順位付けにひとは熱狂しがちだ。一、二、三、四と数字を並べ、自分なりの理屈で甲乙を付ける。わたしも学生時分には夢中でやったものだ。なつかしい。でも、世間に出てみれば職業差別の眼差しを注がれて辛酸をなめる日々であり、順番でいえば相当下でじたばたする凡夫でしかないと分かってくる。そんな序列外の四季を幾度か越えてみれば、もはや格付けなんてものがいかにも子供っぽく思えたし、悪趣味にさえ見えてきて、以来まったく関心が無くなりどうでもよくなった。
誰が勝ったか、どちらが賞を取ったかなど報道が過熱気味のときほど体温がさわさわと下がり、興味覚える別の対象にさっさと視線を替えるようにしている。時折こころを妙に動かされる運動選手や歌手も現われるが、共振を覚えるのは彼らの皮膚の裏で怒張していく鉛のごとき緊張であったり、失敗や敗北のときに激しく頭頂部からしたたり落ちる悲哀や傷心であって、ボクシングの試合中継など観ていても、はるばる異国から呼び出され、罵声を浴びせかけられ、蚊の羽音のごとき声援しかもらえぬ外国選手にしか目が向かないし、床に崩れ散る敗者ばかりが瞳に刻まれてしまう。
映画を観ることを好んでするが、どうしようもなく稚拙な演出や脚本でげんなりしながらも、その作品を悪しざまに語ることはしない。役者のちょっとした演技や声量のコントロールに目と耳を持って行かれる瞬間などあると大変な幸せを感じるし、ロケーションやセットで巧妙に切り撮られた繊細な光と影を目にすると、多彩な景色に陶然となり、玄人の職能にただただ舌を巻き、世界とはなんて素晴らしい場処だろう、人間とはなんて健気な探求者であろうと感嘆する。そうして、愉しい余暇を過ごせたと感じて自然と笑みがこぼれてしまう。
読書だってそうだ。一冊の本のなかには無数の星々が同居し、其処かしこに浮遊してさまざまな光景をつむいでいる。総体を評価するのも確かに大事であろうが、局所的な描写に気持ちが捕らえられ、読後いつまでも忘れられなくなる展開こそが醍醐味と思う。起承転結の構成が上手くなくても、自分の脳なり魂としっかりと結束する箇所がわずかでも見つかれば十分にすばらしい本に出逢うことができたのであり、とても有意義な人生を送れている、そんな勇気みたいなものがもらえる。
書籍のなかから数行をすくい上げ、許可もなく世間に紹介し、身勝手な意見や解釈を添えていく行為を自分は此処で繰り返している。もしかしたら有害かもしれないし、そんなことをされる著者もきっと困惑するのだろうが、それ以外には体質的に出来ないのだから許してもらいたいところだ。ちいさな柄杓でほんのわずかな水をすくい、目を寄せて観察し、口に含んで味わうようにしか世界と向き合えない。順位も勝ち負けも度外視して、内観と祈りを繰りかえすしかない。
さて、先日読んだ本のなかに「幻覚」に触れた箇所があって目を引いた。公害で身体をむしばまれ、訴訟で魂をすり減らした一個の人間が、駆け引きなくその真情を吐露する貴重な一冊である。元々は公害とは何か、差別とは何か、私たちの住まうこの社会とはどんな場処であるかを知りたくて手に取った本であり、実際学ぶことが多々あって、こんな年齢になってからも教育してもらえる有難さを堪能している。まだまだ世界は知らないことばかりで愉快だ。
この本のなかでインタビューに答える著者が、おのれの精神錯綜の重篤であった時期を振り返り、これを淡淡と語っている箇所がきわめて興味深かった。彼の言葉をそのまま書き写せば「狂っている最中」の記憶であり、そのとき鬼と出くわした、と話すのだった。
元凶となった化学工場に働く者たちを「自分たちが肥え太るために人間の生き血を吸い、人を食っている鬼ヶ島(の鬼)のように」思っていた彼が、また毒を放出していると感じられたことから鬼退治よろしく単身乗り込もうとする。
「そのとき自分のなかで展開されたのは幻覚と言えば幻覚なんだけれども、実際にその場面が鮮やかに出てくる」、「二~三歩歩いたぐらいのところで、五匹か七匹ぐらいおった鬼たちが人間の手足を引きちぎって食っているわけですよ、血をスタスタやりながら。」
彼が構内に踏み込んだ上で見た幻覚であったのか、それとも道端で夢遊病者と化して垣間見た蜃気楼じみたものだったのか、それは書かれていないが、確かに鬼の住処へ侵入し、運悪く見つかってしまった彼はあやうく捕まって食べられる寸前となる。
「その瞬間、上から「早くあがってこんか」いう声がしてロープが下りてきた」、「危ういタイミングでしたね。おれの足が鬼の手につかまる寸前に引き揚げられた」ということで、からくも生還することが出来たのだった。(*1)
詳述されるこの世ならざる光景のかずかずも凄まじいが、それ以上に感心したのは、筆者が「狂っている最中」の自身と幻覚につき一切否定せず、恥じることなく、逆に自身の魂の快復や逆境の捉え方につき有効であったと確信している様子が驚きであり、また見事であるのだった。
「狂っていく過程は恨みが吹っ切れていく過程でもあったわけです。吹っ切れたというより、吹っ飛んで果てたという感じです」(*2) 「自分もギリギリで、しかも命がけで、狂って狂って、キワキワのところでやっと気づいた、というより気づかされたこと」(*3) 「狂ったあのときは文字どおりの「魂入れ」だったし、揺るぎないですね。見せつけられたというか叩き込まれたというか」(*4)
こうして繰り返される自己検証の声を並べ見れば、彼にとって狂いと幻覚が無駄どころではなく、必要不可欠な分岐点であったことが納得される。狂っていた方がよく見えていく状況もあるのだし、幻視や幻聴の記憶を魂の道程に深く刻み、成長の糧にしていくことが人間にはあって良いのだ。狂いは、幻視は、忌まわしき病状ではなく、一種の啓示として働くことが間々あるという事実を毅然として主張している。
正気であること、幻覚を見ないということ、それが健常とは限らないのだ。それが無いことを誇ることも、それで苦しみ恥じることも、どちらもどこか足らないということだろう。
(*1):「チッソは私であった 水俣病の思想」 緒方正人 河出文庫 2020 198-199頁
(*2): 同 198頁
(*3): 同 202-203頁
(*4): 同 210頁