2011年10月29日土曜日
“背景”
少し前のことになるが、土屋能風(つちやよしかぜ)(*1)の個展会場に足を向けた。端正な顔立ちの男がひとり受付に座っていて、来場者へ穏やかに挨拶しながら手元で何かせっせと描いていた。もしかしたらと思って声を掛けたところ、やはり土屋当人であった。
不粋な質問に対しても笑顔で応えてくれる。また、創作におけるこだわりや作品の狙いなども気さくに話してくれた。欲張り過ぎかも知れぬが、こういう“作り手を知る時間”が無性に嬉しい。充実した休日になった。
ぱっと目にはちんまりと小さい作品が並んで見える。いずれは大作にも挑みたいけれど、いまのところはA4かA3程度の紙を素地に選んでいるとのこと。されど、侮(あなど)ってはいけない。ぐぐっ、と目を寄せてみてようやく分かるのだけど、鳥肌立つほど緻密な描き込みが為されており、どれもこれもが独特の厚みを維持している。
描写の対象は圧倒的に若い女性であって、髪、爪、瞳、唇といった身体の重要な部位が心血を注いで再現されて視覚をいたく刺激する。皮膚の皺、骨格の歪みがそれに加わり、衣服や寝具の縫い糸や布地の風体が重奏なって迫り来るものだから、見応えは十分だ。時におんなたちはギターを掲げてポーズをとるが、その楽器もまた異様な執着をもって画面に組み込まれており、存分に存在感を主張する。
モノクロームの世界に陶然と佇み、また這いつくばるおんなたち。多くが伏し目がちであるし、口元も硬い。一歩間違えれば醜悪な悪夢におちいるところが、妙に爽やかな晴れ晴れとした、さらさらと乾いた気配を放出して気持ちがいいのが不思議である。作者の気性が刷り込まれているのかもしれない。世界を肯定し、生命(いのち)を祝福しているように感じられる。
同じ鉛筆画で著名な木下晋(きのしたすすむ)は確か二十もの種類を準備して、硬軟、濃淡を使い分けていると聞く。対して土屋はHBの鉛筆しか使わず、線描への突出した執心だけを武器に果敢に斬りこんでいて、よくここまで拮抗し得るなと感嘆する、というか、固定観念が砂山の崩れ去るように消えていく、その感じが心地好い。
さて、受付の小さな机で土屋が描いていたのは歴(れっき)とした“作品”なのだった。はからずも貴重な工程を覗き見たわけだったのだけど、素人目にもずいぶんと変わった描き方をするのが分かる。一本の鉛筆しか使わないことも含め、おそるおそる感想と疑問を口にすると、土屋は特別の秘密はないからと打ち明けてくれた。
絵は独学であること、建築を学んでいた時期があったこと、その技法を少し踏襲していること、だから使う紙も鉛筆も建築用図面を起こす際の専用のものであること───。建築の手法でおんなを描いている、まるでベルニーニみたい。かっこいい。
土屋の絵のなかに住まうおんなの髪は、石井隆の名美のそれと似て一本一本に血と神経が通っているように見える。うねってさわさわと流れていく様子は凄まじく、そこだけ見つめれば両者は引き合うものがある。だけど、決定的な段差があると囁く声があり、さて、それは何だろう、両者の間を繋げ、逆に穿(うが)つものがあるとすれば何なのかを探(し)りたくて、再度画廊をゆっくりと廻ってみた。
石井隆も独学のひとである。幼少時より油絵をたしなみ、画集と手塚治虫に代表される漫画に囲まれる環境に育ったものの、専門の教育を受けた経緯はない。引き出しやパレットを十分に画材や道具で満たした上で小出しにするのでなく、とりあえず手近なものを使い、試行錯誤しながら戦っている“がむしゃら”の風情がだからあって、それが宿命とか欲望とかいった化け物に翻弄される人間の焦燥や躍動、それこそ“がむしゃら”とうまく噛み合ってドラマを増幅していると感じられる。土屋の物腰は柔らかく“がむしゃら”という形容は当てはまらないのだけど、先が読めなくてわくわくさせるところは重なるように思う。
