2019年12月31日火曜日
“十字架を引き抜く”『花と蛇』~生死に触れる言葉(6)~
独自の美学をつらぬく「現役作家」たる石井隆を、今この段階で語るのは不遜であるし土台無理なことだ。読者には誤解する権利があると書いたのは確か権藤晋だったけれど、翻ってその言葉は読者という立場は大概が誤解する、勘違いする役回りなのだと諭している。
称賛や解題は各人の体腔にうずくまるばかりで、いつまで経っても肝心な石井隆の今には到達し得ない。批評する側それぞれが石井の劇を反射する鏡となっていて、経年による曇り具合で丸きり違った像を結んでいき、いつだって我らの目にはその歪んだ背中しか映らない。その好例こそが此の場処だ。責任を負わないのを好いことに延々と綴りまくる駄文の堆積は、一個人の鏡面に張り付いたまさに虚像に過ぎない。石井隆に興味引かれて訪れ、読もうとする誰にとっても役に立たない。そのような警句と開き直りを刻んだ上で、石井の『花と蛇』(2004) についての強引な妄想をなお勝手気儘に続けよう。
昂揚した老人は何を思ったか、震える脚で立ちながら
老人とは思えない力で床から十字架を引き抜き、
十字架を抱えてゴルゴダの丘を上るキリストのように
十字架を背負って、
床に寝かせる。(中略)
老人「ああ……」
と、両手両足を括ったロープを必死に解く。
解放された静子がいとおしむ様に田代老人の股間に顔を埋め、
体を愛撫する。(*1)
当初石井が抱いた脚本内のヴィジュアルは上記のごとくであった。完成された映画での老人(石橋蓮司)は半身の自由が利かぬ身体を必死にくねらせて床を這い進むだけが精一杯であって、重い十字架を引き抜く行為など到底出来なかったのだが、石井が希図としていた『花と蛇』という物語が本来懐胎していたのは、明らかに「救出劇」であったことが此処に明瞭に示されている。表層では嗜虐趣味のパーティを装いながら、切実で哀感溢れる思念の漂着が窺える訳である。
確かに物語は徹底した乱痴気騒ぎだし、その暴虐に耐え切れずに押し潰される一個の人間の魂を描いている。狂人の支離滅裂な幻影そのままの滅茶な展開なのだけど、少しだけ呼吸を整え、『花と蛇』を独立した物語としてひも解くのではなく、一人の作家の、より分かりやすく言い換えるならば「一人の画家の連作の一端」と捉え直すことで違ったものが見えてくるように思う。もの恐ろしい筆致を見定めることが可能となり、受け手を戦慄せしめる囁きがようやくにして聞こえてくる。
承知の通り、石井隆という作家は私たち現代の孤立する魂に併走しつつ、極めて狭い同心円の劇を丁寧に編んでは解(ほぐ)し、再度編んでは解しながら一反の織物へと仕上げてきた。どちらが縦糸か横糸か分からぬが、一方を名美と名付け、他方を村木と名乗らせることもあったが、そんな固有名詞に縛られるまでもなく、一個の男と一個の女の作り出す、時に濃密な、時に透かしの多く入って儚い風情の布地を産み出し、その上に変幻する文様をさまざまに編んできた。
文様の柄は常に細かく精密であり、稀に図柄は反復され、はたまた色彩を反転させたりもしながら私たちの目を愉しませたのである。国家や政治、学閥、組織といった巨視的な物語を(やろうと思えばやれたろうに)上手に避けていき、家族の描写(厳密に言えば少々はみ出して手を染める場面もしばしばあったが、)さえ原則控えて、常に目線を「個」と「個」の対局へと絞りこんだ。その本質は、やはり「救出劇」であり、この世に救いはあるのか、人は誰でも救われるのか、取りこぼされる魂はないのか、その後の死とは何であるか、ひるがえって人の生とは何であるか、その辺りに辿りつくように思われる。
