2015年2月21日土曜日

“占い”と“火と水”


 正月明けは初詣の話題で幕開く。どこに行ったの、誰と行ったの、人出はどうだったの、と、他愛のない質問をし合う訳だけれど、先日、唖然とさせられたのは相手が引いた“みくじ”だった。内容ではなく、その数に驚いた。納得いく吉凶の出るまで年によっては四度も引き直した、さすがに同じ社(やしろ)では気が引けるからわざわざ別に詣でる、というのだから真剣そのものだ。実直な彼らしいエピソードで、新年の船出を明々と照らそうとする前傾の姿勢は見習うべきものがあるとも感じる。いかにも混迷した世の中であるから、このぐらい意気に燃えて漕ぎ出さなければ途中で負けてしまう人もいるのではないか。

 ならばおまえもこれを見習って、行く先々で“みくじ”を引きまくるのかと問われれば、はっきり言ってそれは無いように思う。だいたいにして、最初から参拝することに腰が引けている。除夜の鐘の音に包まれて歩くのは愉しいけれど、拝殿で手を合わすことに妙な抵抗がある。斜め目線を気取り、鼻で笑ったふりをして自分を誤魔化しているが、祈祷や占いというものが怖くて仕方がない。信じていればこそ実は頼れない訳で、易者の前で足を止めたり、託宣を受けに謎めいた館(やかた)を訪問したりが以前から出来ない。


 旅先の記憶を誰でもがいくつも内壊するものだが、わたしの奥に居座り続ける一片の風景も考えてみれば占いに関わっている。ぼんやりと発光する曇り空で、季節は初秋、週末を利用しての小旅行だった。史跡をいくつか訪ね歩き、最後はとある石造りの教会を見学した。誰も見えないことを良いことに二階まで登って楽器に触れてみたり、祭壇に上がって聖母と向き合ったりして存分に回遊したから、そこそこ華やいだ気分はあったのだけれど、これからハンドルを握りつづけて単調な道をひた走らねばならないと思うと一気に疲れが湧いた。なんとなく食い足りぬものが胸の奥に潜んでもいた。


 浅彫りのガーゴイルを配した出窓から外を眺めると、眼下に広がる駅裏の通りに中華料理屋が一軒見えた。雨だれによる筋の目立つビニール生地の庇(ひさし)が開業してからの歳月を薫らせ、気持ちを引くところがある。あそこで腹を満たしてから出立しよう、今度の旅行の幕引きには調度お似合いと考えた。ふたり掛けのテーブルが三つとカウンターのみの店で、午後三時近くという半端な時間だったから客は女性の二人連れと私だけだ。箸を動かしていると自然とおんなたちのお喋りが耳に入る。ペットの小動物のこと、お気に入りの映画女優がエジプトの女帝を演じること、その他のんびりした話題がふわりと浮かんでは壁に吸い込まれていく。


 不意に軽い破裂音がカウンターの向こうで鳴って、天井が暗くなった。陽の光が扉と窓越しに射しているから慌てる者はいなかったけれど、当然のごとくおんなたちは口を閉ざす。成り行きを見守るなかで、食器を洗っていた店主が当たり前のような顔で壁に手をやり、間もなく明かりがぱちぱち瞬いて店内は日常を取り戻した。この前さ、よく当たるって言うから〇〇に行って占ってもらったんだけど、と、おんなのひとりがもっさりした口調で切り出した。わたしさァ、火と水の事故で死ぬって言うのよ。でもさァ、どうゆうコトよ、火事で死ぬっていうなら分かるけど火と水って何なのよォ、訳わかんないよォ、あははは。連れのおんなもどうやら笑顔で聞いているようだった。その後、ふたりは芸能界のゴシップについてとめどなく話し続けた。