「増刊ヤングコミック」に載った一話完結形式の小編が衝撃をもって読者に受け止められ、圧倒的な支持のもと連載へと跳躍を果たし、そこでようやく落ち着きを見せていく石井であったが、それまでの石井はといえば仕事を選ばず、寄せられる求めに応じて実にさまざまな画材とタッチで絵を描いては雑誌に載せる時期が長かった。なかに印象深い“鉛筆画”の一群があって、これなども土屋との共振を誘うものがある。
では、両者の相違や段差はどこかといえば、あくまで私見に過ぎないのだけど、次のような箇所ではなかろうか。
ひとつは対象に関して働く“深慮の行方”が異なっている。土屋は写実をきわめる己の画風を強く意識してか、被写体の胸部や腰部に対する筆入れを回避していく。対象に肉薄していないという事では決してなく、モデルと作者とが互いににじり寄ろうとする距離感を意識させて、かえって視る者をどぎまぎさせるのだけど、“守ろうとする一心”が視線を捻じ曲げているのはどうやら間違いない。“おんな”というものがその奥に潜ませる荒肝(あらぎも)や矛盾、途方のなさ、極端さといったものを手際よく封印しているように感じられて、結果的に画面から滲み出すものを抑えている。
石井は自らを“奪う者、探るもの”の役回りに任じ、対象が隠そうとする部位(ただし無理に暴くことはしない)の気配を通じて、内部に根差してのたうちまわる“清算し切れぬもの”や“胎動し続ける衝動”なり“おそるべき多層”をあまねく捉えようと試みる。而して体液や血液、吐息、紫煙がとめどなく滲み出す。もうそうなると手に余り、抑えられず、到底守れ切れずに途方に暮れる、そんな流れである。
たとえば石井の画集を手にして一枚一枚の絵に視線を注いでいったとき、石井らしいと感じるものと何か物足りなさを覚えるものが混然とする訳だけど、乱暴を承知で仕分けてみれば前者は圧倒的に黒く、後者は白い絵が多い。(土屋の絵も白い)
闇であれ、雨であれ、樹海であれ、みっしりと背景が埋まった石井の絵にはようするに“守り”がない。無防備と感ずるときもあれば、世界に犯されている、揉みしだかれているような絵もあって、どんなに泰然として振る舞ったところで“おんなたち”は独立を保てず劣勢の戦いを強いられて見える。守護する騎士はおらず、大きな後ろ盾もなく、彼女たちは世界に染まり交わっていくしかないのだ。
“守りえぬもの、寄り添い切れぬもの、互いに消耗しながらも併走するより仕方ないもの、こころ配るしか道はないもの、生き別れるもの”──包囲された世界といのち尽きるまで相互干渉し続ける、それが石井のおんなの宿命であるし、石井のおんなをみつめる男たちの運命である。
石井が世に現われた際の衝撃なり“ひっかかり”を私は世代的に体験できなかったのであるが、こうして観る土屋能風(よしかぜ)の絵のような“ひっかかり”を当時の誰もが受けたものだろうか。そんなことを考えると、ちょっと嬉しい。
変転しながらも独自の地平を石井が連ねたように、土屋もまた想像し得ぬ変幻を繰り返すことになるのだろう。目を凝らさねば見えぬ細密な刻印、ほつれる縫い糸、ゆらめく虹彩、白く照りかえす爪、きらやかな髪の流れを目で追いながら可能性の拡がりと今後の波乱を想い、あえかな羨望も実は覚える。素敵な人生と思う。変わっていく土屋を追いかけ見切る時間は私にはないかもしれぬが、期待もし、ひそかに応援もしている。
(*1):土屋能風 オフィシャルページTRUESENSE
http://wind.fool.jp/index.htm
2011年10月22日土曜日
“視覚異常”
これまでは漫然と眺めるだけで気付かなかったが、放送局で働くひとと話をしているとテレビの本編なりコマーシャルの表現には煩雑な縛りが数多くあり、人知れず苦労を重ねているのが分かってくる。以前、ミステリードラマをめぐってこんなやり取りがあったそうだ。銀行だか宝飾店だかを襲った直後、路上に停めておいた車に凶悪犯が飛び乗り逃走をはかる。獣のように息せき切った男たちがドアを閉じる間もなく急発進させたところ、シートベルトを締めないまま走り出すのは交通法規に反するとすかさずクレームが寄せられた。