『花と蛇』で石井隆はひとつの境地に至っている。これまで主人公のおんななり男を苦しめるものは「他者」であり、「環境」であり、それ等がもたらした漆黒の過去であった。光明を手探るうちに支援する手が現れ、救出すべく模索が重ねられた。(成功する場合もあれば、失敗に終わることもあった。いや、ほとんどが失敗した。)ところが、『花と蛇』においては、おんな(杉本彩)を苦境のどん底に陥れる者と「十字架を引き抜き」再生と救出を図ろうとする者がなんと同一人物に設定されている。
不幸の元凶となる者が恋着する相手を奈落へと突き落とし、そこからの救出を臆面もなく膳立てる。個を不幸の境地へと追い落とすのは最も近接したもう一つの個であり、個と個の接近の末路は精神の圧壊と内実のともなわぬことが見え見えの場あたり的な救出劇だと断じたのだった。
振り返れば腑に落ちるところもある。同じ血筋であっても、ひとつ家に暮らす者同士であっても、互いが「個」である限りにおいて隣接する存在を不幸へとやがて叩き落とす未来を予感して怯えながら暮らしてはいないか。逆上にまかせて完膚なきまで袋叩きにし、その癖に突如手を伸ばしてその場をえへらえへらと取り繕う。それとも内実を遂に語らず、なにも尋ねず、受容と冷淡を履き違えたままで言葉少なに日常へと帰還する。
どうしようもないマッチポンプを互い違いに演じながら、寄り添う個と個が衝突と修復の模索をし続ける。解放されるにはどちらかの生が尽きるか、壊滅的な終幕に至るのを待つしかなく、意気地がないから自死も突き詰めた衝突も何も出来ない我らは、遣る瀬無い年を越え、さらなる遣る瀬無き日々へと牛馬のごとくのろのろと歩んでいく。そんな実感を抱えるのはこの私だけだろうか。
『人が人を愛することのどうしようもなさ』(2007)、『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(2010)と、そこに我々は名美や村木といった存在の残照を見出すのだが、石井は『花と蛇』において村木に代表される「救い手」という存在にまったく絶望し、その地位を剥奪してしまったように私は見る。あんなにも夢うつつの空間に仕上げていながら、『花と蛇』の本質は恋情や浪漫の徹底的な拒絶なのである。隔絶された夢幻空間を延延と映しながら、その実、石井は極めて冷徹で現実に即した人間関係の末路を描いている。
『花と蛇』とはそこまで無惨な手厳しい諦観の劇なのであって、女優の姿態がどうとか嗜虐遊戯がどうといった表層の道化に笑っておられぬ、極めて重大な生死(しょうじ)に関わる分水嶺となっている。
(*1):『花と蛇』準備稿 シーンナンバー84 円形コロシアム(数日後)
“磔刑図”『花と蛇』~生死に触れる言葉(5)~
石井隆の映画『花と蛇』(2004)に接する態度はどうあるのが望ましいか、今もって判断に迷う時がある。あれ程世間を騒然とさせ、まとまった観客動員を誇った割に積極的に感想を綴る人が少ないのはたぶん似たような迷いを抱いている結果だろう。声に出されぬ限り、他人のこころを完璧に推し量る術はない。ゆるやかに互いの距離を置くより仕方ないけれど、さて、振り返ってこの私は『花と蛇』につき何をどう書き遺すべきだろう。
作り手の思念の海に潜って深淵までゆるやかに降下し、静謐な砂地に着底するのが受け手にとっての醍醐味という気がするのだが、『花と蛇』を愛でる時間というのは脳内の使用領域が最初からどうも違っていて、うまく単語が浮上しないというか、あれこれ喋るのが野暮な気分にさえなる。沈黙こそが最良の賛辞といった趣きがある。
美術館の回廊で絵画と対峙する時間、大概において私たちは言葉を持たない。「ああ…」とか「ううっ」とか「きゃあ」くらいは口にするかもしれないが、色彩や構図を入念に見定め、その場で解説風に単語をひり出すことは普通しない。音楽も同じ次元だろう。自発的に演奏会まで足を運んで曲の調べと奏者の妙技を愉しむとき、我らの脳味噌は文章を綾織ることをさっさと放棄し、音曲のしずくが耳郭にねっとりと沁み込むに任せる。観賞の場においては誰にとっても感覚こそが優先され、失語症に陥るのが常である。石井の『花と蛇』という映画を仰ぎ見たとき、あんな風にして一切考えずに真向かい、女優のめりはりある素肌にひたすら見惚れていれば良いのであって、そこで屁理屈を並べても詮ない気持ちが強く湧いてくる。
