劇画作歴が加筆修正の連続だった点をここで改めて思い出してみれば、それほど逸脱した行為とは思われないし、むしろ其処にこそ“石井隆”の真剣を感じる。
(注意 物語の内容に触れています)
物語の構造や撮影の技巧を裁定するのでなく、知識の吸収をするでもなく、また、現実からの逃避でもない、いわば魂の糧を得るために真摯に向き合う、そんな側面が映画の鑑賞には混じっていく。魂というものは各人の生い立ちや記憶と密着する訳だから、千差万別が当たり前であって、そこで生じる化学反応や結晶化は常にばらばらであろうし、意見が分岐するのは致し方ないことだ。何が当人の内部で起きたかを書き留める行為は、だから万人を説得する論理性を持たず、極私的でささやかな感想文の域を出ない。大概は評論の名には値しない。
この場処に“試論”と銘打ち、過去の挿画や劇画を含む作品や他の作家の映画などを連結させて書き綴っていながら、これは拙い感想文でしかなく、名前負けも甚だしいと心から恥じて苦しくなる時がある。映画史を語れるほどは古い作品を観てないのだし、劇場に足を運ぶ際にはかなり偏った選択をしている。映画や劇画全般のどの位置に石井隆が居るか、その辺りを解説したり縫合する力がない。
権藤晋や山根貞男が石井隆論の決定版的な大冊を出してくれないかという切望は止まず、いや、彼らでなくても良いのだ、新進のドキュメンタリー作家や脚本家が古今東西の文芸や映画作品を引き合いに出しながら、石井隆という作家の実像に切り込んでくれないかと夢見るのだけれど、売り物にならなければ出版社は動くまいから、いまはどうにも仕方がない。笑われようがけなされようが自分なりの心模様を下手な表現でトレースしながら、膨大にして密度ある作品群を地道に咀嚼していくだけだ。
再び『GONINサーガ』(2015)の感想に戻るが、私の胸をひどく打った場面がひとつ有って、それは屋内に置かれた調度品や装飾なのだった。式根親子(テリー伊藤、安藤政信)の行き来する事務所や妾宅の壁を飾るジョン・マーティン John Martinの絵画「The Great Day of His Wrath」を今は言いたいのではなくって、瞳に刺さったのは同じ親子でも大越家の方の住居だった。十九年前の事件で殺された組員の遺された妻、加津子(りりぃ)と息子の大輔(桐谷健太)は、ワンルームの小さなマンションで夜露をしのいでいる。そこでの展開は無いに等しく、物語の波形に全く影響しないから大概の人は気にも留めない事だろう。どのような調度であったか、石井の原作本(*1)を引けばこんな感じだ。
賃貸アパートの1DKの狭く暗い部屋に入って来る。5年前、何部屋もあったマンションを引っ越す際に詰め込み、それから何度引っ越しを繰り返したか、面倒になって仕舞ったままだが、『オヤジのスーツ』『オヤジの着物』等と殴り書きした段ボール箱が収納する場所も持たずに未だに所狭しと積まれている。父の大越が使っていた大きなベッドの枕元には大きな仏壇と大越の遺影が飾られ、この部屋には不似合いな鎧兜(よろいかぶと)が鎮座している。部屋の隅には綻(ほころ)びた赤い皮のサンドバッグが吊られ、厚化粧をした老いた母がテレビを付けっ放しでロッキングチェアで眠っている。(131頁)
「お出かけだ。化粧するんだろう?早くしな」
そう言われて母の加津子は楽しそうにドレッサーで厚化粧の真っ最中だ。(249頁)
平岡が雑然と物で溢れる狭い部屋に立ち尽くしながらしんみりと言う。
「これが元組長の部屋なんですか……」(324頁 この場面は映画ではカットされている)
鎧兜は確認できなかったのだけど、窓の側に腰の高さ程もある大きな素焼きの壺がひとつ、いや、二つだったか置かれていたように記憶している。映画では合わせても三十秒もあるか無いかの短い場面であるのだが、胸の奥で拡散して実に痛ましく響いた。
仕事場に適応し、齢相応に組織を束ねて部下の信任も厚く、家族にも恵まれていくに従い、男は身の丈にあった巣作りを行なうようになる。油断ではなく、安全な環境を得ようと本能が強く後押しするのであって、時には借金を重ねるリスクを負ってまで住まいを整えよう、大きくしようと躍起になる。そうして、組織内での失脚や会社の倒産、病臥や事故死、社会的な失墜等によってこれが維持し切れなくなるとき、その果てにどのような暮らしが待つかを、映画の中の狭い部屋が的確に描いていた。
承知の通り、住まいの甲乙は床面積の比較で単純に決まるものではない。居住する人の数と構成、家計、社会との関わり方に応じて善し悪しは固まってくるものだから、“何部屋もあったマンション”がワンルームに転じた点を痛ましい、不幸だ、と言っているのではない。“収納する場所も持たずに所狭しと積まれ”、“大きな”家具や調度品が“不似合いな”まま押し込まれているのがどうにも哀切で堪らないのだ。これは実際に、身近に、そういう目に遭った係累や知人を持たないと具現化しにくいものであって、石井もしくは美術担当者の至近距離に不幸な現実があった証だろう。
人の一生には誰も想像しえない転機があって、懸命に拡張させてきた住まいを根こそぎ奪われる、そんな深刻な局面に見舞われる事がある。避けがたい波濤にざぶりと洗われたとき、時間も、手持ちの余裕もなく、人手も欠いた私たちは、身の回りの家具や衣服を必死の思いで運び出すより術がないのだし、一度そうして避難先に収まってしまった必需品というのは処分や整理の機会が訪れないまま、多くが生き長らえて所有者と共に漂流を続けていく。
物を捨てるに金と労力がかかる時代であるし、家具や置き物のそれぞれに思い出が色濃く刻まれてもいる。同居する全員の気持ちが一致しないと手放せない性格の物だから、互いに衝突を回避しているうちに時間ばかりが経っていく。いつしか床面に根付いたような具合となって、不似合いに大きな彼らはいよいよ壁を埋め尽くし、空間を占拠してしまうのだけど、膝を打つような方策は見当たらなくって、保留状態でそっと気持ちに蓋をする以外に道はない。
『GONINサーガ』は思春期前に父親を失った子供たちを主人公とする一種の青春映画だけれど、根底に置かれてあるのは中年男を長(おさ)とする家に突如不幸が襲いかかり、環境を暴力的に変質させていく禍々しくも普遍的で、リアル過ぎる人生の実相だ。胃が痛くなるような日常の硬直した面立ち、生きながら化石となってしまう苦しさだ。作り手たちの追悔を寄り添わせた、生々しい困窮が二重写しに描かれている。
(*1):「GONIN サーガ」 石井隆 KADOKAWA/角川書店 2015 文中の括弧内は引用頁を指す。