上の例は卑俗すぎて笑うしかないけれど、とんでもなく窮屈な現場なのだ。視聴者が“故障”と騒ぎ立てないように音声が途切れて良いのは何秒以内と決められ、画像を逆さまや横置きにしてもいけない。もちろん言葉使いはチェックがきびしい。大変だな、と思うと同時に正直つまらない世界とも思う。
男とおんなの大喧嘩なり恋情の末路において、大概の男は言葉をうしなう。非を責められ、甲斐性のなさを問われ、言葉尻を疑われ、人間性を全否定されていく。大雨に決壊して濁流にひと呑みにされる堤(つつみ)を呆然と見守るしかない消防団員さながら、ただただ相手の声を全身に礫(つぶて)のように浴びつつ身を硬直させ、ひたすら黙るしかない。
情けない喩(たと)えではあるにしても、そんな沈黙を答えとするしかない時間というのは確かにあって、むしろ声なり言葉が消え去った静謐な事のなりゆきこそが、描くべき“人間の風景”のハイライトとも思う。何秒ルールとか言われ、それを堅守しているテレビジョンとは偏頗(へんぱ)で病んだ表現媒体と思えてならない。
ここではテレビジョンを弾劾するつもりもなければ、自分にそんな資格は元よりない。人間の抱える“か細さ”、“不器用さ”、“壊れやすさ”というのは往々にして長い沈黙と共にあるのだから、無音の状態をもって“異常とか故障”と称するのは短絡であるし、人間心理の“異常状態”をも含めて描き切るのがドラマの本懐ではなかろうか、という疑問が湧いてくる、それだけである。
極度の緊張や悲哀、動転といった精神のこもごもが、身体に影響を及ぼして思いがけぬ症状が立ち現われることがある。たいせつな面談を前にして急に腹痛を覚えたり、手の平にべっとりと汗をかいたりする。こころと肉体は平行して走っていて、われ関せずと傍観をきめ込むことは難しい。そのような不調の一環として人間には“視覚異常”というのがあるように思う。
実をいえば先月と今月と、まるで趣きの違う“視覚異常”が起こった。ひとつは凄まじい“眩暈(めまい)”であり、左へ左へと天地が傾(かし)ぎ、道路も電信柱も机もひとも、地面も空も何もかもが倒立していく激烈なものだった。頭部の出血か腫瘍を疑い、総合病院を紹介されて精密検査を幾つもこなした結果、異常はどこにも見当たらず、どうやら疲労の蓄積がもたらした悪戯だったらしい。
震災とそれに付随する混乱の収拾に追われ、いつしか人並みに重荷というか、張り詰めたものを負っていたらしい。丁度半年が経過して糸がぶち切れ、ゆるゆるぐらぐらと凧が落下していく、そんな風だったろうと思う。
もうひとつは視覚の“歪み”であって、先日夕刻にパソコンのモニターを眺めながら異常に気が付いたのだった。視野のやや左端の下のところに小さな虹色の亀甲型の結晶がぽつんと生まれ、にぶく発光しながら大きさを増していく。レンズに映り込んでしまうゴーストのような幽(かす)かな、けれど執拗な張り付き方であったのだけど、やがてそれが焦点を結んだ目線の先に居座る感じとなっていき、風景をひどく歪めてしまった。
すわ眩暈の再来かと恐れおののき、早めに帰宅し、ぐっすり休眠したところすっかり症状は落ち着いたのだったけれど、あのとき、虹色の膜が襲撃する最中(さなか)に会話を交わしていた若い同僚の、顔の向かって左の半分が肉色にぐっちゃりどろりと溶け落ちたようになり、残った半分、片側に貼り付いた目だけが異様に大きく見開かれて一つ目入道のように見えてならなかった。特殊なゴムで作られた化け物でなく、人間の顔がそのままに崩れ落ちている。醜いべろべろの肉塊なりに、けれど血が通い息をし、懸命にこちらの言葉に頷き返す様子はなんとも不気味であったが、絵画の世界に迷い込んだような楽しさも正直言えばあった。(不思議に恐怖や嫌悪感は抱かなかった)