近頃の脳科学研究を紹介する記事をつらつら眺めれば、私たちの頭は性愛の描写を前にすると直ぐに活動が減じることも分かっている。(*1) 銀幕に狂い咲いた情欲の花弁に陶然とし、男女交合図に口をふわっと開けて思考を全停止させ、ただただ無我の境地に成り果てればそれで良いのだ。
『花と蛇』の公開前後には雑誌がこぞって取り上げ、毎週どこかの誌面がきつく縛り上げられたおんなの裸身に頁を譲り、世間を激しく煽りまくった。大半は女優の肌や姿態を見世物的に取り上げたグラビア頁が主だったが、映画という媒体が具える異界感や突破感を極限まで増幅し、劇場での観賞希望者を次々に増殖させた。宣伝の目的には十二分に適い、興行を成功へと導いていったが、銀幕に照射さえる光に集まった私たちは水銀灯に突進する甲虫さながらで、思考を失っているところが少なからず有ったように思う。風に玩ばれる川原の葦のように抵抗することなくやんわりと弛緩し尽して、前後左右に意味もなく揺れていれば実はそれが最も洗練された客の相貌なのだ、そう割り切って、銀幕にぽつねんと映される裸のおんなを幾重にも取り囲んでいった。石井隆の『花と蛇』とはそういう麻痺機能を持つ一面があった。
されど、と、天邪鬼たるもう一人の私がやはり強引に割り込んでくる。石井の多層な世界は一辺倒な解釈を許さない。分かったと思った瞬間に大切な何かを取り逃がす。画布の裏にまるで違う絵を描くのが石井という画家のとんでもない特長だから、早々に思案を止めて無下に取り扱うことはとても危険だ。
そろそろ本題に入れば、映画『花と蛇』には脚本を読む事でようやっと見えてくる景色がある。手前勝手な焦燥に背中を押されるまま、ここから先は記してみたい。公開当時から今に至るまで専門誌に掲載されることがなかった当該脚本であるから、これを読んで石井隆版『花と蛇』と直結させ得た観客はごく少数であって、当時の制作関係者や一握りの評論家、それに粘着度の高い私のような好事家だけである。
野暮天と笑われるのを覚悟で書くのだけれど、石井隆の『花と蛇』は絵画に捕り込まれた一個の魂の顛末を描いていて、構造的な段差は少しあるにしても、サルバドール・ダリを招聘して彼の絵画世界に捕り込まれるヒッチコックの『白い恐怖』(1945)( *2)であるとか、ゴッホの絵の中をさ迷う黒澤明『夢』(1990)(*3)の「鴉」であるとか、最近ではドラクロワの「ダンテの小舟」を再現したラース・フォン・トリアーの『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)(*4)といった作品を側において語っても良いはずなのだ。
物語の冒頭近くのト書きに以下のように書かれてある。石井は結果的にこの場面をすっかり廃棄してしまったので完成された映画には登場しないのだが、その後、中盤以降で闇組織にさらわれたおんなが責め苛まれる幾多の場面の雛形としての明確なビジュアルが示されている。
『女王と二人の女戦士』と題されたその画は、良く知られた
アントネロ・ダ・メッシーナという画家の、『二人の盗賊に挟まれた
キリストとマリアとヨセフ』と題された磔刑図を模して描かれていて
(中略)左の女戦士は全裸に近い姿で後手に括られたような姿勢で脚を
広げられ、右の女戦士は弓反りに吊るされていて、三人の顔は恍惚に
のけぞっている様だ。(*5)
廃棄されたカットであるから、私たちは『女王と二人の女戦士』という絵を目にする機会は無いのだけれど、元絵となったAntonello da Messina (1430–79)の磔刑図Crocifissione を傍らに置いて夢想することは許される。