 こうして旅は締め括られたのだけど、“占い”と“火と水”という奇妙な組み合わせが心に係留されてしまい、なぜか忘れられないまま時間を重ねたのだった。それから半年を経て震災があり、電気のようやく通じた自宅の居間で棒立ちとなって、黒い波間に崩れ果てた無数の家屋が次々に炎をあげている様子をテレビのモニター越しに観ながら、“火と水の事故”というものが実際に
この世に在ることを知った。映画好きのあのおんなが震災に関わったのかは分からないし、まして、不幸にして生命を落としたかどうか知る由はない。元気であることを祈るものの、考えても何ともならない領域の話であるから振り払うしか道はないのだけれど、耳の奥でどうにも声が響いて消えてくれない。あのとき、連れのおんなの肩越しにちらりと見えた顔には、いかにも当惑した感じの眉の曇りと、すがって震える瞳があった。

 石井隆の挿絵や劇画、それに映画作品が好きで見続けて来たけれど、そういえば若い男女を主軸にすえながら、占いや予言に物語が牽引される場面にお目にかかった事がない。石井は何を思っているのだろう。記憶違いだったら謝るけれど、たとえば【天使のはらわた】(1978)の第三部で、ホステス(これは父を亡くし彷徨の果てに漂着した名美なのだが、)の指先を握りたいばかりに酔客が手相観を買って出るコマがある。にやつきながら喋り散らす男のだらしない横顔に対して、どうしてそんな事まで分かるのかと適当に相づちを返すヒロインのしまりのない目元が懐かしく思い出されるが、それぐらいが関の山であって、そんな醒め切った描写の奥に作り手石井隆の占いに対する真剣味を感知する事はなんとも難しい。(*1)


 占いや予言を取り上げなければ物語は収縮したり色褪せる、という訳では決してないのだが、若い時分に石井が親しみ、インタビュウでもよく口に上らせる手塚治虫や楳図かずおといった漫画家の、奇怪な風体の預言者がゆらゆらと登壇してはその言動に登場人物のみならず読者もいっしょになって翻弄されていった作品群を横付けすれば、両者の違いはどうしても歴然となる。石井世界の徹底して冷めた距離の置き方は、一体どういう訳なんだろうと思う。


 自身の創作劇に人知の及ばぬ現象、つまりは、幽体離脱や霊的な者の出現、輪廻転生、それに奇蹟の顕現を幾度となく描いてきたのは周知の事実であるのだし、恩人と慕う亡き人の遺影を自宅に飾り、毎朝水の入った器を供えているといった彼の精神世界を思えば、妖しげな占いや予言に対しても拒絶反応を起こさず、物語のエッセンスとしてぱらぱらと振りかけても決しておかしくはないのだけど、そういう景色に終ぞ行き当たったことがない。石井の劇は夜の湖水を潜っていくようなところがあって、透明度が高いのだけれど闇にはばまれ先がまるで見えない。祈りや願いの到達しない奥に未来が茫漠と広がっている。


 幼少年期に喘息を患い、母親に手を引かれて霊験あると伝えられる寺社仏閣を訪ねた記憶についても石井は打ち明けていて、話の展開を目で追う限りにおいては劇的な成果は得られなかったようであるから、もしかしたらその辺りの辛い実体験が影響を及ぼしているのかもしれない。いくら人が神仏に祈り求めてみても、その通りにはどうやらならない事を石井は小さな胸に刻みつつ石段の上り下りを繰り返して来た。ささいな事かもしれないけれど、そういう積み重ねが石井世界を彩って見える。その反面、天佑神助(てんゆうしんじょ)や神変出没(しんぺんしゅつぼつ)とでも喩えたくなる人との出逢い、縁(えにし)の力をいくつも重ねて、その双方を想い描きながら物語を編んでいったのではあるまいか。理屈ではなく、体質なり体感こそがその辺りには顕れているように思う。


 あの人は最後のお別れを告げに来てくれたのではなかったか───そんな事に後になってはたと気付き、石井の創る人物の多くが慄然として部屋の中央にたたずみ、そっと涙を落としていく結末が多いのだけれど、そんな“常に過去形でしか解されない
世の中の不思議と哀しみを謳い続けているのが石井隆という存在と呼べそうな気がする。
 

(*1): 天使のはらわた 第三部 少年画報社 77頁