ウェブにて調べてみれば加齢にともなう眼底出血の可能性もあり、放置しておくと失明もするらしい。大事をとって昨日大きな病院の眼科を訪ねて診察してもらったところ、最新の機器での検査結果では異常は一切見当たらない。担当は聡明な若い女医であり、すっかり復調しているところを見れば疲れかストレスで血管に穴が開き、体液がわずかながら急に沁み出し、一時的に視界を曇らせたのではないかと言う。
自分なりに思い当たることがないではない。いや、その際に受けた鉄槌の烈しさが出血を招(よ)んだに違いなく、人間の、と書けば語弊があるか、自分自身の脆弱なこころが露わになったというか、それ程にもダメージを受けたかコイツめ、情けないヤツとあきれ返りもし、また、そっと頷きながら想いを馳せるものがある。
石井隆の劇画作品に【おんなの街 赤い眩暈】(1980)というのがあり、これは大きな地震で亀裂が生じた路面に足をすくわれ、転んだ拍子に頭を強く打って昏睡状態に陥ったおんなの話なのだけど、幕引き寸前に黄泉を彷徨うおんなの立ち姿がぐるりぐるりと回転しながら遠ざかっていき、それに従い、不意に現世に立ち戻る、そんな眠りからの覚醒が描かれていた。いまはあの“眩暈”の倒立感、渦巻く感じがよく分かる。
また、『花と蛇』(2004)から顕著になったクレーンを多用した浮遊感、天空から地上に向けておんなを見定め、放物線を描くようにしながらじっと見下ろし続ける粘液質のショットがあるけれど、こうして我が身に生じた不思議に照らしてみれば、あれも単に非日常的な視点をスクリーンに放り込み祝祭的な興奮を呼び込む目的にとどまらず、【赤い眩暈】に連なる一種の“視覚異常”の再現に思えてならない。
スタントマンの運転する車よろしく完全に転がって横滑りしていくような、はたまた、溶解する人間が喋りながらひょこひょこ歩き回る光景に夢でなく現実として対峙してしまった自分は、どこか壊れた存在ながらも黄泉の汀(みぎわ)にて暮らす人間の端くれにはまだまだ違いなく、目にし得た光景も、そのときの胸を覆う心細さと切なさも、どれもこれもが人生を渡河する上での真実であったように思う。
『花と蛇』以来、石井の映画で再発し続ける「眩暈」のショットというのは、もちろん私たちが各人各様に解釈するしかないのだけど、作り手がそれに託して来るものは仮想現実の提供という平坦な次元ではなく、むしろ人間の抱える“か細さ”、“不器用さ”、“壊れやすさ”に根茎を結ぶ“異常とか故障”であって、ドラマの本懐に迫る、というより“人間”そのものに既になっていると感じ取れる。
2011年10月11日火曜日
“ノイズを描きこむ”
細い指のさきで“されこうべ”を支え、自らの額あたりに掲げ持っている若い娘。その視線をたどれば、鼻先に浮かぶ異形を貫きどこか遠くを目指すようであり、それとも、内奥へと潜って深層に達し、もはや何も捉えていないようでもある。
どこまでも乾いて白い“されこうべ”は生命の痕跡をとどめないのに対し、娘はと言えば一糸まとわぬ裸であって、髪の毛、睫毛、唇、乳暈などがいい知れぬ執拗さによってつぶさに再現され、そのいちいちが湿度を含んでてろてろと照りかえるようであって、否応なく生命を宿して見える。与えられた色彩やかたちが瞳を強く射って、本源的な揺れを誘う。
英語にて綴られたタイトル文字は描かれている死者と生者の中間ぐらいのごく薄い黄色で配置され、一部は娘の肌と溶け込んで読めなくなっている。そんな表紙に吸い寄せられてしまい、薄い画集(*1)を手に取ってみたのだった。
その諏訪敦(すわあつし)という新進の画家と、石井隆の間に接点は認められない。およそ無関係の作家なり作品を並べ引くことは乱暴この上ないことであって、両者からすれば迷惑千万なことだろう、と思う。先日だって上村一夫を寄せ置いて、往時の編集者のほんのわずかな発言を針小棒大に取り上げてしまった。いい加減にしないとクレームが寄せられそうだけど、一方で思うままに感じたことを書き留めていくのもブログという仕組みの可能性だと信じ、もちろん言葉は大事に選び練っていくにしても、生きる証しとして果敢に書き留めておきたい気持ちが湧く。