劇中で石井は、女優の肉体を執拗に十字架に縛り付けている。縛る部位を替え、姿勢を微妙に変えて何度もその絵面を変転させている。その異様とも感じ取れる執拗さに観客は戸惑いつつ、嗜虐趣味の枠組みとして、つまり劇中でおんなを拉致し、ひたすら加虐行為を連鎖させて飽くことのない闇世界住人の人間離れした無限の肉欲の為せる結果として納得するのだが、実はメッシーナの磔刑図に見られる中央および左右の罪人三様の忠実な再現を試みた痕跡なのだと解されていく訳である。
水平方向に伸びた両腕、柱に沿って伸ばされた細い脚を持った中央の聖人像は、異教徒である私にも目に馴染みであるのだが、共に処せられた左右の盗賊の姿は痛ましくも胸に迫り来る。ここには激しい苦痛と生命のあがきが注入されていて、鑑賞者の眼を深々と射抜いていく。石井が再現に尽力し、その上で何がしかの境地へ到達しようと心を砕いたのは中央の聖像ではなく左右の「後手に括られたような姿勢」と「弓反りに吊るされ」た人体であるところが特異であり、見逃せない点と思う。
論文の執筆において、その著者は一切批評を許されず証明できないような感情論や主観的な内容は含んではいけないというルールがあるらしいから、この文章は完全に説得を書いた素人感想でしかないが、この瀕死の罪人の様子を現実の人体によって徹底再現しようとするところが石井隆という作家のまなざしであり、真髄ではなかろうか。その指摘と玩味は道理を外れていないのではないか。
左右それぞれの罪人を同じ比重で再現しようと努める辺りに、独自性が垣間見られる。過日読んだ小池寿子の「描かれた身体」(*6) によれば、向かって左側の罪人はデュスマス(またはディスマス)と呼ばれる「良き右盗(うとう)」であり、聖人の存在を信じて天国に招かれた者として伝えられ、私たちからは右側の柱に磔なって見える男は聖人の存在、神の奇蹟を最期まで否定したまさに救いようのない男らしいのだが、小池が解説で使用した1420年代の絵画、ロベール・カンパンRobert Campinの「磔刑の悪しき罪人」の姿は「後手に括られたような姿勢」であり、メッシーナの磔刑図では「良き右盗」と同様の形をとっている。
左右の罪人に関する伝聞は少なく、様ざまな形態のあったらしい磔刑のどの形を取ったのか、宗教画家たちはそれぞれ自分たちで仮定するより仕方なかった。石井は左右それぞれの形、「後手に括られたような姿勢」「弓反りに吊るされ」た姿を女優に交互に丹念に演じさせながら、善悪の境界をあえて曖昧にしている。見る角度が違えば誰もが善人にもなるし、その逆にもなるという石井の劇を貫く両義性をここでも私たちに示している。罪人である自覚を前提としながらも、善と悪との間にトンネルを穿ち、血流を共有させて「人間」の多層を描こうと奮戦している。
メッシーナの絵画の背景に広がる陽光とのどかな丘陵は削ぎ取られ、『花と蛇』で磔(はりつけ)なったおんなを漆黒の闇と雷光、無情の雨が包みこむ。天を仰いで喘ぐその目は救済を訴え続けている。そこに肉の戯れや歓びはほとんど見出せない。私たちは『花と蛇』の突飛な景色に声を失い、石井世界とは別個のもの、団鬼六の原作に覆われ尽くした特殊な狂騒劇と捉えがちであるのだが、石井は決して手綱を離すことなく、おのれ自身を唯一のパトロンにして伽藍の建造を続けているのである。
(*1): GIGAZINE「性的な動画を見るとあなたの脳の一部はシャットダウンされてしまう」2012年07月15日 23時00分
(*2):『白い恐怖』Spellbound 監督 アルフレッド・ヒッチコック 1945
(*3):『夢』Dreams 監督 黒澤明 1990
(*4):『ハウス・ジャック・ビルト』 The House That Jack Built 監督 ラース・フォン・トリアー 2018
(*5):『花と蛇』準備稿 シーンナンバー7 遠山がオーナーの画廊(神宮前・午後)
(*6):「描かれた身体」 小池寿子 青土社 2002
2019年12月8日日曜日
“他生の縁”『月下の蘭』~生死に触れる言葉(4)~
石井隆の初期監督作品『月下の蘭』(1991)を思いきって縮約すると以下のような筋書きとなる。会計事務所を細々と営む男(根津甚八)が主人公で、その顧客には闇社会の住民もちらほら含まれる。仕事場に顔を出す彼らに対して愚痴を聞いてやったり、節税の相談に乗ってやる地味な毎日だ。どちらかと言えば平穏な日常と言って良いのだろう。男には妻(余貴美子)と娘がいる。ある日いつも通りに客のひとりが来訪し、また、いつも通りに妻と娘もやって来て、のんべんだらりとした刻がこのまま過ぎていくかと思えたのだが、突然そこに暗殺者が現れ、客の男を銃で滅多撃ちにしてしまう。この襲撃で妻と娘が巻き添えとなり、目前で為すすべもなくいのちを奪われる。
慙愧の念に苛まれながら男は十年の歳月を生き、無頼の真似事じみた自堕落な日々を過ごしている。ある日、蘭という名の娘と知り合いになるが、この娘は売り出し中のアイドルであった。この蘭が闇社会に獲り込まれてしまった事を知った男は煩悶を重ねた末に救出を企て、単身娘が匿された屋敷に飛び込んで行く。
当時旺盛に制作されていたオリジナルビデオ映画の一本であり、最初から銀幕での観賞という形は取られなかった。VHSテープで頒布され、受け手の多くは家庭に置かれたテレビジョン受像機でこれを観ている。成人向けに作られていないから裸体の乱舞する場面は挿し込まれていないのだけど、狭苦しいモニターにあっても石井の美学が随所にまたたき、忘れえぬ小編となっている。針のような雨が降りしきり、傘を片手にコート姿の余がたたずみ、傷を負った根津を心配げに見下ろす様子など、独特の芳香を放って観る者の酩酊をさそい、今も記憶の淵にありありと住まい続けている。
ある日の昼下がり、テープを再生して何度目かの鑑賞にひたっていた。石井作品に限らず映画というメディアは孤別に愉しむもの、各人の魂に直結させるべきギフトと捉えているので、普段ならあえて誰もいない時間を狙って視聴するところなのだけど、皮膚露出の少ない一般向け作品ということもあり、ちょっと弛緩するような感じで漫然と観ていた次第である。その折に背後を歩いていた年長の家族が突然に声を掛けてきた。違うよね、と言うのである。何が違うのか、と顔を向けると、今の台詞に出て来た諺(ことわざ)の解釈が間違っている、そんな意味じゃないと言うのである。
「袖振り合うも他生の縁」という諺をめぐる会話が盛り込まれていて、確かになんだか妙に落ち着かない感じを自分も抱いてはいた。だけど、それは文脈のなかでは瑣末な事柄であり、気に止めるまでも無いと考えた当時の私は、釈然としない面持ちでいつまでも立ち続ける家族を蝿のように追い払った。あれから三十年弱の歳月を経て相応の雑学を身に着けた目で振り返ってみれば、あの時の家族の言い分は至極もっともであるし、むしろその“不自然さ”を石井は強調していた、と分かってくる。
橋川「じゃあな。早くお家に帰るんだよ」
と、ヘルメットを返して貰おうと手を出すが、
蘭 「こういう時に使う諺(ことわざ)知ってる?」
と、ヘルメットのまま雑居ビルの階段を上って行く。
蘭 「袖摺り合うも多少の縁。縁があんのよ、私達」
橋川、呆気に取られて、
橋川「オイ!」
慌てスタンドを立てて蘭を追う。(*1)
娘の口から突然に発せられた諺に対し、しばらくして男は以下のように返している。
グデングデンに酔った橋川が、これまたグデングデンの蘭を
背負ってタクシーを拾っている。
橋川「袖摺りじゃなくて、袖振り合うも他生の縁って言うんだよ。
他生ってね、その多少じゃなくて、他人の人生って意味なんだ」
まるで我が娘(こ)に諭しているようだ。(*2)