似てるかどうか、という話ではない。いや、彼らはまったく違う。諏訪の世界観と石井のそれとは実際段差を感じるし、ふたりの航跡が過去においても将来においても交差することは想像しにくい。ならば、何を思ってわざわざこの場に諏訪の名を刻み、時間をかけて言葉を編むのか。──“ノイズ”の存在である。ちょっとこれを書き残したくなった。
この諏訪の画集の妙は作者の絵の艶めかしさ、妖しさもさることながら、美術批評家(*2)により付されたテキストに依るところが大きい。画家に訊ね、返答を咀嚼し、よく寄り添って見える。加えて古今東西の絵をひもとき、画集にもかかわらず大胆に並べ置き、諏訪の各作品に内在する木霊(こだま)を増幅させていく。
月岡芳年、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フォンテーヌブロー派の「ガブリエル・デストレとその妹」、岸田劉生、小村雪岱といった先達の名前や作品が諏訪の絵画のあいだあいだに紹介され、大きなうねりを編み上げていくのだけれど、そんな思慮に満ちたテキストのなかに次のようなくだりがあった。
───諏訪はしばしば画面上にノイズを描きこむが、ここでそれが塵の舞うような描写であるのは、製作の最中にWSPEEDI予測値(広域汚染状況)が漏れ伝わってきたことと関係している。目に見えないものの恐怖、自国の政府が信頼に値しないことをしているにもかかわらずそれに対して明確な反応を示すことができない日々の緩慢、その葛藤が、諏訪のようにことさらにメッセージ性を示したがらない作家の場合でもあらわれているということである。(*3)
なるほど諏訪の絵画のところどころにノイズが置かれ、独特の風合いを醸し出している。皮膚の表面に刻まれる無数の皺、その逆に風を孕んで丸くはち切れそうなヨットの帆さながらに張られ伸ばされ、明かりを反射し甘く光っていく肌の様子──。写実を極めた諏訪の筆は静謐な面持ちの人体を表層に築くのだが、さらのその上に配置されて、じゅくじゅくと浸潤し、ときにはふわり浮き上がるノイズの群群(むらむら)がきっかけとなって、世界を存分に揺れ動かしていく。写実を超えたドラマを派生させ噴出していく。
石井の絵や映像には元々澄んだところがあって、透明感が顕著であるから、ノイズらしきものは初期の習作以外には見当たらない。諏訪のノイズに相当するものがあるとしたら、長く尾を引く雨の軌跡、路面や肩ではじける滴(しずく)、たなびく紫煙、落下する汗や体液といったものかもしれない。地下空間に降り注ぐ雨(のはずがないけれど、雨としか見えぬもの)や雪のように舞い散る雲母もそれに当たるだろう。それ等はあくまで「具象化されたもの」が画面に侵入して人物を取り巻き、抒情を補完していくものであって、訳の分からぬノイズではない。石井の絵作りのそれが鉄則のように思われる。
自分のなかでそのように整理するところがあった訳なのに、諏訪の“ノイズ”に意外にも反応している。傷、滲み、汚れ、剥がれ、跳ねといった「異分子」は石井世界にはないはずなのに、どうしたことか気持ちが揺れる。
それは近作『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(2010)のせいだ。劇の終盤、主要な登場人物は手をたずさえるようにして樹海奥に眠る巨大な石切り場“ドゥオーモ”に向かう。路面はなだらかに傾斜しており、樹木の陰となってじくじくに濡れている。以前は車両も行き来したのであろうが、廃坑となって久しいらしく、道らしきものは既に消滅してしまった。そこを延延と苦労して彼らは歩いていかねばならない。