確かに「他人の人生」という解釈はおかしい、聞いたことがない。年長の家族が口をとがらせるのは当然で、実に不自然な台詞と言えるだろう。何よりもこの唐突な諺の応酬自体が奇妙である。人にもよるだろうが、私たちは日常会話のなかにこの手の諺をしきりに発声させることはない。けれど、まあ、それは良しとしよう。映画やドラマの台詞に金言名句が交じることは幾らでもある。
されど、こんな違和感をもよおす登用はそうそう無いのじゃないか。「多少」と「他生」、共に発声は「たしょう」でありながらぜんぜん意味合いの異なる語句を、小説ならいざ知らず、映像作品で無理矢理に強行していく姿勢もかなりの不自然さを招き寄せる。「たしょうってね、そのたしょうじゃなくて、たしょうって書くのだ」と画面から告げられても、ほとんどの観客は首をひねるだろう。私たちはこれをどう捉えるべきであろうか。石井隆は不用意な脚本家であって、さらに全くの常識知らずで、それゆえにこんな不自然な台詞を紙面に刻んだものだろうか。
「見知らぬ人とたまたま道で袖をすり合わせるのも前世からの縁。そう考えてお互いに譲り合い思いやれば、穏やかに、気持ちよく暮らせるはずなのです。」(*3)
本来はこの程度の軽い意味合いで使われる諺だから、『月下の蘭』の劇中に浮遊する一連の台詞の応酬についてもさらりと聞き流すのが一般的な視聴態度だろう。大都会の岩礁に取り付いてささやかに暮らす中年男と若い娘の偶然の出逢い、これを彩るさわやかな香辛料みたいなものだ。気の利いた男女の会話をひねり出すに当たって、気安く登用された装飾ぐらいに思ってもまったく構うまい。
それにしても、やはりどこか変である。割合とよく知られた諺であるのに、まだ十代と思われる娘が誤って解釈していた事はまあ普通であるけれど、これに対し中年男がさらに誤った説明で応じるその脱線に次ぐ脱線ぶりはすこぶる珍妙であって、これはどうしたって意図的に為された表現と推定せざるを得ない。つまり石井隆は「勘違いしている男」をわざと役者に演じさせていて、その上で「袖振り合うも他生の縁」という諺を物語の軸芯と定めているのだ。これに登場人物および観客が気付くよう、過ちに過ちで返すという裂け目状の“不自然”を脚本上で故意に起こし、意識の滞流(よどみ)と集中を目論んだのである。
失踪した蘭を心配し、単独で捜索した挙句に返り討ちにあって絶命する若者(山口祥行(やまぐちよしゆき))を茫然と見送り、自身もまた袋叩きに遭って傷だらけとなって逃げ出し、飲み屋街の裏道でぼろ雑巾のごとく這いつくばる男であるのだが、そのような生死の汀(みぎわ)を疾走する道程を経て、徐々に蘭という娘の救出行為の根っ子が変質していく。
雨に凍える捨て犬さながらに重たく路上に横たわる男を見かねた街のおんな(余貴美子 二役)が、傘下から救いの手を差し出し、その容貌が亡き妻にそっくりであることに男が愕然とする場面があり、さらに怪我で高熱を発してうなされる男の枕元に死んだ若者と死んだ娘が佇む幻想的なカットが重なっていく。彼岸と此岸の境界が男の頭のなかで熔け落ち、「他人の生」への興味から、「他生の縁」への祈念へと強い調子で男の想いが変換していく。明確におのれの立ち位置を改めた末に、蘭という名のタレントではなく「我が娘(こ)」の救出を試みるべく決意を固めていくのである。「袖振り合うも他生の縁」という諺が上っ面のものではなく、ようやく内実を具えたものに男のなかで、物語のなかで入れ替わる。
『月下の蘭』という映画の淵源がこの諺に有るとは想像もしていなかった。賭けマージャン、怪しげな芸能界、オフロードバイク、ヘルメット、フィクサー、銃撃戦と華やいだ小道具に囲まれていて目線はついつい乱れるが、根幹にあるのは作者石井隆の、人の生死(しょうじ)に対する真摯なまなざしである。私自身が未熟でしっかりと受け止め切れなかったのだ。石井隆という作家のもの恐ろしい手技を理解できず、今更ながら輪郭がちょっと見えてきた、そんな実感を持つ。