震える手に握られた懐中電灯が幾つかと、へろへろになった紅次郎(竹中直人)の額にあるヘッドランプが光源のすべてという劇の設定である。蒼白く細い光の筋が闇夜を泳ぎ、樹木の一部を撫でるように照らし、かろうじて道を探っていく。疲れと恐怖からさんざん悪態をつきながらながら前進するのだけれど、そこはまさに地の果て、異界のただ中であった。
女陰にも似た縦長の亀裂に至り、歓声を上げながら“ドゥオーモ”へと飛び込んでいくおんなたち、男たちだったのだけど、その刹那私たちは不思議なものを目にしてしまう。たったワンカットに過ぎないのだけど、よくよく考えれば奇妙なものだ。
“ドゥオーモ”側から見た森の光景であるのか、それとも“ドゥオーモ”の巣食う山を遠景で捉えたものか、何がなんだか分からないし、何がなんだか分からなくとも物語を左右しない風景だ。緑色に染まる地獄のような密林が茫々と広がっており、上には青黒い空もいくらか含んでいたのではなかったか。
足元の方にどうやら強力な光源があるようで、スミアと言うのかフレアと呼ぶのか分からぬが、“赤い光”が滲むように刻印されている。車を置いた場処からはずいぶんと離れている設定であるから尾灯(テールライト)の類いではない。これは一体全体何なのだろうと思う。
ここまで具象化されていない無遠慮であからさまなノイズは、これまでの石井の絵作りでは観なかった。同様の、色こそ山吹色ではあるが、こちらも全くリアルでない光源を真正面から捉えたカットが映画公開にあわせて発売された佐藤寛子写真集にもあることは以前書いた通りであり、この一対のノイズは石井の手により確信的に置かれたものと言い切って良いのだろう。あたかも観客に挑んでくるように鈍くゆらめいている。
映画『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』によって石井隆が“復活”したと単純に言うことに私は抵抗を覚えるのだが、これまで多くの画家たちが何年か毎にスタイルを変えて躍進したように、石井隆という“画家”が新しい色使いを模索していることは違いなく、それを以って“復活”と称するのであれば確かにその通りだと思う。
先の批評家の表現を借りれば、「石井のようにことさらにメッセージ性を示したがらない作家の場合でも」、抑えがたく湧出し「あらわれるものは在る」のであって、それが私たちの見知っている石井であるとは限らない。いや、これまでと同じ石井がモニターを睨(ね)め付け、似た風情の作品を綾織ると期待する方がおかしい。
変わっていくことが画家の宿命ではないかと信じ、石井らしい妖美この上ないふたつのノイズを受け止めている。
(*1):「諏訪敦絵画作品集 どうせなにもみえない」 求龍堂 2011
(*2):小金沢智
(*3):17頁
2011年10月8日土曜日
“女性を描ける系譜”
さわやかな薄青の空の下、微かな肌寒さをもう覚えながら、いまごろになって扇風機を片付けている。タオルでふき清め、ビニールに包んでから物置に仕舞った。今年の夏ほど活躍した年はないだろう。「お疲れさま」と思う。
先月下旬、青緑(あおみどり)の布表紙が目に鮮やかな一冊の本(*1)が上梓された。四十五歳という若さでこの世を去った劇画家上村一夫(かみむらかずお)の航跡をたどる内容であり、卓抜な色使いや洒落た構図の彼の絵があますことなく紹介されている。広告代理店に籍をおいていた頃の手堅いポスター画にはじまり、晩年の円熟した筆致までを網羅していて壮観この上ない。上村の真骨頂である“表紙画”“一枚絵”が紙面にひしめく様子は“絢爛”という表現が実にふさわしい。
正直言えば──その程度の声ではこの本の真価は揺るがないと信ずればこそ、なのだけれど──頁から切り取られ並べられた上村の絵は当然ながら物語性を喪い、満水から決壊へ至るまでの“溜め”がない分、本来の劇画作品が秘めている衝撃や波動の振幅が隠されている。初めて触れる若い読み手には、上村のコマ割りの妙(みょう)は読みきれないかもしれぬ。漫画であれ映画であれ、その美しさ、その面白さを“止め絵”でもって説明するのはなかなか難しいことだ。
されど、修正の痕や鉛筆による指示書きなどが描きこまれた(ある意味ノイズにまみれた)原画を発掘し、臆せず大量にスキャニングして収録してみせたこの「リリシズム」と一晩二晩と添い寝してみるならば、創作者上村のまなじりや吐息に直接触れたような心もちとなり、返ってくる弾力は相当なものなのだった。素晴らしい本と思う。巻末には上村を共に支えた編集者と原作者、それに家族の三者が膝をまじえた鼎談(ていだん)が収まっており、これもまた読ませる中身であった。
大事に想う相手に贈りたくなる、そんな昂揚感がうずまく一冊、劇画史に足跡をきっと残すだろう握力ある仕上がりだと私は思う。元より無理な相談だろうけど、このまま増刷せずに幻の書籍にしてもらいたい、そうしてこの本を手に出来たことの幸福をずっと死ぬまで引きずっていきたい、そんな妄想も抱かせてしまう。
成立に欠かせなかったのは上村を愛しぬく人間たちの熱情にほかならず、なかでも研究家森田敏也の想いの強さがうかがい知れる。人間が人間に惚れぬくことの愉楽、夢をかたちにすることの快感、人生に思いがけず打ち寄せる出逢いと光明が偲ばれ、まばゆい充足と同時に昏い嫉妬も覚えた。上村作品に惹かれるひとだけでなく、あの時代とあの頃の息吹に愛着を覚えるひとにも至福の時間が約束されている。少なくとも上村ファン、劇画ファンを自任する者はすぐにも走らねばならぬだろう。
さて、本題というか、こうしてキーを叩く目的は当然ながら上村礼賛ではない。上に紹介した座談会に登場する編集者は石井の劇画作品の成立にも深く関わった人物であり、彼の口から当時の“石井隆の出現”がどのような位置付けにあったかがうかがい知れる、極めて印象深い言葉が湧いている。是非ともこれは書き留めておきたいと思った。
───いや、漫画家は描けなくちゃ困るんです。それでその後に石井隆に行っちゃうんです。極端なんです。女性を描ける系譜が上村さん石井さんというふうになっちゃうわけで。(*2)
上村と石井ふたりの作品を並べてみると絵の趣きはまったく違い、一瞥するだけでは水と油ほどもかけ離れて見える。髪や肌の質感、裏通りの匂い、寝具の置かれた部屋に巣食う湿度と体臭。同等の感覚をそこから共有することは、なかなか困難だ。如何ともしがたい段差は編集者も認めるところなのだが、彼は形や色彩は違えども、そんな石井隆を上村の唯一無二の後進と位置づけているのだった。
“おんなの魂の、深い部分”を書ける作家として、先頭をひた走る上村の背に追いすがれるのは石井しかいなかったと述懐するのである。担当編集者という狭い枠組みからの意見でなく、現在に至る漫画や劇画を総覧し尽くしたプロ中のプロの言葉として、また、上村没後25年を経た平成の、既に二十年も過ぎた現代から冷静に振り返って解析してみせた言葉として、これはすこぶる重く、骨のあるものと思う。
青年誌や成人映画を舞台に闘っていかざるを得なかった石井隆の作品は、男側の抱く先入観や蔑視、欲望に上塗りされた“男のもの”と見る向きもあって、その誤解は近作に対する感想や評価にも影響をおよぼしているようだが、そろそろ“上村一夫に連なるおんなのもの”と捉えなおして評価されていい、そんな風に感じている。
季節は移ろい、風の向きや香りは確実に変わっていく。上村が逝ってから25年以上も“おんな”を描き続け、それでもまだ走り続けている石井隆にも「お疲れさま」と思う。孤高の長距離ランナーに、心地よい追い風がどんどん吹くことを祈っている。
(*1):「リリシズム 上村一夫の世界」 まんだらけ 2011
(*2): 同322頁
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