「道を歩いていて見知らぬ人と袖を触れ合う。そんなちょっとした接触も、決して偶然に起きたものではない。すべてが前世からの因縁によるものだ、といった意味のことわざが、「袖振り合うも他生の縁」である。あるいは、「袖振り合うも多生の縁」ともいう。“他生”と“多生”はどう違うか?“他生”であれば、前世で結ばれた縁。“多生”のほうは、輪廻転生(りんねてんしょう)をつづけてきた過去世の長いあいだに結ばれた縁である。それほどの違いはない。」(ひろさちや)(*4)
「考えてみればこれは凄い言葉で、たった今袖を擦りあった「今生(こんじょう)」とは別な生が前提にされているのだ。しかも「他生」は本来は「多生」だというのだから、連綿と続いてきた幾つもの生のどこかに、今日袖を擦りあうことになるべき因があったと考えるのである。」(玄侑宗久)(*5)
「花の陰で独り飯喰う旅の僧も、本当は孤独ではないのである。換言すれば、「多生の縁」は袖擦りあったときだけ意識されるが、いつだって私の存在そのものを支えてくれているということだ。」(玄侑宗久)(*6)
私は宗教に関して赤子並みの知識しか持たぬから、ついつい識者の書籍にすがるしかないのだけれど、こうして諺のていねいな解説を噛み締めながら味わううちに石井隆の世界を貫く清浄でたおやかな、時に酷薄な人生観が立ち現われて感じられ、唸るような、またその逆にほっとするような心持ちになっていく。『月下の蘭』とは実は徹底して法話的な、一個の人間が「生死(しょうじ)の稠林(ちょうりん)」に入り込み、自己の存在意義を問い直す姿を描いた極めて堅い堅い話なのだった。(*7)
石井隆の描く劇画であれ映画であれ、そこに展開される絵柄はハイパーリアルやグロテスクなタッチであるし、題材も男女の性愛や暴力が多いものだから、受け手はどうしても表層に関する感想に終始してしまうのだが、私たちは表を覆うベールにそっと手を掛け、静かに驚かせないようにめくり、作家の内実に触れる努力を惜しんではならないように思う。
誤解を生まないことを深く祈りつつ書くのだが、私は石井隆の書くもの、描くものを簡単には信じない。いや、信じないように努めている。疑うというのではなく、どう表現したら良いだろう、ひと呼吸を置いてみたり目を凝らしてみたり、紙面や銀幕の裏側に回って再度見返すような、幾らか滞空時間が必要な作家と捉えている。石井の劇が分かりにくいというのではない。分かり易いと思った瞬間に何か大切な物を取り逃がしてしまう、そんな油断のならない作り手という意味である。
(*1):『月下の蘭』決定稿 シーンナンバー12 バー街・雑居ビル前(時間経過)
(*2):同 シーンナンバー14 同外(時間経過・早朝)
(*3):「「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは」 越川禮子 林田明大 三五館 2006 22頁
(*4):「仏教とっておきの話366 秋の巻」 ひろさちや 1995 新潮社 14頁
(*5):「多生の縁 玄侑宗久対談集」 文藝春秋 2004 2頁 玄侑宗久「多生の縁」
(*6):同「あとがき」 241頁
(*7):曇鸞(どんらん) 「往生論註」「生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり」 ここで言う生死の稠林は煩悩多き人間の一生を指すのであるが、私には石井が好んで描く冥府への境界、暗く深い森の姿が思い浮かばれてならない。石井という作家の立ち位置は常に「生死の稠林」にあって、それも自己以上に他者を慮って歩んで見える。
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